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雲辺寺と紅葉
 
 
      第六十六番 雲辺寺   第六十七番 大興寺  
令和2年11月1日巡礼   

 

 

   令和2年10月31日の夜、自分はある種の感慨を以て東京駅9番線ホームに立った。初めての秋の巡礼、20年ぶりの「サンライズ瀬戸」号、そして何よりも日本中いや世界中を震撼させた(現在進行形とも言えるが)新型コロナウィルスがすべての旅行需要に甚大な影響をもたらしたこと・・・・今回の遍路はどんな旅になるのだろうか?

    今回の四国入りに使った「サンライズ瀬戸」号は個室主体の夜行特急で、いわゆる”コロナ対策”にはうってつけの移動手段とも言える。自分は今回「ノビノビ座席」なるカーペットエリアを予約したが、これも隣のエリアとは簡易な区画があるため安心して利用できた。(カーペットはやや硬かったが)

東京駅9番線「サンライズ瀬戸」でスタート

 

  その「サンライズ瀬戸」号を坂出で下車して普通列車に乗り換え、観音寺のひとつ先の豊浜で下車する。今回打ち始めの第六十六番札所・雲辺寺(標高約900M)へは公共交通機関「雲辺寺ロープウェイ」を使う方法があり、ぜひチャレンジしてみたいと思っていた。

    ところが調べてみるとロープウェイの山麓駅に辿りつくバス路線などは無く、殆どの人は自家用車かタクシー利用だとわかった。自分のように公共交通機関に固執する遍路旅の場合は最寄り駅が「豊浜」で、ここから歩くことになる。もちろんタクシー利用も可能で、駅前にはタクシーが常駐していることを記しておく。

豊浜駅に到着、ここが今回のスタート地点だ

 

 

    さぁ秋晴れの讃岐路、「涅槃の道場」へ踏み出したが沿道はいたってのどか。正規の遍路道ではないので通常見かける各種の標識・石碑等は皆無で、スマホのGPSが頼みの綱。具体的な道順としては豊浜駅から番外霊場・萩原寺を目指し、そこからロープウェイの山麓駅へと向かうのが良い。

 

 のんびりした沿道を時折やってくるクルマを避けながら歩くこと1時間、萩原寺の塀が見えてきた。

沿道には畑が広がる

 

    四国別格二十霊場・第十六番札所萩原寺(はぎわらじ)はその名の通り萩の名所でもある。今回は本日中に雲辺寺・大興寺を巡礼のうえ観音寺市内の宿泊先に向かうハードスケジュールのため僅か5分程度(!)の滞在だったのが惜しまれる。いつの日か再訪したいものである。

    今までは殆ど平坦な道だったが、ここからは登りとなる。

萩原寺に着いた

 

 道の脇に果樹園を見ながら進むとやがて山頂へ伸びるロープウェイが見えてくる。山麓駅の手前には広い駐車場があり、予想通り多くのクルマが駐車していた。

 その駐車場から少し行くとロープウェイの山麓駅…なのだが、なんと駅建物の外にまで長~い行列が出来ているではないか!コロナ禍を払拭すべく日本政府肝いりの「GoToキャンペーン」が好天と相まって大変な人出を呼んだようで、もちろん遍路装束のかたも見受けられたがやはり雲辺寺山自体が観光スポットなのだろう。

雲辺寺ロープウェイが見えてきた

   

   このロープウェイは通常20分間隔の運行だが、本日は15分間隔の繁忙期ダイヤである。自分も窓口で片道乗車券1200円(往復の場合は割引あり)を買って行列に並ぶこと30分、ようやく乗ることができた。

   「雲辺寺ロープウェイ」は四国ケーブル(株)が運行するロープウェイで、山麓駅から山頂駅までの全長2594メートル/高低差657メートルを所要7分で結んでいる。(山麓駅設置の案内板から抜粋)

    かろうじて後方の席に座れたゾ、さぁ動き出した・・・

あらら長蛇の列でびっくり
行程の半ばで下り便と行き違う 山麓駅から先行の登り便を見送る
山頂駅に到着、三豊平野と瀬戸内海が眼下に広がる 山頂駅のソーラーパネル、これが動力源?

    

    かつて同じ四国ケーブル(株)が経営する太龍寺ロープウェイにも乗ったが、それと甲乙つけ難いスリリングな車窓で、高所恐怖症の人にはキビシイかも。上の写真からはやや見づらいが、下界には讃岐国らしくため池も多く見られた。

 さぁ、雲辺寺山だ。やはり標高の関係で気温が低いように感じる。雲辺寺境内へは五百羅漢がお出迎えの緩やかな下り道を歩く。(右写真)

五百羅漢を見ながら雲辺寺境内へ

 

    この時期は参道・境内のいたるところで紅葉が鮮やかに映える。11月になったばかりだがここ雲辺寺山は季節が進んでいて、良いタイミングで来訪できたと思った。

紅葉がピーク

  

 

   「第六十六番札所雲辺寺(うんぺんじ)」---八十八箇所の中で最も標高が高い(911M)札所である。天候が良く「GoTo~」の効果も手伝って境内は参拝者で賑わっている。お守りやお札を買う一般の参拝客が大変多く、納経所窓口へお寺のかたが来るのを待つことしきり。

    さて時刻は昼時で、当初の予定では駅での乗換時間を使って食料調達のはずだった。ところが今回「サンライズ瀬戸」が45分も遅れてしまい(先行の貨物列車が近江長岡~醒ヶ井で鹿と衝突!したあおりらしい)、坂出・観音寺での乗換時間にも余裕が無くなり何も買えずじまい。仕方なく境内の缶コーヒーが「昼食」となってしまった。

雲辺寺本堂

    

    ここで雲辺寺の思い出を少々。平成2年頃にNHK-BSで「テレビ遍路・四国八十八ヵ所・けさの霊場」と題する番組があり、毎日札所を一箇所ずつ紹介する内容であった。自分は毎朝出勤前に朝食を摂りながら観ていた。

    時は戦国時代、土佐を統一した長宗我部元親はさらに四国全土制圧へ乗り出していた。その折に彼は雲辺寺を訪れたが、時の住持・俊崇坊(しゅんそうぼう)は「あなたの力量は土佐一国を治めるものであり、四国全土を治められるものではない」と諫めた逸話が番組内で紹介された。後に四国は羽柴秀吉の平定にあい、長宗我部元親は土佐一国の主に戻ってしまったわけである。

 

色彩の対比が絶妙

 

 

   当時はドローンなどは勿論無く、ヘリコプターで山に囲まれる境内を俯瞰しながらの画面構成で上述の逸話が紹介されたと記憶している。地歴ファンの自分にとっては何気に印象的な場面であり、いつか観光で訪れることが有るのかな?とおぼろげに思ったものである。

   あの番組から30年、自分はその雲辺寺にやって来た。
   観光ではなく遍路として。
   そしてある種の感慨をもって境内を巡り、佇んでみた。

遍路ではここがてっぺん

 

 

  そんなわけで雲辺寺は印象深い札所だったが、本日は強行日程で次の札所・大興寺~観音寺駅まで徒歩日着しなければならない。それでは早速午後の遍路道を進めてみよう。  

 雲辺寺を出た遍路道は暫く舗装された平坦な道を歩くが、やがて左折(右写真)して山道となる。

舗装道から分岐、昔ながら遍路道へ

 

 

   思えば標高900M超の雲辺寺山には登坂が有ればその分の降坂もあるわけで、右写真の通りかなりキツイ下りが連続している。

    写真の他に階段部分も大変多く、体を横向きにして降りないと進めない程の連続勾配が続く。香川県設置の休憩スペース(ベンチ)も比較的短い間隔で用意されており、これはぜひ使ってみたいところ。(膝のサスペンションもガクガク状態なので?)

すごい下り坂が連続する

 

   さてさて漸く山道から平坦な舗装道となり、気分的にもホッとする。しかし大興寺はまだ先で、アスファルトに金剛杖を突いて道を進める。すると不意に地元の農家のかたが遍路さん(=自分)に声を掛けてくれた。

地元「雲辺寺さん、ようけ上がっとります?」
自分「あっ、上がっとります、上がっとります。」
<意訳>
地元「今日の雲辺寺は多くの参拝者が訪れてますか?」
自分「はいっ、訪れてます、訪れてます。」

 このようなやり取りは一瞬驚いても実際は嬉しいもの。地元のかた、声掛けありがとうございました。  

平坦な舗装道にホッ


  「第六十七番札所大興寺(だいこうじ)」---入口(山門)への道順は直前に標識の無い複雑な分岐(下写真)があるが、地元のかたが丁寧に教えて下さった。山門をくぐり階段を上ると本堂他の伽藍が建ち並ぶ。

    時刻は16時となり、陽が陰ったせいもあってややひんやり。それでも本日の札所には必ず遍路さんの姿がある。自分は般若心経を読んでいたとき、マスクで息が詰まり読経が止まってしまう失態・・・これもコロナ禍の思い出の一つとしよう。

大興寺本堂

 

 納経を終えてあとは観音寺駅前の宿泊先へ向かうだけ。途中で市営の乗合バス停を発見、使えるかな?と時刻表を見ると「日曜・年末年始運休」とあってがっかり。(本日は日曜日)

 そんなわけで県道6号線をひたすら歩くことになったが、地方の県道らしく(?)街灯が殆ど無いため日没後は真っ暗。路肩注意!もちろんクルマにも注意!とあって、予讃線の踏切を渡り観音寺駅が見えてきたときはやれやれ着いたといった感じだった。

大興寺の参拝を終えた遍路さんたち

 

 

<参考>豊浜駅~雲辺寺~大興寺~観音寺駅
タイムテーブル

  (秋季晴天・軽装・やや健脚の場合)

    豊浜駅 9:25 ~ 10:30 萩原寺 10:35 ~ 11:20 山麓駅 11:45 (雲辺寺ロープウェイ) 11:52 山頂駅 11:55 ~ 12:00 雲辺寺 12:40 ~ 15:45 大興寺 16:10 ~ 17:50 観音寺駅

観音寺駅に着いたときはこんな感じ

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