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   巡礼二日目
 
吉野川とお遍路さん
 
 
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平成28年12月31日巡礼

 

   巡礼二日目、高徳線板野駅に降り立つ。冬の阿波は朝が遅く、右写真は6:40の撮影だがようやく東の空が白み始める頃である。

   第四番の大日寺はひたすら西へ歩けばよく、道を間違えることはほぼ無い。しかし付近の石の道標はまだ暗くて判読できず、昔のお遍路さんにとって日の出前と日没後はさぞ苦労したことだろうと思った。

板野駅の夜明け

 

 

   大日寺と前の金泉寺とは距離にして5Kmある。これは決して長いほうではないが、ある程度の距離がある場合には途中に弘法大師ゆかりの地としての別院・奥の院といった堂宇があることが多く、今回も導引大師宝国寺と愛染院を通った。

 

    道中安全を祈願して納札を1枚納める。通常は収納箱が設置してあるが、右写真のような簡易式の場合もある。

納札を1枚刺す(導引大師にて)

 

 

   やがて道は非舗装の昔ながらの遍路道となる。北側の谷あいへ進むとやがて舗装道と合流して大日寺が見えてくる。

    「第四番札所大日寺(だいにちじ)」--- 駐車場の広いスペースが目立つが境内はその奥にある。大晦日の朝8:00とあって参拝客はいないが、普段は団体バスの往来があったりでもっと賑わっているのだろう。

    参拝を済ませ納経所に出向くと今回の巡礼で初めて男性僧侶(住職様だろうか)が応対してくれ、きびきびとした筆遣いで「(梵字)大日如来」と揮毫して頂いた。

石仏が遍路らしい雰囲気

大日寺境内は谷の奥に位置している 本堂にて

 

    大日寺をあとに次の地蔵寺へと歩く。これは車道を真っ直ぐ南下すれば良く、20分ほどで境内東側の入り口に辿り着いた。

   「第五番札所地蔵寺(じぞうじ)」---その名の通り地蔵菩薩を本尊とする札所で、境内は山肌を少し離れた位置にあるため広々とした印象である。ここも参拝者は少なかったが本堂では女性信者グループが「おん あぼきゃ べいろしゃのぅ~」と光明真言を唱えており、ここが遍路の札所であることを実感する。

    右下写真は境内に立つ弘法大師像。
   私たちお遍路さんを見守ってください。

地蔵寺の境内

 

    地蔵寺を出て次の安楽寺までは西へ5Km、歩ける距離だが年明け早々に難所の焼山寺巡礼のため本日は少しでも距離を稼ぎたく、路線バス(徳島バス)に乗ってみる。なおこの道は昭和47年まであった国鉄鍛冶屋原線跡で、停留所名にある羅漢・神宅・鍛冶屋原はいずれも当時の駅名である。

    バスに乗ってみると遍路装束のご夫婦と思しき先客もおり、公共交通を使うスタイルも有りだなと思った。乗車8分210円で東原バス停に下車する。

地蔵寺に立つ弘法大師像

徳島バスの羅漢バス停 東原までバスに乗る

 

    「第六番札所安楽寺(あんらくじ)」--- 竜宮城のような山門がお遍路さんを迎えてくれる。実は安楽寺は境内撮影禁止とのことなので写真は外からの一枚に留めるが、境内は回遊式庭園と多宝塔の調和がきれいだった。本堂脇のベンチに腰掛け、冬のゆるい陽光を受けながらしばし休憩する。

   次の十楽寺までは徒歩15分と近い。

安楽寺山門

 

    「第七番札所十楽寺(じゅうらくじ)」--- なんとここも竜宮城風の山門が出迎えてくれる。ちなみにこの山門は楼上の参拝が可能で、上がってみると愛染明王像が祭られていたので拝んでみた。

十楽寺山門

 

    次は熊谷寺へ。歩き遍路で冬の道をのんびり踏みしめる。巡礼を始めた昨日から感じていることだが、お遍路さんのための道標はかなり整備されており大変有難い。右写真はちょっと見づらいが左:八番熊谷寺3.3km、右:七番十楽寺.07kmと彫られている(実際の数字は漢数字)。

平成になって建てられた道標

 

   「第八番札所熊谷寺(くまたにじ)」--- 西へと歩いていた道を右折して北へ少し歩くと風格ある仁王門が迎えてくれるが、境内はもう少し先にある。

    道を上って境内に着くと広々とした中に堂宇が建ち並び、特に多宝塔(右下写真)は流麗な建築として必見だろう。

熊谷寺仁王門

 

    熊谷寺の次は法輪寺となるが、堂宇の写真ばかりでは遍“路”とは言い難いので下写真にて道の雰囲気を伝えてみたい。

    この一帯は吉野川流域の平地部分を歩くため、急峻な山間を縫うような道はない(いずれ出くわすが)。道標は先にも書いたが大変良く整備されており、逆打ちのお遍路さんの便宜を図ったものも多く見受けられた。

熊谷寺多宝塔

遍路の道標いろいろ 吉野川北側の平地を歩く

 

    「第九番札所法輪寺(ほうりんじ)」にやってきた。 なんだか田圃の中にぽつんとある札所といった感じで、のどかな雰囲気の中にある寺である。

    さてここ法輪寺では参拝を済ませ納経帳に朱印を頂く際、財布に百円玉が切れていることに気付いた。どの札所でも事実上300円と定額なのだが、ほとけさまへの感謝の表れとしての喜捨・志納が本来の姿であり商業的な「お釣り」はなるべく避けたいところ。今回は止むを得ず千円札を出したところ、寺のかたが百円玉7枚でお釣りを下さったではないか!これはこの先の札所でお遍路さんが困らないようにとの配慮であることは明らかで、何とも有難いやら申し訳ないやらの気持ちであった。

法輪寺山門

 

   法輪寺を12:55に出立、次の切幡寺までは5km弱で所要1時間らしい。とくればその次の切幡寺~藤井寺12kmが所要2時間半と読めて、なんとか本日中に(納経は17時までなので)藤井寺まで打ち終えられそうだ。そう思うと昼食抜きでも思わず足が速くなる。 

    「第十番札所切幡寺(きりはたじ)」--- 今までの札所と異なりやや山の中腹に堂宇があるため333段の階段を上る。延々歩いてからの階段なのでさすがに疲れて境内で小休止、結局到着は13:45だったが納経を終えての出立が14:20となり少々時間を食ってしまった。

切幡寺への道

 

    結局本日は八ヵ寺を巡礼するわけだが、さすがに行程的に欲張った感も否めない。スケジュールの都合もあるが、なるべくなら初日に第五番札所(地蔵寺)まで打ち終えるのが理想的だったと思う。それなら本日は各札所でゆっくり「霊場の雰囲気」に浸れたはずで、これは今後の課題として考えるべきことだろう。

切幡寺の境内

 

    それでも決めたからには!とひたすら南下、今までは吉野川の北側に沿って西へ歩いていたが、ついに吉野川を渡るときが来た。

    さて吉野川の橋(右下写真)はとても道幅が狭く欄干も無い。クルマを避けるのも苦しいデンジャラスな造りで「なぜ?」と思わせる橋である。実はこの橋は潜水橋(増水時に水中に消える橋)なのであった。氾濫もあり得る吉野川ならではの橋と言えよう。

    渡り終えた土手には屋根付きの休憩所があったが、なんと「仮伯は1泊限定を順守」との注意書きがあり、ここで野宿するお遍路さんもいるのだと驚いた。

休憩所にて

さあ、吉野川を渡ろう 潜水橋をクルマが渡っていく

 

   JR徳島線の踏切を渡り、ちょっと道を間違えそうになる場面もあったが歩きに歩いてようやく16:23、右写真の藤井寺山門前にやってきた。

    「第十一番札所藤井寺(ふじいでら)」--- 八十八ある札所の中でこの寺だけが「○○じ」ではなく「○○でら」と読むらしい。しかも11番目の寺にして初めて真言宗以外(臨済宗)の寺である。これは戦国時代に兵火で寺運が廃れかかったところを江戸時代に再興した際に改宗したためで、今後も時折天台宗や時宗の寺院が現れるのもやはり長い歴史による変遷と言えるだろう。

藤井寺山門

 

    藤井寺での納経を終えて参道を戻ると次の札所・第十二番焼山寺の道標が目に入る。記載にあるように12.9km、しかしこれは決して平坦な道ではなく「遍路ころがし」と言われる程の急峻な隘路の12.9kmであり、いよいよ明日は本当の遍路道をを行くのだなとの感を深める。

焼山寺へは藤井寺境内からの山登りとなる

 

    これで本日の巡礼は全て終了、藤井寺から徳島のビジネスホテルへ戻るため徳島線鴨島駅まで歩く。これも1時間ほど掛かった。そうすると年明けの焼山寺への所要時間は・・・と考えずにはいられなかった。

徳島線472D(鴨島17:36-18:13徳島)に乗る

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