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19.遠い日の約束


 公園の茂みの向こう、小さな花が揺れていた。

 あんな真冬に本当の花が路地に咲くはずもない。ふたつに結った髪の毛の上にちょこんと付いたリボンとビーズで作られた花束。指先で触れたらその部分からほろほろと崩れてしまいそうだ。

 小刻みに震えても、かぐわしい香りを放つことも出来ない。その悲しげな薄桃色を、少し離れた場所からぼんやりと見守っていた。

 

「良く覚えているよね、そんな昔のことまで。やっぱり、臣くんってすごいなあ。頭の中に分厚いメモ帳が入っているんじゃないかしら。それをめくると、忘れていたはずのこともすぐに思い出すことが出来るんだよ」

 相変わらずふわんふわんの髪は、今日はゆるくふたつの三つ編みにまとめている。堅苦しい制服姿ではあるが、彼女がまとえばそれなりに可愛らしい。肩先で跳ねる毛先も見ているだけでこそばゆいほどだ。

「そうかな、僕はくるみの忘れっぽさの方がすごいと思うけどね。この頃は少しはマシになったけど、昔は前の日の夕方にした約束を翌朝にはすっかり忘れてるんだから参ったよ。同じことを何度も何度も説明したりして、自分でも何でこんなことをしてるのかなと情けなくなったなあ」

 分かりやすく悲しげな表情を作って軽く溜息をついてみせると、予想通りに反応してくる。無理にこちらの身長に合わせようと伸び上がるから、僕の知っている彼女の顔はいつも上向き加減だ。

「えー、そんなの嘘だよっ。また、臣くん得意の作り話をしてるんでしょう? ほおんと、臣くんの話ってどこまでが本当なのか分からない。思い出は美化されるとか言うけどさ、この年でそんなお爺さんみたいになっちゃって大丈夫?」

 くるくると良く動く丸い瞳。「くるみ」という木の実の名前がぴったりのつぶらな眼差しは、生まれたてのほやほやの頃から当たり前のように一番近くにいた。最初の出逢いはさすがに覚えていない、何しろその頃は僕もとても小さかったからね。だけど時々、ミルクの香りのする白いおくるみに包まれた赤ん坊を夢のように思い出すことがある。あれはきっと彼女だ、そう確信してる。

 この春進級すると僕は三年生、高校最後の年になる。そしてひとつ年下の彼女は二年生。やっとこの一年は穏やかに過ごすことが出来たのに、もう一年後にはまた離ればなれになってしまう。たった一歳の年齢差が、非情にもふたりを隔てていくんだ。幾度この試練を乗り越えて行けばいいのだろう。
  期末テスト期間中の早帰り。うららかな春の日差しの中で肩を並べて歩きながらこんなことを考えていると知ったら、彼女はまた「お爺さんみたい」と笑うだろうか。

 十二年も昔のことを覚えているはずはないと彼女は言い切る。だが、それは違う。あれは確かに本当にあった出来事だ。他の全てが薄れていっても、最後にたったひとつ残る甘くて切ない傷。僕はあの日を永遠に忘れない。

 

 たしか親戚の結婚式だと言っていた。

 彼女は花嫁さんの長いベールを持つ役目を任されたらしい。絵本の中のお姫様が着ていたような真っ白なドレス。大きな造花の付いた靴が見え隠れするほど長いそれが縫い上がってきたとき、母親とふたりでわざわざ見に行った。

「当日の髪型はどうしようかと思っているの。私はもちろん美容院に行くけど、この子はまだ小さいし。もともとがくせっ毛だから、そんなに小細工しなくても可愛いかなと思うのね」

 そう言いながら、彼女のお母さんは用意した一対の髪飾りを見せてくれた。ほんのりと桜色に色づいた花がたくさん付いている作り物とは思えない繊細な仕上がり。当時幼稚園生だった僕にでも、その素晴らしさは分かった。

「きれいでしょっ、くるみ、おひめさまみたい?」

 彼女はあどけない微笑みを浮かべて、大はしゃぎに部屋中を駆け回っている。隣にいる僕の母親は、我が子の存在も忘れたかのように両手放しで褒めそやしていた。まあ、気持ちは分かる。季節ごとに新しい服を買いに行くたびに、女の子服売り場の方を眺めて溜息をつくのを知っていたから。

「これ、くるみちゃんに似合いそうね」

 小花模様のワンピースを手にしてそんな風に言うこともあった。何だか分からないけど、母親というものは無条件に「娘」というものを欲しがるらしい。

「おみくん、にあう? くるみ、きれい?」

 僕がいつになく無口なことに気付いたのだろう。彼女は不思議そうにそう訊ねてくる。

「うん、とってもきれいだよ」

 そんな風に口では言いながら、心の中では全然違うことを考えていた。

 ―― どうして、あんなに目立つ格好をするんだろう。あれじゃあ、たくさんの人がくるみに気が付いてしまうじゃないか。みんながくるみのことを「可愛い」と言えば、今に僕だけのくるみじゃなくなってしまう。

 彼女が僕と同じ幼稚園に入園してから一年近くが過ぎていた。お揃いの園服を着て、毎朝母親たちに見送られながら園バスに乗り込む。当然のように隣の席に座って、誰にも譲らなかった。

 ―― くるみは、僕だけのものなんだから。

 小さくて泣き虫で、よちよち歩きであとから追いかけてきた。一緒に出掛けた公園で大きな遊具によじ登りたいと思っても、くるみがいるとそうはいかない。仕方なくブランコをこいだり、砂場で山を作ったり。何となく女の子がするような遊びばかりをしていた。だけど、それで構わなかったんだ。だって、くるみがいつもそばにいてくれるから。
  一足早く僕が幼稚園に上がることになって、その朝くるみが園バスを追いかけて泣いていた。胸が引きずられるような悲しさ。その上、園に行ってもくるみはいない。どこを探してもいないんだ。

 今ならば当たり前に分かることも、当時の僕にはとてつもない衝撃だった。自分の視界からくるみが消えたこと、いくら呼んでも姿を見せてくれないこと。それが怖くて仕方なかった。
  だから心待ちにしていたんだ、一年後にくるみが入園することを。クラスは違っても、これからは同じ園舎にくるみがいる。会いたくなったら教室まで訪ねていけばいいんだ。朝と帰りのバスも一緒、もちろん帰ってきてからも一緒。これならもう大丈夫、何を不安になることもない。

 けど、違った。

 僕と違う教室に連れて行かれたくるみは、しばらくは一日中べそべそ泣いている日々が続いたという。帰りのバスで僕の姿を見つけたときの嬉しそうな顔。涙でべとべとになった頬が痛々しくて仕方なかった。でも、しばらくすると。くるみはたくさんの友達に囲まれて楽しそうに過ごすようになる。ひとり立ちした彼女にホッと胸をなで下ろした僕ではあったが、その一方でとてつもなく嫌な気持ちになっていた。
  何でそんな風になるのか、自分で自分が分からない。くるみの笑顔を見ているだけで幸せになれるはずだったのに、一体どういうことなんだろう。
  そこにいるだけで甘い香りが漂ってくるような、全てが砂糖菓子で出来ているような女の子。周囲の友達を知らないうちに惹き付けてしまう。でもそのことに対して、僕は何もすることが出来ない。一番近くに行きたくても、クラスメイトじゃない以上同じ教室で過ごすことも無理だ。

 胸の奥に湧いてきたもやもやは、次第にどす黒いものに変わっていった。くるみを独り占めしたいのに、それが出来ない自分がもどかしくてならない。くるみの気持ちが知りたい、いや彼女の気持ちの全ては僕に向かっていなければ嫌だ。

 くるみは僕の変化に少しも気付かない。隣を歩くときは必ず手を繋ぐものだと思っているし、僕の言うことなら何でも本当だと信じてくれる。

「くるみは、僕のこと好き?」

 そう訊ねたら、初めはとてもびっくりしたようだ。でも言葉の意味をすぐに理解して、にっこりと微笑み返してくれた。

「うん、だいすき。くるみは、おみくんがいちばんすき」

 彼女の言葉にひとしずくの嘘もない、それは分かっていた。だけど、やはり不安になる。いくら覚えたての言葉でたどたどしく想いを伝えてくれても、いつそれが壊れるか分からない。人の心は移ろいやすい、どうしても確かな何かが欲しい。だけど、そんなものが果たしてこの世に存在するのだろうか。

 

「ただいま、おみくん」

 夕方、結婚式から戻ってきた彼女はドレス姿のままで僕の前に現れた。今見てきたばかりの晴れやかな披露宴を全て映し取って、その瞳はいつもよりもさらにキラキラと輝いている。玄関のピンポンが鳴ったから出てきてみれば突然の天使の来訪、これが驚かずにいられるもんか。

「もらったの、おみやげ。いっしょにたべよう」

 その手には、小さな包みが握られていた。聞くと中身はチョコレートだと言う、今日のご褒美だとのこと。リボンをほどいて中を開いてみれば、そこに入っていたのはパステルカラーのウズラの卵のようなもの。多分、砂糖衣か何かがコーティングされているのだろう。天使のような彼女が手にするのにふさわしい、可愛らしい姿だった。

「ふうん、おいしそうだね」

 僕はそう言って、いつものようにふたりで半分ずつ分けようと思った。ひとりっ子同士の僕たちは母親ふたりの思惑もあったのだろう、本当の兄妹のように育てられている。何か頂き物をしたら、必ずふたりで半分こするのが当たり前。今回も彼女はそれを忠実に守ったのだろう。

 でも、そのとき。僕の頭の中で何かがひらめいた。今の今まですっかり忘れていたのに、その瞬間まるで電球がショートしたように眩しい光がばちばちと弾けていく。

「あ、あのさ。くるみ、今日が何の日か知ってる?」

 彼女は大きく目を見開いたまま、首を横に振った。やっぱり知らなかったんだ、今日は2月の14日で巷では「バレンタインデー」と呼ばれている日。女の子が大好きな男の子にチョコレートをあげる日なんだ。

「そんなの、くるみはしらないよ?」

 僕が口から出任せを言っているとでも思ったのだろうか、そう答えた彼女はとても悲しそうな目をしていた。だけど、言い出した以上あとには引けない。何をそんなに意固地になっているのか自分でも分からなかった。

「くるみは僕のこと好きだって言ってくれたよね? 誰よりも一番好きなんだよね? ……だったら、そのチョコレートは全部僕にくれなきゃ駄目だよ」

 いつの間にか、僕の気持ちはおかしくなっていた。まるであのパステルカラーのチョコレートこそが彼女の気持ちの全てのような、そんな気がしてくる。だから全部欲しい、ひとつ残らず僕のものにしたい。気が付けば包みを彼女から取り上げて、6つか7つの小さな塊を全て自分の口の中に押し込んでいた。

「なんで? おみくん、はんぶんこしてくれないの……?」

 呆然と僕を見つめる彼女は、今にも泣き出しそうな目をしていた。前もって彼女は包みを一度開いたのかも知れない。そこにあった夢色のお菓子を見て僕と分け合おうと思ってくれたんだ。……なのに。僕はその優しい気持ちを踏みにじってしまった。

「おみくんっ、きらい! いじわるっ、だいきらい……!」

 くるりときびすを返して表に飛び出していった小さな背中。すぐにあとを追ったけど、それは彼女の家とは反対側、ふたりがいつも遊んでいる公園の方へ遠ざかっていく。

「くるみ、待って……!」

 僕はもう、どうしていいのか分からなかった。自分がとんでもなく悪いことをしたのは事実、でも今日はバレンタインデーでこれは当然の行為なんだし。くるみがくれたチョコレートを食べれば、彼女の気持ちまで手に入れることが出来る。だから、……だからどうしても欲しかったんだ。

「くるみー……」

 その背中は振り向かなかった、植え込みの影にしゃがみ込んで彼女は泣いていた。時折耳に届く小さな嗚咽。でも、どうやって慰めていいのか分からない。悪いのは僕だ、僕に違いない。どうしたら彼女が許してくれるのか、それが分からない。

 どれくらいの時間が過ぎてからだろう。夕暮れの空がだんだん暗くなって、ようやく彼女は立ち上がった。でもまだこちらを振り向かない。生きていないはずの花が彼女の髪の上で悲しげにしおれているような気がした。

「……くるみ、その」

 すぐに謝らなくてはならないのは分かっていた。だけど「ごめん」という当たり前の言葉がなかなかなめらかに出てこない。いつから僕はこんなにへそ曲がりになってしまったんだろう。

 言葉は途中のまま、がさがさと植え込みの中に分け入っていく。ようやくその背後まで辿り着いたとき、彼女はようやく振り向いてくれた。

「おみくん、はい」

 その頬に涙はない。そして差し出されたのは、四つ葉のクローバーで作った小さな輪っかだった。無意識のうちに右手を出すと、そっちじゃないのと僕の左手を指さす。言われるがままに手を広げると、薬指にするすると輪っかを通した。

「えいえんのちかいなの、ゆびわのこうかんだよ?」

 彼女は胸を張ってそう言うと、今度は自分の左手をこちらに伸ばしてくる。

「おみくんも、ちょうだい。くるみに」

 すぐには何のことか理解できなかった。だけどしばらくして気付く。ああそうか、彼女は今日見てきた式次第をそのままリプレイしているんだ。小さくてぷくぷくした指先、そこに似合うものが見つからない。うーん、困ったな。……どうしよう。

「―― あ、ちょっと待って、くるみ」

 先ほど彼女から取り上げた包み。その口を留めていた銀の細いリボンが目に付いた。そのままくるくると包帯みたいに巻いていく。かなり不格好だったが、最後にリボンのかたちに結ぶとどうにか様になった。

「えへへーっ、およめさんだ〜!」

 彼女がとても嬉しそうな顔になったから、僕もつられて笑った。こんなの子供じみたごっこ遊びなのに、白いドレス姿の彼女が相手だとまるで本当の結婚式みたいに思えてくる。胸の奥がじーんとして何だか不思議な気分だ。

「おみくん、おみくん」

 ぽやーっとした気分になっていた僕を、彼女が現実に引き戻す。精一杯背伸びして僕を見つめている瞳。

「おむこさんはね、およめさんにちゅーするんだよ? それが、えいえんのちかいなの」

「……えっ……」

 いきなり顔面に一撃を食らったような気分。言葉を飲み込んだ僕を、彼女はわくわくしながら見守ってる。ど、どうしたらいいんだ。でも、ここはきちんとやらないと変かな。うー、どうして目を瞑ってくれないんだ……!

「……くすぐったいっ……」

 一瞬だけ頬に触れたら、すぐに首をすくめて振り払われた。僕の方はもう、急に熱が出たみたいに頭がぼんやりして何も考えられない。こういうのを「足がすくむ」って言うのかな、身体が全く言うことをきかなくなってた。

「おうちにかえろうよ、おみくん。これ、はやくぬがないとママにしかられちゃう」

 左手の薬指に巻かれたリボンの意味。それを、くるみがどうやって両親に説明したのかは知らない。それきり二度と彼女の口から「えいえんのちかい」の話は出てこなかった。

 

「次の年、年中さんのときのことは覚えてるの。クラスの友達からバレンタインの話を聞いてね、絶対に臣くんにあげようって決めたんだ。でも、その……初めての年のことは知らない。どうして私は臣くんにチョコをあげようって思ったんだろう、不思議だね」

 やっぱり、何だか後ろめたくて。あのときの話は詳しくは教えてない。誰も知らないままで済まされるならそれが一番いいと思う。我ながらずるいなと思うけど。

「ほら、あまり油を売ってると明日の分の勉強が出来なくなるよ。あの古文の先生は細かいところばかり突っ込むからね、その辺きちんと見直さないと」

 テストの最終日が都合良くホワイトデー。そのことを知ってるのか知らないのか、無邪気なおさげが肩先で踊る。そこに触れたくて指を伸ばして、もう少しのところで引っ込めてしまう。なかなか勇気が出ない、最後の一歩が踏み出せない。

 

 ―― きっと、僕は。あの日、彼女がかけた魔法から永遠に解放されないまま。

おしまい♪ (060803)

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お題提供◇山口ゆり様(サイト・明鏡止水
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「金平糖*days」のふたりに再び登場してもらいました。
本編にちょっと出てきた「最初」の話をぐつぐつと煮詰めて。臣くん絶対に5歳児じゃないわ(汗)。
「09.もったいぶらないで」と大体同じくらいの時期、こっちの方がちょっとあとかな?
「羽曜日」で混迷しているふたりを追いかけてるせいか、今回はホッとしましたー!