三岐鉄道 モハ120形・クハ210形 1次車
モハ120形(120〜122)
クハ210形(210・211)

 旅客列車の完全電車化に際して、電気機器を東洋電機製造、車体を東洋工機で新造したもので、1959(昭和34)年5月にモハ120・クハ210、翌年12月にモハ121・クハ211が入線した。さらに1963(昭和38)年11月、モハ122が増備された。三岐鉄道初の新造電車であった。車体は1957(昭和32)年に登場した「日車標準タイプ」と呼ばれる名鉄3700系を参考に窓1つ伸ばしたスタイルで、貫通型片運転台、ノーシル・ノーヘッダー・張り上げ屋根の片開き2扉車。台車はカルダン駆動で、当時としては高性能な車輌であった。モハ120形とクハ210形で2連を組むのが本来であるが、実際にはモハ100形などの旧型車やモハ150形とも共通運用で検査の都合上、なかなか編成美は見られなかった。晩年、前照灯が2灯シールドビームに交換され、西武鉄道の電光式方向幕が取り付けられた。
 三岐鉄道では十分高性能な車輌であったが、中型で2扉ということで大量輸送にはそぐわず、西武鉄道より譲受した大型の601系導入により、1982(昭和57)年3月に廃車となり、同年7月モハ130形と共に全車香川県の高松琴平電鉄へ売却され、翌年1013形1013〜1017として竣功した。琴電は標準軌(1435mm)のため台車が交換され吊掛駆動となり性能的に劣った。電光式方向幕と前面貫通幌は取り外された。1987(昭和62)年には、1015・1016(三岐モハ121・クハ211)のみカルダン台車を新造して再び高性能化された。残りの1013・1014・1017(三岐モハ120・クハ210・モハ122)は旧性能ということで京王帝都電鉄(現京王電鉄)から譲り受けた1100系に置き換えられ、1997(平成9)年7月に廃車解体された。そして、高性能化されていた1015・1016も100%冷房化に伴って京浜急行電鉄から譲り受けた1200系に置き換えられ、1063形と共に2005(平成17)年6月26日のさよなら運転を最後に廃車となり翌月に解体された。
2011.7.17 更新
主要諸元
形式 車号 最大寸法(長巾高) 自重(t) 定員(席) 主電動機 出力(kW) 歯車比 台車
モハ120 120 18700×2860×4114 33.44 140(56) TDK820/2C 75×4 11:84 FS17A
121・122 18700×2840×4114 32.66 140(56) TDK820/2C 75×4 11:84 FS17A
クハ210 210 18700×2860×4034 27.10 140(56) FS17A
211 18700×2840×4034 26.24 140(56) FS17A
車輌画像
高松琴平電鉄売却後の画像へ
高松琴平電鉄売却後の大野義久氏・川波伊知郎氏ご提供の画像へ

三岐鉄道 所蔵

モハ120(旧塗装)

撮影日不明

保々車両区

三岐鉄道 所蔵

モハ121(旧塗装)

1971.6.

保々車両区

三岐鉄道 所蔵

クハ210

1977.7.頃

保々車両区


早川隆司氏 撮影

モハ121

1977.11.12

保々車両区

三岐鉄道 所蔵

モハ122

撮影日不明

保々車両区

クハ210
(開業50周年記念)

1981.7.23

保々車両区

三岐鉄道 所蔵

モハ120他
(琴電向け甲種回送)

1982.7.4

富田

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