HPトップへ   遍路トップへ  
       
      →巡礼十五日目へ
   巡礼十六日目
眼明らかなれば~皆宝なり
 
 
      第五十四番 延命寺   第五十五番 南光坊   第五十六番 泰山寺  
      第五十七番 栄福寺   第五十八番 仙遊寺   第五十九番 国分寺 
 
令和元年12月31日巡礼   

 

 

   令和元年も大晦日、本日は今治市内の六ヶ寺を巡礼する。前日の松山には八ヶ所の札所が集まっていたがここ今治も札所が集中している。調べてみると今治には七世紀には既に伊予国府が置かれていて、国分寺も建立されるなど古くから栄えていたらしい。

  

    それでは本日も巡礼の道を進めてみよう!……しかし本日は大晦日、朝の松山駅で乗り込んだ電車は右写真のように空気輸送であった。今回は行程の関係でひとまず今治駅まで先行し、コインロッカーに荷物を預けて身軽になる。ここから予讃線を戻って大西駅で下車した。めざす延命寺は駅から徒歩50分で着く。

朝の予讃線、大晦日なのでガラすき

 

   「第五十四番札所延命寺(えんめいじ)」---大西駅からは車道を東進すれば辿り着くが、左折するタイミングに注意したい。

    延命寺の境内は整備されて近代的な雰囲気、参拝を済ませ納経所へ向かうと入口の扉に「お参りを先に行かれて下さい」との貼紙があった。このサイトでも再三取り上げているが、単なる朱印集めが目的にならぬよう巡礼のマナーは守りたいところである。

延命寺本堂

 

    納経所でご朱印を頂き、さて次の札所(南光坊)への道は・・・と思ったらちょうど鐘楼の前に案内板があった。よく見るとクルマ遍路全盛の時代にちょっと歩いてみては?と誘うような内容で、自分は迷わずこの順路に従う。

   旧へんろ道の案内板はここをクリック

境内に立つ不動明王像

 

    旧へんろ道は特に山間の道というわけでもなく歩きやすい。途中で今治市営の大谷墓地の中を通過するが、年末とあって帰省者の墓参が目立ったように感じられた。

    やがて道は今治市街へ入り、JR予讃線の高架をくぐると程なく南光坊となる。

それでは「旧へんろ道」を南光坊へ

  

    「第五十五番札所南光坊(なんこうぼう)」---隣接の別宮大山祇神社とは明治の神仏分離により分かれるまでは神仏混淆だったと伝えられる。遍路道からだと先にこの神社が有り、その先に南光坊の塀が見える。このルートでは境内のななめ後方から入ってしまうため、先ず正面に回ってみる。

   すると正面の門に祭られているのは仁王ではなく四天王であることがわかった。つまり仁王のように門の左右だけでなく、その後方にも背中合わせに祭られている(右下写真)のが特徴である。

南光坊に着いた

 

   参拝を済ませ納経所の扉を開けると別のお遍路さんがご朱印を頂いていた。見たところ寺の方はかなりお話好きのようで、自分の番になるとご朱印帳末尾の住所を見て私も東京暮らしの経験があって云々と始まり、ご朱印帳は所定の場所を開かずそのまま提出するのが作法だとかまぁ朗々と自説を展開なされた。こちらはたまに合いの手をいれるのがやっとだった(苦笑)。

   さて南光坊を出ると昼時、ちょうど行程が今治駅を通過するので駅構内で弁当を買って昼食とした。さぁ次の札所・泰山寺へGo!駅を出てひたすらまっすぐに進む。

特色ある四天王門

 

    「第五十六番札所泰山寺(たいさんじ)」--- 昨日参拝した「太山寺」と読み方が同じなので注意を要する。参道にある石垣が打込みはぎと野面積みであるのが面白い。

   石段を登り境内に入る。堂宇が横一列に並び、玉砂利の掃き目もきれいに揃えられ全体的に整然とした印象を受けた。

泰山寺の石垣

 

    今治駅を離れるにつれ沿道の建物も少なくなり、周囲の景観ものんびりしたものとなる。泰山寺から次の札所・栄福寺へは蒼社川べりの道を歩き、今治小松自動車道(工事中)の橋脚を過ぎたあたりから左手に折れ、遍路道らしい狭い道をとる。

    そろそろ栄福寺に着くだろうと道を右に曲がると、程なく後ろから声をかけてくれた人がいた。なんと栄福寺を打ち終えたばかりのお遍路さんで、道が逆ですよと教えて下さった。助かった、有難いことである。

泰山寺の境内、諸堂が横一列に並ぶ

 

   「第五十七番札所栄福寺(えいふくじ)」--- こちらの札所も江戸時代までは神仏混淆であり、かつては写真左脇を登った先に有った。(現在は神仏分離により石清水八幡宮となっている)   

栄福寺に着いた

 

 

    さて栄福寺の境内で特色ある建造物は下写真の「演仏堂」であろう。現代建築のオブジェがなぜここに?と一見して不思議な光景なのだが、実はご住職の親族に建築家のかたがおられて「現代に仏教を演じる」概念を表現したものであり、まさに当札所のシンボルと言える必見の建築物である。


栄福寺境内

 

   栄福寺を13:50に出立、この調子でいけば本日中に今治六ヶ寺を打ち終えられそう、よし頑張ろう!次の仙遊寺への道は途中の犬塚池を過ぎるころから山道となり、登りが続くようになる。

仙遊寺へ向かう

   

    「第五十八番札所仙遊寺(せんゆうじ)」--- 登り続けて仁王門に着いた。しかし境内へはまだまだ登る。距離にすれば大したことはないはずだが、朝から歩き続けてきたせいかコタえた。やはり山門(仁王門)に辿り着くと安心するのかな??修業は成せたつもりでもまだまだ、との例示なのかも知れない。

    境内に着いたので先ず本堂へ。すると右下の看板が目に入った。おっこれは・・・

仁王門の先は延々と登りが続く

 

    看板には<空海のことば>として性霊集(しょうりょうしゅう・空海の漢詩文集)からの引用が英訳付きで紹介されており、思わず見入った。このような出会いは新鮮で嬉しいこと、以下にその内容を紹介させて頂く。

    「心暗きときは 即ち遇う所悉く禍なり。眼明らかなれば 即ち途に触れて皆金なり。」

    When your mind is steeped in darkness, all that you encounter becomes evil.  If your mind's eye is bright, everything you encounter becomes treasure.

英訳つきの性霊集のことば

 

   仙遊寺を出るとあとは本日最後の札所・国分寺への道となる。五郎兵衛(ごろべえ)坂を下るとあとは舗装道となり、予讃線の踏切を渡るとやがて国分寺が左手に見えてくる。

五郎兵衛は枯草がいっぱい

 

    「第五十九番札所国分寺(こくぶんじ)」--- いわゆる伊予国分寺で、今治の地が古くから開けていたことがわかる。大伽藍ではないが整然とした境内を歩いていると、右下の弘法大師像に出会った。

整然とした国分寺境内

 

   看板には「お大師様と握手をして  願い事を一つだけ  あれもこれもはいけません  お大師様も忙しいですから」 とある。最後の一行はユーモアたっぷりでちょっと笑ってしまったが、安易な思いつきでお願いするのではなく貴方にとっていま本当に大事なことはなんですか?考えてみましょうね、と問いかける文章と解するのが良さそうだ。 

    そこで自分は一つだけお願いした。実はここ30年ぐらいは寺社で祈念するときの決まり文句がある。「世の中が平和でありますように」 こればかりは自分の努力だけでは如何ともしがたく、またこれなくして個人的な仕事・学業・その他私生活の充実など到底ありえないからである。

境内に立つ弘法大師像

    

   さて納経を終えるとほぼ17時、宿泊先の伊予西条へJRに乗ろう。最寄りの予讃線伊予桜井駅への県道を歩いていると犬の散歩の地元のかたが大晦日で日暮れ時のお遍路さんにやや驚いた感じで「どちらからですか?」と訊いてきた。
   「はい、東京からです。」
   「(心配そうに)お宿は有りますか?」
   「はい、大丈夫です。」
   地元のかた、お気遣い頂き有難うございました。

    さぁ明日は元旦、急峻な山間の札所・横峰寺が待ち受けている。

「あれもこれもはいけません」「はい」

    

<参考>今治エリア・日着タイムテーブル

  (冬季曇天のち晴天・軽装・やや健脚の場合)

    松山駅 7:23 (JR予讃線) 8:27 今治駅 8:51 (JR予讃線) 9:07 大西駅 9:10 ~ 10:00 延命寺 10:20 ~ 11:05 南光坊 11:30 ~(今治駅で昼食)~ 12:25 泰山寺 12:50 ~ 13:30 栄福寺 13:50 ~ 14:30 仙遊寺 14:55 ~ 16:30 国分寺 16:55 ~ 17:25 伊予桜井駅 17:47 (JR予讃線) 17:55 今治駅(夕食) 18:58 (JR予讃線) 19:38 伊予西条駅 

すっかり暗くなった伊予桜井駅にて

    →巡礼十七日目へ