◆ 03.ルーレット 「では、本日はここまで。週明けまでにレポートを提出してもらいますから、忘れないように。分かりましたね?」 終業のベルと共に教壇に立った厳めしい顔立ちの先生がそう告げると、広い教室は途端に蜂の巣をつついたような大騒ぎ。もう誰も止めることは出来ません。 何時の世も女性のおしゃべりとはけたたましいものでありますが、ひとつの場所に40人以上女の子たちを閉じこめればその喧噪もひとしおです。皆、この春に高校を卒業したばかり。髪をカールしたりおしろいをはたいたり、お洒落にも余念がありません。 今よりもほんの少し昔のお話です。戦後の混乱はもうその面影もなく、三種の神器と言われる電化製品も各家庭にくまなく普及した頃。明るい音楽が街を彩り、長髪の若者たちがギター片手に青春を謳歌していました。
「ねえねえ、持田さん」 あっちにひとかたまり、こっちにひとかたまり。おしゃべりの輪が広がって、その間をかき分けるだけでも一苦労です。でも、大きな鞄を肩からさげた彼女はどうにかその間をくぐり抜けてやってきました。ショートカットで前髪だけを伸ばし、真ん中で分けてピンで留めています。もとはどこにでもある黒いヘアピンだったらしいのですが、それを自分でカラフルな色に塗り替えたと自慢していました。 その声を受けて、教室の一番端っこの席にいたひとりが振り返ります。 「この前の話、考えてくれた? もう大変なの、顔を合わせるたびに兄貴にせっつかれちゃって。時間も場所も全部任せるって言ってるけど、いい返事聞かせてもらえないかなあ〜?」 本当に困っちゃうのよ、と苦笑い。でも、視線の先のもうひとりはきょとんとしたままです。 「ええと、……この前の? ごめんなさい、一体何だったかしら……?」 このセリフだけでは、よく分からないかも知れません。何と言って説明すればいいでしょう。とにかくぼんやりとふわふわと、シャボン玉が飛んでいくようなそんな雰囲気だと考えてもらえればいいと思います。 しかし、不思議なのはこの受け答えだけには留まりません。彼女はふわふわのカールした茶色の髪を長く伸ばして、さらに頭のてっぺんに大きなリボンを結んでいます。それだけで腰が抜けるほどの少女趣味ですが、さらに続きがあるのです。 「ああっ、もう! これだから、困るのよっ! あんたねー、人の話をきちんと聞きなさいよ。ウチの兄貴の話よっ、この前すれ違ったって言ったでしょう……!」 ぼんやりのほほんとした友人を持つと、何かとストレスが溜まります。若い身空でありながら、ショートカットの彼女の眉間にはくっきりとしたしわが寄っていました。かなり辛抱強い性格のように見受けられますが、爆発するのも時間の問題でしょう。 「あ……ああ、そういえば。ごめんなさい、すぐには思い出せなかったわ」 にこにこと笑顔で答える彼女には「申し訳ない」という気持ちは微塵もないように見えます。でも、彼女はいつも世話を焼いてくれるこの友人がとてもいい人だと言うことはきちんと分かっていました。 「頼むわよ〜っ、お願いだからしっかりして! ね、じゃあいいでしょ? 今日はこれから暇かな、じゃなかったら明日はどう?」 食らいついたら離さないと言わんばかりに、次々に質問が飛んできます。けれど、やはり彼女はぼーっとしたまま。かわいそうなくらい真剣な友人を大きな目で見つめていました。 「でも、お目に掛かって何をお話すればいいか分からないわ。だって、学校のことならばあなたが直接お話すればいいでしょう? その方が、よほどきっちりと伝わるはずよ」 最初に「持田さん」と話しかけられた彼女は、うーんと小首をかしげてそう言いました。 話の始まりはこうです。先日、この友人と街を歩いていたときに向こうから彼女のお兄さんだという人がやってきました。そのときはちょっと挨拶をするだけで終わったのですが、彼がもう一度会いたいと言ってるのだそうです。一体どういうことなのか分かりませんが、そう言う話です。 こういうことは、以前から何度かありました。 「またー、そんな風に言って逃げようとするんだから。あのね、持田さんに意中の彼がいないことは、もう分かってるの。あなた、お休みの日も朝から晩までミシンを踏んでいるでしょう? いつまでもそんな風にしてたって、いいことないわ。ウチの兄貴はいい奴だよ、きっとあんたも気に入るから」 まあ、確かにその言葉も正しいかなと思います。 「うーん、でもねえ……」 やはりあまり気が進みません。一番の原因は、成人している男性とお茶をするということが、今作っているドレスを仕上げることよりも楽しいとは思えないという点にあります。素敵な恋がしたい、運命の相手に巡り会いたい――そう言って頬を染めるクラスメイトは多いですが、彼女はそう言う話題を耳にしても何となくピンと来ませんでした。 「あーもうっ、分かった分かった!」 このまま堂々巡りを続けていても埒があかないと悟ったのでしょう。友人はそこで話をぴしゃりと切りました。 「明日の放課後、時間を決めて兄貴と落ち合うようにするから。待ち合わせ場所までは私も付いていく、それでいいわね!」 こちらがいいとも悪いとも言わないうちに、彼女はぷりぷりしながら行ってしまいました。
――う〜ん、困ったなあ……。 ひとりに戻ってしまった彼女は、仕方なく帰り支度を始めました。だけど、頭の中では強引に決められてしまった約束のことがぐるぐると回っています。友達の言ったように、あまり深く考えない方がいいのでしょうか。相手が会いたいと言ったなら、それに従うのが女性というものなのかなともちょっと思います。 男性というものが、よく分からないというのも一因です。高校は女子校でしたし、中学も共学ではありましたがクラスは男女で別々でした。時々紹介されて出会う人たちは皆にこにこして優しそうですが、だからといって「ときめき」みたいなものはありません。こちらとしても相手に合わせようと頑張るのですが、それでも最後には怒らせてしまいます。難しいなと思っていました。 だけど……、理由もなく断ったりしたら良くないわ。お目に掛かるだけでいいのなら、ここは大人しく従うべきなのかしら。 そうするべきだと思ったり、やっぱりやめようと思ったり。なかなか考えがまとまることはありません。上手くいかないと言うことは、やはり原因があるからなのでしょう。「ちょっと変わってる」と言われることの多い自分ですから、その部分を直せば今度は上手くいくのかも知れません。
「もっとすっきりと、大人っぽい格好をしたらいいのに。いつまでも少女趣味じゃ良くないよ」 何人めかの男性がそんな風に言ったことがあります。その言葉を聞いたときに彼女はとても悲しい気分になりました。音楽のことや映画のこと、彼の好きな話をきちんと聞いたのに。それなのに、今度はこんな風に言われるのです。 「せっかく美人なんだから、もっと自分にあった服を着た方がいいよ。その方がずっとイカすし」 そんな風に決めつけられるのも嫌だなと思いました。そりゃ、流行のファッションくらい知ってます。身体にぴったりとくっつく上着にミニスカート。とても素敵だなとは思いましたが、自分で身につけたいとは思えません。
――周りに合わせていかないと、どうしてもはみ出てしまうわ。 このままじゃ駄目なのかな、もう少し変わらなくてはならないのかな。素敵なふわふわのドレスが上手に作れるようになりたくて選んだ学校なのに、こんな風に最初から躓いてしまっていいのかしら……? そう思って見上げる空は、すっきりと晴れ渡っていてもどこか滲んで見えます。何か、だんだん面倒になってきました。自分ではどうしたらいいのか分かりません。だから、どこかにぽとんと落ちていかないものでしょうか。赤に転んでも黒に転んでも、それはそれでいいのです。この先は、神様に運を任せてみたくなります。
モンシロチョウが飛び交うキャベツ畑の中を通る細道。知らないうちに足下がおろそかになっている彼女が運命の出逢いをするのは、もうすぐです。 おしまい (060515)
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お題提供◇ゆあ様(サイト・ゆあのはっぴーしぐなる) ----------------- リクエストが「ふわふわ・りん」のみらのさんを……とのことでしたので頑張ってみました。 |