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◆ 20.クリスタル
それを眺めているとだんだん気が遠くなってくる。だが、進むしかない。ここまで来て引き返すことなんてどうして出来るだろう。 途中で別れた仲間たちも今頃、俺のことをどんなにか案じていることか。皆の気持ちに応えるためにも、ここで己の弱さに負けるわけにはいかない。 一歩足を進めるごとに、地の底から飛び出してくるモンスター。今までの相手とは比べものにならないほどの強者揃いであったが、我が身を守るものはたった一本の剣だけ。腰の袋に入れてきた回復薬も底をつき、万事休すと言うところまで来ていた。 ――と。 忽然と目の前に現れた黄金の砦。ピラミッド型になったそれは砂埃に白く霞んだ空の向こうまで突き抜けるほどに高くそびえている。とうとう辿り着いたのか、「導きの場所」に。聖者の印・純白のマントに包まれた身体は大きく震え、その場に立っているのもやっとな感じだ。 (ああ、そうだ。どこかに開門のレバーがあったのだったな) ぐるりと周囲を回っても、入り口らしき場所は見つからない。のっぺりとした外壁に途方に暮れていたとき、別れの間際に白魔導師のデイジーが教えてくれたことを思い出した。 「砦の正面に向かって、西へ5歩。それから南へ7歩。何かが足の底に当たったら、そこで呪文を唱えること」 記憶は正確であったが、武者震いのせいかなかなか正しい場所を探り当てることが出来ない。仕方なくスタート地点に戻り、もう一度同じ道のりを辿る。数回繰り返したところで、ようやく「カチッ」という確かな感触が感じ取れた。 「ムーア・デ・コーデ。アナン・ゼ・ラウル――」 古の言葉の正しい意味は知らない。ただひたすらに思いを込めて祈りを捧げた後で、俺は「そのとき」を待った。一呼吸置いた後、大きく轟く音と共にぽっかりと黒い入り口が現れる。 「……ここか」 一番奥まで進んだところに分厚い鋼鉄の扉があった。古代人が彫り込んだと思われる美しい文様がその表面にびっしりと描かれ、それが紛れもなく「護りの扉」であることを教えてくれる。躊躇することもなくその扉に手を掛ける俺。次の瞬間にまばゆい光が視界を染め、どこか遠いところから今まで幾度となく俺をいざなってきた「声」が再び聞こえてきた。
――よくぞここまで参られた、伝説の勇者よ。 そなたの限りなき勇気と優しさ、そして強さに新たなる歴史を授けよう。さあ、石碑の前まで進み書かれている文字を読むが良い。それこそが、ラスト・クリスタルのありか、人々の心までをむしばみ続けた暗闇から世界を解き放つ最後の希望がそこにある……。
俺はすぐさま石碑の前まで駆け寄り、そこに書かれていた古代文字を震える指先で辿っていく。良かった、ようやくこれで五つ目のクリスタルが手に入る。そうなれば光の世界は蘇り、長い苦しみの時代は終わりを告げるのだ。 「リーン・……ゼ・ケフル……?」 しかし、ふくらみかけた希望は次の瞬間に脆くも崩れ去る。いや違う、これは何かの間違いだと何度も文字を確認したが、そこにあるのは先ほどと同じ短い言葉のみ。謎かけでも何でもなく、ただひとつの場所を的確に示していた。 「そんな、……そんな馬鹿な……っ!?」 だが、俺の悲痛な叫びを聞くものは誰もいなかった。ただ静寂のみ、ひんやりとした石壁の中に閉ざされた「聖域」。刹那、目の前は真っ暗になり、俺は膝からがくんと床に倒れ込んでいた。
「ウッス、……どうした寝ぼけた顔をしやがって。ははん、分かったぞ。昨日も遅くまでやってたんだろ? んで、クリアしたか? あとちょっとだって、昨日言ってただろ」 いきなり背中を小突かれて、ハッと我に返る。ああ、何だか気持ちがどこかに飛んでいたようだ。普段通りの朝の風景。俺は自分でも気付かないうちにいつも通りに制服を着て学校への道のりを歩いている。何という基本的習慣だろう、我ながら恐れ入ってしまう。 「うっせーなっ、そんなじゃねーよ。こっちはまだ、ラストまで行ってないんだからな。余計なことを言わないでくれよ?」 満面の笑顔ですり寄ってくるニキビ面を視界から追い払う。この悪友はテスト週間にもかかわらず親の目を盗んでゲームを進めた結果、仲間内の誰よりも早くエンディングシーンに辿り着いたらしい。それを自慢したくて仕方ないらしいが、その見返りが5教科の赤点では笑えない。 テスト最終日からこっち。それこそ「寝食を忘れる」勢いで進めた結果、やっと「最終ダンジョン」とおぼしき場所まで辿り着いた。ここにいる「悪友」の話では砂漠の砦まで来ればあとは訳ないということであった。「ラスト・クリスタル」さえ手に入れれば、あとは今まで集めた四つのクリスタルを四隅に配置した台座の中央にそれを据え「新しい世界」を導くだけだ。……しかし。 「昨日は何だか気乗りしなくてさ、直前のところでセーブしてやめちまったんだ。だから、今日は再挑戦。今夜こそは、何が何でもクリアしてやるぜ……!」 そう息巻いてみたものの、イマイチ気が乗らない。どうしたんだ、俺。たかだかゲームごときに何をやっているんだろう。昨日、あのシーンにぶち当たったときには、正直「これ以上のプレイは止めてしまおうか」とまで思い詰めてしまった。だが、それも出来ない。きっと心の奥の傷が疼き出すに決まっている。 「はーん、んじゃ、期待してるぜ」 俺の心内を見て取ったのか。どっちでもいいような口調で、悪友は早々に話を切り上げた。
「どうしましたか、マサフミ。このような場所でぼんやりとして」 澄み渡るソプラノ、振り向くとそこにはその美しい声に似つかわしい美女が立っていた。暗黒に包まれた世界の中で、人々の希望の石杖となったただひとりの尊い存在。この世界を治める王国の最後の生き残り。数奇な運命の中にあってその輝きを決して失うことのなかった、純真かつ気高い姫君。 「皆も案じておりますよ、このように塞ぎ込んでいるなんてあなたらしくありません。いつもの快活さはどこに行ったのです、一体砂漠で何があったのですか?」 姫君の菫色の瞳に映る俺の姿もまた、「伝説の勇者」のそれであった。どういうことだろう、いつの間にゲームのスイッチを入れたのだろうか。まだ俺が進めていない先のシーンが目の前で展開されていく。だが、それにしてもリアルな画面。肌に触れる微風すら感じられる。 「いえ、……別に。ご心配には及びません、俺はいつも通りですよ」 不安げな眼差しを少しでも和らげたくて、俺は無理に笑顔を作った。だが、口の端がぴくりぴくりと震えてしまう。それにしても、今までになく精巧に作られた3D映像だ。まるで本物の人間が側に立っているように錯覚してしまうなんて。 そんな風に考えているうちに、もっと深い衝撃が起こる。何と、ゲームの中の住人であるはずの姫君が俺の手にそっと触れたのだ。こんなことがあるわけない、だが温かなぬくもりも現実のものとして感じ取れる。 「そのように隠さなくても宜しいのに……すでにあなたの心は分かっておりますよ。皆の待ち望んだラスト・クリスタルのありか、マサフミはすでにそれを知っているのでしょう……?」 俺は大きく目を見開いていた。何故、そのように仰るのか。誰ひとりとして、この胸の内を告げた相手はいない。あのとき砂漠の砦で見た全ては永遠に封印してしまおうと決めていた。俺にはラスト・クリスタルを手に入れることは出来ない。……そんなこと、絶対に無理だ。 この長い旅は、見ず知らずの異世界に現代人である俺が召還されるところから幕を開けた。ごくごく普通の高校生だったはずの俺が、強い力に導かれ辿り着いた神殿。目を開けて初めて見たのは、紛れもなくここにいる姫君であった。 「良かった……わたくしの声が届いたのですね?」 美しい衣が地に着くのも厭わず、姫君はその場に跪き俺の手を取った。喜びに溢れたその頬はバラ色に染まり、そのあまりの可憐さに俺は一目でノックアウト。そう、最初の瞬間から恋に落ちていた。 「あなたこそが伝説の勇者、この世界を暗黒から救うために神が我々にお与えになった希望の星。どうか呪われし王国をお救いください、わたくしどもと共に魔王に奪われた五つのクリスタルを探す旅に出ましょう」 わずかな手がかりと古の文献だけを頼りに進む旅路、幾たびの困難が行く手を遮りそのたびに絶望のどん底に突き落とされた。途中で逃げ出してしまう兵士も多く、心細いばかりの日々。しかし、そのような中でも姫君は決してくじけることはなかった。いつでも明るくパーティーを励まし、明日への活力を与えてくれる。その上、気高い身分を鼻に掛けることもなく気さくに接してくれるのも嬉しかった。 四つ目の「火のクリスタル」は、魔王自身の胃袋の中にあった。いよいよ追いつめられたことを知った魔王は飲み込んだクリスタルと共に再び数千年の眠りにつこうとしたのである。北の洞窟の一番奥でようやく追いつき、激しい死闘を繰り広げた。何があっても魔王を倒さなければ、そうしなければクリスタルは手に入らない。どんなに苦戦を強いられても逃げ出すわけにはいかなかった。 ――そして……。 「ラスト・クリスタルはこの世界を救うための最後の鍵。たとえどんな困難が待ち受けようと、それを手に入れるまでは頑張ろうと皆で誓い合ったではありませんか。何を躊躇しているのです、こうしている間にも闇の浸食は続いているのですよ。すでに他の仲間たちは旅支度を始めています、皆最後までマサフミと共に戦う覚悟です。……でも」 俺を見つめる姫の瞳はどこまでも穏やかであった。優しく俺の手を包み込むその手が大きく震えている。しかし……彼女は決して目を反らすことはなかった。 「このたびは、そのような長旅は必要ありませんね? ラスト・クリスタルは初めからわたくしたちのすぐ側にあったのですから」 「姫――」 それ以上の言葉を発することは出来なかった。初めて感じる姫の柔らかい身体、しっとりと抱きつかれて身動きが取れない。 「早く取り出してください、最後のクリスタルを。そして、……皆をこの世界を光に導くのです」
リーン・ゼ・ケフル――姫君の心臓。
こんなどんでん返しがどうして必要だったのだろう、この世界を救うために姫をこの手で殺めなくてはならないとは何と皮肉なことか。そしてもう、この人は全てを知っている。 「いえっ、それは出来ません。それは、……それだけはどうしても……!」 しかし俺は、この期に及んでもまだ覚悟を決めることが出来なかった。他のプレイヤーならば、何の躊躇いもなく姫君の胸に刃を突き立てることが出来るのであろうか。だが、俺には無理だ、絶対にそれだけは出来ない。 「俺っ、……俺には、この世界の全ての民の幸せよりも、姫おひとりのお命の方が大切です。もしも俺が身代わりになれるのなら、喜んでこの身を捧げるのに! 俺は、……あなたを愛しています。誰よりも何よりも……自分よりも……」 もしも叶うならば、この人を連れて地の果てまでも逃げたいと思った。世界にただふたりしか生き残らないとしても、それでも構わない。ふたりのふたりだけの未来が欲しい。たかだかゲームの中の住人と、誰もが笑うだろう。だが、俺は本気だ。このままこの世界に閉ざされてしまっても本望である。 「……マサフミ……」 姫君は俺の腕の中で小さく呟くと、次の瞬間に信じられないことにくすくすと笑い出した。あまりのことに強くかき抱いていた腕を緩めてしまう。誰よりも愛おしい人は花のような微笑みで俺を見上げた。 「ようやく、本当の気持ちを伝えてくれたのですね。それだけで、わたくしはとても嬉しいです。でも、大丈夫。この世界の医術はとても進んでいます。魔王がクリスタルを埋め込んだのが心臓で幸いでした、それならばいくらでも代わりのものを埋め込むことが出来ます。わたくしに必要なのはあなたを思う心だけ、それを奪われずに済んで本当に良かった。これでまた、すぐに会えますね」 刹那。剣は俺の手を離れ、次の瞬間に姫君の左の胸に赤い花を咲かせた。 遠ざかる意識、目の前が白く霞んでいく。俺は必死に手を伸ばす、ようやく手に入れた人をどうにか探し当てたくて。でも指先に何かが触れたその時に、全てが途切れた。
「よう〜、マサフミっ! どうだ、今朝の気分は?」 再び意識が戻ったとき、ゲームの画面ではすでにエンドロールが流れていた。自分でも知らないうちにラストシーンを終えていたのか、それにしても全く記憶がない。時計を見ればすでに丑三つ時。キツネにつままれたような気分でそのまま布団に潜り込んだ。 そして、朝。昨日とそっくりそのまま同じように、惰性のまま登校していた。ぼんやりと振り返れば、再生ボタンを押したかのように同じ笑顔。それに上手く受け答えするだけの気力はなかった。 「あ、まあな。ゴメン、先を急ぐわ」 背中を追いかけてくる問いかけを振り切って、また制服の群れに身体を預けていた。耳の奥で木霊のように繰り返す声、俺はまだ夢の中に閉じこめられている気がする。 ――これでまた、すぐに会えますね。 そんなはず、ないのに。全くゲームソフトのインプット・データのくせに、純真な若者を翻弄しないで欲しい。この胸の痛みも失恋の名残か。 俺も情けねえよな、いくら美人だったとはいえ画面の中の笑顔に惚れ込んじまうなんて。分かってはいるが、しばらくは立ち直れそうにない。ようやく待ちに待った夏休みがやってくるというのに、胸の中はツンドラ氷原だ。
「あれ、……落としましたよ?」 雑踏の中、ふわっと視界を遮った白いハンカチ。小さな花の刺繍が花びらのように揺れて手のひらに収まった。顔を上げて、落とし主を探す。そう難しいことではなかった、すぐ前を歩いていた女子高生がくるりと振り返る。 「……あ……」 栗色の髪が柔らかく揺れた。 「また会えましたね、マサフミ」 昨晩出逢ったばかりの懐かしい笑顔。その瞬間、俺の中の風景がにわかに動き始めた。 おしまい。(060823)
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お題提供◇碧様 ……ええ、何が言いたいかもうお分かりでしょうか? |