TopNovel>浮の葉語り・7


…7…

 

 離れたくなかった。

 このままずっと身体を寄せて、もうこれ以上近寄れないくらいそばに行きたい。

 

 男の背に回した手のひらが、なだらかな曲線を辿っていく。ごつごつと骨張った場所、するすると弾力のある肉が付いた場所。それを指先で手のひらで感じている間に、伽呂の唇がゆっくりと移動する。鼻筋を辿り、額に髪の生え際に。そしてまた、美祢の花色の唇を割り、舌を差し入れる。凄く生々しい気がして、ぞくっと来る。数え切れないほど、若様を受け入れてきた身体も、このような普通の愛の語らいには慣れていなかった。

 …口を吸われたことなんて…あったのだろうか?

 そこに触れると情が移ると言って、遊女小屋の遊び女(あそびめ)を抱くときは首から上は禁とされていると聞く。別に美祢はそのような女子ではなかったが、若様はあまりそんなことに重きを置いてはいなかった気がする。だいたい自分が求められるときに、そこにあったのは愛情ではなかったのだ。

 若様はいつでも自分の欲求を処理するためだけに美祢と交わった。年若い美祢の身体でもそれはしっかりと感じ取れる程に。若様は美祢の後ろにある大きくて禍々しい物を打ち砕くような感じで腰を動かし、美祢を陵辱していった。それでも相手にされるだけで幸せだと思ったのだ。誰よりも恵まれた立場にいるのだから、それより上を求めてはならないのだと。
 

 生暖かいものが美祢の口内を探っていく。お互いの唾液が混ざり合い、その粘っこいもので口の中が泡立ってくる。内臓に指が入り込み、えぐられているみたいだ。耐えきれなくなると、喉を鳴らしながら飲み干した。それだけで身体の細胞の一粒ずつが沸き立つ。伽呂は美祢をしばし解放すると、その口元から流れ出たお互いのものを吸い上げた。
 そのまましずくの流れていく先に舌を這わせ、耳たぶを軽く噛む。ひとつひとつの行為に美祢はただぴくりぴくりと反応することしかできなかった。

 やがて。

 彼の行為は首筋を辿り、鎖骨を越え、慣れ親しんだ場所へと辿り着く。閨に呼んで何度そこを吸わせただろう。最初に行為の現場を見られてしまったためか、そのあとは恥じらうこともなかった。大きな手のひらが余すことなく揉み上げて、そそり立った先端が口に含まれる。

 長年、若様のものであり、感情はともかく欲情は飼い慣らされていた。男との営みを忘れられない身体が火照るのをどうにかして沈めたい。そんな切ない女心が美祢を解放していった。金で買った男だからこそ、自由に出来た。心なんていらなかった、ただ、満たして欲しかった。

 夜な夜な重ねた秘め事は、ただそれだけの理由だったはずだ。

「美祢様…」
 触れるよりも早く吐息が落ちて、肌が熱を帯びる。それだけで身体の奥がぞくぞくっとした。もしかしたら、まだ躊躇しているのかという不安は次の瞬間に打ち砕かれる。いきなり胸の先端を囚われ、吸い上げられて美祢はかすれる声を上げた。

「ああっ…、ああんっ…!」

 弓なりになった背筋に、男の手のひらが張っていく。美しく整えた髪がうねって夜の気に流れる。自分とはだいぶ違う、肉の薄い病的な身体。それをたまらなく愛おしいもののように扱ってくれる。片方でそうして美祢の身体を少し浮かせて支えながら、もう片方で空いているふくらみを優しく包み込む。美祢が教えたとおりに周りからじわじわと包み込み、指先で頂に向かって掴み上げていく。

 待ち望んでいた快感。閉じた瞳の奥に桜色の爆発が起こる。この瞬間をどれくらい焦がれただろう。会えない日々に想いを募らせて。だんだん行為に溺れて我を忘れていくのもいつも通りだ。しっとりと、でも綿密な動き。美祢の身体を知り尽くしたせめに、軽い絶頂を何度も覚える。最初の頃こそ、物足りないと思えた男のやり方も、いちいち指示を出し、自分の感じるところを伝えていくうちに、たまらなく良くなった。

 女を囲うことすら、本当は許せない気がしていた。

 それならば、自分が行っていることは何だろう。金で欲望を処理するなんて。どんなにか浅ましく映っているだろう。この秘められた関係を唯一知っている男に心の中で蔑まれているのが辛かった。もちろん彼はそんな態度はおくびにも出さないが、心の奥でそう思っているに違いないと悲しかった。でも、求めてしまう。望んでしまう。自分を止めることは出来なかった。

 

 …どんなにホッとしていることだろう…。

 激しい波の中で、ふっと訪れる空白の時間に、美祢の心をまた冷たい思考が侵し始める。

 この男は心から喜んでいるはずだ。このような関係を断ち切り、愛する妻子が待つ村に帰ることを。
 いくらうち捨てられた側女とは言っても、お手つきはお手つき。他の男が手出ししていいものではない。しかも、御領地のお世継ぎ様の一の女子と言えば、それ以上の身分の者しか触れることは許されないのだ。そんな恐怖の中に巻き込まれて、どんなにか迷惑だったことだろう。

 

 しかし。そんな美祢の後悔も、だんだん熱くなる身体によってぼやけ、曖昧になっていく。いつか男の背にしっかりと腕を回して、もっともっとと求めていた。男も美祢の細い身体に逞しい腕をしっかりと絡ませ、両方のふくらみを絶え間なく唇で愛する。

 灯りを付けない真っ暗な冬の部屋に、湯気だつほどの熱気が籠もる。いつもより、男の身体が熱い気がする。気のせいだろうか? そう思っても少し嬉しい。少しの間でいい、その想いを全て自分にぶつけて欲しかった。

「…伽呂…っ?」
 ぎりぎりの場所まで押し上げられながら、絶頂を迎えることがない。物足りなさを覚えて、その名を呼ぶ声が拗ねていた。こんなやわらかい行為じゃ、満足なんて出来ない。生娘じゃないんだ、もっと激しくしてくれないと。忘れられないたかみを味わわせてくれないと…!

「やだっ…、こんなじゃ。もっと…」
 いつからこんなに見境がなくなったのだろう。自分でも信じられないくらい、素直な言葉が出ていた。訴える視線を投げると、伽呂は何とも言えない微笑みを浮かべ、静かに顔を上げた。

「…駄目です」
 それが拒否の言葉なのかと、一瞬どきりとする。でも、すぐに口を塞がれ、強く吸い上げられる。恋人のように甘くてとろけそうな熱。こんな器用な真似がこの男に出来たんだと改めて驚く。あんなに不慣れな風に見えたのに。…でも、よくよく考えれば、妻の居る普通の男だ。そのような行為は美祢の想像を遙かに超えるだろう。当然なのだ、何度も妻と交わっているのだ。愛する妻と。

「…あっ…」
 悲しい思考がまたも打ち砕かれる。伽呂は美祢の背に回していた右腕をそっと外すとそのまま身体の線にそって下へ辿っていく。くびれを越えて、美祢にしてはたっぷりとした肉付きの場所に届くと。そこをまあるく何度もさすり上げた。やがてまた、するするっと上がる。さっきの道とは違う場所を。

 彼は美祢が余計なことを考える暇もないほど、何度も何度も唇を合わせ、胸も吸う。次々に起こる刺激に、温まった体が敏感に反応した。でもその全てが生殺しのようで、いつまで経っても甘く軽い。もっと、ずん、と打ち付けるようにして欲しいのに。

「やっ…、あっ…っ!」
 やがて伽呂の指先が、美祢のたぎった場所をすっと撫でた。もしや、ぴちゃっと音がしたのではないだろうか? それくらい濡れている気がする。自分でもそう思うのだから、実際はどうなのだろう。

 男を求めて濡れそぼる場所。それを見つけられてしまって、今更ながら鳥肌の立つ程の羞恥心が芽生える。こんな風に男女の関係を望んでいる身体。あんな風に全てを投げ打ってまで、求めてしまう心。どんなにか呆れていることだろう、どんなにかみすぼらしく低俗に見えることだろう。

 そう思う、そう思っても止められない。美祢はこの男の全てが欲しかった。

 おそるおそる顔を上げる。そこには美祢の想像したような軽蔑の色はなかった。嬉しそうに頬を紅潮させて、でもその口元が緊張したように一文字に閉じられている。瞳に浮かんだ微笑みがとても綺麗で、それが嬉しかった。

 

「…もう、いいから…」

 そこまでしか言うことが出来なかった。差し込まれた手のひらを押さえつけるように足を閉じる。確かに局部に感じる異物感。ぞくぞくっと背筋に響く。

 動かした拍子に、男の熱くそそり立ったものに膝が触れた。お互いにびくんと大きく震える。伽呂は焦る手つきで腰巻きを解いた。その部分を見ないように、美祢はきゅっと目を閉じると、男に自分から口づける。やわらかい唇、この場所に男も女も変わりはないのだ。ついっと舌先で下唇のふくらみを舐める。我が身を抱く腕が苦しそうにきしんだ。

 男を支配している。男に支配されている。その関係は同等で、格差はない。お互いがお互いを高め合っている。

 伽呂は呻きながら美祢の首筋に顔を埋め、いくつもの痕を付ける。身体の間に入り込んだ手のひらはせわしなく胸と秘部を往復する。汗ばんだ身体。その時を待つ呼吸。

 

「美祢様…」
 宜しいんですね、という言葉が後に付いている気がする囁き。耳たぶをくすぐる吐息。白いしとねの上にそっと横たえられる。美祢はためらうことなく自分から足を広げた。それは男に対する敬意の気持ちからでた必死の行為だった。

 自分は自ら男を求めるような淫乱な女なのである。だからそれに惑わされ、関係したことで何の罪になるものか。お互いの関係はお互いの胸の内に秘めればいい。でもその後で、男が不義を感じて後悔するのは可哀想だった。どうにかして、気持ちを軽くしてやりたい。

 ごくっと、つばを飲み込む音がする。薄目を開けると、伽呂は緊張した面持ちで美祢を見つめていた。やはり躊躇するのだろうか。かんぬきをして、灯りも付けず、誰にも悟られることのない空間であっても。

 悲しい気持ちを振り払って、淡く微笑む。目尻の辺りがぴくぴくと震えているのが分かった。荒い呼吸、男のものと自分のもの。それが重なり合って、少しずつずれて。突っ張った腕で自分の身体を支えていた伽呂が、思い切ったように身を寄せてきた。軽く口づけられる。腕を首に回そうかなと思った瞬間に、ふっと身体が遠ざかる。
 え? と思ってもう一度瞼を開ける。さっきより遠くにある顔。暗闇に浮かび上がった褐色の腕が美祢の足を捉えて、一度閉じた。どうして? と思った瞬間に、もう一度大きく開かれて、そこが闇の気に晒される。自分の意志と関係のない勢いのいい動きに潤いきった場所がひんやりと冷気に触れた。膝を持ったまま、伽呂が美祢の足の間に身体を差し込む。美祢を過去に陵辱し尽くしたものよりももっと熱く雄々しいもの。その先端が、入り口に当たる。

「あっ…!」
 慣れているはずなのに、びくりと身体が弾けた。待ち望んでいるものを受け入れるのが、何故か怖かった。楽しみにしていた時間は来るとあっという間に通り過ぎる。この関係を終えれば、ふたりを繋ぐものはなくなるのだ。

「ふっ…、ううっ…!」
 背筋を反らせて、入り口の中を探っている伽呂もとても緊張している気がする。もう、そんなにためらうことはないのに。思い切り貫いて、全ての感情を吹き飛ばして欲しいのに…!

「あっ…く…っ!」
 美祢が腰をくゆらせたせいか、男が身を進めたせいか分からない。でも男のものは美祢の泉の狭い入り口を割って、ずるっと中に入ってきた。十分に潤ったそこはどんどん男を飲み込んでいく。びりびりと戦慄が走る。久しぶりのせいなのか。体中が泡立つような快感。でも気に晒された胸が、投げ出した腕が冷たい。局部だけが熱くたぎっている。

「ああっ…、美祢様…っ!」
 最後はずんと、押し進めて。伽呂は美祢に全てを埋めた。信じられない存在感が、うねる内壁を圧迫する。そのまま、伽呂は美祢の両脇に手をついて、しばし目を閉じていた。…何を考えているのだろう?

 美祢はまだ不安だった。ちらと正気に戻れば、男が心のどこかでこの行為を疎んじている気がする。自分のしていることがとんでもないことだと知っているからこそ、同罪にしてしまうことが申し訳なかった。

 

「…ごめん…」

 心の中だけで呟いたつもりだったのに、その想いは音になっていた。ハッとした人が目を開けてこちらを見る。美祢は頬に熱いものが伝うのを感じていた。

「…ごめんっ…、ごめん…本当に…っ!」

 やっと、ひとつになれたのだ。心から欲した行為だった。こうなりたかった、だから切望した。

 もしも、男がずっとここにいるのなら。無理じいしたりはしなかっただろう。でも、里に戻ってしまう。もう二度と会えない。会うことはない。お互いを繋ぐものなど何ひとつないのだ。

 たまらずに顔を両手で覆ってしまう。こんなに酷いことをしながら、でもあまりの幸福感に満たされている自分が悲しかった。同じことをしたかったのか。お戻りにならない若様をこの居室でひとり待ちながら、今、正妻様を抱いているのかと、もだえ苦しんだ。あの日々を消し去るために。自分も誰かの大切な人を寝取って、勝利者になりたかったのか…!?

 …否。

 そうではない。ただ、欲しかっただけだ。

 死の淵にあって、もう助からないと思った瞬間にこの身を抱いてくれた腕が。背をさすりながら、優しく囁いてくれた声が。自分のものにしようなんて思わない。でも、一度だけ、関係が欲しかった。この男なら、自分を愛してくれていると錯覚するほどにやさしく抱いてくれると思った。

 それは本当だ。本当だから、悲しい。彼が今、胸の中で押しつぶしている本当の気持ちを思うと悲しい。

 どうして。自分の求める幸福は他の誰かにかすめ取られてしまうのだろう。そして、誰かの心を犠牲にしないと手に入らないのだろう…!?

「美祢様っ…、美祢様…!」
 肩を揺すられる。そうしている間も、美祢はしっかりと男とひとつになっていた。その繋がり合った部分が振動ですれる。不謹慎と知りながらも、目眩がするほどの快感が襲う。

「お顔を開けてください、お泣きにならないで下さい…っ!」

「ごめんっ…! 本当に…っ…」
 図々しくて浅ましい。最低の女子だ。村人から愛され、男から愛される…そんなこの者の妻とはどんなにか違うのだろう。

「美祢――っ!?」
 思わず、腰を跳ね上げていた。しっかりとくわえ込んでいたものを吐き出す。どろどろに濡れたものが白いしとねに投げ出される。美祢はくるりとうつぶせになると膝を折り、顔をしとねに埋めて泣き崩れた。

 

「…美祢様…」
 呆然とした声が気に流れて耳に届く。愛を落とされて、熱を帯びた身体が真冬の気にどんどん冷え切ってくる。でも、心の中の方がもっと冷たかった。

「ごめんっ…、もういいから。…出て行っていいよ…?」

 男を受け入れたかった。他の誰でもいいわけではない、この男が欲しかった。望んではいけないことだったのに、それなのに…。

 あとからあとから涙が溢れてくる。さっきだって上がりの間であんなに泣いたのに、それでもまだ留まることはない。今まで堪えていた全てのものが身体から流れ出てしまう。

 自分の嗚咽だけが響き渡る寝所。外の荒々しい気の乱れがにわかに耳を覆い始める。自分が泣いてるのだろうか、気が泣いてるのだろうか。

 

 ややあって。ざり、と音がして。

 ぐっと、肩を掴まれた。

 

「…あ…」
 自分の意志に関係なく、顔を上げた美祢は自分の瞳に映ったものにぞっとした。

「伽呂っ…!?」

 ものすごい力で仰向けに倒される。背に付いたのはしとねの布ではなく、ざらざらしたござ。思いっきり押しつけられて、痛い。まっすぐに向けられた視線が怒りを含んでいた。美祢は何か叫ぼうとしたが、これ以上は声が出なかった。

 伽呂の身体が獲物を捕らえる大鷲のように、美祢に襲いかかる。口を塞がれると同時に、胸を掴まれた。そして強く揉まれる。美祢の身体を痛みと快感が一緒に吹き抜けた。

「好きにしていいって…、そう仰ったではないですかっ…!」

 抵抗する暇もなかった。一息に身体の中心を貫かれ、声にならない悲鳴が上がる。受け入れる意志もなしにそこを開かれ、今まで感じたことのない激しいものが身をしびれさせる。

「あっ…、やっ…っ!」

 伽呂が。急に違う人格になってしまった気がした。涙も乾かぬ美祢を彼は何度も揺らす。絶え間なく腰を打ち付けて、中をかき混ぜる。身体の内側が弾けていく。びりびりと音を立てて、何かが爆発する。その振動が美祢の身体を心を燃え上がらせる。そうされているうちに、徐々に意識が吹き飛んでいった。

「…美祢様が…下さるって…っ…!」

 荒い息の中から、かすれる声で訴える。気丈な言葉を漏らす男は、しかし、美祢をせめたてる表情は真剣そのものだった。止まることのない腰の動きが突きあげるたびに、美祢の豊かな胸が揺れ、首を苦しそうに動かすと髪が辺りに漂う。意志をなくした人形のように、ただ男を受け入れていた。

 そんなことはいつも経験していた。自分の欲望のためだけに美祢をむさぼるように抱く若様は、気遣いのお心など見せることはなかった。

「あっ…! ああっ…!!」
 身体の中心から、それでも湧き出る快感は美祢の全てを支配し始めていた。赤子のように胸に吸い付く男の髪に指を差し入れ、生え際を辿り、抱きしめる。もうどうなっても構わないと思った。今このときがあればいい。

「…ふっ…、はあっ…!」
 思わず、広い背に爪を立てた。それくらい、激しいものに覆われていた。嵐の中に身を投じ、閉じこめられてしまったようだ。四方八方から打ち付けられるものを美祢は全て受け入れていく。

「美祢様っ…! 美祢様っ…!!」
 しっかりと身体を絡め合ったまま、お互いの絶頂を迎える。一度、伽呂の身体が大きくのけぞって、そのあと低いうめき声と共に美祢の上に倒れ込んだ。

 

 伽呂が美祢の中で大きく爆発する。この瞬間までたくさんの爆音を聞いてきたが、一番大きいものが美祢の身体の一番奥で弾けた。熱いもので胎内が満たされていく。

「あっ、ふっ…、美祢様っ…」
 男は大きく体を震わせていた。美祢の背に腕を回して、しっかりと抱きしめる。

 汗ばんだ胸はあまりに強い匂いがしてクラクラ来た。焼け付くように熱い舌を受け止める。美祢の口内で、伽呂の口内で、ふたりの間を行ったり来たりしながら、激しい余波を味わう。徐々にそれが緩やかな甘いものに変わっていき、やがてついばむだけの軽いものになった。

 

 呼吸の整った男が両腕を美祢の前に置く。そのまま、勢いを付けて起きあがると、繋がりを解いた。どろりとふたりの愛が混じり合って流れ出る。太股を流れるそれがたまらなく愛おしいと思った。

 伽呂の身体が離れていく瞬間が、悲しかった。美祢は思わず、顔を上げて男を見た。そして、何かを言いかけたとき、再び広い胸に強く抱きしめられた。

 あまりのことに。美祢は言葉もなく、目を見開いた。すぐそばに逞しい胸板、うっすらと茂る胸毛。甘い息づかいを耳元で感じる。ぞくぞくと突きあげられる幸福感がまだ辺りを漂っていた。

 

「…このまま…」

 沈黙のまま、どれくらいそうしていただろう。やっと男が言葉を発した。宙を浮くようなうつろな音。

「…このまま、しばらくこうしていて、宜しいでしょうか…」

 

 美祢の胸に言葉にならない感情が沸き上がってきた。どうしていいのか分からない。ぐっと堪えていないと大声で泣き出してしまいそうだ。

 

 …自分の、一番して欲しいことを…言ってくれるなんて。

 

 それだけで溢れそうになるもの。とめどなく流れ出ても、今ならこの胸が全て受け止めてくれるだろう。だが、美祢は大きく深呼吸して、想いを飲み込んだ。それから、心を揺らさないように、静かに言う。

「…いいよ、そう言ったじゃないか」

 伽呂がさらに腕に力を込める。外の気乱れは相変わらず激しかったが、それが気にならないほど、大きな翼がやわらかく美祢を包んでいた。


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