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荒天地獄で「仏」に会う
 
 
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令和2年12月31日巡礼   

 

 

    大晦日の早朝、いよいよ結願の旅路が始まる。4年前に高速バスで阿波入りしたことがつい先日のように思われるが、今回はどのような遍路の旅となるのだろうか?今回の巡礼では新型コロナの緊急事態宣言は出ていないが、道中はマスクを着用し、巡拝時にも「3密」には特に注意してみた。

    行程上涅槃の道場・讃岐国(香川県)は狭いエリアに札所が集中しているため、今回は高松駅近くの宿泊先に連泊して毎朝各札所へと出かけることにした。

早朝の高松駅からスタート

 

  それでは先ず予讃線で「みの」駅へ。近辺の地名は三豊市三野町だが駅名はひらがな表記である。単線の駅ホームに降り立つとむむっ寒い!自ずと身が引き締まる思いで歩行も足早にして温まりたく、杖をアスファルトにコツコツと突いて進む。(今は風が無いだけ有難いか)

弥谷寺へ

 

 

    めざす弥谷寺は弥谷山の中腹にあるため、道はやがて登り坂となる。ちなみに弥谷山には隣接して天霧山が続き、ここには天霧城址(国指定史跡)がある。かつて戦国時代の某PCゲームをやっていた頃、この城は比較的攻めやすい印象があった(笑)が現地はなかなかどうして要害の地のようである。

 

 弥谷寺は境内が広く、山肌に伽藍が点在している。そのため本堂へは仁王門からかなりの階段を上らなければ辿り着けない。その階段をおよそ540段、石仏の応援を受けながらようやく上り切った。

江戸期の石仏が迎えてくれる

   

   「第七十一番札所弥谷寺(いやだにじ)」---本堂まで来ると到達感いっぱいで、振り返ると下界が見下ろせる。大晦日の朝なので参拝者は少ないが、いわゆる「3密」回避にはこのうえなく、般若心経や真言を唱えさせて頂いた。

 境内には江戸期からの石仏が大変多く、その表情も豊かである。本堂からの階段を下りながら時間をかけて眺めてみた。

階段を上りきると本堂に着く

 

 さて納経は階段を少し下った大師堂で行っている。入口で履物を脱いで堂内へ。すると堂内奥が岩屋(獅子之岩屋)となっており、弘法大師像を中央に諸像が並んでいる。堂内であるので正座して心静かにお参りさせて頂いた。

立派な多宝塔を見上げる

   

   弥谷寺を打ち終え次の曼荼羅寺へと向かう。途中までは先程通った道を戻るが、程なく分岐(曼荼羅寺は直進/右写真)となり、昔ながらの道を歩く。この区間の道は讃岐遍路道(曼荼羅寺道)として国指定史跡に指定されており、雑木林や竹林が道の両側を覆う。下り坂のキツい部分もあり、いにしえのお遍路さんを体験できる道と言える。

    やがて高松自動車道をアンダークロスするあたりから道は舗装され、現実の世界に戻される感じとなる。

ここからは往路の道から分かれる
  

 

 高松自動車道を過ぎ、ため池を左右に見ながら進むと「法然上人蛇身石」という看板が目についた。法然上人が弟子にその父が蛇になり苦しんでいることを教える故事にちなんだ旧跡と記されているが、確かに史実では法然上人は土佐配流の刑を減じられて讃岐に逗留しており、現在でも上人ゆかりの旧跡が少なからず残っている。

 目指す曼荼羅寺は近く、遍路道からだと境内裏手に着いてしまう。寺の看板(注意書き)「山門から入り参拝する」に従いそちらへ回る。

法然上人にまつわる遺跡も

 

 

 「第七十二番札所曼荼羅寺(まんだらじ)」---平地の境内は明るい雰囲気で、地元の参拝客もいる。

 

 境内を歩くと「笠松大師」の小さなお堂を見つけた。中には弘法大師の木像が安置されているが、よく見ると松の木に彫られている。これは弘法大師お手植えの名松・不老の松(通称笠松)が平成14(2002)年に枯れてしまったのを惜しみ、大師の御姿を刻んだものとされる。

正面の山門に廻り境内へ

    

   曼荼羅寺から次の出釈迦寺は近いが、そのまた次の甲山寺も含め道順が錯綜している(右写真)。厳密な順打ちにこだわらないなら曼荼羅寺よりも出釈迦寺を先に打つのもアリと思われ、事実そのように案内する書籍やネットもある。

 今回は順番通り曼荼羅寺からこの交差点まで戻り、出釈迦寺へ向かう。登り坂の舗装道をしばらく歩くと程なく着いた。

左はすぐ曼荼羅寺、直進は甲山寺、右折は出釈迦寺

 

 

   「第七十三番札所出釈迦寺(しゅっしゃかじ)」---境内は高台にあるが、さらに奥ノ院(捨身ヶ嶽)が標高480Mの地点にあり、かつてはそちらが札所だった。今はここで納経できてホッ。参拝を済ませ納経所へ行くとお寺のかたは手持ち無沙汰だったのか新聞を読んでいたが、自分を見ると納経帳に手際よく揮毫された。

    この出釈迦寺では賽銭箱に「ウィズコロナ時代のお詣り作法(お願い)」と書かれた張り紙が掲示されており、以後の札所でも何回か見かけた。(上記ハイパーリンクをクリックすると内容が表示されます。)

本堂と大師堂

 

 

 山門を出ると市街の見晴らしが良い。標高はそれほどでもないが、平地が広がるのと視界を遮る大きな建造物が殆ど無いせいだろう。山門外に立つ弘法大師像も同じ方向を向いている。

    この平地を30分ちょっと歩くと甲山寺に着く。

出釈迦寺山門からの眺望

  

 

   「第七十四番札所甲山寺(こうやまじ)」---歩き遍路の場合は通用門のような門から入るが、駐車場側の門が立派な構えでそちらが正門なのかな?と思った。

    境内は甲山という山と引田川に挟まれた位置にある。ご本尊は薬師如来だが弘法大師作とされる毘沙門天が山肌の岩窟奥に安置されており、そこでロウソクの細長い炎が音もなく立つ様子をじっと眺めていた。

甲山寺に着いた

    

    境内を歩いていると親子のウサギの石像が目についた。寺の縁起によれば本尊薬師如来の脇侍・月光菩薩の左手に持った月から飛び出したウサギとされ、各種のご利益が伝えられると共にウサギの御朱印もあるとのことなので願いをかけてみるのも良いだろう。

   さて甲山寺を出ると次は善通寺なのだが、歩いているうちに天候がみるみる悪化、寒風が強まりなんと雪まで舞いはじめ、かぶる菅笠が飛びそうになりいやはやマイッた。

うさぎにご縁ががある



  「第七十五番札所善通寺(ぜんつうじ)」---境内には風格を感じさせる伽藍が建ち並ぶが、それもそのはず善通寺は弘法大師の生誕地・真言宗善通寺派の総本山であり、四国八十八ヶ所霊場会本部事務所も当寺にある。

    なお冒頭にも書いたが讃岐国には各札所が近接していることから、第七十一番札所弥谷寺から第七十七番札所の道隆寺までが「七ヶ所参り」として一日で簡便に巡礼できる遍路として江戸時代から人気があったらしい。現代のお遍路さんはクルマ遍路がメインだが昔は歩き遍路が全てであり、信心はあるが体力的にキツい人にとっては有難い風習だったと思われる。

なんと雪が舞い始めた

 

   広い境内では大晦日ながら1日早い一般の参拝客も少なからずいる。今般のいわゆる「三密」を回避する考え方からは望ましいスタイルであろう。

格式を感じさせる境内

 

 

  境内では至る所に初詣の出店が並び、明日からの準備に取り組んでいる。自分は金堂(本堂)に入り、本尊の薬師如来に接した。堂内で直接ご本尊様に相対することができるケースは決して多くはなく、大変有難い時間を頂けたと感じた。

   さて善通寺を出て予讃線方面へ東進するが、ここで向かい風が強くなった。笠が飛ばないよう左手で押さえながら進むが、日中でも気温が低いところへこの強風なのでキビしい。朝から何も食べてなく、エネルギー充填(昼食)しようにも大晦日とあって商店街はシャッターが下りてどうにもならない。

初詣客への準備万端

 

 予讃線をアンダークロスして方角を北に変え県道25号線を進むと、見覚えのある看板が視界に入った。おぉ東京でもお馴染みの「すき家」である。大晦日でも通常営業、もうこれは入るしかない。と言うことでしっかり昼食を摂ることができ、体も温まった。これぞ地獄で仏、すき家さん助かったありがとう。

 店を出ると先程までの強風もかなりおさまった感じで、よし道を進めよう!高松自動車道をくぐると程なく金倉寺である。

「地獄で仏」 助かった気持ちでいっぱい

 

 

  「第七十六番札所金倉寺(こんぞうじ)」---近在のJR四国の駅名は「金寺」、地名も善通寺市金寺町と書くが寺名は金寺である。これはなぜ?と金倉寺のHPを見ると、「倉」と「蔵」の使い分けが江戸時代以前は曖昧であったが明治に至り寺名と地名との使い分けがされるようになったらしい。

 

    ようやく雲が切れて陽が差すようになり天候が持ち直してきた。ホッとしながら勤行を済ませると本堂脇が何やらピカピカ輝いている。

金倉寺本堂

 

 輝く物はなんと小判の形と色合いをした木札で、絵馬のような意味合いで願掛けとして納められていた。(表面は寺名・金運・勝運・幸運・延命、裏面に個々の願掛けの内容)

 なお寺の名前から金運の寺?との予見を持ってしまいそうだが、それだけではなく子授け・安産の鬼子母神を祭り、その信仰も厚い寺である。

午後の陽光に艶やかな様子

 

 金倉寺をあとに次の札所・道隆寺への道を進む。細道となる部分がややわかりにくいが、八幡神社の脇を通り抜けたあとは北上すれば良い。

 その道隆寺が近づいてきたとき、左側の住宅から「お遍路さん、お接待させて下さい。」と呼び止められた。しばし立ち止まっているとその家のかたが右写真の豆地蔵さんを手渡してくれた。手作りで作成し、道行くお遍路さんに渡しているとのことで、当方も有難く頂いた。(写真は投宿後の撮影で、地蔵の体内に紙片が有るのに気づいて開いてみたところ。)

お接待のお地蔵さん(宿泊先で撮影)

 


  「第七十七番札所道隆寺(どうりゅうじ)」---先の甲山寺から四ヶ所続いてご本尊様が薬師如来である。道隆寺は眼病平癒に霊験があり、日常的にOA機器による疲れ目の現代人にも有難いかもしれない。「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」(薬師如来のご真言)

 さて本日は弥谷寺から七つの札所を打ち終えた。先述の「七ヶ所参り」なら結願となるわけだが、明日以降の行程を考えて次の郷照寺まではぜひ本日中に打ち終えたい。時刻は15:30、距離は7.2Kmだがさてどうする?

道隆寺の山門

 

 ここで自分は予讃線(多度津~宇多津)に乗ることにした。この付近の札所は先の善通寺から明日の国分寺まで、いずれもJR駅が比較的近くにあるためいざの時のワープに使えるのが大変有難い。

 そして多度津から乗ること3駅・9分で宇多津着。ここからは徒歩15分程度で郷照寺に着く。

予讃線で宇多津へ

 

  「第七十八番札所郷照寺(ごうしょうじ)」---宗派は時宗であり、堂内にも一遍上人の屏風絵が有ったりする。(本尊も阿弥陀如来)寺伝では戦火の後に再興された際に時宗に改められたと伝えられる。

 もちろん四国霊場として弘法大師ゆかりの寺院であり、写真左上に大師堂もちゃんとあるので一連の勤行はさせて頂いた。余談だが阿弥陀さまは浄土系の宗派はもちろんのこと、真言宗でも信仰の対象(大日如来が姿を変えて現れている)とされるため、親和性ある仏さまと言って良いだろう。

 陽が西に傾いた。閑散とした境内では明日の初詣客の準備も進んでいるようだった。

郷照寺の境内

 

 

<参考>みの駅~巡礼八ヶ寺~宇多津駅
タイムテーブル

  (冬季日中強風・軽装・やや健脚の場合)

    みの駅 8:00 ~ 8:45 弥谷寺 9:30 ~ 10:05 法然上人蛇身石 10:07 ~ 10:30 曼荼羅寺 10:55 ~ 11:05 出釈迦寺 11:25 ~ 12:00 甲山寺 12:20 ~ 12:35 善通寺 12:55 ~13:20 (すき家・昼食)13:35 ~ 14:05金倉寺14:25 ~ 15:15 道隆寺 15:30 ~ 15:45 多度津駅 15:46(JR四国)15:55 宇多津駅 16:00 ~ 16:15 郷照寺 16:35 ~ 16:50 宇多津駅

新しい年は良い年になりますように

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