「何でぇ……、果瑠っ……?」 夜は続いていた。闇夜の天窓からはわずかばかりの灯りもなく、小屋の中はほとんど手探りの状態。闇に慣れた目であっても、ほの暗い中にわずかにその姿を捉えることが出来るくらいだろう。 「こ、こうして、直接肌を寄せる方があったかいんだよ。婆さまがそう言ってた。どうだい、ちっとは違うかい?」 口でそう説明しても、本当のところはどうなのかよく分からない。衣を全て取り払ってしまった身体は想像以上に心許なくて、何かに強くしがみついていなければこのままぬばたま色の気の中に吸い込まれてしまいそうだ。やせっぽちの身体には不似合いなほどに膨らんだ乳房が玄太の衣の合わせに当たる。こすり合わせられることで起こる不思議な感覚に果瑠は戸惑っていた。 「違うも何も……こんな……」 玄太はまだこの現状を受け入れられずにいるらしい。申し訳程度に果瑠の背中に腕を回し、振り払うことも強く引き寄せることも出来ないままうろたえていた。 どうしてこんな行為に及んだのか、未だに自分でもよく分からない。ただ、押し寄せるどす黒い不安に巣くわれそうになる心をかろうじて繋ぎ止めるためには、もうひとりきりでは夜を過ごせないと思った。ただ、身体をくっつけ合っているだけでも構わない。もしもそれ以上のことが起こるなら、それもそれでいい。この長い夜に、玄太の一番側にいたいと心の底から願っている。 じっとりと素肌に感じ取る湿り気。脂汗の滲んだ身体はきつい体臭を放ち、普段ならばとても側には寄れないほどである。だけど今は、それすらも玄太の存在を知らしめるものだと思えば嬉しい。ずっとひとりきりだと思っていた。だが、それは間違いだったのだ。このろくでなしがいてくれたから、こうして生きて来られたのである。 「怖いんだよ、玄太。あたしだって、身体の震えが止まらない。どうにかしておくれ、このままじゃ気が狂ってしまいそうだ。……助けてくれ……!」 「……果瑠……」 また熱い雫がこぼれ落ちてきた。一度爆発させてしまった感情は、もはや収拾がきかない。どうしてだろう、自分はこんなに弱くなかったはずなのに。本当は今だって、自分が玄太を慰めてやらなくちゃいけない立場だ。奴の背負ったものと比べたら、こんな嘆きなど甘っちょろいとしか言いようがない。 身を切るような寒さも全く感じなくなっていた。果瑠の全ての感覚は玄太に向かっている。玄太の全てを感じ取ることでしか、心が保てないと思った。泣いたって、救われることはない。いつだって、道は自分で切り開かなくてはならない。それは分かってる、この世の中は心の強い者しか生き残れないのだから。 「もう泣くな、……頼むから、泣くな。おめぇに泣かれるのは辛い、俺が全て悪いような気がしてくる。馬鹿な奴だ、何で泣く。なぁんも、怖いもんなんてないだろうが」 なだめるように何度も背中をさすられて、やっと普通に息が出来るようになる。気付けば玄太も先ほどまでの震えはどこへやら、すっかり落ち着いてしまっていた。 「……羽根が見つからねえな」 「え……?」 玄太の手のひらは、また背中を辿っていく。何かを探り当てようとするようにせわしなく動いて、止まることはない。がさがさの感触がこそばゆくて、果瑠はぶるっと身体を震わせた。ようやく自分が馬鹿なことをしていると気付いたんだろう、玄太は手を止めて喉の奥で低く笑う。 「おめぇにはむやみに触れちゃあならねえと思っていた。そんなことをしたら、羽根が折れてしまう。そしたら、もうどこにも飛んでいけなくなる。おめぇの自由を奪うことはしてはならねえんだ、……それくらい、ありがてえ存在だったんだよ」 そこまで言うと、玄太は果瑠を背骨が折れるくらい強く抱きしめた。
「婆さまに連れられてこの村にやってきて、しばらくは世話を焼かれつつ楽しく暮らした。婆さまに娘がいることは知っていたが、遠い土地に働きに出てもう何年もこっちには戻ってこない。それを嘆くような人じゃあなかったが、やっぱどこか寂しそうでさ。だったら、俺がそのぶん楽しくしてやろうと思った。色んな馬鹿もやったが、婆さまはいつだって笑って許してくれたよ」 そのうち、久方ぶりの文が届く。差出人は婆さまの娘、つまり果瑠のかあさま。そこには何とも幸運なことに雇い主の息子と夫婦になったこと、そしてもうすぐ赤子が生まれることが記されていた。その時の婆さまのはしゃぎようと言ったら。かな文字ばかりの文を何度も何度も読み返し、子供のように歓声を上げていた。 「春になったら親子三人で戻りますと言う言葉を、婆さまは信じて待っていた。だけど、約束はとうとう果たされることはなくて……だいぶ経ってから、おめぇひとりだけが戻ってきたんだよ」 その時までに、玄太はだいぶやさぐれていた。それもそうだろう。こんな近くにいる自分よりも、遠くにいる見たこともない娘子のことばかり婆さまは気にしている。邪険にされたわけでも何でもなかったが、とにかく面白くなかった。だから戻ってきた赤子の顔なんて見たくもないと思ったし、そのうち婆さまの目を盗んでひどく虐めてやろうとすら考えていた。 お天道様がひときわ眩しい日だった。朝餉が済むとすぐに、婆さまは猫の額ほどの畑に出て鍬を使う。畑仕事は面白い。種を蒔いたその後ろで踏み固めたりほじくり返したりするのが楽しくて、玄太はいつでもあとからついていった。赤子はかごに入れられて、柚子の木の根元に置かれている。暫くは大人しくしていたが、そのうちに人恋しくなったのだろう、突然火がついたように泣き出した。 「なあ、泣いてるぞ。どこか悪いんじゃないのか、見てやんなくていいのかよ」 あんな奴、放っておけばいいと思っていたのに。天まで届くような泣き声を聞いていると、だんだん憐れに思えてくる。自分では何も出来ないくせにいい気なもんだと見て見ぬふりをしたいのに、それが出来ない。根性だけは一人前の赤子は、相手にしないでいると諦めるどころかさらに大声で泣きわめいた。 「いいのかよ、あのままじゃ頭に血が上って破裂してしまうかも知れねえ。それか喉を痛めて、一生声が出なくなってしまうぞ」 いくら訴えても、婆さまは涼しい顔。本当に具合の悪いときには泣き声が変わるから分かるんだと言い切る。そして、それでも玄太があれこれとしつこく言い続けてると、とうとう業を煮やしたように吐き出した。 「――だったら、おめぇが見てやれ。こんなところで悪さをしてる暇があったら、その方がずっと助かるよ」 その時になって、しまったと思ったが遅かった。玄太はまんまと婆さまにはめられたのである。こんなことなら、さっさと近所の仲間たちと河原にでも遊びに行けば良かった。そう思っても後の祭りであった。 「はんっ、だぁれがガキの世話なんて。嫌だね、そんな真似が出来るもんか」 口ではそんな風に突き返したが、一応かごの中を覗いてみようとは思った。もしかしたら、布団を頭からかぶって苦しんでいるのかも知れない。それを取り払うくらいならやってもいい。 「おいおい、うるさいぞ。ほら、玄太様がわざわざ来てやったんだからな、感謝しろ」 ちらと一瞬だけ視線を走らせるつもりだった。だが、こちらを見上げた赤子と目が合ってしまう。この辺りでは珍しい、濃緑の瞳。額に貼り付いた赤毛がつやつやと輝いて見えた。 「なっ、……何だよっ!」 見慣れぬ顔がいきなり現れたので驚いたのだろう。赤子は泣くのも忘れて、こちらをじっと見つめている。そして、いくらかの間を置いてから、ふわりと微笑んだ。 「紅葉みたいなちっちぇえ手をこっちに伸ばしてさ、すっごく嬉しそうな顔をするんだよ。そうされたら、何だ? 何だか、そのまま見過ごすことも出来ねえと思って、抱き上げちまったんだよな。したら……、おめぇは羽根みたいに軽くて、びびっちまってよ。俺はこれでも何人も弟妹がいてそれなりに子守もしたし、ガキの世話なんて慣れてると思ってたんだよな。だけど、あの時はさすがに腕が震えた」 ――ああ、こいつは誰かが護ってやらなかったら、生きていけないんだ。 温かいぬくもりに触れたときに、怒りも憎しみも全てなくなっていた。ただただ、抱き上げた赤子が愛しいと思う。自分の中にまだそんな感情が残っていたことに驚いたし、一方ではたまらなく嬉しかった。 しばらくは婆さまと三人で楽しく暮らした。身体ばかりは立派な大人になった玄太は、ぶらぶらしている訳にもいかないと承知したのだろう。誰かのつてを頼っては働き口を見つけてくる。それでぶらりといなくなるが、しばらくするとまた戻って来た。
「婆さまが死んで、おめぇは今度こそひとりぼっちになっちまって、こうなったら俺がどうにかしてやろうと覚悟した。だがな、そうは言ってもなかなか上手くはいかねえ。ようやくいい仕事にありついたと思っても、少しするといけなくなる。 「全く……馬鹿な男だね。苦労してるのは、あんただって同じじゃないか。あたしは今の暮らしで十分で、これ以上のことは何にもいらないよ。分不相応な夢なんて、あんたが言い出さなかったら馬鹿馬鹿しくてちらとも浮かばなかったよ」 最初から、自分の背中には「羽根」なんて生えてない。どんな風になったってそれなりに生きていける、泥臭い腕と足が小さな身体から二本ずつ伸びているだけだ。 「馬鹿だよ、……本当に馬鹿な男だよ。そんなに人のために頑張る必要なんてなかったんだ。あんたがろくでなしなことは、あたしが一番よく知ってる。そのくせ惚れっぽくて仕事熱心なこともね。いつか……こんなとんでもないことをしでかすのは、分かっていたよ」 だけど、止められなかった。自分にはそんな力もなかった。玄太が新しい働き口を見つけたと言ったら送り出し、首になったと戻ってくれば受け入れる。小屋の外まで見送るときにふと心に過ぎる寂しさすら、自分でも気付かない振りをしてきた。 「――言ってくれるじゃねえか、おめぇも立派な口を叩くようになったもんだな」 玄太も泣いていた、それを腕の中にいる果瑠に悟られまいとしながら、止めどない雫をこぼしていた。震える背中に、必死で腕を回す。互いの心音が響き合って、今までに感じたことのない新しい想いが溢れてきた。 「すまねえな、果瑠。おめぇには最後まで世話になりっぱなしだ。こんなこと……こんなことをしていいわけねえって分かってるのに、……あったけえぞ。何だか、おかあの胸に抱かれているみたいだ」 玄太の呼吸がにわかに色を変える。片腕を果瑠の背から外すと、そのまま胸元に滑り込ませた。最初は手探りに控えめに、やがて指先に徐々に力が籠もっていく。ごわごわの手のひらが片方のふくらみを鷲づかみにして、もう一方の頂きに赤子のようにむしゃぶりついてきた。 「あっ、……くうっ……!」 突然押し寄せてくる波に耐えきれずのけぞると、そのまま仰向けに押し倒された。玄太が獣のような唸り声を上げて襲いかかってくる。荒々しい手つきで身体中をまさぐられるのには、さすがに気持ちいいとは思えなかったが、果瑠は自分がけしかけた手前もあり必死で耐えた。ざらりとした舌が身体のふくらみやくぼみをくまなく辿り、何かを必死に捉えようとしている。途中、何度も叫び声を上げそうになったが、かろうじて抑えた。 「おお、果瑠……果瑠。すげえぞ、こんなの初めてだ。女子なんて、みんな同じだとばっか思ってたのにそうじゃないんだな……ほんっと止まらねえ、俺はどうなっちまうんだっ……!?」 玄太は女遊びも派手だったが、道理もわきまえていると言われていた。あんな風に宿所に足を運べば、普通なら贔屓にする遊女が出てくるもんだと言われる。だが、玄太はそうじゃなかった。金を払って女子を抱くことは言うなれば商売だ。酒を呑むだけで潰れることも良くあったと聞くが、その時もきちんと一晩分の支払いをしていた。姐さんたちに惚れ込まれたのにも無理はない。 「――いいよ……」 果瑠は玄太の頭を抱きかかえると、そのまま自分の胸ぐらに引き寄せた。首の付け根に巻き付けられた鈴が、またひとつ低い音を立てる。 「存分に、構っておくれ。何をされたって、今夜は許すよ。あんたがこの先も人の道を外さずに、全うに生きるって言うならね。あたしはそれだけで、十分に嬉しいよ」 伸び放題の髭が肌をこすり、手のひらや唇の直接的な感触とは違うこそばゆさを落としていく。そのたびに、確信した。玄太がここにいると。今、玄太は自分の一番近くにいて、お互いを強く感じている。この時間が出来るだけ長く続けばいい。 「……あ……」 固く閉ざしていた脚を、根元から左右に開かれる。その刹那、心細さに思わず声が漏れた。 「大丈夫だ、安心しろ。……酷くはしない」 そう言う玄太の吐息も震えていた。柔らかな茂みに生暖かいものが落ちてきて、果瑠の身体がびくっとしなる。だけど逃げてはいけないと思った。玄太がなりふり構わず全てを与えてくれるなら、自分はそれを受け止めればいい。それだけの覚悟は最初からあった。 「ああっ、……つうっ!」 今度こそは金切り声が上がった。局部に起こった艶めかしい感触、喉を鳴らしながら玄太がそこを貪っている。まるで空腹の果てにありついた獲物にむしゃぶりつくように。激しい水音が辺りに響き渡り、知らないうちに身体が上下する。そうすると、玄太はますます嬉しそうに強く攻め込んできた。 「うめえ、……ほんっとに蜜みたいな味がするんだな。こんなにひくつきやがって……こんちくしょう、もう我慢ならねえっ……!」 頭の中が泡立っていく。初めは鳥肌が立つほどおぞましいと思ったのに、いつしか心地よさすら覚えてくる。これが男と女と言うものなのだろうか、こんなにも生々しくて直接的で、身体の内側から掘り起こされるような感覚を、あまたの女子が越えてきたのか。信じられない、でももう戻れない。湧き出てきた快感が、果瑠の全てを支配しようとしていた。 「いっ、いいなっ!? もう、平気だな……っ?」 玄太はそう告げると慌ただしく自分の腰巻きを取り去って、果瑠の中心へと腰を進めていく。硬くて熱いものがその部分に触れて、びくんと大きく身体が跳ね上がった。 「よ、よしっ、逃げるな。逃げるな……逃げるんじゃねえぞ……」 太股を押さえつけた手のひらが汗ばんでいる。どちらの震えか分からない振動ががくがくと身体全体に広がっていく。 「に、逃げるつもりはないよっ。焦ってんのはどっちだよ、ちっとは落ち着けよ……!」 果瑠も必死で言い返していた。玄太もギリギリいっぱいでいるのは分かるが、これから始まるとはっきり宣言されたらもっと緊張するじゃないか。あんたはとっくにいい大人なんだから、少しはこっちの身を考えて欲しい。 「ばっ、馬鹿言えっ……! これが落ち着いていられっか、いい加減覚悟を決めろってんだ」 身体が内側からぐっと押し広げられていく。肩を大きく上下させながら、玄太は果瑠の中にめり込んでくる。低い呻き声が肌から直に伝わってくるが、こちらはもう息も絶え絶えの状態。感情が張りつめすぎて、普段どうやって呼吸していたのかすら思い出せない。 「こっ、……このっ! 畜生めがっ……!」 思わず大声で叫んで、掴んだ腕に爪を立てる。ずんっ、とひときわ強い力が加わり、ようやく玄太の動きが止まった。 「うっ、……うおぅ……、果瑠っ! だっ、大丈夫か、無事か……!?」 ぼたぼたと雫が落ちてくる。何だろうと見上げると、それは玄太の額から落ちてくる汗だった。否、涙も混ざっているのだろうか。しょっぱくて、生暖かい。玄太の内側から湧き立ってくるような命の味がした。それが胸元に落ちて、脇の下へと流れていく。しばらくは身体を止めたまま、玄太は呼吸を整えていた。 「あ、ああ……心配するな。好きなようにしていいって、言ったろ? そっちこそ、無理すんな。そうしてたら、辛いんだろ?」 男は一度始めたら抜くまでやらないと気が済まないもんだと聞いたことがある。いつからそんな風に耳年増になってしまったのかは知らないが、結構色んなことは頭に入っていた。これだけぎちぎちいってたら、玄太の方もしんどいだろう。どうせ進まなくちゃならないなら、こっちもいつまでうだうだしていて欲しくない。 「……わりぃな、助かるよ」 震える大きな手のひらが、果瑠の頬を包み込む。何度も何度も確かめるように輪郭を辿ったあと、玄太は淡く笑った。そしてそのまま、ゆっくりと動き出す。そこから広がっていく無限の海の中にふたりで溺れていく。激しい喘ぎ、思わず力一杯しがみつくと、玄太も負けずに抱きしめてくれた。 「俺、ずっとこうしたかったんだな……何か馬鹿らしいぜ、今まで何やってたんだ。こんな風に……おめぇと一緒に……っ!」 口惜しかった、悲しかった。だけど、それよりもずっと愛おしいと思った。隙間のない程にお互いの身体を重ね合って、呼吸も吐息も全て分け合って、そうすればもう何も怖くない。低い呻きと共に聞こえる鈴の音。密やかな世界にいざなわれていく。 「大丈夫だよ、……ずっと一緒だ。あんたとあたしは離れやしないよ」
全ての想いが溢れてきた。命を重ね合うことで、湧き出でてくる力。互いが互いの中に溶け合う瞬間まで、繋がり合ったふたつの肢体はひとつの海を漂い続けた。
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