5章 出会いの終わり


 最上階のテラスに、かざみはすずめを横たえた。高所特有の強風が、二人の髪

や服をはためかせる。かざみはガスマスク並みにごつい造りの埃除けマスクを、

すずめの顔から外した。とたん、ぱふ、と埃が舞い上がった。すずめが、けふけ

ふ咳をして、さらに埃を吐き出した。吐き出されたそばから、埃は風に流されて

飛んでいった。

「大丈夫か」

 かざみは心配になった。すずめの顔は真っ青だった。ゼェゼェと、喉から異常

な呼吸音がしている。

「大丈夫で」

 すずめが言いかけて、けふっとまた咳をし、埃を吐いた。ひとしきり咳をして、

やっと言い直した。

「大丈夫です」

 真っ青な顔で、冷や汗をだらだら流すすずめ。どこが大丈夫なものか。かざみ

は恐ろしくて仕方がなかった。ここでなんかよくわからない発作でも起こされて、

死なれたらどうしよう、と。

「少し待っていろ。薬でも探す」

 立ち上がりかけるかざみの服のすそを、すずめが掴んで止めた。

「平気です。本当に」

「どこがだ」

 と、かざみは思わず突っ込んだ。

「いつものことなんです。埃とか、ダニとか、花粉とか、動物の毛とか吸ったり

触ったり、あと卵とかお肉とかおそばとか、とにかくそういうもの食べた時とか」

 すずめは無理に笑った。

「普通の人は平気なことしても、時々、死にかけちゃうんです。でもほら、もう

収まってきました」

 立ち上がって、彼女はスカートをはたいた。深呼吸して、息を整える。顔色の

悪さはまだ残っていたが、呼吸音は元に戻っていた。

 かざみは首を振った。

「俺は自分の家で死人を出したくない」

「大丈夫です。ここ、空気がいいから」

「そういう問題じゃない。大体、俺は医者でもないんだ。お前が本当に死にそう

になっても、たいしたことはできないぞ」

 すずめが何か言いかけて、くしゃみをひとつした。テラスの風は、人間には少

し冷たすぎる。かざみは中に入るよう促した。


 階下は埃が収まるまで使えない。かざみは、仕方なく自分の寝室を開けた。広

さの割に、家具の少ない部屋だ。中央に据えられた寝台の他には、サイドボード

がひとつきり。その上にはメノトロームが、ぎちばたぎちばた、音を立てて動い

ている。

「苦しかったら横になっていろ」

 すずめが遠慮がちにベッドに腰掛けるのを見届け、かざみは窓を開けて空気を

入れ換えた。

「あの」

「なんだ」

「私、お邪魔ですか」

 すずめが悲しそうに眉を下げて言った。かざみはため息をついて、彼女の前に

立った。

「正直に言うとそうなる。……俺は他人が好きじゃないんだ」

 すずめの細い肩が震えた。彼女は手で顔を覆い、くぅくぅと喉を鳴らした。そ

の手の間から涙の雫が落ちて、スカートに染みを作った。

 泣いているのだとかざみが気づくまで、少し間があった。

 邪魔だの好きじゃないだの言われて楽しい人間はいないだろうな、とかざみは

思う。でも本当にそう感じているのだから仕方がない。感じていることを言って

何が悪い。大体、気分良く眠っていたところに、押しかけてきたのはそっちだろ

う。

 ふてくされながら、かざみは始めそう考えた。しかし、すずめが泣くのを見て

いるとだんだん妙な気分になった。落着かない。なにかものすごく悪いことをし

た気がする。

 誰かが泣くのを見るなんて、何百年ぶりなんだろう。

「頼むから泣かないでくれ」

 かざみは困って言った。

「ごめんなさい……」

 目を服のすそで擦りながら、すずめが謝った。

「謝られてもまた困るんだ。少し俺の話を聞け」

「はい」

 目をうさぎのようにして、彼女はかざみを見上げた。涙は無理矢理止めたらし

い。

「悪いが、俺にお前の面倒を見ろ、というのは無理な相談だ。医者じゃないし。

もともと面倒見のいい性格じゃないし。睡眠が足りないと機嫌が悪くなる性分な

んだ。全部我関せずで寝ていてもいいが、それにしたって、俺が寝ている間にお

前が死んだりしたら……みずきにどう言えばいいんだ?」

「どう言えばいいんでしょう」

「どうも言えない。非常に困る」

「……」

「結論を言う。みずきのところに帰ってくれ」

 すずめがそれは悲しそうに眉を下げた。それでも、泣き出しはしなかった。

「わかり、ました」

                                                   


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