視覚障害と美術

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 この文章は、7月25日、堺市立健康福祉プラザで行われた点訳・音訳ボランティア対象の講習会で話した内容に加筆したものです。
 
§1 初めに
 今日の講習会は、9月26日に予定されている講習会とともに、10月末から11月初目に行われる障害者芸術祭(アートフェスティバル)で冨嶽三十六景の立体コピー図版をボランティアの方々の解説で鑑賞してもらうという企画に向けての準備の講習会です。今回は「視覚障害と美術」というテーマで一般的な話をし、9月26日は、冨嶽三十六景の全46作品の中で触って分かりやすそうな20点くらいについて、解説のポイントを皆さんと一緒に確認します。
 今日の「視覚障害と美術」というテーマ、なんともつかみどころがないなあと思っている方もおられるのではないでしょうか。視覚障害の方が美術?、本当に分かるの?、楽しめるの?と思っておられる方も多いように思いますので、今日はそのような疑問に、私なりに少しでも答えられるよう話してみたいと思います。
 
§1.1 自己紹介
 現在、日本ライトハウス情報文化センターの嘱託職員。点字の校正が主な仕事。仕事以外に、美術館や博物館をしばしば訪れ、また触ってどのように観察・観賞するかなどについても調べ考えている。
 昭和26年、青森県十和田市の寒村に生まれる。先天性の視覚障害。両親は私の目の異常に生後3ヶ月くらいで気付いて、いろいろ治療を試みたが、ほとんど効果はなかったようだ。昭和33年青森県立八戸盲学校に入学。
 
 視覚経験:明暗、陰、反射した光。色や形については記憶がない。
 
§1.2 美術との出会い
 中学のとき、1年間だけ非常勤の先生が担当した美術(教科名は技術家庭だったかも知れない)の授業で、初めて美に触れたように思う。先生はおそらく見えない人にははじめて出会ったようで、試行錯誤で行われる何でもありのその授業に私はどんどん吸い寄せられていった。例えば、
@校外に粘土を取りに行って、その粘土で土人形のようなのを作る
A先生の作った女性の横顔の石膏像を触って、きれいにカールした髪の毛一本一本など、そのリアルな表現に感動する
B彫刻刀で初めは石鹸、次に木を彫ってみる
C先生の描いた油絵を触って丁寧に説明してもらう(油絵の説明はあまり理解できなかった)
D先生に点で輪郭線を描いてもらって、その点線に沿って先生に言われた色を塗ったりして絵を描いてみた。その絵は、手前に田んぼや道が広がり、遠くに少し雪を頂いた山が見えるような絵だった。その絵で私が驚いたのは、水平に広がっている田んぼや道の上に、これまた水平な面に山が描かれていることだった。私の印象では、山の手前の所で紙を垂直に折り曲げてくれればいいのにと思った。
Eさらに、初めて遠近法の説明を聞いて驚いた(同じ物が、遠くにある時と近くにある時とで大きさが異なるとは!)。
 
 盲学校卒業後、あるデパートで偶然仏像に触れる機会があって、本当にきれいだなあと思い、それ以後仏像にあこがれるようになった。10数年前になるが、ボランティアの方に私の触り方はちょっと変っていると言われ、見えない人たちの触察の仕方について調べ始め、また、多くの美術館や博物館にも行くようになった。
 
 
§2 視覚障害者に美術?
§2.1 盲学校での美術教育
 陶芸という独自の造形芸術の伝統のある日本では、1950年代以降、神戸市立盲学校の福来四郎、沖縄県立沖縄盲学校の山城見信、千葉県立千葉盲学校の西村陽平らの熱心な指導により、盲児への粘土による造形教育が行われてきた。その作品のもつ視覚に捕われない存在感は、国内で高く評価され、また海外にも紹介されている。
@1950年、福来四郎(1920〜)が、神戸市立盲学校で視覚障害児に彫塑の指導を開始。1956年以降生徒の作品を美術展に出品、高い評価を得る。1969年『見たことないものつくられへん』(講談社)。1970年、第4回吉川英治文化賞受賞。2003年、写真記録集『盲人に造形はできる―盲人造形教育30年の記録―』(英文併記)を自費出版、国内ばかりでなく世界192カ国の盲学校などに送る。1950〜80年にかけて造られた児童生徒の粘土作品約二千点は、現在神戸親和女子大学附属図書館で保管され、各地で作品展が行われている。
A1960年、沖縄県立沖縄盲学校で、自身も作家である山城見信を中心に、粘土による造形美術教育が始められる (1981年、作品集『盲学校・土の造型20年』刊行)
B1980年ころから、西村陽平(1947〜。1976〜1998年千葉県立千葉盲学校教諭)が、盲児に粘土による造形を指導し始める (1998年千葉盲学校退職後も、触覚を生かした創造的な造形表現のワークショップを国内だけでなく、ネパールのアートセンターやアメリカの大学で行う。現在日本女子大学児童学科教授。著書に『見たことないものつくろう』偕成社、『掌の中の宇宙』共著・偕成社、『手で見るかたち』白水社)
CギャラリーTOM(村山亜土・治江夫妻が、全盲の長男錬さんの「ぼくたち盲人もロダンを見る権利がある」という言葉から発起して、1984年に「視覚障害者のための手で見るギャラリー」として開設した美術館)が、1986年より、盲学校生徒作品展「ぼくたちの作ったもの」を毎年開催(多くは粘土作品)。
 最近の盲学校の状況についてはあまり知らないが、視覚障害だけの生徒は少数で、他の障害との重複・多様化が進み、各生徒の状況に応じていろいろな試みがなされているようだ。立体コピーを使って書道をしたり、電動木彫機で版木を彫ったり、蜜蝋を使って簡単な絵を描いてみたり、弱視の中には油絵を描いてみたりするなどの例を聞いたことがある。なお、筑波大学附属盲学校(視覚特別支援学校)では、以前から、立体ばかりでなく平面作品についても、系統的な教育が行われているようだ。
 
§2.2 中途失明者の場合
 10数年前から、美術館で視覚障害者が絵画を鑑賞する方法として、言葉による解説、あるいは鑑賞者との対話による鑑賞が行われるようになりました。この方法は、中途失明の方々、とくに見えていた時に絵などに興味を持ち親しんでいた方々にはかなり有効なようです。私が参加した鑑賞会でも、中途失明の方は、言葉による解説で頭の中で絵のイメージを作り上げ、大いに楽しんでおられるようでした。たぶん、見えなくなっていろいろなことができなくなる喪失感を実感しているかも知れない方々が、見えていた時の世界とのつながりを回復し、なにか自信のようなものを取り戻しているようにも見受けられました。
 また、中には、見えていた時にはたいして美術に関心がなかったのに、見えなくなってから対話による鑑賞を楽しみに美術館によく行くようになった人もいます。(この場合も、言葉による説明で、画中の風景や人物を頭の中で十分イメージできているのだと思います。)
 ただ、言葉による解説で絵をどんな風に理解し楽しめるかは、解説してくれる学芸員やガイドの方々それぞれの経験や好み・性格、話しの上手下手によってかなり左右されるように思います。
 
§2.3 視覚経験のないあるいは乏しい人たちの場合
 視覚経験のない見えない人たちが、立体作品や平面作品を触ったり言葉で説明してもらったりして、本当にその作品を思い浮かべ理解できているのだろうかという疑問を持っている方がかなりおられるようです。まず初めに、見えない人たちがどのようにして空間・広がりのある世界をイメージしているのだろうかについて私の考えを述べます。
 
●音風景
 視覚以外の他の感覚、主に聴覚と触覚、ときには嗅覚を介してでも、頭の中で空間的なイメージを描くことはできます。見えない人たちがもっともなじんでいるのは「音風景」でしょう。
 ここで言う「音風景」とは、音を聴いて頭の中で描くことのできる空間の広がりやその配置状況を言います。
 例えば、私の場合でしたら、近くの安威川の川原を散歩している途中、立ち止まって耳をすますと、水の流れ、向こう岸で遊ぶ子供たちのざわめき、向こうからこちらへ高くあるいは低く飛んで来る鳥の鳴声や時には羽音、大きな水鳥がたまに飛び立ったり着水する音、土手の斜面に生えている背の高い雑草の風にそよぐ音、前方の陸橋を通過する電車の音など――そういった様々な音から、空の高さも空間の広がりもものの動きも十分感じ取ることができます。
 
●視覚的な世界の理解
 見えない人たちが見える人たちの視覚の世界あるいは視覚的なイメージの世界をどんな風にまたどの程度理解できるのか、私ははっきりした答えを持っていません。ただ、見える人の中には、初めから見えない人に色や景色の話をするのはたいへん失礼なことではないでしょうか、とおっしゃる方がたまにいます。私は、そんなことはありません、と応えて、いろいろ周りの景色などについて説明をもとめています。
 もちろん私は見える人たちと同じようには色や景色を理解できません。でも、景色の説明から頭の中で空間的な配置や動きをある程度思い浮べることはできますし、色についての話からも私なりの色のイメージやコントラストなどを少しは想像できます。そして何よりも大切なことは、私が見える人たちのこのような視覚で把えた世界についての話から、私なりに視覚的イメージを理解する方法を獲得してきた、ということです。先天盲であっても、その人なりに視覚的なイメージにアプローチできると思っています。
 
●空間をイメージする力
 私は、空間のひろがり、3次元空間を表象しイメージすることは、基本的には、見える・見えないといったことにはあまり関係なく、人間が本来持っている大切な能力の 1つだと思っています。イメージと言えばどうしても視覚的なものを考えがちですが、もちろん他の感覚、聴覚や触覚・嗅覚等に発するイメージもありますし、イメージには本来そうした多くの感覚に由来する複合的な要素がふくまれているはずです。
 とくに私は、空間イメージ発生の基盤のようなものとして、身体そのものの形状、実際の手や足の動きを可能にしている身体の構造や機能、身体の姿勢・運動、さらには、そういう身体やその運動にはたらいている重力などの物理的な力もあるのではと考えています。私の場合、空間概念やその中での様々な運動や形について今ではしばしば数学的な手法に頼ったりもしてしまいますが、そのような数学的手法を問題なく理解できた背景には、小さいころに体験した身体の激しい動きや衝撃、またそれに対応した様々な姿勢、また手の細かな動きや感触といった、いわば〈身体の記憶〉もあるように思います。
 
●色について
 色ないし色合いの説明の仕方には、大きく次の2つがあります。
@直接色を説明する
 まず、赤、青、黄、緑、紫など、基本的な色名を言います。茶色やピンクも、これに加えてもいいでしょう。また、白・黒・灰色のような無彩色もこれにふくまれます。これらの色については、先天盲でもこれまでの生活の中で会話や読書などを通して、多くの場合その人なりにある程度は色のイメージを持っています。
 そして必要なら、これらの基本的な色名を組合せて、例えば、赤紫、黄緑、青緑などと言います。これでだいぶ理解できそうな色名が増えます。
 次に、これらの各色について、「濃い/薄い」「明るい/暗い」「鮮やかな/くすんだ」というような修飾語を付けて説明します。そうすると、多彩な色合いがかなりよく表現できます。
 このような色の説明の仕方は、JISの色彩に関する企画(JIS Z8102: 2001 物体色の色名)でも使われるなど、ごくふつうに行われているものです。
 
A具体的な物の色とセットにして説明する
  色の説明は、単に赤とか緑とかいうのではなく、どんな赤なのか緑なのかを、できるだけ具体的な物と結びつけて説明するとよりはっきりしたイメージが伝わります。視覚経験のある中途失明の方にはこの方法がとくに有効でしょう。
 例えば、赤については、赤ワインのような赤、燃える炎のような赤、熟れたリンゴのような真赤など、緑については、若葉のような黄緑、椿の葉のような濃い緑などのようにです。
 色名には、空色、水色、藤色、鴇色、ワインレッドなど、物の名前そのものが色名になっているもの(固有色)もたくさんあって、中途失明の方には端的にこのような色名を使うと説明しやすくなります。(先天盲の場合には、物そのものの色を示す固有色は、あまり馴染みのないものが多いです。)
 
 色名にはしばしば、実際の物の色を示すだけでなく、人の特定の感情や気分と強く結び付いているものもあります。例えば、ばら色は希望や幸せ(「薔薇色の人生」「薔薇色の日々」など)、鉛色は憂鬱な重い気分(「鉛色の空」と強く結びついています。このような色名から連想される感情や気分と、作品そのものの印象はかならずしも一致するわけではないので、注意が必要です。
 
 
§3 美術館の対応
§3.1 言葉による解説
 絵画作品については、言葉による解説が、現在視覚障害者対応として美術館でもっとも普通に行われています。学芸員が担当することもありますが、多くはボランティアの方々が行っています。このような活動をしているボランティアグループとして、名古屋YWCAの美術ガイドボランティアグループ「アートな美」(1993年より)、ミュージアムアクセスグループ「MAR」(1999年より。東京)、「ミュージアム・アクセス・ビュー」(2001年より。京都)などがあります。名古屋YWCA美術ガイドボランティアグループは、絵画作品を言葉で解説し鑑賞するための〈手引〉として『アートでトーク』を発行しています。
 ただ、ボランティアの方々は、必ずしも美術の専門家というわけではありませんし、絵の大きさや構図などの説明とともに、その絵の印象や関連するような事柄について、視覚障害の方といろいろ対話しながら楽しむといった感じです。いわゆる名画等について、ボランティアの解説がその作品の適切な解説になっているとは限りません。また、対話のきっかけは初めはどうしてもボランティアの目を通してということになって、見えない人、とくに絵に詳しくない見えない人にとっては、いつも受動的な鑑賞になりがちです。
 
●言葉による解説とともに立体コピー図版を用意する
 一部の美術館では、言葉による鑑賞の補助ツールとして、立体コピー図版など触って分かる図を用意していることがあります。触図を触り慣れている人は、絵の構図についてはこの立体コピー図版でかなりよく理解できます。私の場合、言葉による鑑賞会に参加した時に、立体コピー図版にもなっていた作品のほうが、後までよりはっきりと頭の中にそのイメージの記憶が残ります。
 ただ、立体コピー図版は、そのまま原画をコピーしただけでは触ってほとんど分からないものになってしまうので、製作者が原画から主要だと思う要素を精選して作製します。そのため、同じ絵でも、製作者が異なれば、触った印象としてはかなり違った絵として受け取られることがあります。
 
●実物に触る
 一部の美術館に限られますが、ブロンズ製の彫刻などで、実物に触ることが認められている作品を容意していることがあります。ただ、触ることができるのはほぼ彫刻作品に限られます。
 
●視覚障害者のための特別な企画
 ごく一部の美術館では、視覚障害者のために特別なプログラムを企画することがあります。この場合は、言葉による解説、立体コピー図版などの触図、彫刻やその材料などの実物に触れることなどをしばしば組み合わせてプログラムが実施されることもあります。
 
 
§4 何を美と感じるか
 しばしば、触っていったいなにがきれいなのだろう、触って美しさを感じることができるのだろうかというような疑問を持っておられる方がいます。
 
●触感:手触りがきれい
 一度ちょっと触れただけでも、はっとさせられることがあります。私が仏像に興味を持つようになったのは、若い時に偶然デパートで触れた仏像の頬のするうっとした手触りやその曲面でした。また、私は鉱物の結晶面を触って、そのきれいさに何度も心動かされたことがありました。
 
●形:輪郭線の形、面の凹凸の曲面など
 すうっと真っ直ぐにのびる直線、ゆるやかにカーブする線や面も、ときにはとても好ましく感じることがあります。10年近く前に三重県立美術館で触ったザッキンの彫刻「ヴィーナスの誕生」は、全体の形は複雑でなかなか把握するのが難しかったですが、いろいろな凹んだ曲面やその組合せで出来てくる直線は触ってとても心地よいものでした。もちろん芸術作品だけに限らず、例えばチューリップなどの花びらや葉なども、私は触ってきれいだなあと感じます。
 
●頭の中で構成した作品全体のイメージ
 上2つは、主に直接物に触った時の感覚印象です。このような触って喚起される印象も大切ですが、やはり作品全体のイメージの把握が作品鑑賞には欠かせません。
 実物に実際に触ったり、あるいは言葉で説明してもらいまた立体コピー図版も触ったりして、時間をかけて作品全体のイメージを頭の中に作り上げて行きます。そのようにして得られたイメージの中には、私にとって良い作品として今もかなりはっきりと記憶しているものがあります。
 たとえば、彫刻では、ロダンの「カレーの市民(第一試作)」(ロダンの作品を触る――彫刻から何が分かるか )や
「オルフェウス」(兵庫県立美術館の「美術の中のかたち」展 )、
桑山賀行の「演者」シリーズ(桑山賀行 彫刻展 )、
絵画では、シャガールの「枝」(三重県立美術館の試み――視覚障害児の美術支援教材を中心に )、
レオン・フレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」(大原美術館。計7枚からなる10メートルはある大作)、
クリムトの「黄金の騎士」(愛知県美術館の鑑賞会 )などがあります。
 
 
§5 鑑賞方法の紹介
§5.1 触察
 触察は、なんといっても、時間のかかる想像的な作業です。手や指で直接触れているのはごく狭い範囲です。手指を順次動かして行くことで、その部分部分をつなげて行って、全体のイメージを頭の中で作り上げてゆきます。また、全体のイメージから各部分部分を丁寧に触って再確認し深めてゆきます。このような過程を何度も繰り返すことで、よりはっきりとした自分なりの全体イメージに近付いて行きます。
 
●触察のガイドをする時の注意
 @自分で触れ、自分で手指をコントロールしながら触らないと、よくは分かりません。見えない人の手指をむりやり動かして触らせるのではなく、見えない人の腕や手にかるく触れながら言葉かけをしながら手指をガイドするようにしてください。とくに、今手を触れている所が全体のどの部分かを説明してください。
 A皆さんは多くの場合もっとも触ってほしいところ、例えばきれいな花弁とか、彫刻だったら顔の特徴的な部分とかを直接触らせようとします。そういういわば見所・触り所と言える部分は、複雑な形をしていたりときには尖っていたり壊れやすかったりして、触るのに難しい所です。まず、花の付け根や茎、人物像だったら肩とか頬とか、できるだけ安定した、触りやすい場所に指を置いてもらい、それからどの方向に指を動かせば何があるのかを説明したり、またかるく指の動きをガイドしながら説明したほうが良いです。
 B触る物と本人との位置関係にも気を付けてください。できれば、対象物の正面が良いですが、そのような位置が取れない時は、位置関係についても説明してください。
 C見えない方に触ってもらうだけでなく、できれば皆さん自身でも触り感触を確かめてください。見ていただけでは分からないことにも気付くことがありますし、見えない人たちと触った実感を共有できることもあります。
 
【参考】 彫刻作品の触察のガイドの要点(名古屋YWCAガイドボランティアグループ・アートな美『アートでトーク』より)
 1.作品の前に立ったら、作品名、作者名、大きさを伝えます。
 2.作品の一番上か台の部分に手を誘導します。次に作品全体を指先、掌で触って材質感や全体像を感じてもらいます。
 3.触って感じる鑑賞は集中力が必要です。集中して触っているときはガイドの説明は控えましょう。
 4.作品には、一部が動いたり持ち上がったりするものがあるので、ガイドは作品の保護と鑑賞者の安全に気を配ります。
 5.材質を確かめるために作品を指でつついたり、はじいたり、手で叩いたりすることは、作品を傷つけることになります。鑑賞の前に、やさしく触ってもらうようにお願いしましょう。
 6.触ることが苦手な人、希望しない人には無理強いせずに言葉で説明するだけにしましょう。
 7.人物像の場合、その作品と同じようなポーズをとってもらうと、理解がより増して楽しい鑑賞になると思います。(あるいは、ガイドの方がそのポーズを取り、軽く触って確認してもらってもよい。)
 8.複雑なポーズをした人物像の場合、像の背面に回って両肩から腕へ、腰から脚へと触っていただくと、像と自分が同じ向きなのでポーズがわかり易くなることがあります。
 
§5.2 言葉による説明
●絵画説明の点訳例 (『大原美術館名作選』より)
 ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ『幻想』1866油彩、画布263.5×148.5p
 (原本の解説文)
  (前略)この『幻想』も、もともとは彫刻家クロード・ヴィニョンの邸宅のために描かれた4点の装飾画のひとつである。他の3点は、『瞑想』、『歴史』、『緊張』(いずれもトゥルコワン美術館蔵)で、これらの主題の選択にもピュヴィスの芸術観がよく表れている。画面の天馬は人間の想像力の働きを、花を摘む少年は美への感受性を暗示しているのだろう。象徴性と装飾性を見事に統一した明澄な造形の詩がここにある。1866年のサロン出品作品。
 
 (点訳者による絵の説明)
  画面に向かって左に少女、右に天馬。左側の少女は裸体で、腰のあたりにだけ青い布がかかっている。彼女は背中を向けて座り、右肩のほうを向き、蔓草を持った右手を頭くらいの高さまで上へ伸ばしている。蔓草は画面の中央あたりで少女の手からさらに上に向かって鞭のように伸びている。
  右側の白い天馬は、翼を広げ、画面右側に向かって駆け出そうとするかのように右足を上げているが、首は左へ振り向くようにそらせて、少女の持つ蔓草のほうに鼻先を向けている。
  少女の右足の足元(天馬の下手前)には、幼い少年が正面を向いて裸で座っている。少年は、右腕を地面に伸ばして一輪の白い花の茎を指でつまみ、左手で花の首飾りを持っている。短い金色の髪をした少年の顔は、一輪の花のほうに向けられ、無心に見つめているようだ。
 
 *点訳者が画集などの絵を説明する時のポイント:原本の解説文では、絵の背景的な説明や画家についての説明が主になって、絵そのものの構成などについて直接説明していることは少ない。まずできるだけ簡潔に絵の全体的な構図を説明する。その後で各部分の説明をする。原本の解説文で言及されている絵の特徴や構成要素(この解説文では「天馬」と「少年」)については、たとえ周辺的なことのように思えても、点訳者の説明文でもできるだけ触れるようにし、原本の解説文と点訳者の説明文に矛盾がないようにする。点訳者の説明は点字1ページくらい(300字程度)までにおさめるようにする。
 
【参考】 絵画作品の言葉による解説の要点(名古屋YWCAガイドボランティアグループ・アートな美『アートでトーク』より)
1.絵の題名、作家名、制作年、材質、技法等
 キャプションに書いてあることがらを伝えます。
2.絵の大きさ、形
 大きさは額縁を含まない絵画のみの寸法です。およその数字でよいでしょう。新聞紙を開いた大きさとか、ハガキ大とか具体的な物に例えるとわかりやすいでしょう。数メートルの大きな作品はその作品の端から端までを一緒に歩いてみることもよいでしょう。
 縦長、横長、正方形、円形、扇形など形を伝えます。
3.何が描かれているか
 まず、風景、人物、静物、室内など大雑把に何が描かれているのかを伝えるとイメージしやすいでしょう。
4.絵の構図
 説明の言葉は簡潔に。詳しすぎる説明はわかりづらくなります。どこに何が描かれているのか、絵の中心になるもの、絵の中で大切なものを選んで説明しましょう。
 絵によっては作家の視点(どこから描いているか、見下ろしているか、見上げているか)を伝えることも大事です。
5.芸術作品としての説明
@写実的か抽象的か
 「女の人が描かれている人物画です」だけでは、写真のような絵をイメージしてしまいます。最初に、写実的、抽象的、半抽象的、感覚的、マンガ的など、どのような絵なのかを伝えましょう。
A空間に広がりや奥行きはあるか
 浮世絵などのように奥行きの感じられない平面的な描写や、空気の重なりまで表現したような遠近感のある描かれ方などは、その絵の持つ特徴のひとつです。
B固有の色を再現しているか
 木の葉の色、肌の色などがそのものの固有色で塗られているかを見ます。作品よっては全くかけ離れた色彩を使っていることがあります。
C材質感は表現されているか
 描かれている対象、例えば動物の毛、衣服などが持つ手触り、光沢などの材質感が再現されているかどうかを見ます。
D線、筆触、質感
 絵の輪郭線について、色、太さ、強弱などを伝えます。
 筆触(タッチ)についても、力強さ、弱々しさ、勢い、点描などを伝えます。
 絵の質感は、「絵具が厚く盛り上がっている」「色彩に透明感がある」というように説明します。
E細部の描かれ方
 緻密に描かれているか、大雑把か、省略されているかを見ます。
F比例は正確か
 テーマを強調するために対象を大きくしたり、わざとバランスを崩して描いたりするのでその部分を見ます。
6.色の説明
 上記§2.3 の「色について」を参照。
7.絵に向かって右?左?
 構図の説明では単に「右に○○があり…」と言うのではなく、「絵に向かって右に…」などの言葉を補います。
 人物画に描かれているものを説明する場合は、画中の人物の右、左なのか、鑑賞者から見た右、左なのか迷いやすいので的確に伝えましょう。(人物の身体そのものについて言う時は、ふつうはその人物の右手・左足などと言ったほうが良い)
8.立体コピーの活用
 立体コピー図版があれば、言葉だけで説明するより絵の構図などをよりはっきりと触って確認してもらえることがあります。鑑賞の補助として使用します。立体コピーを触ることに慣れている人・慣れていない人、好きな人・嫌いな人がいます。必ず「立体コピーがありますが触ってみますか?」と尋ねてから使いましょう。
9.ともに楽しむ
 すべてをガイドが伝えなければならないと考えないでください。美術史の知識、作者についての情報などはガイドをする上で役に立ちますが、知らなくても大丈夫。わからないことは学芸員・スタッフなどに質問をしましょう。また、詳しい説明を望まない方もいらっしゃいます。一方的にあれもこれも説明するような押し付けはやめましょう。
 
§5.3 絵画を触って理解・鑑賞するための様々な試み
●冨嶽三十六景の立体コピー図版
 (詳しくは、触って鑑賞する『冨嶽三十六景』
 昨年末、常磐大学(茨城県水戸市)のコミュニティ振興学部の中村正之教授と学生たちのグループ(「TEAM MASA」)が、山梨県立博物館から提供いただいた原画を基に、冨嶽三十六景の全46作品の立体コピー図版を製作しました。
 この「さわれる冨嶽三十六景」では、1つの原画を、絵の主要な構成要素を抽出するようにしながら4画面に分け、A4の立体コピー図版4枚セットで表しています(図版の1枚めはかならず富士山です)。原画をそのまま立体コピーしただけでは触ってみてもほとんど分かりませんが、このように4つに分けられた画面を順番に重ね合わせるようにして触っていくと、絵全体をある程度触って理解できる作品がかなりあります。(私は46作品全部を丁寧に触って確かめてみましたが、20点弱くらいは解説をしてもらえば触って十分に鑑賞できるように思います。私が「触って分かるだろう」と判断した基準は、富士山以外に、主要な構成要素のうち最低 1つ以上触って分かるものがあるということです)。
 それでは、立体コピー図版がどのような構成になっていて、それをどのようにして触って鑑賞するのかについて、以下の2作品について紹介します。
 
「神奈川沖浪裏」
 次の4枚から成っています。
 @ 画面中央のやや右下に小さく富士山があります。(触ってみると、向って左の裾野のほうがややなだらかに伸びています。)この富士山は、2枚目以降の図版でも、かならず同じ位置に同じ形であります。できるだけ富士山の位置と形を記憶しておいてもらうようにします。
  *富嶽三十六景のシリーズでは、1枚目はかならず富士山になっています。
 A 1枚目の富士山に加えて、富士山の下に2艘、左に1艘船があります。(左の船は、一部しか描かれていない。後で大きな波に飲み込まれているためだと分かる。)ここで、富士山と船の大きさを比べてもらいます。船に比べてはるかに巨大な富士山のほうが小さく描かれているが、それは、富士山ははるか遠くに見えているのにたいして、船はすぐ近くに見えているからと説明します。
 B 1枚目の富士山、2枚目の3艘の船に加えて、画面左側に大きな浪があります。2枚目にあった左側の船は、まるでそのさか巻く浪に飲み込まれるように、触っただけではほとんど分からなくなっています。(ぎざぎざになっている波頭も触って確認してもらいます。)
 C これが全体の絵です。左側の大波に加えて、さらに画面の下にも大きな浪があり、手前の2艘の船まで大波が達しています。
  全体としては、遠くに鎮座する富士山と、目の前の荒れ狂う波濤とそれに翻弄されそうな船、といった構図になります。遠近法によってうまく描かれ、また同と静の対比も際立っている作品のように思えます。
 
「東都浅草本願寺」
 @ 画面のほぼ中央に、富士山があります。
 A 富士山に加えて、画面左下に、いくつも屋根が連なっています(浅草の町並みのようです)。屋根と屋根の間から糸が上にずうっと伸びていて、その先に凧があります(富士山よりも高い)。
 B 富士山、町並みと凧に加えて、画面右側いっぱいに大きな屋根が描かれています。本願寺の屋根です。屋根の上に瓦がきれいに並んでいるのが、触って分かります。また、屋根の上で職人がなにか仕事をしているようです。(屋根の手前のほうの大きな3角形を触って確認してもらいます。飾りのようなのも触って分かります。なお、3、4月の鑑賞会では、この大屋根のごく簡易な紙模型を用意しました。)
 C これが全体の絵です。画面左下の町並みの真ん中あたりに、高い櫓が上にすうっと伸びています。また、画面中央にほぼ水平に霞ないし雲を表す線があります(この霞のような線は、空を低い所と高い所に分けているようにも思われます)。凧や櫓は、この線よりも上まで伸びていて、その高さを感じさせます。
 全体としては、中央の富士山を背景に、寺院の大きな屋根と庶民が暮らす町並み、また、低い家並みと空高くにある凧と櫓が対比的に配されています。この絵は、地上のある地点から見たのではなく、本願寺の屋根近くの上空から見下ろしているような構図になっています。この絵を触って頭の中でイメージすると、なにか江戸の町の様子が思い浮かんでくるような気がします。
 
●その他回覧した資料
 ・『視覚に障害のある方を対象とした絵画説明の手引』『アートでトーク…絵の前でかたりあうのも多笑の縁』:いずれも名古屋YWCA美術ガイドボランティアグループ「アートな美」が発行。絵画や彫刻の作品ガイドの手引書。前者には、モディリアーニの「カリアティード」と瑛九の「黄色い花」の立体コピー図版も添えられている。
 ・『びじゅつかんからやってきたさわるアートブック A:(愛知県内の各地の美術館所蔵の絵画・彫刻・陶などの作品を触図と解説文で紹介している。
 ・岐阜県美術館の『視覚障害者のための所蔵品ガイドブック』1、2:彫刻作品は前から見た図と横から見た図など複数の方向から見た図を掲載(複数の方向から見た図を組合せて頭の中で実物を立体的にイメージするのは、理論としてまったく問題ないが、実際にはかなり難しい。まず実物に触ることが大切で、その後ならこういう触図も理解できる)。絵画についても、構成要素ごとに分けた図版もある。
  *これらの美術館が発行している触図入りのガイドブックは、見えない人たちの図録として、後から自分が鑑賞した作品をよりはっきりと思い出すことができるので、とても貴重だと思う。
 ・「ヴィーナスの誕生」「モナリザ」「神奈川沖浪裏」など名画と言われる作品を紙に立体的に浮き出させたもの(柳澤飛鳥さんの試作したもの。計20点以上ある)
 ・布やサンドペーパー・ビーズなどを用いて手作りした「猫「と「人魚姫」の絵(藤城清治の影絵を連想させる雰囲気があるとか)
 ・江戸時代の疱瘡絵の立体コピー図版と顔彩による模写画:立体コピー図版は見えない人たちが触って絵の構図や輪郭などを理解するのに適している。同じ図版を顔彩で模写した絵は、輪郭などは触ってある程度分かる(とくにフクロウの羽の部分は私は好ましく感じた)とともに、ふつうの絵のように見える人たちも十分楽しめる(立体コピー図版はバリアフリー?、顔彩画はユニバーサル?)。
 
 
§6 表現方法
 これまで、見えない・見えにくい人たちの美術鑑賞の方法について紹介してきましたが、鑑賞と同時に大切なのが表現活動です。鑑賞していると、できることなら自分でもこんな作品を作ってみたいと思うことがあるでしょうし、またいろいろ表現してみようと思うと、関連した作品をしっかり鑑賞して参考・ヒントにしたいとも思います。
 見えない・見えにくい人たちが自分のイメージを作品にすることは技術的にいろいろ難しいことがありますが、実際に作品製作に挑戦している人もいます。ここでは、プロの画家の末冨綾子さんと、趣味でいろいろ試みている私の場合について紹介します。
 
●末冨綾子さん
 末冨さんは、高校生のころ、夜になると物が見えにくくなり、診察してもらうと、将来失明する可能性が高いと診断されます。にもかかわらず、好きな絵の道を選択して、武蔵野美術大学へ。1988年同大大学院修了後、89年にフランスへ。90〜94年、フランス政府給費留学生として、パリ国立高等美術学校・パリ国立高等装飾美術学校で絵画・壁画を研究。95年までパリの画廊・フランス国内の美術館に多数出品し、また各種の賞も受賞。パリで数学者・塩田さんと出会い、結婚。このころから視力低下と視野狭窄が進んだようですが、以後も、年の半分はパリで絵画制作に専念し、日本で個展を開催しています。
 視力が低下し視野が狭まるなか、プロの画家として質を保ちつつ絵を描き続けるのは本当に至難の道だったと思います。色鮮やかにパリの街並みなどを細かく描いた作品から、石膏の上に黒の顔料を塗り彫刻刀で削ったり、石膏やしっくいを下地に蜜蝋で描いたりしたモノクロームな作品に変わっていったようです。全盲になって一時は行き詰まったようですが、2005年くらいからは、末冨さん独自の触って絵を描く手法を編み出してきました。まず石膏を塗ったパネルに、頭の中でイメージした輪郭やその中の細かな形を、ロープや糸で貼り付けます。それから、全体に背景となる色を着けます。さらに、浮き出しているロープや糸の部分に指やスポンジで別の色の絵具を乗せます。このような過程を、自分が納得するまで(自分の頭の中のイメージと合致すると思うまで)触って何度も微調整しながら繰り返します。最近は以前のような鮮やかな色彩の絵も描いているようです。末冨さんの展覧会に一緒に行ったある方が、見えていた時に描いた絵と現在の絵を見比べながら「作品は当然以前とは異なっているが、雰囲気は共通している」と言っていました。以前と変わらずプロの画家であり続けていることを示す名言だと思います。
 
●私の場合
 私は、いろいろ手を使って作るのも好きです。これまでに、ちょっとオリジナルの折紙をしたり連鶴に凝ってみたり、紙粘土で組立式の立体模型を作ってみたり、陶芸教室にも少し通ったことがあります。また、博物館や美術館で開かれるいろいろなワークショップにしばしば参加することもあります。
 2008年末から昨年まで「石創画」をしていました。石創画は、茨木市在住の江田挙寛氏が、30数年前(1978年)に研究・開発した、石で絵を描く独自の手法です。大理石など石の粉にほぼ同量のセメントを混ぜ、それに顔料と水も加えて練り合わせ、それを型に塗り込んで、乾いたあとで磨き上げるという過程を何度も繰返して、絵を描く方法で、浮出しの絵を描くこともできます。これまでに製作した20点余をネット上で公開しています(石創画作品紹介 )。当日は「なんびきイルカ」を回覧。
 今年1月からは木彫を始めています。十数年前、あるデパートで開かれていた沖縄の方の木彫の展示・即売・体験会に2日続けて行き、ちょっと木彫の練習をさせてもらったのがきっかけで、自分でペンギンなど数点作っていました。昨年末、木彫で著名な桑山賀行先生に進められてまた木彫を始めています。当日は、まだ製作途中ですが、丸太を縦に半分に切った面のほうから仏像のようなのを彫っているものを回覧しました。
 また、実際にできるかどうか分かりませんが、岩絵具を使って絵を描くことができるか試してみたいと思っています。
 
 
◆おわりに
 美術も、他のいろいろな文化的活動とともに、見えない人たちも十分に参加し活動し楽しむことができる分野であることがお分かりいただけたと思います。そのさい、とくに視覚経験の無いあるいは乏しい見えない人たちの場合は、触って実感し確認することが基本です。ただ、今のところ、そのようなことができる場や手法はかなり限られています。皆さんとともに、より多くの機会を作って行ければと思っています。
 
(2014年7月28日)