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遍路ころがしこそ「遍路」
 
 
      第六十番 横峰寺   第六十一番 香園寺   第六十二番 宝寿寺  
令和2年1月1日巡礼   

    令和2年元旦を迎えた。本日は石鎚山の中腹にある横峰寺へ向かう。標高750Mとくれば「遍路ころがし」の難路であることは容易に想像がつくが、さてどのような経路を採ろうか?と東京を出発する前からいろいろ考えていた。

    前の札所・五十九番国分寺から横峰寺へは約27Km、地図をながめているとその途中に「大頭(おおと)」というバス停を発見した。これが松山~新居浜の都市間路線はもとより地元路線も停まるバス停で、前日伊予西条駅前に投宿した身にとってはうってつけである。しかも遍路道がこのバス停を境に市街を離れ山間を分け入る道となる点も魅力的に映り、この交通手段を採用した。

伊予小松駅下車

   さてバスはその「大頭停留所」に着いた。バスを降りると好天だが気温は低く元旦の朝らしい。バス停から遍路道はすぐにわかり、愛媛県設置の看板「四国のみち案内図」もある。横峰寺への道には「四国一番の難所横峰寺へのみちコース」とあり思わず身も引き締まる?

むむ、「四国一番の難所 横峰寺へのみち」か・・・

 

 

    遍路道は松山自動車道をアンダークロスし、石鎚連山へ。舗装道のため歩きやすい。しばらくして後方からクルマが来て乗車を誘われるも丁重にお断りする。ドライバーさんも先が大変なことを知ってのお声掛けと思われ、申し訳ないことしきり。と同時に先の行程容易ならずと改めて思った。

 

 

 

 

 

 

行く手に石鎚連山がそびえる

 

    やがて道は谷合を分け入るように妙谷川沿いに進む。大頭バス停から1時間半はこのような舗装道だが、最後の20分は連続登りとなって結構きつかった。

 

 

 

 

 

舗装道は序の口

 

    やがて遍路道は「湯浪(ゆうなみ)休憩地」に辿り着く。舗装道はここまでで、クルマが数台駐車している。遍路にとっては屋根つきのベンチやトイレも整備が行き届いていて有難い。

    しばし休憩の後、さあここからが本番というわけだ。

 

 

  

 

車道は休憩所で終わり、いよいよ山登り

     「国指定史跡 伊予遍路道 横峰寺」の碑を見ながら登り始める。今更ながら金剛杖が山道では大変役立つ。

    渓流を脇に見ながら時折橋を渡って道を進める。冬季晴天とあって水嵩は少ないが、春季以降気候が進んで大雨の際には通行が危険になることも実際に有るらしい。下記写真から隘路らしい雰囲気が伝われば幸いである。

    大きな荷物は宿泊先に置いて軽装なのでどんどん登るぞと意気込んでいたら、地元のトレッキングと思しき若い女性のかたにあっさり抜き去られてしまった(苦笑)。

さぁ登山だ
渓流には橋が架かっているが増水時は要注意 おびただしい倒木が荒々しい雰囲気
木々が登坂のお遍路さんを見おろしている だいぶ登ったぞ

 

   延々と登りが続き「遍路ころがし」を実感する。しかしにコケてたまるかとの気持ちは切らさずに(息は切れているが)道を進めると不意に右上方に山門が見えた。おぉ横峰寺の山門だ!

    下界から歩いてきた者にとってこのアングルは到達感いっぱいで、先人のブログやHPにも数多くの写真が掲載されている。(その気持ちがよくわかった。)

 

 

右上方に山門が迎えてくれる

   「第六十番札所横峰寺(よこみねじ)」---山号「石鉄山(いしづちさん)」とあり、「石鎚」ではなく「石鉄」で“いしづち”と読ませるのがミソ。しかも「鉄」のつくりは「失」ではなく「夫」が正しい表記である(つまり石金夫山)。古くから修験道の霊場であり、その修行の厳しさをこれらの文字に例えたのかも知れない。

 

 

 

  

 

横峰寺山門

 

    横峰寺は今まで巡礼した山岳の札所と同様に、決して広くはない境内に堂宇が山肌にへばりつくように建ち並ぶ。

    さて右写真は本堂での一枚である。勤行にいそしむお遍路さんの姿は各札所でおなじみだが、右端のかたは合掌礼拝・開経偈から暗誦で朗々と進めている。一方で左端の若いかたは白衣等の遍路姿ではなく、読経も勤行集をたどたどしくという感じだった。自分はこの様子を見てとても感じ入るものがあった。お遍路さんにはもちろん動機・経験に応じて初心者から達人まであるわけで、各人がそのレベルに応じて勤行することについて仏さま(お大師さま)は決して差別をされないと思う。ひとしく救いの手をのべられるお遍路さんに幸あれ。

 

本堂で勤行を行うお遍路さん

    持参の昼食を済ませ、さぁ次の札所・香園寺へ出立しよう。

    大師堂から遍路道は続き、杉木立の中を歩く。

 

 

 

カーブミラーに写るお遍路さん(笑)

 

    次の香園寺は平地にあるため、今まで登った分を下ることになる。ところが以外にも尾根道が続くばかりでいっこうに降下する気配がない。 1時間半ほど歩いて休憩所(屋根・ベンチあり)に着いたので少し休憩、再出発すると程なくつづらおりの急降下となりみるみる下界・舗装道路となった。

 

 

 

意外にも尾根道が続く

 

    舗装道だがクルマは全く来ない中を下ると香園寺奥ノ院・白瀧への分岐がある。(どちらの道でも距離に大差なし)

    やがて山は視界から消え、松山自動車道をアンダークロスしながら右へ折れると香園寺の駐車場が見えてきた。

 

 

 

奥之院へは車道から分岐して下る

 

   「第六十一番札所香園寺(こうおんじ)」---駐車場に次々とクルマが出入りして参拝者の往来も多い。殆どは地元の初詣客で、お遍路さんは白衣を着ていないとどこにいるのか?と思ってしまうほど。境内の鐘は自由に撞けるようで、参拝客が次々と撞いて賑やかな感じ。右写真のような出店も賑わっている。

 

    

 

 

 

 

 

地元の初詣客でにぎやか

 

   さて香園寺の特徴は何と言っても壮大かつ近代的な大聖堂であろう。本堂と大師堂を兼ねており、初詣客がお参りしている。自分は内陣(2階)への外階段が建物右側に有るので入ってみた。

これが香園寺大聖堂だ!

    内陣(2階)には本尊大日如来を中心とした諸仏と弘法大師像が並び壮観である。さらに驚いたのは収容人員(椅子の数)で、これならかなり大規模な法会でも十分行えると感じた。だいぶ歩いたので納経後に少し休憩、椅子に座らせてもらった。

 

    次の宝寿寺へは距離にして1.3kmと近く、時刻も16時前であったので本日は宝寿寺まで歩いて打ち終えることにした。

 

内陣の様子

 

 

   「第六十二番札所宝寿寺(ほうじゅじ)」---前の香園寺が壮麗な感じだったので、その対比の妙と言うべきか。西に傾いた陽光がこじんまりとした境内を緩く照らす中に自分を含む若干のお遍路さんと初詣客がいるのみ。

 

    その若干のお遍路さんは同一グループのようで、音木(拍子木)をカチカチ叩くメンバーに合わせて読経する様子を拝見したがとても息が合っていた。そこで自分もやや離れた後方で少しあやからせて頂いた。

 

 

 

宝寿寺に着いた

    納経を済ませ出立の準備をしていると、納経所で次のお遍路さんがお寺のかたとお話をされている。

    お遍路さん「・・・・戻ってこられたのですね。(一礼)」
    お寺のかた「はい。」

 

    少し離れた所から聴いたのでこの程度の内容しかわからなかったが、昨年12月に宝寿寺が四国霊場会に復帰したことについてのようだった。参拝・納経に於いて変則的な運用が解消され、安堵されているかたも多いのかもしれない。

宝寿寺の境内

 

<参考>タイムテーブル

  (冬季晴天・軽装・やや健脚の場合)

    伊予西条駅 7:15 (JR四国) 7:24 伊予小松駅/小松出張所 8:05(せとうちバス) 8:15 大頭バス停 8:15 ~ 9:50 湯浪休憩地 10:00 ~ 11:20 横峰寺 12:10 ~  14:35 香園寺奥之院 14:35 ~ 15:15 香園寺 15:45 ~ 16:00 宝寿寺 16:25 ~ 16:30 伊予小松駅 16:58 (JR四国)  17:07 伊予西条駅

  

 

伊予小松駅を駆け抜けていく特急「しおかぜ」

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