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巡礼七日目 |
快晴の土佐路を歩く |
第二十六番
金剛頂寺 第二十七番 神峯寺 |
平成30年1月1日巡礼 |
平成30年の元旦、本日は室戸岬を廻った西側、第二十六番金剛頂寺と第二十七番神峯(こうのみね)寺を目指す。宿泊先は一旦阿南まで戻っているので、JR牟岐線・阿佐海岸鉄道・高知東部交通バスのルートは昨日と同じで、日和佐から先は全く同じ列車&バスダイヤを利用した。こんな時は切符がフリーきっぷなので重ねての出費とならず有難い。
元旦とあって初詣客で列車やバスが混むかと思いきや、いずれも昨日よりすいている(東京とはちがう)。室戸岬を廻りバス停「元橋」下車、時刻は11:15と早起きが常の遍路にしてはかなりの「ゆとり」スケジュールになっている。
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元旦の土佐国はきれいに晴れた | |
徒歩による遍路道は初め舗装道だったが後半は山道となり、冬の外気が肌にピリッとくる感覚を味わいながら登る。例によって自分以外には誰もいない。バス停から約30分で金剛頂寺の山門が見えてきた。
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金剛頂寺への道 | |
「第二十六番札所金剛頂寺(こんごうちょうじ)」---山門をくぐり諸堂が並ぶなか、突然の参拝客の多さにややびっくり。これは室戸市近辺の初詣客で、クルマで境内まで登ってきた人たちとわかる。 もちろん都会の初詣のような混雑はなく適度(?)の賑わいで、参拝には何の不自由もない。本堂内陣では祈祷を受けている人もいる。 境内には鐘楼があり参拝客が次々と突いていて都会なら騒音問題云々となりそうだが、ここは山の中腹なので問題無いと思われる。
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地元の初詣客もいる | |
参拝を終え海側へ下る。おっ石碑が・・・途中に石碑や石仏があるとついその内容を見てしまうが、播州(今の兵庫県)や文政四(1821)年の表記が見え、江戸時代後期には遍路の旅が普及していた様子が窺える。 |
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遍路道の石碑 | |
さてようやく道を下りきり国道55号線に出ると、土佐国の海が眼前に広がった。時刻は13時、付近のバス停「キラメッセ室戸」(高知東部交通)から安芸方面行きのバスがタイミング良くでやってきたので乗る。 40分ほどバスに揺られて「東谷入口」下車。めざす神峯寺は標高430Mの山の中腹にあり、その道中は霊場巡りで何ヵ所かある「遍路ころがし」の一つに数えられている。それでも今では大部分が舗装されているが、登坂がつづら折りではなくほぼ一直線に登っていくため勾配がキツく、時折休憩を取りながら進む。
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広々とした海が広がる | |
寺が近づくと未舗装の旧道が車道とは別に残存しているので、歩き遍路らしくそちらの道を採ってみた。
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こちらは舗装道の部分 | |
バス停から延々と登ること90分、右写真の山門が見えてきた。と同時に山門の隣にある鳥居を見て「あぁ神仏習合の歴史がある寺だ」とわかる。具体的には左が神峯寺、右が神峯神社となっている。
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左に山門・右に鳥居 | |
「第二十七番札所神峯寺(こうのみねじ)」--- 辿り着くまでに何台ものクルマに抜かれて想像していた通り、ここも初詣の参拝客が少なからず訪れていた。
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神峯寺に着いた | |
それにしても“神峯寺”とは名前の通りでここから見下ろす光景は神々しさを感じさせずにはいられない。太陽と空、海と山、そして伽藍が調和する様子は遍路ころがしの疲れを癒してくれたかも知れない。なお当寺には遍路用品を扱う売店があり、個人的には杖袋(金剛杖のカバー)を入手できたことが大変有難かったことを付記しておく。
帰路は土佐くろしお鉄道の唐浜駅をめざし、ここから本日の宿泊地・安芸へ向かった。(日没前に行程を達成できてやれやれ)
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山と海が一望できる | |
<参考>
阿南駅〜金剛頂寺・神峯寺〜安芸駅/タイムテーブル
阿南駅 7:46 (JR徳島線・阿佐海岸鉄道) 9:23 甲浦駅 9:59 (高知東部交通) 11:14 元橋バス停 11:15 - 11:40 金剛頂寺 12:20 - 13:00 キラメッセ室戸バス停 13:07 (高知東部交通) 13:48 東谷入口バス停 13:48 - 15:18 神峯寺 15:45 - 16:40 唐浜駅 17:26 (土佐くろしお鉄道) 17:38 安芸駅
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土佐くろしお鉄道・唐浜(とうのはま)駅 |