TopNovel>鈴と羽根・3


…3…

 

 その夜は、夕餉のあとも玄太はどこに出掛ける素振りも見せなかった。正月用の飾りのために縄をなう果瑠のそばでちびちびと酒を舐め、そのうちにめんどくさそうにごろんと横になってしまう。
  一体どういうことなんだろう、珍しいこともあるもんだと何度もそちらを確認していたが、やはり大山のような背中は動く気配がない。「どこにも行かないのかい?」と直接訊ねてみれば話は早いと思うが、それではまるで「邪魔だから出て行け」と暗にほのめかしているように受け取れそうな気もする。

「もう、寝るかい?」

 しめ縄の外枠がどうにか完成したところで、こちらも欠伸が出た。今日は朝早くからの柚子売りだったから、身体の疲れ方が違う。この辺で横になろうと思い、玄太の背中にそう声を掛けた。

「ああ、頼むわ」

 玄太が弾みをつけて起きあがると、床がみしみしと音を立てる。去年の正月前に張り替えてもらったばかりだが、もう馬鹿になってきているようだ。果瑠は隅に積んである寝具を手早く広げると、その上に洗い立ての敷布を掛けてやる。これでも精一杯のもてなしだ。
  婆さまとふたりでいた頃も、身を寄せ合って眠っていたほどの狭い板間である。大人ふたり分のしとねを並べれば、ほとんど隙間もないくらいぴったりと寄せ合わないと無理だ。特に玄太は寝相が悪く、夜中にこちらの布団を半分くらい占領していることもしばしばである。耳元に寝息を感じ、驚くこともあった。一度など身体の上を乗り越えられて、もう少しで死ぬかと思ったもんである。

 ――本当に。これじゃ夫婦(めおと)暮らしだと思われても仕方がないだろうね。

 身の潔白ならば自分自身が一番よく知っているが、世間様はそうは信じてくれないだろう。いい年をした男と女がしとねを共にすれば、間違いがない方がおかしい。それが一般的な考えだ。逆にどんなにそりの合わないふたりでも、一緒に暮らすうちに情が湧くという先人の教えもある。
  しかし、常識を玄太と自分にも当てはめようとしても、それは無理な相談だ。確かに腐れ縁ではあるし、ある意味持ちつ持たれつ仲良くやっていると言えなくもない。だが、それも全て「家族」のようなもの。女好きで知られていて宿所通いを何よりの愉しみにしている玄太であるが、あんな奴でも好みはあるのか手頃なところで決まりを付けようという気はないらしい。

 まあ、いいだろうと思う。今までだって、気楽なひとり住まいをしてきた。今更、かしこまってみるのも堅苦しくて敵わない。このままが一番いいと思う。

 

  今夜は特に冷え込むようだ。

 綿入れの他に、昼間身につけていた衣や夏用の薄物まで全部引っ張り出してみたが、手足はかじかみなかなか眠りにつけなかった。身体はぐったりしているのに、頭の芯が妙に冴えているのだ。

「果瑠、もう寝たか?」

 凍えた耳を両手で覆ったとき、隣に休んでいる背中がぼそりと呟いた。やはり奴も寒くてなかなか休めないのだろうか。だが、掛けた衣を直そうとする素振りもない。

「あ、あのさ。……何て言うか。お前には言っとかなくちゃならねえなと思っていたんだけどよ」

 ぐしぐしと鼻をすすり上げる音がする。玄太はやはり壁の方を向いたままだった。

「まっ、まだよ、本決まりってやつじゃあねえんだけどよ。お社様から、ありがてえ話を頂いたんだ。まだよ、ちゃんと決まったわけじゃねえし、……だけどよ」

 いつもの短気な奴から考えると、かなりもったいぶっているように思える。こっちとしても、そんな思わせぶりな言い方では訳が分からない。もうちょっとはっきりしろよと促そうと思ったとき、玄太は場違いなくらい大きな咳払いをした。

「ええと……ええとだな。正月が明けたら、俺のことを正式にお社様の護衛に就かせるとか言われてな。今までの働きがかなり良かったから、お社様も異例の処遇を考えてくだすったらしい。何か、……俺、嬉しくてさあ……」

 そこまで言うと、また鼻をぐしぐしとすすり上げる。もしかしたら泣いてるのかもしれないと、ちょっと思った。

「え、護衛……ってことは、あんたそれって、下男の仕事じゃないだろ。本当なのかい!?」

 別に玄太の話を疑っているわけではない。だけど、あまりの驚きに必要以上に大声になってしまった。

 そりゃそうだろう、一介の豪族くらいの身分ならともかく、都から直々に派遣されてきたお社様の身辺を護衛する立場ともなれば相応の身分が必要だ。確か、侍従職に就いていないと無理だと聞いたことある。
  だが、役人の身分というのはすべからくして世襲制。特例はほとんど認められていない。確かな実家もない上に、この通りの荒くれ者。これではいくら高貴な御身分の方とはいえ、安易に官職を与えることは出来ないはずだ。

「あ……ああ。だから、俺もまだ信じられねえんだ。だけどよ、お社様の言い方じゃあ、かなり脈がありそうなんだよな。いいんだろうか、本当に。……俺は……」

 山のような背中が大きく震えていた。こんなに神妙な態度になっている玄太は珍しい。もしかして、婆さまが死んだあの夜以来ではないだろうか。そう思うと、さすがの果瑠もいつものように笑い飛ばすことが出来なかった。

「俺、……俺、嬉しくてさあ。そりゃ、今のお社様はそれはそれはご立派な方で、俺も大好きだ。下々の者にも丁寧に接して下さるし、何かに付け目を掛けてくれる。俺がいくら馬鹿なことをしても、あの方だけは笑って許して下さる。本当に出来た御方なんだよ」

 玄太はただの乱暴者じゃない。ただ少し馬鹿なだけだ。思慮が浅く、堪え性がないだけだ。だから行く先々で酒を呑んでは乱闘を起こし、ものを壊したり人に怪我を負わせたりする。だが、あとになってよく聞いてみると、最初にケンカをふっかけたのは相手方の場合ばかりだ。その理由も、普通の神経をしている人間だったら、およそ我慢出来ない理不尽なものが多かった。
  もしかしたら、玄太の慕っているお社様はとんでもなくご立派な方なのかも知れない。他の奴らが見逃してしまう玄太の心根にちゃあんと気付いて下さるなら、そのようなお方の元で玄太は幸せになれるに違いない。

「そりゃあ、良かったねえ。あんたも、お社様の期待に応える様に気張るんしかないね。そうかあ……、そんな話をされると、あたしまで嬉しくなっちまうじゃねえか……」

 そんな柄じゃないとは知りながらも、思わず何かがこみ上げてくる。必死に堪えようと大きく息を吐いてはみたが、なかなか上手く行かない。慌てて玄太に背中を向けるように寝返ってみたが、すると今度は奴も同じ向きに転がった様子だ。みしみしと床が揺れて、すぐ背後で声が聞こえる。

「お前もな、今度こそはホラ吹きとは言わせねえからな。給金を頂いたら、すぐにこの前の衣の何十倍も立派なのを買ってやるよ。草履だって香油だって、何も遠慮することはねえんだからな。ま、楽しみに待ってろよ?」

 あんまり真面目な話をしたから、玄太の方も身体のあちこちがむず痒くなったのだろう。いつもの調子でそんな風に言うと、夜中だというのに小屋が揺れるほどの大声で笑った。

「馬鹿だね、人の心配よりまずは自分の心配をしたらどうなんだい。侍従って仕事は端で見るほど華やかなもんじゃないと聞いているよ。馬鹿やって足下をすくわれたら、見られたもんじゃない。せいぜい頑張るんだね」

 いつもそうだ。最初のうちはとにかく勢いがいい。玄太は惚れ込んだ相手にはとことん尽くすから、いいところまではあっという間に進むことが出来る。しかし、そのあとがいけない。ある程度の身分になれば、妙に計算高い者たちが周りに増えてくる。そう言う奴らはただ腕っ節の良さでのし上がってきたような人間を一番嫌うから、巧妙な手口ではめられてしまうのだ。

「何言ってんだ、このボケ。ケツの青いガキが一丁前の口を聞くんじゃねえ、たまには素直に人の話を聞けってんだ」

 そうやってすぐに突っかかってくる自分の方こそがガキだと言ってやりたい。玄太がさらに身体を揺らして笑うと、床がみしみしとやばそうな音を立てた。

 

 だけど、それも一瞬。

 すぐに辺りには、しーんとした夜の静けさが戻って来た。年の瀬が迫った夜半は、柔らかく流れるはずの気すら凍てつき、その向こうから普段は聞こえないはずの声が聞こえると言う。何か深いものに引き込まれそうな恐ろしさから救ってくれるのは、隣にいる玄太のだらしない鼻息であった。

 どうしたんだろう、急に眠くなっちまったんだろうか。急に静かになってしまった隣のしとねを伺おうかと思ったとき、突然大きなくしゃみがした。もちろん、玄太のものである。寒いなら何かもう一枚用意してやろうか、そう考えた時だった。

「……なあ、果瑠。俺の生まれた村はな、ここよりももっと荒れ果てて草木もほとんど育たねえような土地だった。みんな始終腹を空かせていてな、そこら中雑草でも何でも口に入るものなら何でもいいからと腹を満たしていた。……だけど、懐かしいんだよなあ」

 ぼそぼそと、小さな声で唸るように話し始めた玄太に、果瑠は背中でぴくりと反応した。

 こんな風に玄太の昔話を聞くのは初めてのこと。婆さまだって、聞いたことがないと言っていた。どうして、突然……と妙な気もしたが、せっかくだから聞いてやろうと思い直す。玄太がこの村の生まれでないことは知っていたが、それ以外のことはなにひとつ知らない。

「そうかい、そりゃそうだろうね。あんただって、木の根っこから生まれたわけじゃああるまい。ちゃあんととうさまとかあさまがいたんだろ、この恩知らずが」

 急に里心でもついたのだろうか? そんな侘びしさが心に満ちてくる。だけど玄太はそんな果瑠の憎まれ口に反応することもなく、ただ喉の奥で低く笑った。

「お前だって、聞いたことがあるだろう。あんまりにも貧しい村ではな、毎年のように人買いが来る。ガキの頃には、奴らのことを鬼だと思っていた。顔では愛想笑いをしながら、家々を回って子供をごっそりと買い漁る。奴らが帰ったあとは、さらに村が寂しくなったよ。

 だけど、俺のおとうとおかあは、どんなに苦しくてもそんな男たちの口車には乗らなかった。俺を頭に5人の子がいたが、自分らの食べるものがなくても必死に守ってくれた。だから、信じてたんだよ。

 ……なのに、ある年突然。おとうとおかあは、俺たちを人買いに渡してしまった。そりゃ、狂ったように抵抗したし泣き叫んだ。でもとうとう助けてはくれねえ。俺は大層暴れたので、しまいには両手両足を縛られて荷車に乗せられた」

「……そうかい」

 思わず、息を飲む。咄嗟にはどう反応したらいいのか、分からなかった。

 ここよりもっと貧しく寂れた土地があることはもちろん知っている。
 昔、婆さまが野良仕事をしながら教えてくれた。痩せた土地で作物は育たず、ようやく芽吹いたものもその後の天候の変化でほとんどが全滅してしまうんだと。そこに暮らす者たちは年貢を納めることはおろか、自分たちの日々の食料にすら事欠くと言う。
  確かに果瑠の暮らすこの村は貧しくて、その中でも場末にある婆さまの畑は余所と同じ種を蒔いても育ちが悪い。豆の木はひょろひょろと伸びるし、芋は小さくて硬い。葉物はすぐに虫にやられてしまった。だけどそれでも、婆さまとふたりでどうにか暮らしていける。たまに玄太が帰ってきても、菜っ葉の雑炊くらいなら、すぐに作ってやれるのだ。これ以上贅沢を言える立場じゃない。

 婆さまは不思議な人だった。若い頃は物売りの真似事をして遠い土地まで通ったと言うが、そのせいか他の村の者たちとは生活も考え方も全く違っていた。いくら罵られても平気な顔をしてるし、頼りにされればどんな嫌な奴にも親身になる。どんな不幸も、婆さまの前では裸足で逃げ出した。

 もしも、婆さまが貧しさを理由に自分を人売りに渡してしまったら、どんなに悲しかっただろう。全く有り得ないことではあるが、その時の玄太だって同じ気持ちだったはずだ。

「他のガキどもはすっかり観念したように大人しくしてたが、俺様はそんなヤワじゃねえ。絶対に隙を見て逃げてやろうと思っていた。幾日も幾日も歩いて、西南との境がすぐそこまでと言うところまでやってくる。その頃には人買いの奴らもだいぶ気が緩んで、見張りも手薄になっていたってもんだ。
  俺が腹痛を訴えると、後ろ手に縛っていた縄を解いてくれる。すぐに戻れと命令されたが、誰がそんな言いつけを守るもんか。ちょっとばかりぶらりとする振りで奴らの視界から逃れると、あとは一目散に今までの道のりを引き返した」

 さすがに玄太だ。ガキの頃から半端じゃない。縛られて荷台に乗せられていたのだから、どこをどう進んできたのかも定かではなかったはず。だけど、知っていた。自分の生まれた村は昼過ぎに天の輝きが指し示す方角にある。空き腹が限界に来て、何度も気を失いそうになったが堪えた。休んでいる暇はない、人買いの奴らが追って来ればその時はどうなるか分からないのだから。
こういう場合、村に戻るのが一番危険なのは知っていた。だけど、どうしても両親に会わずにはいられないと思った。あんな風にだまし討ちのように捨てられて、黙っていられるものか。大暴れに暴れて、そこら中をぶちこわしてやる。約束したじゃないか、家族はずっと一緒にいるって。信じていたのに、裏切るなんてひどすぎる。

「途中、道を間違えて遠回りしちまったが、それでもどうにか追っ手よりも早く村に戻ることが出来た。一目散に家に飛び込んだよ、でもいくら呼んでも返事はない。そこら中探し回った挙げ句、ようやくおとうの背中を見つけた。とっくの昔に枯れちまった井戸のそばで……ふたりとも折り重なるようにして死んでいた」

 玄太の両親は、何も子供が憎くて手放したわけではなかった。

 秋の実りに畑には何もなく、このままでは冬の寒さに耐えきれず家族みんなで餓死してしまう。そうなるよりはと苦渋の決断をしたのだろう。あとから思えば、あの村はそんな家ばかりだった。子を売った金で腹を膨らますことが出来るわけもなく、人買いから渡された金はそっくりそのまま神棚の上に残っていた。

「もうな、身体中から力が抜けて、何も考えられなくなった。そのままふらふらと村を出て、しばらく歩いたところで歩けなくなった。俺はどこまでも馬鹿な奴だ、おとうとおかあの気持ちも知らず、ひどい言葉ばかりを投げつけてしまった。謝りたくても、もう遅い。大声で泣きたくても、もうそんな気力も残ってなかった。そこに……お前の婆さまが通りかかったんだよ」

 婆さまはあれこれと訊ねたりはしなかった。帰る家がないと告げると、ならばついてこいと言う。こいつも人買いの仲間かと初めは疑ってかかっていたが、どうも勝手が違う。陽が落ちて安い宿にたどり着くと、婆さまは玄太の身体を綺麗に洗って、野菜がたっぷり入った粥もご馳走してくれた。

「あんたはいい目をしている、だから大丈夫だ」

 その頃すでにいい年をした婆さまであったが、そうやって励まされるだけで八方塞がりだと思っていた道が拓けて来る気がした。

「婆さまはすでに亭主が死んでたし、一人きりの娘である果瑠のかあさまは遠い場所に働きに出ている。互いに気楽な独り身ときたもんだ。とんでもない世話焼きだったから大層口うるさかったが、不思議なもんでそういうのも慣れてくると平気になるんだな。だけど、……結局礼らしい礼も言えねえまま、婆さまもおっ死んでしまった。いつか偉くなって楽をさせてやろうと思ってたのにさあ……」

 ぐしぐしと、また鼻を大きくすすり上げる。不思議な夜だ、玄太がこんな話をするなんて思いも寄らなかった。やはり自分がようやく独り立ち出来そうになって、急に昔を思い出したのだろうか。
  果瑠は何も言えないまま、黙って全てを聞いていた。いつものように横やりを入れてやろうという気には到底なれない。玄太の昔はあまりに重くて、だけど自分が婆さまの分まで受け止めてやらなくちゃならないんだと思った。

「だからさあ、お前にはこの先絶対に苦労はさせたくねえんだ。俺はこれでいてかなりの目利きだからな、これから成功しそうな家は分かる。その一番偉そうなところに、行かせてやるよ。……なあに、見ていろ。そんなの朝飯前だからな」

 しばらくはぐずぐずしていたが、そのうち気分も落ち着いてきたのだろう。玄太の声にいつもの勢いが戻ってきた。馬鹿みたいに自信たっぷりにそう言い放つと、また豪快に笑う。奴の胸元で、思い出したように鈴がごろんごろんと音を立てた。

 

 全く、そんなことが本当になるはずがないじゃないか。

 婆さまに拾われたというガキの頃から比べたら、少しは世間を知ったと思うが、まだこんな夢みたいな話を本気で言い出すんだから始末に負えない。

  だが……どうしたことだろう。いつもは鼻で笑えるようなその話も、今夜だけは神妙な面持ちで受け止めてしまう。

「――そうかい。じゃあ……楽しみにしてようかね」

 その返事は果たして玄太の耳に届いたのだろうか。やがて響いてくるいびきの大きさに思わず両耳を塞ぎながら、果瑠の方もとろとろと眠りの淵に入り込んでいった。

 

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