TopNovel仕上げに・扉>お初にお目にかかります。・4

1-2-3-4-5-6-7-8-9 …


    

「まーっ、それは良かったじゃないの!」
  翌日。
  客足の引いた昼下がりに、私はキッチンで休憩をしていた。表の店とはガラス張りの壁で仕切られているから、自動ドアから誰かが入ってくればすぐに対応することができる。店長は相変わらず、クリスマスケーキの試作に没頭していた。
「え、ええ……まあ。確かに好印象ではあったと思います」
  そう答えながら、必要以上にかしこまってしまう私。
  別にここまで縮こまる必要もないんだけど、これはもはや反射神経。だって、今カウンタを挟んで座っているのは「あの」花華さん。そう、泣く子もぐずる子も黙る最強の方だ。
  今日も上から下まで彼女お気に入りのブランド服で完璧すぎるコーディネイト。チョコレートブラウンのワンピースは見頃からスカートの裾までボタンがずらっと並んだデザインで、眺めているだけで指先が痛くなりそうだ。その上にはニットのカーディガンとコーデュロイのフード付き上着を重ねて羽織り、ついでにスカートの下には何重にもペチコートが覗いてる。
  毎回のことながら、クローゼットがそのまま移動しているようなボリューム。これでは、お洒落をしているのか筋トレをしているのかわからないと思う。
「も〜っ、それを聞いてホッとしたわ! 竜也が結衣さんのお家にご挨拶に行くと聞いて、本当に心配していたんだから。でも、これでまずは第一関門突破ってことかしら。私も肩の荷が下りたってわけね」
  そう言いつつ、一気に紅茶を飲み干す花華さん。
  まあねー、その気持ちもわからないではない。だって、店長は見た目とパティシエとしての腕前は最高級なのに、対人関係が……だもんね。昨日だって、よくぞまあ無事に済んだものだと思う。
  あのまま酔いつぶれて夜になって、ようやく目を覚ました店長はそのまま帰って行った。自分が今まで何をしていたのかよくわからないほどに寝ぼけていたけど、こうして今朝も早くから元気にキッチンに入っているんだから、無事にアパートまでたどり着いたってことだよね。
  空気の読めない兄の乱入には慌てたものの、私としても安心しすぎていささか脱力気味。お陰でかき入れ時の日曜日だっていうのに、イマイチ接客に気合いが入らない。
  あと半日乗り切るために、お皿いっぱい積み重なったケーキの切り落としでエネルギー補給しなくちゃ。
「それはそうと、結衣さん」
  花華さんは目の前のケーキ皿とカップを脇に片付けると、そこに分厚いファイルを置いた。
「あなたに頼みたいことがあるの、お願いできるかしら?」
「……えっ!?」
  ちょっと待て、今度はなにを言い出すつもり?
「あ、あのーっ。まさか、またとんでもない依頼とか。……そういうのは困るんですけど」
  自分の声がみっともないほど震えているのがわかる。それも仕方ない、だってこの人が「頼みごと」を持ちかけてくるとろくなことがないんだもの。私だって、二度も三度も同じ目に遭いたくない。
「ふふ、違うわよ。そんなじゃないから安心して」
  花華さんは強気の微笑みでそう言ってから、ファイルを開いた。
「ほら、来月の頭から臨時のキッチンスタッフを頼むことになっているでしょう。その選出や対応のもろもろを結衣さんに引き継ぎたいの。去年まではそういう雑用はすべて私がやっていたんだけど、だんだん本職の方が忙しくなっちゃって。先日のイベントが大成功して、それで仕事の依頼がどっと増えてね〜これでもずいぶんと厳選してみたんだけど、それでも向こう三ヶ月は一日も休みがないほど予定びっちりなのよ」
「へ、へえ〜、そうなんですか……」
  すごいなあ、さすが花華さん。そういえば、今日も仕事道具の入った花柄の大きなバックはパンパンに膨らんでいる。
「残念ながら、竜也は経営者としてはまったく役に立たないから。ここは結衣さんに頑張ってもらうほかないわ。頼りにしているから、とにかく頑張ってちょうだい!」
「は、はあ……」
  あまりの勢いに、思わず逃げ腰気味になってしまう私。
  参ったなあ……そっち方面は私もさっぱりなんだけど。それでも比較対象の問題で店長よりはいくらかマシってことになれば、ここは気張るしかないのかな。
「大丈夫、段取りは詳しく説明するし、困ったことがあったらその都度なんでも質問や相談をしてくれればいいわ。とはいえ人間同士のやりとりともなれば、決まり切ったマニュアルだけじゃ対応できないっていうのが正直なところ。だから、その都度一緒に考えていけばいいのよ」
  うーん、そうは言われても、やっぱ大変そう。でも、今後も避けて通れる道ではないことは確か。店長と一緒にこのケーキショップを盛り立てていくって決めたんだから、そのためには努力しなくちゃ。
「え、ええと……では、具体的にまず、私はなにをすればいいのでしょう」
「そうね、まずは候補者との面接ってことになるけど……去年から引き続きの人については電話で確認を取ってもらえばいいと思うわ。例年だと三名入ることになっていて、今年もそれは変更無しで構わないと思うの。ただ、去年までとは少し違うところが出てくるのよね……」
  花華さんはそこでぱらぱらとファイルをめくっていく。
「実はね、来春に新店舗が完成するのを機に新たにキッチンスタッフの採用を考えているの。今までだったら到底考えられなかったけど、これからは結衣さんもいてくれるし。竜也には新メニューの開発にも力を入れて欲しいのね、今のままじゃそんな時間もなかなか取れないでいるでしょう」
「わわ、そうだったんですね!」
  今日も、この仮店舗とは並びの一角で、新しい店への建て替え工事が進められている。毎日少しずつかたちになっていくのを眺めていると、なんとも感慨深い気持ちになっていくんだ。
  いままでは「貸店舗」だったのが、土地建物すべてを買い取っての再出発。顔には出さないものの、店長だって内心はかなり気負っていると思う。
「そうかー、常勤のスタッフともなれば店との相性も大切だと思いますし。お互いにしっかり見定める必要がありそうですね」
「そう、そのとおりなのよ。腕前がいいってだけじゃ仕事にならないのが難しいところね」
  そういえば、「楽々亭」の巡田店長も言ってたっけ。店舗スタッフの採用は後継者を育てる上でも大切なことだって。ただ店の仕事を手伝ってもらうだけじゃない、彼ら自身の人生についても後押ししていく必要があるんだ。
「今年はそのことも明記して募集をかけてみたわ。先日のイベントの効果もあるんでしょうね例年になく多くの応募があったのよ。去年から引き続き来てくれるのがひとりだけだから内心どうなるかと心配していたの、ホッとしたわ。……まあ、こういうのは蓋を開けてみないとわからないものだけどね」
  と言いつつ差し出される履歴書。それをちらと覗いて、私はぎょっとした。
「えええっ、ちょっと! ……これって、どういうことですか!?」
  思わず大声が出てしまい、慌てて口を押さえる。幸いなことに作業に没頭していた店長は私の挙動不審な行動にもまったく気付いていなかった。
「ふふふ、どうにもこうにも。すべてはあのイベントが繋いだ縁なのね〜。いいじゃないの、経験者は即戦力にもなるし大歓迎でしょ?」
「でっ、でも……」
  待って、待って。五人中三人が、よりによって「あの」田端シャトーにいた面々って。うわーっ、履歴書の写真までキラキラしている。これって、ちゃんとした証明写真だよね。まるでプリクラで加工したみたいに輝いてるよ。
「田端オーナーの工房で取材をしていた結衣さんなら、この中で一番腕がいいのは誰かってこともわかっているわね。すべてにおいて心強いわ〜!」
  え〜っ、花華さんは無邪気に喜んでいるけど、そんな簡単な話じゃないと思うなあ。ウチの店が忙しい時期だってことは、他のケーキショップだって同じってこと。年に一度のかき入れどきに別の店に来るなんて、すごい覚悟だよね? いいのかなあ、本当に。
  私がいつになく難しい顔をしていたからなのだろうか、花華さんは可笑しそうに笑い声を上げる。
「嫌ねえ、結衣さんは余計なことまで心配しなくていいの。なにもかもをひとりで抱え込む必要なんてないんだから。自分にとって一番大切なことだけをしっかりと支えられればそれでいいじゃない」
「まあ、……それもそうですね」
  自分のキャパを超えることまで背負い込める訳もないし、ここは店長の店がしっかりと回っていくことを第一に人選して行くしかないかな。
「そういえば、志保里ちゃんにも声を掛けてみたのよ。でも断られちゃった、春から働く店に手伝いに行くことになったからって。残念だけど仕方ないわね」
「そうですか」
  嫌だなあ、心のどこかでホッとしている私がいるよ。しっかりと吹っ切ったはずだけど、まだわだかまっている部分があるような気がする。今はまだ、店長と志保里ちゃんが一緒にキッチンに立っているのを見たくない。また心がぐらついてきそうな気がして。
「じゃ、私はそろそろ次の打ち合わせ場所に行かなくちゃ。面接は次の火曜定休の日に決めたから、それでよろしくね。そのときは私も同席するわ、その方がいいでしょ。――あ、そうだわ」
  裏口に向かって歩き始めた花華さん。でも、なにかを思い出したようにくるりと振り返る。
「これ、実家の両親から預かってきたの。結衣さんに必ず渡すようにって言われて」
「……え?」
  花柄バッグから取り出されたものを見て、私は固まってしまった。
「こ、これって……」
「内容は中身を読んで確認して。じゃ、確かに渡したから。それじゃ結衣さん、また明後日の火曜日に〜!」
  四角く折りたたまれているのは、たぶん半紙。そう、書道の時間とかに使うものだ。でも――
  真っ白な紙の中央、黒々とした墨文字で書かれていたのはあろうことか「果たし状」という物騒な文字だった。

   

つづく♪ (121116)

<< Back     Next >>
1-2-3-4-5-6-7-8-9 …
TopNovel仕上げに・扉>お初にお目にかかります。・4