三岐鉄道 キハ80形
キハ80形(81・82)
 まず、キハ81は1934(昭和9)年12月、日本車輌製造本店で竣功した鉄道省キハ41000形41097である。1943(昭和18)年11月には、鉄道省から運輸通信省と改称、1949(昭和24)年6月に国鉄となった。同年9月廃車になったものを譲り受け1951(昭和26)年12月三岐鉄道キハ80形81として竣功した。
 半鋼製車で、三岐鉄道の気動車としては最大である。気動車輸送時期の主力として活躍し、1952(昭和27)年12月から1964(昭和39)年9月までは国鉄関西本線(富田〜四日市)に乗入れ直通運転を行った。1956(昭和31)年の三岐鉄道の旅客輸送電車化後も、当時電化されていなかった国鉄関西本線に乗り入れるため廃車されずに活躍できた。晩年は乗入れ列車の減少で不要となり1964(昭和39)年5月に廃車となった。そして、合理化のため同年11月から内燃化が始まった岡山県の玉野市営鉄道(事業局交通課)に売却されキハ101となった。この際、帝国車輌工業(現東急車輌製造)でトルクコンバーターが装着された。その後も乗客の減少が進み1972(昭和47)年3月末、同鉄道の廃止に伴い廃車となった。その後、しばらく車体のみ同市内の企業団地詰所として利用されていたが、1983(昭和58)年に解体された。
 一方、キハ82は1934(昭和9)年6月、日本車輌製造で竣功した中国鉄道キハニ171である。1944(昭和19)年6月には運輸通信省に買収され津山・吉備線となったが改番されることなく活躍した。1949(昭和24)年6月に国鉄となった。その後廃車になったものを譲り受け1951(昭和26)年12月三岐鉄道キハ80形82として竣功した。なお、仲間だった中国鉄道キハニ170は島原鉄道キハ201、172は防石鉄道キハニ101→東濃鉄道キハ502となった。
 キハ81同様半鋼製車で、こちらは藤原側に荷物デッキが取り付けられている。そのため、全長がほぼ同じの割に車体は1mほど短い。キハ81と共に主力として活躍し、国鉄関西本線に乗入れ直通運転も行った。乗入れ廃止後も電車故障時の予備車としてキハ4と共に残っていたが、モハ140150形電車導入で、1972(昭和47)年1月に廃車解体された。 

キハ80形の鉄道省・運輸通信省時代の詳しい情報をご存じの方、写真をご提供頂ける方はご連絡(メール)お待ちしております。特に、三岐鉄道のカラー写真お持ちの方是非ご提供お願いします。
2016.8.13 更新
主要諸元
形式 車号 最大寸法(長巾高) 自重(t) 定員(席) 内燃機関 馬力(HP) 回転数 台車
キハ80 81 16620×2724×3660 21.50 110(50) DMH17 150×1 1500 TR26
82 16550×2740×3800 20.70 120(56) DMH17 150×1 1500 TR26系
偏芯
車輌画像
玉野市営鉄道売却後の画像へ

三岐鉄道 所蔵

水野照也氏 撮影

キハ81

1959.4.10

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

キハ81

撮影日不明

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

高井薫平氏 撮影


キハ82+キハ5

1954.3.

関西本線四日市

三岐鉄道 所蔵

水野照也氏 撮影

キハ82

1954.10.14

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

キハ82

撮影日不明

富田

三岐鉄道 所蔵

キハ82

1971.12.24

保々車両区

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