三岐鉄道 キハ7形
キハ7形(7)
 この車輌は前歴が不明確で、三岐鉄道の車輌竣功図表では1951(昭和26)年加藤車輌製作所で新造されたことになっているが、実際には1943(昭和18)年6月又は1944(昭和19)年3月に加藤車輌製作所で改造されたものと思われる。当時、省中央本線鳥居松(現春日井)から分岐する陸軍工廠専用線で工員輸送に活躍し、戦後運輸通信省を経て1946(昭和21)年に三岐鉄道に入線したが、1951(昭和26)年のディーゼルエンジン入手まで富田機関区で眠っていたという記録も残っている。その間に窓を一段下降から二段で下段上昇上段固定に改造されている。更なる説で、「陸軍工廠の前歴が1932(昭和7)年7月・1934(昭和9)年5月に新潟鉄工所で製造された、筑前参宮鉄道<1942(昭和17)年9月西日本鉄道に併合、1944(昭和19)年5月運輸通信省に買収され香椎線・勝田線となった>ミヤ101または103で、運輸通信省に買収される寸前に海軍が徴収したと思われる。」というものもある。
 半鋼製車で、他のキハ1形6形と同性能のエンジンを持つが、荷物デッキは藤原側のみにしかないため、台車は荷物デッキを含んだ偏心配置となっている。他車より重心が高いため横揺れが激しく不評であった。1952(昭和27)年12月からは国鉄関西本線(富田〜四日市)に乗入れ直通運転を行った。しかし、モハ120形電車の増備で1961(昭和36)年4月に廃車となり、北陸鉄道に売却されキハ5162となり、エンジンが日野DA58に換装され、ステップの新設や客扉の高さへ変更などの改造を施された。その後、国鉄からキハ07を購入したため、1968(昭和43)年に廃車となり、魚礁として日本海に沈められた。

キハ7形の運輸通信省・北陸鉄道時代の詳しい情報をご存じの方、写真をご提供頂ける方はご連絡(メール)お待ちしております。特に、三岐鉄道のカラー写真お持ちの方是非ご提供お願いします。
2006.3.21 更新
主要諸元
形式 車号 最大寸法(長巾高) 自重(t) 定員(席) 内燃機関 馬力(HP) 回転数 台車
キハ7 7 13500×2700×3598 16.00 78(26) 相模N-80 80×1 1300 菱形台枠
車輌画像
北陸鉄道売却後の画像へ

椙山満氏 撮影

キハ7

撮影日不明

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

高井薫平氏 撮影


キハ7

1960.8.22

関西本線四日市

Copyright (C) Satoshi Nanno. All rights reserved