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15.となりにいるから
※この作品はひとつ前の『14.テロリスト』からの続きなります

 

 真夜中。何かに追われるように目が覚めることが多くなった。

 シーツまでがしっとりと濡れるほどにかいていた寝汗。静寂の中を満たしていた青い月明かり。

 枕元の目覚ましが鳴り出すまで、まだ数時間の猶予がある。そうは分かっていても、一度目覚めてしまった脳は再び休息することを執拗に拒むのだ。何か悪い夢でも見ていたのか、一瞬前の自分のことも思い出すことが出来ない。仕方なくぼんやりとした意識のままベッドの上に起きあがり、背中を壁にもたれ掛けさせた。

 ―― 一体、何が原因だと言うのだろう……?

 行き場のない苛立ちが、胸奥にひたひたと満ちてくる。それはここしばらく、日を重ねるほどに濃く深くなっていく感情だった。何かが狂い始めている、こんなはずではなかったのに。自分の中で何度も何度も押し問答し続け、未だに答えが見つからない。

 ―― もう、全てを投げてしまおうか。

 それは出来ない、とすぐに思い直す。駄目だ、どうして諦めることなど出来るだろう。何のためにここまで頑張ってきたのか。今までの全てを無駄にすることなど出来るはずはない。それに……全てを失った自分がどうなってしまうか、それも恐ろしくて仕方ない。

 ならば自分から一歩踏み出せばいいのか。いや、それも得策ではない。伝えることが出来ない想い、ただいたずらに過ぎていく時間。徐々に白んでいく東の空が、俺の心の中に新しいシミを作った。

 

 どこかが違うと思った。それが出逢いの瞬間の素直な感想。

 彼女は俺が今まで認識していた「女」という生き物への観念を大きく覆してくれた。初めはあまりにもさらりとしていることに驚く。どちらかというと野郎どもと接している感じに似ていると思った。小気味のいい言葉のやりとりがぽんぽんと進んでいく。いつの間にか彼女との時間がかけがえのないものになっていった。

「なーにダレてんのよ、そんなにのんびりしてると日が暮れちゃうでしょ? さ、早いとこ片づけちゃお」

 入学早々、気が付いたら「文化祭実行委員」なんてかったるい肩書きを背負わされていた。ようするにただの雑用係、とにかく忙しい上に感謝されるどころか「仕事が遅い」とせっつかれてばかりいる。こんなことを続けていたって、腹が立つばかりだと思った。役員決めの時にクラスの奴らがなんだかんだと理由を付けて辞退していたのも分かる気がする。
  他の役員の態度も似たり寄ったり。時間が限られているというのに集まりも悪く、このままじゃ無事に当日を迎えられるのかどうかも危ないと思った。だが、そうなったところで俺の知ったことか。二年や三年の先輩がしっかりしていないのを、俺たち一年が穴埋めする義理がどこにあるのだろう。

 しかし、彼女はそんな淀みきった空気の中でひとりだけ違う光を放っていた。とにかく底抜けに明るい、教室に彼女が入ってきただけでその場の雰囲気ががらりと変わるのだ。それまでだらだらと怠けていた上級生も、彼女を見るなり姿勢を正す。

「ほら、今日はパンフレットに載せる広告を頼みに行かなくちゃ。もうリストは出来てる? だったら、早いとこ終わらせちゃおう。そのあと、版下だってこっちで考えなくちゃならないんでしょ?」

 帰宅部だった俺は、一年の役員の中では出席率の良かった方だったと思う。学年ごとに仕事が割り振られていて、下っ端のやることと来たら面倒なものや手間の掛かるものばかりだ。しかもやったことがないことだらけだから勝手が分からない。
  文化祭のパンフの後ろに載せられている広告、これがかなりの収入源になることも初めて知った。ようするに「カンパ」を募るようなものだと思う。正直、あんなところに小さな宣伝を入れたとしても、効果は期待できないだろう。それが分かっていながら、商店街を一軒一軒飛び込みでお願いに回る。門前払いをされる店、あれやこれやと御託を並べまくる店、「出してやるよ」とばかりに上からものを言う店。

 正直、何度もキレかけた。何だこいつら、いつも買い物に来ているときとは全然態度が違うじゃないか。一体どっちが本当の顔なんだ、はっきりしろってんだ。

 しかしどうにか最後まで任された仕事をこなすことが出来たのは、いつも隣りに彼女がいたからだと思う。何軒も店を回るうちにだんだんムッツリとして無口になっていく俺の傍らで、彼女は明るくハキハキと話を進めていた。どんなにひどいことを言われようが、最後まできちんと話を聞く。その態度が幸いして取れた広告もあったはずだ。

「別にあんな下手に出ることないだろ? いいじゃん、駄目なら駄目でさっさと話を切り上げれば。わざわざ嫌な想いをして、何の得があるんだよ」

 とうとう思いあまってそんな風に言ってしまった。だが、彼女は俺の言葉が理解できないと言うように不思議そうな表情になる。

「損得なんて考えてどうするのよ、馬鹿みたい。向こうだってこっちだって同じくらい真剣なんだから、衝突するのだって当たり前だよ。考えてもご覧よ、五千円の広告代を稼ぐのがどんなに大変か。ひとつの品物を売ったって、利益なんて微々たるものだよ。そう考えたら、お店の人の言うことももっともでしょ?」

 そう言いつつも、財布を忘れてきた俺に缶ジュースをおごってくれたりする。「さあ、もうひと頑張りしちゃおう」と言われると、それだけで元気になれそうな気がした。

 彼女の仕事に対する前向きさに感化されていたのは、何も俺ばかりじゃない。上級生の先輩たちとも彼女はあっという間にうち解けていた。それはいいのだが、またさらに余計な仕事を回されたりする。それでも愚痴もこぼさず、最後までやり続けていた。

「……また来てるみたいだよ、さっさと話を付けてきてよ。あんな風に教室の前をうろうろされてたら皆の気が散るでしょう?」

 廊下を行ったり来たりしながら、教室の中の様子を見ている女子たち。「またか」と呆れた表情で促された。

 彼女の言葉には裏表がなかったし、感情をそのまま伝えてくれた。それまで俺の周りにいた女どもは何かにつけて色目を使ったり媚びを売ったりして自分を良く見せようとしていたのに。そういうかったるさが全くなかった。

「女なんて面倒くさいだけだよ、面白くも何ともない。ただひたすらにウザいだけ」

 だからこっちも包み隠さずに本当の気持ちが言えた。今までずっと心の中に降り積もっていた想い、だけど素直に言葉にすることなんて出来るはずがないだろう。いつもつるんでいる仲間たちだって、「何だ、そんなことを言って」とか表面上は反応してくれるだろうが、腹の内ではどうか分からない。
「お前は女に不自由しなくていいな」とか言われたら、曖昧に流すくらいが丁度いいのだ。うっかりと本音を口にしたりしたら「アイツいい気になりやがって」とか裏で言われてしまう。そう言う駆け引きも面倒くさいばかりだった。

 何で女が寄ってくるのか、正直不思議で仕方なかった。それこそ偉そうとかいわれそうだが、本音なのだから仕方ない。ルックスがどうとか言われても、こっちは特に意識したこともないのに。俺を明らかに意識して目を輝かせたり頬を染めたり、そういうのも何だかなーと思っていた。

「へえ、そうなんだ。あとからあとから彼女候補が現れるんだもの、選びたい放題で贅沢だなと思ってたのに」

 その悪びれもしない受け答えには、少しムカついた。こっちの気も知らないで、よくそんなことが言えるもんだと思う。

 彼女はさばさばした性格で、男女問わず声を掛けられることが多い。委員会の先輩だけに留まらず、全く縁がないと思われる運動部の先輩からも親しげに話しかけられることがあった。通り過ぎたあとに「今の誰?」とか訊ねると「中学の時の先輩」という返答が戻ってきたりする。ああそうかと納得すればいいのに、何故だかひどく面白くないと思った。

 一緒にいられる時間は、一日のうちでも放課後のたった数時間。しかも文化祭が終われば、クラスの違う俺たちはほとんど接点がなくなる。それなのに、貴重な時間に水を差してくる女どもは腹立たしいばかりだ。
  あいつらの欲求は分かっている。俺を「彼氏」というポジションに据えて、連れ回したいだけ。今までの奴らだってみんなそうだった。所有物のように扱われて、面倒くさいことだらけ。「私のことを一番に考えて!」なんて、決めつけられても同意できない。
  勝手な思惑で振り回されてはたまらない、俺はそんなに暇でもボランティア精神に富んでもいないのだ。女の尻を追いかけて機嫌を取るなんて、まっぴら御免である。

「アユなんかに俺の気持ちが分かるかよ、全くかったるいってばないよな」

 心の中の苛立ちをそのままぶつけてしまったのに、彼女はどこまでも柔らかく受け止めてくれた。校正用の赤鉛筆をくるくると回しつつ、じっとこちらを見つめてくる。黒目がちで綺麗な瞳だなと思っていた。

「ふうん、難しいんだね」

 ごめん、よく分からないけど。とにかく頑張ってね、とか。途切れ途切れの言葉で付け足す。自分に出来る範囲で、どうにかして勇気づけようとしてくれる。そんな気持ちが嬉しかった。そして、そんな気持ちがいつか変換して違うかたちになっていく。

 ―― この関係を終わらせたくない。

 自分でも馬鹿馬鹿しい限りだと思った。だが、彼女が他の奴と話をしていると、それが同級生だろうが先輩だろうが、はたまた先生であろうが面白くない。相手の奴が彼女に特別な気持ちを持っていて、関心を引きたいと躍起になっているように見えてくるのだ。それだけは許せないと思う、彼女は俺の隣りにいて欲しい。他の奴のものになってしまったら、それが叶わなくなるじゃないか。

 だが気持ちは固まったものの、具体的にどうしたらいいのか分からない。手っ取り早く告ってやろうかとも思ったが、それは俺の希望とはかなり違うものに思われた。
  彼女とは今のままの関係を維持したい、下手に恋愛感情を盛り込んだら途端に上手くいかなくなるかも知れないじゃないか。それに、彼女が俺を受け入れてくれるかそれも疑問だ。すでに女にだらしない奴だと思われている可能性もある。

 これ以上関係を悪化させるわけにはいかない、居心地のいいぬるま湯状態を少しでも長引かせたい。そのためには、どうするのが得策だろう。

 

「俺と付き合わない?」

 そう切り出したあとの、彼女の驚いた顔。全く真に受ける様子もなくすぐに「何をご冗談を」と切り返してきた。だからすぐに「もちろん、冗談だけどさ」と投げ返す。頭の中ではいかにしてこの状況を上手く切り抜けるかそればかりを考えていた。

「今のままだと、面倒なばかりでさ。下手に女と付き合って野郎どもと遊ぶ暇がなくなるのもかったるいし、どうにか上手くやりたいんだ。そのためにはアユの協力が必要なんだよね」

 馬鹿言うんじゃないわよ、と突っぱねられることも覚悟した。でも、こちらの言い分があまりに突飛だったせいだろうか。彼女は異を唱えるきっかけをすっかり失っていた。俺としてはこれ以上の幸いはないだろう。うるさい女どもを追い払い、ついでに彼女に群がる悪い虫も遠ざけることが出来る。何もかもが上手くいくじゃないか。

 表面上は恋人同士、でもその実ふたりには何ら今までと変わったところはない。それでも俺は満足だった。何という充実感。彼女を自分の所有物のように周囲に知らしめることがこんなに心地いいものだとは知らなかった。
  6月の文化祭が終わっても、ふたりの関係は当たり前のように続いていく。たまに誘い合って一緒に下校したり、休日にふたりきりで出掛けたり。初めての私服姿を見たときは、自分でも信じられないくらい興奮した。ありきたりないい方になってしまうが、ファッション誌から飛び出してきたような流行の服。細身のパンツで脚のラインが綺麗に出て、たまらなくぞくぞくした。

 何というか、……その瞬間に彼女の中に「女」を発見したのかも知れない。しかしそれは今まで俺が軽蔑していた生き物とは全く異なり、他に代え難いただひとつの大切な存在。これはどうしても関係を維持できるように頑張らなくてはならないと思った。

 すでに女の扱いは熟知しているつもりだった。どんな風に段取りをして進めていけば思い通りになるのか、今までの経験で承知している。だから今回もその通りにすれば大丈夫だと。

 それなのに、彼女を前にすると今までの数多くの「予習」が全く役に立たない。肩に手を回して抱き寄せることはおろか、手を繋ぐことすら躊躇してしまう自分がいた。なんだこれ、中学生だってこんなじゃないぞ。何をひるんでいるんだ、いつも通りに行けばいい。きっと上手くいくはずだ。

 頭では分かっている、何度も何度も繰り返しシミュレーションした。身体が勝手に動くくらい、分かり切っている。……なのに、駄目だ。現実が目の前になると、自分が心底情けなくなるほど臆病になってしまう。

 ―― 嫌われたら、あとがない。

 彼女を失いたくなかった、その自分の弱さが何もかもを上手く出来なくする。俺だけに向けられる笑顔、俺だけに伝えられる言葉たち。それが途絶えることを考えたら、恐ろしくて仕方ない。

 表面上はさりげない自分を装っていた。彼女は偽装の恋人をどこまでも上手に演じてくれている。向こうから一向に誘いがないことが気がかりであったが、始まり方が普通じゃないから仕方ないだろう。大丈夫だ、まだ大丈夫だ。このまま、俺が自分を見失わなければ、いつかきっと上手くいく。

 何度自分に言い聞かせただろう。気持ちが揺らぎそうになるたびに、繰り返し念じて己を奮い立たせていた。それでも、……やはり不安は心の裏側から静かに浸食を続けていたのだろう。彼女を失うことが怖くて初めの一歩を踏み出すことが出来ない俺。だけど、待っていて欲しい。もう少し、もう少し経てば、きっと勇気が出るはずだから。

 

 結局、その後は一睡もすることなく朝を迎える。ようやく街が動き出すその時間に、俺の携帯がけたたましく鳴り出した。

 

「あのね、私好きな人が出来たの」

 耳鳴りのように繰り返し心を打ち付ける言葉。最初は神妙に切り出した彼女の発した音を、全く聞き取ることが出来なかった。

「だから、もうあんたとこういう風にするのやめたいんだ。別に構わないよね?」

 理路整然と並んだ言葉たち。それをようやく飲み込んだあと、ハッと我に返ると彼女はもういなくなってた。そう言えば、今日もバイトが入っていると聞いていた気がする。

 ―― そうか、……そうだったのか。

 ここしばらくの、彼女の苛立ちの理由。それを意識的に避けていたのは、真実を聞くのが怖かったからだ。今朝の寝覚めの悪さが炎天下の下で蘇る。視界がぐらりと歪む、だが俺はかろうじてそこに立ち続けていた。

 

「えと……、あの?」

 裏口から出てきたのは、彼女のバイト仲間だった。たしか「エミ」とか言ったような。彼女の口からその名前を何度か聞いている。上がりの時間まできちんと熟知していた自分が情けない。ここまで何もかも彼女に囚われていたのに、自分からはどうすることも出来ないでいたなんて。

「すみません、あの……アユはまだ中にいる? 呼んでもらいたいんだけど」

 大通りに面したファミレス。オレンジ色の制服を着ていつも通りに彼女が働いていたのは分かってる。この数時間、中にはいることも出来ないままずっとここから見守っていた。だから、彼女がまだ中にいることも分かってる。

「わ、分かりました! 少々お待ちください……!」

 閉じ掛けたドアに再び飛び込んでいった小さな背中を見送ったあと、俺は静かに目を閉じる。降り注ぐ蝉時雨、ありふれた真夏の輝きが今の俺には眩しすぎた。

もうひとつ、続? (060711)

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お題提供◇hitomi様
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視点替えをしてみました。彼女が思っていたよりもさらに不器用くんな彼です。
ところで「エミ」って、某所に出てきたエミちゃんの高校時代なのかなあとちょっと思ったり。
母校は進学先(または就職先)が決まるまではバイト禁止だったのですが、今はどうなのかなあ……。
そして、多分。もうひとつ、続きます。