◆ 14.テロリスト
公園の入り口、車止めのところからわざとらしく小走りにやって来た奴は、どこまでも爽やかな笑顔で私の前に立った。グリーンの大柄チェックのシャツの下は、ドクロ模様のTシャツ。私はよく分からないんだけど、かなりのレア・アイテムなんだとか自慢してた。店頭販売オンリーだったから、始発で行って並んだとか。あちこちがすり切れた古着っぽいジーンズ。憎たらしいほど、細くて長い脚。 「別に、構わないわよ」 そう答えながら、私はようやく耳からイヤホンを外す。心地よい夏のサウンドにうっとりしていたのに、いきなり現実に引き戻されて嫌な感じ。スイッチを切ると同時に時計を確認する。ああ30分遅れね、いつものことだけどこの扱いにはかなりむかつく。 「呼び出したのは私の方なんだし。悪かったわね、突然で」 最初はちゃんと噴水の前にいたのよ。駅前のここは、待ち合わせ場所としてもっとも最適なスポット。指定した時間は11時だったけど、余裕を見て20分前には到着してた。うん、……だから正確には50分も待ちぼうけを食らったことになる。炎天下に立っているのは15分が限界で、それからは少し脇の木陰に移った。 「いや、そんなことないけど……」 さすがに暑いなあって、長めの前髪をかき上げる。馬鹿だよね、お洒落なつもりなんだかどうだか知らないけどそんなヤマンバみたいな頭して。明るい色に染めてあるから見た目はそんなに暑苦しくないわ。けどさ、真夏くらいもうちょっとすっきりさせてもいいのになと思っちゃう。丸坊主とまでは言わない、せめて襟足をすっきりと刈り上げるとか。 「どうした? しばらく放っておいたから、さすがに恋しくなったか」 それ寄こせよって、言い終わる前に私の手から奪い取るミネラルウォーターのボトル。水色のキャップを回して、おいしそうに一気に飲み干す。あー、まだ半分以上残ってたのに。どうしてこうも遠慮というものがないのかしら。 「そんなはず、あるわけないでしょ?」 こちらにチラチラと視線を送って、楽しんでるみたいな態度が気に入らない。どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、イライラするのも嫌になった。 「ふうん?」 空っぽになったペットボトルを名残惜しそうに額に押しつけて、またこちらに振り返る。 「俺、またいきなりアユがこんな風に呼び出すから、告白でもされるのかと思った。実はかなり身構えていたんだけどな、ちょっと脱力?」 首をすくめてくすっと笑った表情が、次の瞬間にふっと真顔に戻る。そりゃそうでしょ、私が思いっきり睨み付けたんだもの。これでも小学校の頃は空手習ってたんだからね、ガンつけたらかなり怖いって評判だったんだから。 「別に、たいしたことじゃないわよ」 本当は電話だってメールだって良かった。どうしてわざわざ面と向かって言ってやろうと思ったのか、自分でもよく分からない。 大きく息を吸って、吐いて。私は奴の顔が真っ直ぐ正面に見えるように、少し自分の立ち位置を変えた。 「あのね、私好きな人が出来たの。だから、もうあんたとこういう風にするのやめたいんだ。別に構わないよね?」 これまた憎ったらしいほどに綺麗な二重まぶた。長い前髪に半分隠れても少しも存在感を失わない瞳が大きく見開かれたのを、振り返りざまに視線の端っこで一瞬だけ確認した。
「へええ、そんな風に突っぱねちゃったの? それって、もったいなくないかなあ。次が完全に決まるまでキープで残しておけば良かったのに、アユってやることが突然だよね」 バイト仲間のエミは、そう言いつつも「んじゃ、遠慮なく」って右手を差し出した。中学時代にテニスコートの姫だったという彼女は、一年中こんがりとキツネ色。ガンガンに焼き続けたから、今でも現役みたいに見える。二の腕が見事に二色に色分けされていて、丁度コスチュームの袖からはみ出ちゃうから嫌なんだって。 「うん、思い立ったが吉日なの。だから、遠慮しないで。もうこんなのいらないから」 何気なくハガキを出したら当たってしまった、某テーマパークの一日フリーなパスポート。夏休みいっぱいの期限付きだけど、譲ってあげると言ったらすごく感謝された。多分、これを見せたら奴も同じくらい喜んだかな。始発で行って開園と同時に目当てのアトラクションに走ろうとか言い出しそうだ。 「そう、じゃあ遠慮なく。お土産は期待しててね、思い切り奮発しちゃうから!」 帰り支度を終えた彼女は、どきっとするくらい胸のラインが強調されるトップス。これからデートなんだと言っていたけど、はっきり言って挑発しすぎ。つきあい始めたばかりだという彼氏も目のやり場に困っちゃうよ。まあ、それくらいオープンな感じがエミらしいかな? 見た目もリス系でとっても可愛いけど、性格だってそれとぴったりだもの。 だからエミに、初めて奴とのツーショットを見られたあとは大変だった。これでもかこれでもかとの質問攻め、あんたは芸能レポーターですかと突っ込みたくなったわ。 「違うのよ、私は単なるダミーなの。そういう風に、お互い割り切ってるんだから」 学校の仲間には絶対秘密だったのに、出会って半月のエミには自分でもびっくりするくらいあっけなく白状していた。何というかね、やっぱ良心の呵責って奴?
あいつ――ええと、名前は秀介って言うんだけど。奴とは去年の春に初めて出会った、進学した高校でね。 ウチの学校は6月に文化祭があったりするんだけど、入学早々くじ引きでそれの実行委員に当たってしまったの。秀介とは違うクラスだったけど、そこで顔を合わせることになったのね。私らは一年生で下っ端だったから、ほとんど雑用ばっかり。買い出しに行かされたり、延々と印刷室に籠もったり。他のメンバーが部活で忙しかったこともあって、何となくふたりでつるんでる時間が長くなった。 それって、何だかいい感じじゃないって? いやいや、冗談言わないで。最初から、秀介に対しては最悪の印象しか持ってなかったの。だってさ、奴ってやたらと女子に声を掛けられるのだよ。もうね、同級生だろうと年上だろうと構ったもんじゃない。まあ、それだけのルックスだから仕方ないけど。それで委員の仕事に支障が出るほどじゃあ困るのよね。 「アユなんかに俺の気持ちが分かるかよ、全くかったるいってばないよな」 女の子を取っ替え引っ替えして楽しむような器用さが、奴にはなかった。それどころか色々とつきまとわれると、男友達と遊べなくなるから困るという。中学までは言われるがままに数人と付き合ったりしたけど、本当に面倒くさいばかりだったとぼやいていた。一度は親友が心を寄せていた女子から告られてしまい、男の友情に大きく亀裂が入ってしまったこともあるという。 「ふうん、難しいんだね」 別に同情してあげる義理もなかったんだけど、素直に愚痴る奴がちょっと可愛いかなとか思った。どこがどうとはいえないけど、とにかく全体的に整った顔立ち。しかもすらりと長身でただそこにいるだけで思わず振り向いてしまうほどの存在だ。何となく「売れっ子アイドル」の心中を盗み見てしまったみたいな、そんな心地よさがあったんだと思う。 でもさ、そうは言ってもいきなりの申し出には驚いたよ。 「俺と付き合わない?」 「何をご冗談を」って突っ込んだら、奴の方も「もちろん、冗談だけどさ」って言い切るの。ただ、冗談なのはふたりの間だけで、周りのみんなには気付かれないようにして欲しいって頼まれたのね。すぐに断るつもりだったのに、それが上手くいかなくて。結局、私たちは期限付きの恋人同士になることになった。 奴はいつでもバイトや男友達とのスケジュールを優先する。それでもどこかに空きの時間が出来たときだけ、思い出したように私を呼び出すんだ。私の存在が公になった途端に、今まであちこちで待ち伏せされたり呼び出されたりと言うのが全くなくなってたのは事実。以前の経験から、奴もそれを承知していたみたい。とても満足そうだったもの。 一方私の方と言えは、中途半端な境遇を意外なほどに楽しんでしまってた。彼女って言ったって、特別なことがあるわけじゃない。秀介にとって私は、気の置けない男友達と同じポジションで付き合える存在でしかなかった。 だから、……この関係がずっと続いていけばいいかなとか思ってたのね。そう思っていたはずだったのにね、どうして自分から壊しちゃったんだろう。
――どちらかに、本物の恋人が出来るまで。 ふたりの関係が終わるためには、たったひとつの条件をクリアすれば良かった。互いにフリーだから、面倒なことを回避するために関係を続けているだけ。もしも彼にとっての「本物」が現れれば、私の役割はいらなくなるんだ。もちろん逆のパターンもあり得る。 「先輩っ、お久しぶりですっ! 私、先輩と一緒にいたくてここの高校を選んだんです……!」 サクラちゃんという可愛い女の子だった。私たちよりも、ひとつ年下で今年の新入生。彼女は自分から立候補して文化祭実行委員に加わり、奴に対して積極的にアプローチをかけてきた。そう、もう……周囲の誰もが驚いて思わず後ずさりをしてしまうほどに。 「ごめん、申し訳ないけど。俺、ちゃんと彼女いるから」 人目をはばかることなくまとわりついてくる彼女に対して、秀介はきっぱりとそう言いきってくれた。そのとき、私は今までになく嬉しい気持ちになったのを覚えてる。だけど、次の瞬間にひとときの幸せは打ち砕かれる。 「何よ、彼女彼女って。今はアユさんが先輩にとって一番大切な人かも知れません、でもこの先どうなるかは分からないでしょ? 私の先輩に対する気持ちは誰にも負けないもの、いくら彼女がいる人だって本当に好きだったら諦めきれないんですよ?」 さらに都合の悪いことに、ニュー・フェイスのサクラちゃんは彼にお似合いのキュートな女の子だった。もしも100人の人にアンケートしたとしたら、絶対に奴とツーショットするなら彼女の方がいいと軍配が上がるだろう。その場に私がいようといまいと、彼女のアプローチは変わらない。動向を興味深く見守っている周囲の視線も次第に疎ましくなってきた。 「サクラちゃんの方が良くなったんじゃないの? 別に、私に遠慮することなんてないんだよ」 そんなことないって何度否定されても、ふたりきりの時にはそんな会話ばかりが増えていた。気楽に付き合えた心地よいふたりだったのに、たったひとりの女の子の出現で全てが崩れ去っていく。 「何、イライラしてんだよ? 俺、アユとこんな風に言い争うために時間を空けたんじゃないんだぞ」 私の気持ちが伝わったかのように、秀介もだんだんピリピリとした感じになってきた。あまり会わない方がいい、私がそう思ったときに奴も同じに考えていたみたい。期末テストが終わった後に休む暇もないくらいお互いにスケジュールを入れて、バイトのシフトも上司から「もうこれ以上は入れられないよ」と注意されるほどになった。 ――いつか、壊れてしまうんだ。そうに決まってる。 普通に始まったふたりじゃなかった。友達の話を聞いていると、「付き合っている」という関係はもっともっとお互いにべったりになるものらしい。年中メールしたり、それでも追いつかなくなってついつい電話してしまったり。ちょっとでも時間が空けば、早朝だろうと深夜だろうと会いたくて会いたくてたまらなくなるものだとか。 「アユは余裕だよねーっ」 そう言われるたびに、ずきりと胸が痛んだ。そんなはずない、私だって不安でたまらない。いつ、秀介の方から「これきりにしよう」って言われるかとそればかりを考えてる。ひと月に一度か二度だけしかふたりの時間を持てない恋人なんて、そんなの間違ってる。いくら人前では仲良さそうに見えても、本当はそんなじゃないし。 秀介は別に私じゃなくたっていいんだから、あのとき側にいたから何となく声をかけてきただけなんだから。面倒なことを振り払うために、仕方なく私との時間を作る。本当に……ただそれだけ。 「いいよねえ、秀介カッコイイし。一緒に歩くなら、やっぱ顔かなあ……」 確かにそれはあったと思う。奴と街を歩けば、すれ違う人がみんな振り向いていく。隣りを歩く私は他人目に見れば確かに「彼女」。誰が何と言おうと、彼にとって一番身近な存在なんだから。 だけど、いつかそれも終わる。 この偽りの関係がなくなれば、もう奴の心の中にはひとかけらの私も残らない。一緒に笑ったり、どきどきわくわくを探したり、ふたりで過ごした確かな時間すら全て消し去られていくんだ。 怖かった、……怖くて仕方なかった。
だから決めたんだ、自分から降りるんだって。 そうすれば少しは傷が少なくて済む。だいたい、……何で私がこんな風にならなくちゃいけないの? おかしいよ、絶対におかしいよ。最初からなんでもなかったふたりが、やっぱりなんでもないまま終わるだけなんだよ? 投げつけた言葉と一緒に、全てなくなるはずだった。そして、私は奴と会う前の自分に戻って、今度はちゃんと私のことを本物の「彼女」にしてくれる人を見つけるんだから。
エミが一足先にいなくなって、人気の消えたロッカールーム。もう何も残ってないはずなのに、頬から顎へとひとすじの雫が伝った。 続? (060704)
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お題提供◇ももこ様 |