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…「花になる」番外・1…

「玻璃の花籠・新章〜鴻羽」

 

「どうした、何か良い品があったのか」

 少し遠出をした帰り道でのことだった。思いついてはあちらこちらで用足しをする自分にそれまで文句ひとつ言わずに大人しく従ってくれていた供の者が、門前の宿場まで戻ってきたときにふと足を止める。自分を追う足音が途絶えたことに気付いて振り向いて見れば、彼の目は街道の一角に店を出した物売りがゴザの並べた小物に釘付けになっていた。

「あ、いえ。何でもございません、すぐに参ります」

 声を掛けられたことで我に返ったのか、彼は弾かれたように向き直る。主の歩みを止めてしまったことを大変申し訳なく思っていることはその隠し立てのない仕草で明らかだ。このような場合に何事もなかったように取り繕うとする不届き者も少なくないが、この男に限ってはそのような失望を感じさせられることはない。

「いや、構わないよ。どれ、僕も一緒に覗こうか―― ああ、これはなかなかの細工だな」

 そう言いつつ目をやってはみたが、そこにあったのはどこにでもありそうな品物ばかり。そう目新しい品揃えでもないし、店を選べば同じ金額でももっと趣味の良いものがいくらでも手にはいるだろう。とりあえずいくつかを手にしては見たが、わざわざ懐から銭を出して払おうという気になるものは見当たらなかった。

「え、ええっ、素晴らしいです! こちらは南峰の玻璃でしょうか、あまりの輝きに目が眩みそうです。それに向こうの織物も、色合いが大変良くて……」

 しかし、供の男の方はそうではないらしい。小さな子供のように目を輝かせて、ひとつひとつに注意深く見入っている。領地でも西の外れになる片田舎から出てきたと言うが、それでも実家はなかなか裕福な商家だと聞いているのに。だが、ここまで素直に感情を露わにされれば、そう悪い気はしない。屋敷にたどり着くのが少し遅くなるくらい、何でもないと思える。

「気に入ったものがあれば土産にすればいい。手持ちが少なければ、僕が代わりに立て替えてあげよう」

 こちらが先回りして気を利かせると、彼はとんでもないという表情で首を横に振る。

「い、いいえ。そのようなご心配は無用です。幸い、年末の手当を頂いたばかりですし」 

 口元にほのかな笑みを浮かべて取り出されたのは小さな麻袋。見るからに心もとなさそうな感じではあるが、本人にとっては嬉しくて仕方ないのだろう。彼の気持ちを思えば、今は自分の銭入れなど出す訳にはいかない。正直、今眺めているゴザの上に並べられた全てを買い取っても少しも懐は痛まないが、そんな自身が誇らしいとは思えなかった。

「……八重への土産にするのか?」

 しばらくは品定めをする彼に付き合っていたが、そのうちふと遊び心が出てしまう。今日連れてきたこの男が、自分の元で長く仕えている侍女と密かに想い合っていることは前々から承知していた。
  彼自身の口からそれが告げられることはなくとも、女子の口はあけすけである。何かにつけては「暁高様ならそのようなことはなさらないはずですわ」と生意気に語られては、一体どんな男なのかと気にならない方がおかしい。とうとう好奇心に負けて、当時本館の祖父母の元に仕えていた彼を強引に自分の元へと呼び寄せたのは半年ほど前のことであった。

 こちらの問いかけに男は一瞬身を堅くして、それから慌てて何事もなかったかのように振る舞おうとする。しかし慣れぬことをしようとするその態度には無理があり、かえって心内をあからさまにする結果となった。

「ま、まさかっ……そのようなことは。自分は里の妹に何か土産をと思っただけです。そんな、……そのような。いえ、万に一つもそのようなことはございません……!」

 青ざめた頬で必死に言い訳する姿を見れば、これ以上の悪ふざけは出来なくなる。八重という女子は年若の侍女の中では抜きんでた才を持ち、皆から一目置かれる存在であった。しかもそれだけではない。自分の祖母である本館の女人様にも特に気に入られている彼女は、やがては領主の子息である自分の相手になるだろうと誰もが噂しているのだ。それはここにいる男も重々承知しているのだろう。
  使用人の立場では、夫婦(めおと)になる相手ですら主の許しなしでは勝手に選ぶことは出来ない。もしも「この者を」と決められてしまえばそれに従うほかにないし、ましてや館務めの侍女となればお仕えする御家を第一に考えなければならない立場だ。もっと分かりやすく言えば、それは暗に彼女たちの操は全て主君の意のままになるのが当然のことと認識されているのである。

「そうか、正月にもとうとう里へは戻れずじまいであったからな。幾度か休暇の願いは出ていたが、今年は特に行事が多く人手が必要であった。もうしばらくすれば、少しは手も空くだろう。すまないね、それまで今しばらく辛抱してもらわないとならないが」

 どこか寂しそうに見えるその眼差しは、手のひらの上に置かれた数本の飾り紐へと向けられている。その色目から察するに、彼の妹になる者ははっきりとした顔立ちの女子であるらしい。髪を美しく結い上げてそこに飾る紐であるが、西南の民特有の赤髪ではなかなか丁度いい色味に出会えないと言われている。それだけに吟味する者も真剣にならざるを得ないのだ。

「いえ、自分は。こうして若様の元にお仕えすることが出来て、誠に幸せにございます。それに里の妹も私の立場はきちんと心得てくれているでしょう。少し我が侭なところもありますが、根は優しく良く周囲を見て立ち振る舞うことの出来る女子ですから」

 彼は控えめな口調でそう告げると、吟味の上に最後に残った二本の紐を買い求めた。そのどちらも八重に似合う色ではない。彼の言葉通り、あの品は里帰りの土産物になるのだろう。

「そのように聡い女子であれば、このまま田舎に埋もれさせておくのはもったいないとお前が思うのも仕方ないな。どうだ、僕から女人様に口添えしてやろうか。暁高の妹であれば、きっとお祖母様も快く引き受けてくれるに違いないしね」

 この者を自分の元に置きたいと申し出たとき、女人様にはかなり渋られた。あの方がそこまで使用人に執着するのは珍しいことであるし、どうしたことかと随分訝しんだものである。誰もが認める良家の子息ならいざ知らず、たかが田舎者の、しかも商家の息子だと言うではないか。およそ宮仕えには相応しくない身分であり、それほどの教養が備わっているとも思えない。
しかし人間にはそれまでに身につけた才とは別の、生まれ持った気質というものがある。素直で気だてが良く、周囲の者に難なく溶け込める人柄であることは何事にも勝る最強のものだと言うことを鴻羽はここにいる者から教わった。
  確かに館務めをする上での知識にはやや欠けたところがあるかも知れない。しかしそれはあとから習得することでいくらでも挽回することが出来るのだ。実際館に上がってから数年での彼の成長はめざましく、その真摯な姿は今や他の使用人たちの手本にもなっている。身分の低い者は頑張れば自分もと希望が生まれ、逆の立場の者たちも今の地位に胡座をかいて怠けていれば追い抜かされてしまうと危機感を覚えるだろう。

「い、いいえ……滅相もございません。そのような幸運などあってはならぬこと、どうかお忘れになって下さい」

 再び大きく首を振る仕草には、いささかの躊躇いが感じて取れた。そうなのだ、彼はいつも心のどこかで悔やんでいる。自分を慕ってくれる妹を里に残し、己のみがこのような場所に上がったことを。しかし普通にしていればどんなに願ったところで敵わぬことが、いくつかの偶然が重なり合った結果に彼の元へと舞い降りた。
  領主の館に上がる使用人選出の折はあまたもある村々に順繰りに呼びかけが掛かるが、実際に任に付くのはそのほとんどが村長や庄屋などその土地の権力者の子息たち。いくら優れた人材であっても、農家や商家に生まれた者は想定外なのだ。それだけに出仕した当初はずいぶんと肩身の狭い思いをしたようであるが、彼自身の口からその苦労が語られることはない。
  羽振りの良い一族の長が概してそうであるように、彼の父親もまたかなりの好色家であるという。聞くところによると兄弟もかなりの人数になるようであるが、その関係はひどく冷め切っているらしい。その中で同腹の末の妹だけが唯一心を許せる相手だったと以前打ち明けてくれたことがある。
  一応は嫡子の身の上であっても、母親は家主にとって三番目の本妻。すでに跡目には最初の妻の子である長兄が立ち、今更実家に戻ったところで彼には居場所もないのだ。何ともややこしい話であり、他人事ながら同情してしまう。ましてやこのように純朴な男が残してきた妹の行く末を案じ胸を痛めているとすれば尚更のことである。

「自分は、……こうして若様の元に置いていただけるだけで十分です。この上に何を望みましょう、何も思いつくことなどございません」

 ―― そして、八重のことも諦められると言うのだな。

 感情を押し殺した横顔に、音無き声で問いかける。決して出過ぎた真似をしないその態度は好感が持てるが、その一方で歯がゆくてならない。良い気質を持っているのだからもっと貪欲に上を目指せばいいのに、どうしてもそのような考えには辿り着かないらしい。

「そこまで忠義を誓ってくれるとは嬉しいことだね。暁高のように気持ちのいい男はなかなかいないよ」

 再びの一歩を踏み出した足に、見えない糸が絡みついていく。そう、面倒なしがらみにもがいているのは自分も同じことだ。特にここ数年は何かと周囲が騒がしく、心の安まる間もない。

 

  跡目に収まるとばかり思っていた長兄は家督を継ぐことを放棄し、それまでは静かに影のように生きてきた次兄が突然次期後継者として明るい場所に引きずり出された。使用人の中には大人しすぎる気性の次兄が跡目に相応しくないと異を唱える者も少なくなく、「むしろ御三男の方が」などと白羽の矢を立てられたときにはひどく辟易したものである。
  幸いなことにその兄もようやく妻を娶って落ち着き、口さがない者たちの陰口も次第に収まってきた。ふたりはすでに娘をもうけており、さらに奥方は懐妊中である。その腹の子が男子であれば、次代の跡目の誕生となるのだ。そこまで来れば、もう余計な口をきくものもいなくなるだろう。

 しかし、である。

 他の兄姉が皆良き伴侶を得たということは、周囲の目はおのずと次なる自分に向けられていく。末妹も裳着を終えており彼女が先になっても少しも構わないのだが、あちらもまた難しい一面がありそう簡単には話がまとまらないだろう。
  もちろん年齢的には妻を迎えるにはいささか遅すぎるほどになってしまったし、いつまでも独り身でいては何かと厄介なことになる。そう言う例は他の領地でもよくあること、しかし自分はそんな風に醜聞にまみれるのはまっぴらだ。
  と、なればやはり相手は八重を置いて他にないだろう。彼女は数年前に両親に伴って鴻羽が都からこの地に舞い戻ったときから側にいて、今では軽口も叩き合える仲だ。口の減らない女子であるが、領主の一族に収まるのであればあれくらい気の強い方が良い。彼女の方も本心はどうであれ、村長の娘としての自分の立場はしっかりわきまえているに違いない。

 女子など、首から下はどれも同じ。閨を共にするのもそれなりに楽しいが、かといってひどくのめり込むほどの魅力を感じるものではなかった。八重とはまだそこまでには至っていなかったが、彼女とてまた女子のひとりなのである。今更胸をときめかせる何も起こるはずがない。しかし、そうであっても今回の話を拒むほどの理由は何も思いつかないのだ。

 ―― だが、そうなれば。自分は必ず罪を背負うことになる。

 実際、後ろめたいことなど何もない。暁高は所詮、使用人の身の上であり八重との仲が許されることは決してないだろう。大山の村長の一族はたいそう気難しく、そして昔気質だ。いくら優れた人材であってもただ人の婿など受け入れるはずもないのだから。自分は周囲の意見を聞き入れるだけ、このたびのことは自らの決断ではない。分かっているのに、どうしてここまで躊躇してしまうのだろう。

 間違えてはならない、領主の子息として生まれてきたその時点で大きな枷を背負っている。思いがけず跡目の椅子が回ってきた次兄の重責には比べようもないが、鴻羽はまた自分も出来る限り一族のために尽くしたいと思っているのだ。そんな心内を未だに誰かに告げることはなかったが、だからといって一度決めた心が揺らぐことはない。
  そのために好き合ったふたりを不幸にしていいのか、それは分からない。だが、他に道がないのであればそこに甘んじる他ないのだ。

 

「―― 若様」

 先に帰館を告げに行った暁高が、足早に戻ってくる。自分を主として信じ切っているその瞳に、やはり素直に向き合うことが出来ない。

「あの、跡目殿がお呼びだそうです。何でも急ぎ耳に入れておきたいことがあるとのことで、直接居室(いむろ)へお越し下さるようにとの仰せです」

 その言葉に、鴻羽は微かに眉を動かした。昼間の仕事をこなす本館ではなく、わざわざ居室に呼び出すとなればただごとではない。また、何かを掴んだのだろうか。穏やかな外見とは裏腹に、次兄はなかなかに鋭い直感を持っている。過去にもそのひらめきに従い、祖父の代に積もった澱を幾度となく取り除いてきた。

「分かった、ではすぐに向かおう。お前は先に行って、到着を伝えておくれ」

 しばらくは気の重いもの思いから解放される、そう思うと不謹慎ではあるがやはり嬉しかった。暦の上では春を迎えた時節、しかし夕刻ともなれば身を切るような冷たい気に辺りは満たされる。そんな中で心奥に灯った新しい炎だけが、ぬくもりを伝えていた。

 まるで何かの始まりを告げているかのように。

了(080710)

    

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