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モハ100形(100・101) モハ110形(110) クハ200形(200・201) 旅客列車の電車化に際し、1956(昭和31)年11月にモハ100形100・101・モハ110形110・クハ200形200が入線した。4輌とも国鉄からの払下げ車で東洋工機で二段式窓化や貫通幌取付、台車交換などが行われた。モハ100・101は1927(昭和2)年1月、大阪鐵工所(現日立造船)で豊川鉄道附201・202として竣功した。1930(昭和5)年4月、電動車化されてモハユニ201・202となった。さらに、1938(昭和13)年7月に荷物郵便室を撤去しモハ81・82となった。モハ110は1929(昭和4)年12月、日本車輌製造で豊川鉄道モハ33として竣功した。クハ200は1927(昭和2)年1月、川崎造船所(現川崎重工業)で豊川鉄道附22として竣功したが、後にクハ21に改番され、さらに、1937(昭和12)年6月クハ61に改番された。1943(昭和18)年8月、豊川鉄道は鉄道省に買収された(現JR飯田線豊橋〜豊川)。国有化後は、改番されることなくしばらく同線で活躍したが、1950年代には中国地方へ転属し、1953(昭和28)年6月にはモハ81・82はモハ1620・1621、モハ33はモハ1612、クハ61はクハ5600と改番された。1956(昭和31)年3月に全車廃車となった。 一足遅れて1958(昭和33)年1月入線したクハ201はクハ200形となっているが全く生まれが異なる。1940(昭和15)年4月、日本鉄道自動車(現東洋工機)で武蔵野鉄道クハ5850形5857として竣功した。武蔵野鉄道は1945(昭和20)年9月、旧西武鉄道を合併し西武農業鉄道となり、翌年11月、現在の西武鉄道と改称した。西武になってからは、1948(昭和23)年6月にクハ1230形1233と改番され、1954(昭和29)年7月さらにクハ1230形1234となった。1957(昭和32)年7月廃車になった。 全車、ウインドウシル・ヘッダー付の片開き3扉車で、モハは貫通型両運転台、クハは貫通型片運転台をもつ。モハ110とクハ200には、お椀型ベンチレーターが残っていた。入線時にモハ100形の台車はモハ100がD18からD16に、モハ101がKS30Lから汽車製造製の78-25Aと呼ばれるボールドウィンタイプに交換された。主電動機もTDK528A(74.6kw×4)から56kw×4に交換され出力減となった。モハ110形も入線時に主電動機がTDK36(70.8kw×4)から84kw×2に交換され出力減となった。しかし、出力が低いため1958(昭和33)年1月には再び交換され67kw×4となった。モハ120系列の登場により、全車に速度計・車内放送装置が取り付けられ、ブレーキ部品も変更された。 これらの車輌も製造から約50年が経過し、老朽化のためモハ120形2次車や501系に置き換えられ、モハ110の1974(昭和49)年11月を最初に、クハ200・201が1977(昭和52)年3月、モハ101が翌年1月、モハ100が2月に次々と廃車解体された。 |
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2011.7.17 更新 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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