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…8…

「玻璃の花籠・新章〜雪茜」

 

 

 がたん。足元の踏み板を動かすと、互い違いに並んでいる糸の山が入れ替わった。ほら、簡単じゃない。さすがに最新式の織り機ね。
 次は……そう、この糸を左から右、糸の隙間を滑らせるんだ。そうそう……ほらあ、私ってば器用ね。で、右側に抜けたら、そう、この板でとんとん。織りの歪みを直す。そして、もう一度踏み台を……。
「うわ! 何してるんですか……! 姫……、駄目ですよ。目を離すとすぐにこれなんだから!」
 ふいに戸口から飛び込んできた男がそんな風に叫び声を上げたかと思うと、私を織り機の前から引きずりおろす。いやん、せっかくいいところだったのに! やだやだっ、せっかくお祖父様がお祝いにくれたとびきりの織り機。琉砂ってば全然触らせてくれないんだもん、嫌になっちゃう!
「ああ! こんなに織り目をおかしくして! これは一番難しい裾文様の場所をやっていたんですから!」
 もうっ! そんなに怒ることないじゃない。ぷんぷんしながら解いてやり直している背中を睨み付ける。あんたが忙しく野良仕事をしてるから、少しは家の中の仕事を進めてやろうって思ったのにさ。
「じゃあ、いいもん! 私、糸紡ぐわ……!」
 そう言って糸車の前に座ると、またも彼は飛び上がって私の動きを制する。もう、目がマジだ。本気で駄目って言ってるよ。
「だ〜めです! 姫が紡いだ糸はぼそぼそで使い物になりません!」
 まああ、そんな高い場所に、片づけなくたっていいじゃない。どうして、琉砂はこんなに意地悪なのよ!
「何言ってるのよ。ぼそぼそした変わり紡ぎの糸は、野良着には最適なんでしょ? ぽつんぽつんって毛玉みたいに浮き出るのがおしゃれだし。私みたいな器用な人間だから、あんな糸が紡げるのよ……!」
 思いっきり言い返したのに。琉砂ってば、冷たい視線で振り返る。もー! 怒るよ〜。私、牛になっちゃうからね!
「あのですねえ」
 彼は敷物をふたつ並べると、その一方に私を座らせた。そして、自分も腰を下ろす。
「変わり紡ぎの糸は、きちんと丈夫なつくりになっているんです。姫の糸は途中からぶつぶつと切れてしまうものばかりではありませんか。あんな糸で織物を作っては、そこら中に穴が空いてしまいます。もう、いいから、ここでしばらく茶でも飲んでいてください!」
「え〜、だってぇ……暇なんだもん! この頃は山にも連れて行ってくれないし」
 私がぶううっと膨れたら、琉砂は困りましたねえと言うように微笑んで、私の肩をぽんぽん叩く。
「姫には、何より大切な仕事があるでしょう? 今はそのことだけを考えて、ゆっくりなさっていてください。お願いですから余計な仕事を増やさずに、俺の言うことをきちんと守ってくださいよ」
 あ〜っ、またそうやって。その眼差しに私が弱いのを知ってるんでしょう? 琉砂の瞳には絶対に魔力があるのよ、だって、見つめられるとクラクラして、言われたことが全部正しい気がして言いくるめられちゃう。
「はい、これでも召し上がって。栄養を付けてくださいよっ、ふたり分ですからね」
 そう言って差し出してくれた籠の中には、すごーく懐かしいものが入っていた。それもたっぷり。
「うわわ〜っ! 鳥の実だ! もうそんな季節なんだねえ……」

 あれから1年が過ぎたんだなって、感慨深く思うわ。あの短くもいろいろあった逃亡の中、鳥の実は大切な食料だったもんね。これで飢えをしのいだ夜もあったし。こっちに渡ってからも、最初はいい住みかが見つからなくて、だいぶひもじい思いをしたわ。でも、この琉砂が見つけてくれた人里離れた山の中は実りも豊かで、土壌も良くていい畑が出来る。辿り着いてホッとしたっけ。
 周囲の村の人に聞いてみたら、この地は丁度御領地の境になっていて、地図にも載っていないような場所だった。山小屋の番をするのを条件に住まわせて貰えることになり、私たちは多くの人々の好意でようやく住みかにありついた。
 落ち着いた後、私は都の父上に文を書いた。こうなったらお祖父様に知られる前に、父上に直談判よ。やっぱ、お家を捨てて母上と都に上がったという情熱的な父上だもん、絶対に私の気持ちを分かってくれると思ったのよね。本当は琉砂に代筆して貰おうと思ったけど、これは自分で書きなさいって言われちゃって。一応、お手本も作ってもらったのに、戻ってきた文には母上の字で朱に添削された私の文が入っていた。
 お祖父様は私が死んだと信じていらっしゃって、余りの嘆きで寝込んでしまわれたんだって。もう御領地も治められなくなって、とうとう父上に家督を譲ると言い出したとか。あんなに元気いっぱいだった方が女遊びもなりを潜めて、お祖母様のお尻に敷かれているという風の噂。

「でもぉ……、琉砂の言うことだって、当てにならないもん……!」
 私はようやく目立ち始めたおなかをすりすりと撫でた。
 そうよ、琉砂はあの夜にきちんと子種を仕込んでくれたって言ったし。その後も毎夜毎夜、忘れずに仕込んでくれたけど。それでも月のものが来るの。ってことは、子は出来てないってことでしょう? そんなことが半年近く続いて、私はだんだん不安になってきた。
 もしかして、このまま私には子が出来ないんじゃないかしら。せっかく、琉砂と私の美しい子を産めると思ったのに。それが出来ないなんて、悲しすぎる。だからまた、都に長い文を書いた。そしたら、再び母上から添削付きの文が戻ってきたんだ。
 母上によると。どうも、西南の民は他の種族との交わりだと、なかなか子宝に恵まれないそうなの。いくら子種を入れて貰っても、寄せ付けない何かがあるとか。でも、願えば報われるはずだから、ヤケを起こさずに頑張りなさいって書いてあった。それから程なくして、母上のお言葉通りに私はこの子を身籠もることが出来たのよね。
 本当に、ぞっとするわよ。あのままお祖父様の御館に戻っていたら、私は琉砂の子が産めなかったのよ? そしたら、お先真っ暗じゃないの。ああ、本当に信用ならないわ! 琉砂ってばっ……、まあねえ、美しいから許すけど。
 あれからも母上からは折々に季節の便りが届く。ずーっと疎遠にしていたのが嘘みたいに、こんなに離れているのに母上がすぐ傍にいるみたいだなって思う。小屋に入りきれないくらいのでっかい織り機を贈ってくれたお祖父様は「雪姫に会いたい、こっちに戻ってこい」って仰るけど、なんか、まだここでしばらくのんびりしたいなって思うんだ。

 琉砂とふたり、こんな風に水入らずで。暮らしていればもういいやって。あとは何にもいらないって、思うの。織り機のお陰で、この下に降りたところにある里に仕上がった反物を売りに行けるようになった。で、銭が手にはいると、琉砂ってば、必ず綺麗な飾り物やら優美な織りの端切れとかそんなものを買って来ちゃう。私は琉砂を飾る衣やその金色の髪を結う紐が欲しいのに、分かってないのよね、まったく。

「あんたの、本当の名は何というの?」
 あの日、川を渡り終えたとき。私はふと訊ねていた。「琉砂」という名前は私が勝手に付けたもの。彼にはその前まで、きちんと自分の名があったはずだ。いつまでも、借りものでは心地よくないだろう。
 だけど、私を見つめた琉砂は静かにこう応えた。
「俺の名は、ひとつあれば十分です。昔のことは忘れました。――5年前から、俺は『琉砂』です。この名が姫が下さった、俺にとって一番大切なものです」
 胸がいっぱいになって、何も言えなくなるってこういうことを言うんだね。私、何があってもこの男と幸せになろうって、改めて思った。琉砂は私が幸せになる方法を色々考えて悩んでいてくれたと言ったけど、私は琉砂の隣にいればそれが叶いそうな気がするんだよな。

「うわっ、重いです! 手元が狂うから、やめてください……、それにそんなことをしてたら腹の子が苦しがるでしょう……!」
 ぶつぶつ言いながら織り機の前に座っている琉砂に後ろから抱きついた。やっぱ、いい匂いがする。花の匂い。琉砂の傍は一年中春爛漫。ああ、心地いいなあ……。
「子が生まれたら、毎日が大変ですよ。今のうちからしっかりと身の回りを整頓して支度を整えておきなさい」って、母上の文に書いてあった。そうなのかなあ、そんなに忙しいのかなあ。なんかよく分からないけど。今はまだ夢心地で、うとうとしてたいな。

 ……琉砂はふんわり春の衣。私を包み込んでくれるから。きっとこれからも私は、とびきりの夢がみられるんだよね。

了(040309)


 

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