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   巡礼四日目
 
地元の参拝者と共に
 
 
      第十五番 國分寺   第十六番 観音寺   第十七番 井戸寺  
      第十八番 恩山寺   第十九番 立江寺 
平成29年1月3日巡礼   

   巡礼四日目、本日は少し朝をゆっくりして徳島線「徳島7:21-7:40府中」の列車でスタート。ところで徳島線府中駅は「ふちゅうえき」ではなく「こうえき」なので読み方に注意したい。(いわゆる難読駅)

    府中駅から国分寺へは徒歩40分程度で到着した。

徳島線府中(こう)駅で下車

  

    「第十五番札所国分寺(こくぶんじ)」--- 四国遍路(八十八ヶ所)のうち「国分寺」を名乗る寺院は4ヵ所ある。つまり阿波・土佐・伊予・讃岐のいずれの国分寺も遍路の札所なのである。もちろん国分寺自体は聖武天皇(奈良時代)の勅願による創建だが、いずれも平安時代初期に空海が巡教・修行した縁で札所となっているわけだ。

    このような由緒ある寺院ゆえ境内は広々としているが、惜しいことに庭園・本堂の改修工事と時期が重なってしまい、本堂も仮設足場とネットに覆われた状態だった。 

国分寺の山門

 

 

   参拝を済ませ納経所で朱印を頂く。その際に寺のかたから五ヶ所参り」の話を伺った。第十三番大日寺から五ヶ所(常楽寺・国分寺・観音寺・井戸寺)は距離的に近いため、手軽な一日歩き遍路として江戸時代から巡礼の風習があるとのこと。確かに遍路では第一番から第八十八番まで全てを順序正しく巡礼すべしとの規則はなく、「五ヶ所参り」のような巡礼もOKなのである。

 

  国分寺から平坦な道を30分ほど歩くと観音寺山門が見えてくる。

庭園と本堂は改修工事中だった

 

 

   「第十六番札所観音寺(かんおんじ)」--- 商店やアパート等もある街中の札所で、こじんまりとした境内入口に立派な山門(鐘楼門)が建っている。

本堂にて

 

   街中ということもあってか、本日1月3日は地元の初詣客と思しき参拝者も見受けられる。そんななかで大師堂で読経するお遍路さん(右写真)もおり、「地元の寺」と「遍路の札所」との両面を感じさせた。  

白衣(袖無し仕様)を着用したお遍路さん

 

    納経を終え境内を出ようとしたとき、本堂脇に「仏足跡(ぶっそくせき)」があることに気がついた。仏教では釈迦入滅後、仏像崇拝が始まるまでの間はこの仏足跡(お釈迦様の足跡)を拝んでいたのである。この仏足跡は合掌し礼拝した手で身体の悪い部分を撫でると治る!と言われている。

仏足跡(ぶっそくせき)

 

   観音寺を出て北へ歩く。次の井戸寺へは徒歩40分程度の距離である。沿道に刈り取られた田んぼを見ながらの歩きで、何とものどか。

 

井戸寺への道標

 

    「第十七番札所井戸寺(いどじ)」--- ひときわ目立つ朱塗りの仁王門をくぐると明るい境内が広がる。ここまでが先述の「五ヶ所参り」の札所で、確かに日帰り歩き遍路に向いている。

山門から仁王門を見る

 

    納経所で朱印を頂く際に寺のかたと少々お話しする。
 寺:「どちらから来ました?」
 私:「東京からです」
 寺:「東京のどこ?」
 私:「新宿区です」
 寺:「自分も昔新宿にいたんだよ」
 と話がはずみ、それを気に入って頂けたのか最後には今年のカレンダーまで分けて下さり恐縮至極。確かにお遍路さんは旅行者の一面もあるので、いろいろな話ができれば寺のかたも楽しんで頂けるのかも知れない。

井戸寺の境内

 

    井戸寺をあとにし次の恩山寺へ。この区間は17.0Kmと距離があるが、うまい具合にJR線の駅が近在しているので下記の通り乗継いだ。

 府中11:26(徳島線)11:28徳島11:39(牟岐線)11:57南小松島

    徳島では昼食も考えたが牟岐線の次の列車は1時間待ちとわかり昼食はパス。南小松島駅から少し歩いたコンビニで軽く調達して済ませる。

南小松島で下車

 

   南小松島駅から南へのんびり歩いていたら右のような石碑を見つけ、「源義経上陸の地」から屋島合戦に関するものとわかる。碑文には平家追討のため摂津(大阪)から暴風雨に乗じ船を進めてこの地に強行上陸した内容が記されていた。義経の史跡はかつて自分が旧東海道を歩いていた際にも散見され、伝説的なものを含めればまさに日本全国で(青森や北海道にも)お目にかかれるのが面白い。

    <参考> 吾妻鏡 元暦二(1185)年二月十八日(抜粋)

   ここに廷尉(義経)云はく、風波の難を顧みるべからずと云々。よって丑の剋、先ず舟五艘を出し、卯の剋、阿波国椿浦に着く。常の行程三ヶ日なり。

おっ、義経の史跡だ

 

 

   時刻は13時をまわり、恩山寺への参道となる。仁王門から本堂・大師堂への道は長い登り坂でけっこうしんどかった。

恩山寺への道標

 

    「第十八番札所恩山寺(おんざんじ)」--- 山の中腹に位置する札所で、周囲の緑が寺域を包み込むような雰囲気である。自分以外にも若干の参拝者がいたが、やはりクルマでの参拝のようであった。

    納経を済ませ寺を13時半に出立する。次の立江寺は距離にして4.0Km程度なので、今日は日のあるうちに余裕をもって打ち終えられそうである。

恩山寺境内へ

 

    しばらく竹林が続く道を歩くと「弦巻坂」の案内板があった。義経軍がこの坂の反対側に敵軍がいないと知り弓の弦を巻かせた故事によると言う。釈迦庵を過ぎ、竹林を出ると畑が広がる道となる。 

竹林が続く弦巻坂

 

   しばらく歩いていると道の右側に遍路小屋(休憩所)発見!中にベンチがあるので少し休憩することにする。立札によればここはヘンロ小屋お京塚・第四八号とのこと。

    遍路小屋は近年特に整備され、その様式も意匠を凝らした造りとなっている。ちなみに写真にもある独創的な屋根の形状は合掌(両手を合わせた形)のデザインであり、何とも素晴らしいではないか。

 

   さあ、立江寺へはもう一息だ!

お京塚休憩所

 

    「第十九番札所立江寺(たつえじ)」--- 遍路道は街中へと入り、人通りも増えた。それもそのはずでこの立江寺の場所は地元の人にとっても交通の便が良く、そのため初詣客で賑わっているのであった。

 

   

 

 

 

初詣の参拝者も本堂へ

 

 

   ところでこの立江寺は「関所寺」である。関所寺は阿波・土佐・伊予・讃岐にそれぞれ1ヶ所あり、巡礼者がお大師様の審判を受けて邪心あるものは先へ進めないという何ともキビシイ役割を担っている。自分は軽装のうえ般若心経すらも未だたどたどしく、大丈夫かな〜と思ってしまう。(汗)

 

    そんな遍路初心者の気持ちを汲んでか、立江寺境内では白衣・杖・傘等の遍路用品を販売している。今回自分は荷物を最小限にしていたが、次回以降はちょっと考えようかな・・・・。実際に巡礼を進めながら装備を整えていくお遍路さんも少なくなく、このような販売は大変有難いことと言える。

立江寺多宝塔

 

   立江寺からJR牟岐線立江駅方向へ歩くと5分ぐらいで駅舎が見えてきた。こじんまりした駅舎でもちろん無人駅。次回(年末かな)はこの駅に降り立ってのスタートとなるわけだ。

立江駅の駅舎

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