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◆ 16.Lullaby
「どうしたのよ、話はもう済んだはずでしょ?」 ほの暗いロッカールームから、真夏の日差しの中へ。急な場面転換に軽い目眩を覚えて、それでもかろうじてもちこたえる。こみ上げてくる吐き気にも似た感情をどうにか抑えたまま、私はただひとことを吐き捨てた。 「言いたいことあるんなら、さっさと言ってよ。こっちだって忙しいんだから、暇取らせないで」 息苦しさを悟られないように平静を装えば、さらにつっけんどんな口調になってしまう。もともとコイツの前では体裁なんて気にしてなかった。最初から「女」として見られてないんだから、妙に気取ったりしたら鼻で笑われるくらいのもの。そんな情けない自分にはなりたくなかった。 従業員用の出入り口。裏通りに面したドアを開けると、すぐに街路樹が並んでいる歩道に出る。ここを使うのは店の従業員だと誰もが分かるから仕事が上がったあとも気を抜かないようにと、一番最初の日に店長から言われた。 「少し、……歩かないか?」 ようやく顔を上げた私と視線がぶつかった瞬間に、顎で促す。私たちの脇を背広を腕に抱えたサラリーマンが邪魔そうに通り過ぎていった。 「そりゃ、駅まではどっちにせよ歩くわよ。だけど、あんたと一緒に歩く義理はないわ」
ドアの陰で出るに出られず途方に暮れているエミがいることは分かっていた。 彼女が部屋に戻ってきたときは本当に驚いたもの。慌てて拭った頬を見られていないといいんだけど。一応私の方がひとつ年上だしね、何というか弱いところは隠しておきたいと思っちゃう。 「……あのう、アユ。お、お客さんが来てるんだけど……」 そのうわずった声で、ドアの向こうにいるのが誰なのかだいたい察しが付いた。それなのにのこのこ出てきちゃうんだから、私も懲りない奴だわ。もうさっぱり終わったんだと言い切っちゃったんだもの、ここはさらりとかわしたい。
「待てよ」 ひょろ長い電信柱みたいな男を避けるように迂回して歩き出せば、すぐにもうひとつの足音が追いかけてくる。そして言葉で制するだけでは埒があかないと悟ったのだろう、いきなり腕を掴まれた。 「どうしたって、聞きたいのはこっちの方だよ。こんなの、契約違反だぞ。訳も分からずに切られちゃ、何が何だか分からないじゃないか」 もうこれ以上は一歩も前に進ませないぞと言わんばかりの強い力に、腕だけじゃなくて心までが鷲づかみにされてしまう。だけど、ここでひるんでは駄目。何のために全てを振り払う覚悟を決めたのか、それが分からなくなるじゃないの。 「り、理由ならちゃんと言ったでしょう。あんた、馬鹿? あれだけはっきり言われて、まだ分からないの!?」 ――本当に嫌な奴、デリカシーのかけらもない。 必死に怒りのボルテージを上げて睨み付けてるつもり。なのに、私を捉えた手にはなおも力がこもっていく。今日はキャミソールの上から紫外線避けの薄手のシャツを着込んでた。そこにじんわりと汗染みが広がっていくのが肉眼ではっきり確認できる。 「……アユ……」 そんな目をして。同情を買おうと思ったって、そうはいかないんだから。こっちはただの思いつきで行動した訳じゃないんだからね。 大きく息を吸って吐いて。そんな芝居じみた態度すら、嫌みなく出来てしまうところが憎らしい。何をしても絵になる、それが気に入らなかった。「ゴメン」と神妙な顔で謝られると、ちょっとくらいのミスは許してあげたくなってしまう。一緒にいて、本当に楽しかった。だから、もういいじゃない。楽しい時間を重ねたところで終わりにしようよ。 私の心が、必死に叫んでる。これ以上は駄目、来ないでって。 近づきすぎたら辛くなる。ふたりの時間が心地よければ心地よいほど、その先に来る絶望の深さが恐ろしくなった。そう……、怖かった。本当に怖かったんだ。いきなり訪れる「終わり」にとても耐えられる自信がない。だから、自分から幕を引いたのに。 それなのに、目の前の奴には私の訴えが届かない。 「す……好きな奴が出来たって、そう言ったよな? そいつって、どんな奴なんだ。その……俺より、いいのか?」 無言のまま、ただ頷くことしか出来なかった。もっと格好良く言葉を並べられたらと思うのに、やっぱりどこまでも情けない私。掴まれたままの腕が大きく震える、嫌だこんなの。もう……終わりにして。 「そ、……そうか」 あっさりと提示された答えに、目の前の男はあまりにも分かりやすく落胆した。情けない奴と笑い飛ばせない自分が悲しい。その後一度何かを言いかけて止めて、少し時間をおいてからもう一度訊ねてくる。 「じ、じゃあ。俺がどこを直したら、そいつよりも良くなるんだ? ……いきなりじゃ、分かんねえよ。俺、そんなにアユに嫌われてたのか? お前、何でも正直に話してくれただろ、だから大丈夫だと思ってたのに……こんなのって」 「何、言ってんのよ。馬鹿みたい」 やっと、言葉が出た。そうしたら、奴の方がホッとした顔をしてる。どういうこと? 私が口をきくだけでそんなに嬉しいのかしら。だけどね、駄目だよ。今更そんなふうに懐かれたところで、もう何も変わることはないんだから。 「そんなの無理に決まってるでしょ?」 私の中にある時限爆弾は、もうとっくに大爆発を起こしてその役目を終えているはず。なのにまだ、消えない残り火がくすぶってる。小さな爆発を何度も何度も繰り返して、心の襞に新しい傷を作っていくんだ。 「……そもそも、あんたの隣にいるのが私である必要なんてないじゃない。こんなところであぶらを売ってるよりも、早いとこ新しいターゲットを探した方がいいよ。それとも何、今度は取っ替え引っ替え色んな女の子とよろしくしてみるの? ま、それもいいんじゃないの。彼女たちにも一度、あんたの本性をはっきりと分からせないとね」 エミの前では、いつも大人の考え方をする先輩でありたかった。そして、コイツの前では――気の置けない親友のポジションを崩したくなかったんだと思う。だから、もう少し。もう少しだけ、頑張るんだ。 ――ワタシ ヨリモ アノコ ノ ホウガ ニアッテルジャナイ。 心の中ですでに白旗を揚げている自分がふがいなくて嫌いだった。コイツと一緒にいると、普段からは考えつかないほどの刺すような視線を感じる。ただそこにいるだけで絵になるような男の隣を歩くことは、少なからずの優越感を感じる反面でかなりの精神力を消耗するんだ。あちらこちらから投げかけられる眼差しが、全部自分を否定しているような気がしてくる。 ただそこにいるだけで、ぱっと花が咲いたように華やかな雰囲気を作り出す。それくらい可愛い女の子じゃなくちゃ、奴の彼女にはふさわしくない。そもそも私は最初から対象外。だからこそ、あんな風にあっさりと代替え品になることを求められたんだ。 サクラちゃんみたいに。彼女みたいに、可愛かったら良かったのに。思ったことを臆することもなくどんどん口に出来る真っ直ぐさ。それさえあれば、私にだって可能性はあった。比べることがいいことだとは思わない。人には長所と短所があって、誰かの真似をしたとしても上手くいく訳じゃない。 分かってる、全部分かってるんだけど。それでも……でも、辛かった。 「……そうか」 震える指先が、ようやく私の腕から外れた。それはとても光栄なことなのに、何故か今度は行き場のない寂しさが束縛の消えたその部分に宿る。 「アユの言いたいことはそれだけかな? じゃあ、俺の方も一応報告だけさせてもらう」 徐々に傾いてきた日差しが、伸びかけの前髪にゆっくりと留まる。振り向いたその顔は、何故か泣き笑いの表情に見えた。やっぱり、……何というか、すごく綺麗。憎たらしいほど、その仕草のひとつひとつまでが心に焼き付いていく。 「ずっと、黙ってたんだけど。俺も、好きな子が出来たんだ。だから、もうダミーとかそう言うの、必要ないし」 せっかくの忠告だけど、ゴメンって。何でこう、ひとこと余計なんだろう。そう思いつつも、やはり戸惑いを隠せない。いきなりのこんな告白って、心臓に悪いよ。 「そう……なの」 何度か瞬きしてから、かろうじてそれだけ言葉を絞り出す。奴の視線がいつもよりも何だか眩しく思えて、落ち着かない気分だ。 「それは良かったわ、何だか安心した。……もしかして、そのことを伝えるために来てくれたの? だったら、ゴメン。ちょっと意地悪しすぎたね」 一呼吸置いてから、ああそうかって思う。コイツもコイツなりに、気を遣ってくれたんだ。私ばっかり悪者になって終わるのは良くないって、最後に全てをチャラにしたいってそう思ってわざわざ訪ねてきてくれたんだね。 「うん」 いつものように前髪をかき上げて、小さく照れ笑い。うん、そうだね。彼はやっぱり楽しそうにしている方がいい。仮にも「彼女」という立場にある私を放っておいて男友達とばっかりつるんでいても、それでいいやと思っていた。うるさいことを言って、ふたりの仲が気まずくなるのは嫌。私が我慢することで、少しでも長く関係が維持できればその方が嬉しかった。
そっか、とうとう意中の人が現れたのか。 これってすごく喜ばしいことだと思うよ。だって、今までずっとコイツは「女なんて」と色眼鏡で異性を眺めていたんだもの。そう言うのってどうかなと心配してた。そりゃ、今までに付き合った女子たちは彼には合わなかったのかも知れない。だけど、……あまり毛嫌いすることで、出会うはずの相手を見失っちゃったらもったいないものね。 「おめでとう、良かったね」 何だか、とてもほのぼのとした気持ちになってしまう。それが奴にも伝わったんだろうか、ふたりして場違いに和やかな雰囲気。彼は少し息を吐いてから言った。 「だけど、どうも最初から脈ナシの感じなんだな。……俺のことなんて、アウト・オブ眼中というか、なんというか。もしかしたら、未だ『男』として認識されてないかも知れない。あーあ、これじゃ、前途多難すぎ」 首をすくめて、少しおどけて。それから、小さくあくび。 「……どうしたの? 寝不足……?」 もうすっかりふたりの関係は終わったはずなのに、当たり前みたいに並んで歩いてる。ここのポジションにいられるのもこれが最後かなと思うと、やっぱり切ない。けど、……彼の新しい旅立ちだもの、気持ちよく送り出してあげたいな。 「うん、彼女のことを色々考えててね、そうしたら眠れなくなった。アユにも少し知恵を借りたいよ、どうしたら好きな女が俺の方を振り向いてくれるんだろう……?」 そう言いつつも、またふたつみっつと続けてあくび。何だか、可愛いなって思っちゃう。 「そんなの、私の方が知りたいわよ。こっちだって、前途多難の恋なんだから。だって、私の好きな人にもちゃあんと別に思い人がいたの。……何か奇遇だね、そういうのって」 どうしてこんな風に自然にしてられるのかなって考えて、すぐにその結論に辿り着く。だって、私と彼はようやく同じ立場になれたんだよ。そのことがすごく嬉しい。私が苦しいのと同じくらい彼も苦しいなら、またふたりの新しい関係も築けそうな気がする。これもかなり、普通の状況とは違うけどね。 こんな風にさりげなく言葉のやりとりをしているのが好き。トゲトゲして苛立った心が、彼といるだけでだんだん穏やかに戻ってくる。ひとりでいるときはあれこれと悲しいことも考えるのに、面と向かってしまうと心は彼でいっぱい。余計なことなんて、何も考えられなくなる。 あったかくて、心ごと包まれているみたいな。そんな安らかな気持ちになれるなら最高。彼の言葉はいつでも心地よくて、まるで子守歌みたいだ。何か、大あくびの顔を見てるとこっちまで眠くなって来ちゃう、どうしてくれるの。
――とか言いつつ、これでお終いなんだけどね。 意中の相手がいるのに、ずるずると他の女と付き合い続ける男にはなって欲しくないもの。ただ、はなむけはあげたいな。最後に、とびきりの私をプレゼントしたい。
「じゃあ、餞別代わりに秀介にひとつ提案してあげる」 人差し指を立てて、彼の鼻先に伸ばしてく。それをじーっと見守っている綺麗な瞳。 「待ち合わせの時間には遅れない方がいいよ、いくら寝不足だからと言ったってそういうのは基本だからね。女の子ってね、大切にされてるって実感があればそれだけで満足できるんだよ。押さえるところは押さえて、オンリー・ワンなお姫様気分を与えてあげなくちゃね」 何を言われたのか、一呼吸置いてから理解したみたい。彼はぼんやりと口を開く。 「……そうか」 やっぱ、気にしてたのかとか何とか。口の中でもごもごと呟いてる。こちらをちらちらと気にしている視線が可笑しくて、すごく楽しくなってきた。 「うん、やっぱ言葉や態度に表してくれないとね。黙ってても伝わるって、そんなの嘘だから」 ちょっと背伸びして、お姉さん風を吹かせてみた。ふふ面白いな、こういうのって。奴は神妙な面持ちで私の言葉を受け取ってから、真面目くさった口調で言う。 「じゃあ、次からは遅れないようにする。そう言ったら、また会って貰えるのかな? 彼女、7月の終わりが誕生日なんだ。それに合わせてプレゼントも用意したくて、必死バイト入れてたんだから。 にやりと笑ったその刹那、またひとつあくびする。
――ちょっと待って。 7月の終わりの誕生日って、私もそうなんだけど。ええと、違うよね? そうじゃないよね? そんな、……有り得ないし。
急に走り出した鼓動、それなのに彼は素知らぬふりで話を続ける。心持ち、私の方に寄り添う感じで。こんな風に体温が感じ取れるくらい側にいるのって、初めてかも。どうしよう、もう。だんだん、自分に都合のいいように解釈し始めてる。こんなのって、……ただの思い過ごしかも知れないのに。 彼の声が、私の耳元を揺らす。心を全部持って行かれそうな、柔らかさで。 「彼女、誕生日の日は予定空けられると思う……?」
返事の代わりに、彼の指に自分の指を絡めた。言葉にならない全ての想いを伝えたくて。 おしまい♪ (060717) << 15.となりにいるから 17.In my diary >>
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お題提供◇ひさ様 Lullaby(ララバイ) … 「聖母たちのララバイ」とか「アザミ嬢のララバイ」とか |