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<< 03.ルーレット 『単発小話』 04.閻魔大王 >> |
◆ 04.年上 記憶の底、僕の特別な場所。そこはいつも水色の風が吹いている。
ヒサギと僕は生まれる前から一緒だった。月に一度の妊婦検診。同じ産院で顔を合わせるうちに母親同士が仲良くなったらしい。二日違いで出産して、どちらも男の子。その後もふたりの交流は続いたから、ヒサギは気付けばいつもそばにいた。 ヒサギは身体が大きくて、力も強かった。同じ頃に生まれたのに、僕とは何もかもが違う。ヒサギには簡単に出来ることが、僕にはとても難しい。 何もかもが、そんな感じ。石蹴りもボール投げもブランコをこぐのも、みんなヒサギには敵わなかった。ヒサギはジャングルジムのてっぺんまでするすると上ってしまうのに、僕は下から二番目の辺りで尻込みしてしまう。早くお出でよと手を振るその場所に、どうしてもたどり着けない。 「劣等感」なんて難しい言葉をまだ知らないころから、僕は本能的にその感覚を知っていた。自分の中の自信が、穴の空いた風船みたいにシューっと音を立ててしぼんでいく。草笛も笹舟も野原の虫取りも、ヒサギは何もかもを大人のお手本みたいに上手くやってのけた。
おそろいの園服を着て幼稚園に入園した頃、僕たちはまるで同学年には見えないほどに差が付いていた。 背の順に並ぶと一番前の僕と、一番後ろのヒサギ。かけっこで一番のヒサギと、ビリっけつの僕。お遊戯会で桃太郎の主役を演じるヒサギと、立ちんぼの木の役の僕。いちいち比べなけりゃ良かったんだと思う、でもそうやって切り捨てることは子供の僕には無理だった。 何でも出来るヒサギはクラスの人気者で、園庭で遊ぶときも色んな友達から誘われた。ヒサギの周りにはいつもたくさんの人がいて、僕は隅っこに追いやられる。それでも、ヒサギは僕のことを忘れなかった。誰かと遊ぶ約束をすれば、必ず僕を呼びに来る。すぐ見える場所にいなければ、出てくるまで名前を呼び続けた。 「何だよ、ソウ。どうして、そんなところにいるんだ」 僕を見つけたヒサギはホッとしたように笑った。サッカーも陣取りも好きじゃなかったけど、ヒサギに誘われれば嫌とは言えない。上手に出来ないのは分かってるのに、失敗して笑われるのは分かってるのに、それでも僕はヒサギと一緒にいた。 「ナイス・キャッチ! やったな、ソウ」 ヒサギは自分がシュートを決めたときよりも、よっぽど嬉しそうに笑った。
小学校に入ると、さらに僕たちの前には大きな壁が立ちはだかった。 足し算も引き算もすらすらと解いてしまうヒサギ、数字が全てアヒルやだるまに見えてしまう僕。一緒に宿題をやっても、僕の方が倍以上時間が掛かった。それでもヒサギは僕が全部終えるまでは、どんなに遅くなってもひとりで遊びに行ったりしない。その代わり、答えを見せてくれることもなかったけど。 「すごいな、ソウ。昨日よりも5分も早く終わったじゃないか。ソウはどんどん出来るようになる、とても努力家だと思うよ」 半泣きになって計算問題を片づけた僕に、ヒサギはそう言ってねぎらってくれた。そんなこと言ったって、ヒサギの方がずっとすごいのに。ヒサギは僕みたいに必死にならなくても、なんでもするすると出来ちゃうのに。それなのに、ヒサギの言葉はどこまでも真っ直ぐで、他の友達みたいに僕を馬鹿にしたりからかったりすることは絶対になかった。 大勢で遊ぶことも多かったけど、僕らの一番好きな遊びは河原で綺麗な石を拾うことだった。 「ソウは、石を探す天才だね」 ヒサギの言葉はいつも心地よかった。他の誰がいなくても、ヒサギがいればそれで良かった。いつまでも一緒にいたい、ヒサギの隣にいるのは僕がいい。だけど、いくらそう願っても、僕はヒサギと並ぶことが出来ない。しぼんでシワシワになった風船は心の中にいくつもいくつも数え切れないほどに詰まっていく。それでも僕はヒサギと一緒にいた。僕はヒサギのことが大好きだった。 ヒサギに誉められたから、僕は石のことが好きになった。色んな名前が知りたくなって、図書館で本を借りて勉強した。僕らが普通「石」と呼んでいるものは様々な鉱物から出来ている。ただの灰色にしか見えない石でも細かく砕いたり薬品に漬けたりすれば、どんな過程で出来上がったのか過去を遡ることが出来るんだ。 必死で調べた内容を披露すると、ヒサギはすごく喜んでくれた。挙げ句に「石博士」なんていう称号までつけてくれる。僕は鼻高々だった。ようやくヒサギに負けない僕になれた、本当にそう思ったんだ。 でも「石博士」な僕を誉めてくれるのはヒサギだけ。他の友達は、ただ馬鹿にするだけだった。 「クリスタルって、石英の一種なんだよ。結晶度が高い石英が水晶と呼ばれていて、古くは玻璃(はり)と呼ばれて珍重されたんだって」 そう言う話をしたところで、クラスのみんなは鼻で笑うだけ。それよりもゲームの攻略方法や隠しアイテムの場所を知っている奴の方がよっぽど偉いみたいだった。 僕はスポーツもあんまり得意じゃなかったけど、ゲームもやっぱり苦手。コントローラーの操作だけでももたついて、対戦ゲームをしてもいつもビリになる。だけど、ヒサギは違った。いつもは僕とばかり遊んでいてゲームなんてほとんどしないのに、初めてのソフトでもちょっとやり方を教わるとその場にいる誰よりも上手になってしまうんだ。
「なんで、お前なんかがヒサギと一緒にいるんだよ」 その頃には、忠告のつもりなのか色々言ってくるお節介な奴らも現れた。 「お前なんて、ヒサギに利用されているだけだろ。単なる引き立て役なんだよ、情けないね。出来の悪いお前といるとますます自分が立派に見えるから、だから一緒にいるだけだよ」 彼らにとっては、深い気持ちもなく思ったまんまを素直に言ったまでだったんだろう。多感な年頃、TVや雑誌で見つけたセリフをまるで自分の言葉のように使いたがるだけ。 ――ヒサギは、どうして僕と一緒にいるんだろう。 それは以前から不思議に思っていることだった。サッカー部の仲間にも児童会のメンバーでも、ヒサギと気の合う相手がいくらでもいるはず。何をやっても時間が掛かる、人の何倍も頑張らないと当たり前のことが出来ない僕なんて、付き合ってるだけでまどろっこしくて仕方ないんじゃないか。 「すごいな、ソウ。この前より、ずっと上手に出来るようになったじゃないか」 ヒサギはいつでも、僕が頑張っていることを分かってくれた。ちょっとでも良くなれば、手放しで誉めてくれた。 僕の前を行くヒサギは、いつでも涼しげな笑顔。時々振り向いて、遠くから手を振る。決して助けてくれることはない、どうしたら上手くなるかコツを教えてくれることはあっても、僕の努力を肩代わりしてくれることはなかった。 何で僕なんだ、僕じゃなくちゃいけないんだ。 もう、限界だった。ヒサギといたら僕は駄目になってしまう。いつのまにかそう思いこんでいた。
夏の暑い日。いつものようにヒサギは、僕を河原へと誘った。昨日まででサッカーの練習も終わったから、久しぶりに石拾いをしようと言う。 だけど、僕は断った。そしたらヒサギはとても驚いた顔になる。 ――なんだよ、白々しい。僕が断ったって、ヒサギには別の友達がいない訳じゃない。もっと対等に、キャッチボールでもゲームでも楽しくできる、そんな奴らと遊べばいいじゃないか。 僕の中のどろどろは熱いマグマになって、その瞬間に口からあふれ出した。 「もう嫌だ、ヒサギなんか大嫌いだ。お前なんか友達でも何でもない、もう僕なんかに構うな」 だけどヒサギは。真っ直ぐな眼差しのまま、表情ひとつ変えなかった。僕がハリネズミみたいに感情をビンビンさせてるのに、そんなの全く関係ないみたいに。しばらくそのまま見つめ合って、それからヒサギはふっと笑った。 「そうなの? だけど、僕はソウが大好きだよ」 それは、僕が最後に聞いたヒサギの言葉だった。
あの日の河原が、今も変わらずに目の前にある。大人になった僕の背よりも、もっと高く伸びた草がさらさらと風になびく向こう。静かなせせらぎが昔通りに迎えてくれた。 ヒサギは僕と一緒に大人にはなれなかった。今でも12歳のまま時間を止めて、僕の記憶に鮮やかに痕を残している。右折してきたダンプトラック、空に舞い上がったヒサギはそのまま天国まで行ってしまった。 僕はポケットを探る。中から出てきたのは丸い石がふたつ。僕の「一番」とヒサギの「一番」、どちらも同じくらい大切な宝物だ。 ヒサギがいなくなって、心の半分がなくなってしまった。だけど、僕にはやらなくちゃならないことがあるから、まだ歩き続けてる。そしていつも、ヒサギが隣にいる気がするんだ。迷ったときや困ったときにはそっと肩を叩いてくれる。 「大丈夫、ソウならきっと出来るから」 あの頃、僕よりずっと大きくて、まるで年上の人みたいだったヒサギ。でもヒサギ自身は、やっぱり苦しんだり辛かったり、色んな気持ちを心に隠して生きてた。 「僕の、一番」 誰かと比べるんじゃない、昨日の自分と今日の自分を比べてちょっとでも良くなってたらそれでいい。そのことを誰よりも信じたかったのはヒサギだったのかも知れない。僕もいっぱいいっぱいだったけど、それはヒサギも同じだった。結局僕たちは、どこまでも似たもの同士だったみたいだ。 この命が終わるとき。僕はヒサギよりもずっと年上のよぼよぼのおじいさんになって、だけど彼に会いに行く。 きっと気付いてくれるよね、そうじゃなくちゃ許さない。ヒサギはいつだって僕の一番大切な友達なんだから。すぐに会いたい気持ちはあるけど、もう少し自慢話を増やしてからにするよ。ヒサギが悔しがる顔するのを見るのが、今から楽しみだな。
伝えたいのは「ごめん」じゃなくて、「ありがとう」。それから、もひとつ「大好きだよ」。 おしまい (060517)
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お題提供◇たっき様 ----------------- 目の前に立ちはだかる存在、大きな劣等感を伴ってそれを見上げる。 男の子同士の友情ってすっごくきれいだなと感激することがあります。 |