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巡礼二十二日目 |
崇徳上皇ゆかりの讃岐 |
第七十九番 天皇寺 第八十番
國分寺 第八十一番 白峯寺 第八十二番 根香寺 |
令和3年1月2日巡礼 |
令和3年、残す札所もあと10ヶ所となった。 前回も書いたが高松駅近くに宿泊先を定め連泊するプランは讃岐国巡礼には大変便利で、JRや琴電を利用しやすい(旅行用品を宿泊先に置いて巡礼できるメリットもある)。そこで今後3日間は朝一番で鉄道駅近くの札所から打ち始め、日中は山間の札所を巡って夕方に平地の駅に辿り着くプランとしてみた。
それでは本日の打ち始めは予讃線八十場(やそば)駅で下車、無人の簡素な駅である。ここからめざす天皇寺は近い。 |
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簡素な八十場駅下車、電車が去っていく | |
参道を歩きさぁ天皇寺だと思ったら正面に現れたのは山門ではなく朱塗りの鳥居、それも三ツ鳥居とあって史跡研究好きにとってはいきなり出てくれましたな~と感激しきり。でも鳥居は神社のシンボルなので、ここは天皇寺ではないのか?それとも四国遍路の特徴たる神仏混淆なのか?? 結論を言えばこの鳥居は崇徳天皇を祭る白峰社(天皇寺境内にある神社)のもので、目的の天皇寺は向かって右側に隣接している。しかし初見では参道の正面にあるために神社がメインかと思ってしまう程の立派な印象であった。 |
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インパクト抜群の鳥居だ | |
「第七十九番札所天皇寺(てんのうじ)」---天皇寺とはずいぶん豪勢な寺名と思う向きもあろうが、これは保元の乱に敗れ讃岐国へ配流となった崇徳天皇(保元の乱の時は上皇)を慕う意味と考えたい。ここも明治の神仏分離により江戸時代までの崇徳天皇寺から今の「崇徳天皇社(白峯社)」と「金華山天皇寺高照院」に分かれて現在に至っている。(実際には天皇寺の境内に崇徳天皇社がある)
なお先に述べた特徴ある鳥居は三輪神道に由来し、その三輪神道は両部神道(神仏混淆)の一形態なので、やはり遍路の札所らしい由緒なのだなと思った。
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右手に天皇寺の門がある | |
ところで天皇寺の納経所へ向かった際にガラスケースに入った由緒書きが目を引いたので、以下にその大意を記したい。 「讃岐国に配流となった崇徳天皇(上皇)は阿弥陀如来を念持仏としていたため、ここでは阿弥陀如来・十一面観音菩薩(当寺の本尊)・大師堂の順に参拝するのが慣例であった。明治以降はその慣例にも変化が生じてしまったが、元来この国は神仏により護られてきたのだから本日参拝された全ての人に(参詣順にかかわらず)神仏のご加護があることを祈念します。」
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納経待ちの時間、寺の由緒に触れる | |
天皇寺から八十場駅に戻り、予讃線に乗って3つ先の国分駅で下車する。目指す(讃岐)国分寺へは徒歩で程なく着く。 |
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八十場に停まる高松行きの列車 | |
「第八十番札所国分寺(こくぶんじ)」---讃岐国の国分寺である。奈良時代に建立された全国の国分寺には既に廃寺となっているケースも少なくないが、特筆すべきは四国(阿波・土佐・伊予・讃岐)ではいずれも現存し、しかもその全てが四国遍路の札所として現在に至っていることである。
正月二日とあって境内には地元の初詣客が少なからずいるが、やはりクルマでの参拝が殆どのようで、駅から歩いてきたのは自分だけだった。 |
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国分寺 | |
境内を見渡すと写真右のような礎石が目についた。創建時の本堂の礎石と伝わるが、全部で33個あってかなりの規模だったことを伺わせる。 |
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礎石群が寺の由緒を物語るよう | |
参拝を済ませて出立と思ったところ、山門脇に「歩きへんろさんへ」の案内板を見つけた。うむ、なるほど先ずはひたすら登り、左へ曲がる車道をとれば次の八十一番白峯寺に着けるようだ。 手持ちの資料でも上記内容が確認できたので、この通りに歩くことにしよう。 |
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歩き遍路へのアドバイス、ありがたや | |
そんなわけで最初のうちは舗装道の緩やかな登り、それがつづら折りの山道となるのはもう涅槃の道場ともくれば十分承知だが……やはり尾根に辿りつくまでは結構しんどかった。 その尾根には県道180号線が通っており、遍路道との交差点付近は「一本松」と呼ばれている。(それらしき松の木は確認できなかった) さてここからは県道を歩こう。 |
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登りはきついが清々しい空気に接することができる | |
県道は立派な舗装道だが街灯はなく、クルマが全くと言って良いほど通らない。沿道にも人の住む気配がなく、ここを通るお遍路さんが行程上夕刻になったりすると大変だろうな、と思った。 唯一道路以外の人工的な構築物と言えば自衛隊演習場(善通寺駐屯地)の柵が目立ったが、正月とあってかひっそりとしていた。 |
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県道180号線を白峯寺へ | |
最後の1キロちょっとは県道を離れ、山道となる。平坦もしくは下り道であるが、濡れた落ち葉がかなり積もっていて足が滑りそう。注意深く歩いていると寺の鐘の音が聞こえてきた。もうすぐだ。 |
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キープアウト!有刺鉄線がものものしい。 | |
そしてもう札所だと道を下っていると木に貼られた何やら注意書き、うわっ「ご注意!イノシシ出没しています(香川県坂出市)」とあるゾ!もしも遭遇してしまった時の心得が箇条書きにされていたので以下に記しておこう。 1.何もせずに放っておきましょう。(餌やり厳禁) でも遭遇したくない・・・ので札所に到着。(笑) |
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「もし、イノシシに出会ってしまったら……」 | |
「第八十一番札所白峯寺(しろみねじ)」---イノシシとはおよそ無縁と思われるクルマでの初詣客で賑わっているが、一方でイノシシとかかわりそうなお遍路さんの姿は見受けられない。あとで地図を見てわかったが、クルマで参拝する人は遍路道とは反対側(北側)の県道16号線や高松坂出道路(有料道路)を使っていて、自分が歩いてきた尾根道の県道180号線が全くひっそしりていた理由がわかった。 |
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山門をくぐると屋台のお出迎え | |
この白峯の地について記すと、ここは先述の崇徳上皇が没して荼毘に付された地であり、境内には御廟(頓証寺殿)とその背後に御陵がある。西行法師もこの地を訪れて崇徳上皇の霊を慰めたと伝えられており、先の天皇寺と共に讃岐配流の崇徳上皇ゆかりの寺であることを感じさせる。 |
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白峯寺の境内 | |
納経を済ませ白峯寺を出て次の根香寺へ向かう。途中までは往路と同じ道、自衛隊の駐屯地(右のフェンス)を見ながら分岐点で今度は直進する。 うっそうと木々が茂る小径を落ち葉を踏みしめて進む。ところがどこで間違えたのか、出るはずのない舗装道路に出てしまった。付近には看板も道標も皆無とあってスマホのGPS機能を頼みの綱とする。するとどうやら先の県道180号線に出てしまったらしく、 方角を間違えないように注意深く進んでみる。 |
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往路は右側から手前、今度は手前から直進 | |
幸いに進んだ方角は正しかった。つまり先程の一本松まで戻ることができたわけで、ここから当初の遍路道、右写真の正面やや左から奥へ進む道を取る。道を間違えても大きな失策にならなかったのはGPSのおかげだった。(スマホありがたや、いや同行二人のお大師様がスマホのGPSに姿を変えて下さったのかも知れない。) |
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またも一本松 | |
遍路道らしい山道を進むとやがて十九丁の三差路に着いた。ここは国分寺・白峯寺・根香寺の三差路で、休憩用のベンチもあるので少々休憩する。
5分ほど休憩して腰を上げると地元の人(犬の散歩)に出会った。 この時間でこの場所にいることを地元のかたは直感で心配されたのであろう。それにしても近辺に宅地は皆無で、犬の散歩はどこから来たのかな?? |
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十九丁の石碑とお地蔵さん | |
「第八十二番札所根香寺(ねごろじ)」---到着は15:40、道を間違えなければもう少し早く着けたかもしれない。山間の寺らしく境内には石段が目立つ。 |
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根香寺山門 | |
この根香寺には長らく白猴欅(はっこうけやき)という樹齢1600年もの由緒ある老木があったが、惜しくも枯死してしまい今は根を切り屋根を付けて保存されている。 そのかわり境内にはハクモクレンが蕾をつけて早春の到来を待っている。その対比を撮ってみた。 |
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ハクモクレンの蕾と白猴欅の幹(後方) | |
さて時刻は16時を過ぎ、あとは山を下って予讃線鬼無駅を目指すだけ。右写真のような日暮近い瀬戸の島々が情感たっぷり…… であるはずが実際にはとんでもない道中となってしまった。道を間違えて草むらを徘徊し、木に吊った札をみつけ遍路の道標かと思いきや「イノシシの罠あり」と書いてあり思わず飛びのく有様。しかも街灯なき道はどんどん暗くなり、もうなるようになれと開き直り(実際はほうほうの体で)予讃線鬼無駅に辿りついた。やれやれ、明日はこの鬼無駅からスタートすることにしよう。 |
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♪瀬戸は、夕暮れ、~~ | |
<参考> (冬季晴天・軽装・やや健脚の場合) 八十場駅 10:10 ~ 10:15 天皇寺 10:35 ~ 10:40 八十場駅 10:46 (JR四国) 10:54 国分駅 10:55 ~ 11:05 國分寺 11:40 ~ 12:45 一本松 12:45 ~ 13:35 白峯寺 14:00 ~ 14:45 一本松 14:45 ~ 15:05 十九丁 15:10 ~ 15:40 根香寺 16:05 ~ 17:30 鬼無駅 |
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すっかり暗くなって鬼無駅に着く |