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27.グリーティングカード


 その日、ポストからこぼれ落ちたのは、懐かしい文字でしたためられた私の名前だった。差出人の名を確認するまでもなく、投函した人が分かるなんて。そんな自分に、思わず苦笑いしてしまう。

「秋庭和也」

 封書をひっくり返して、予想は現実となる。筆圧が強くて角張っていて、「はね」の部分がやたらと大袈裟。ひらがなの丸く輪になる部分が大きすぎるのも特徴だった。もう一度表に戻して改めてそこに並んだ自分の名前を確認する。「渡瀬こよみ」―― そう言えばこんな風に彼の文字で自分の名前が書かれているのを見るのは初めてだ。

 ……でも。何で、今更? 彼が私に何の用があるというのだろう。

 封筒の中身はその手触りから硬いカードのようなものだと思われた。隙間なくぴっちり詰まっている様子なのでその場では封は切らずに部屋まで持ち帰り、机の引き出しからハサミを取り出す。6畳の広さに小学生の頃から使ってる机とベッドを置いたありきたりのプライベートルーム。今は荷ほどきを済ませていない段ボール箱で足の踏み場もない状態だ。

 ぱちん、と刃の重なる音がして。その瞬間に、ついこの間見たばかりの彼の横顔が浮かぶ。

 高校を卒業してから二年、成人式に合わせて初めて行われた学年合同の同窓会。会場となった公民館のホールには懐かしい顔ぶれが勢揃いした。

  クラスも部活も違う、彼とは高三の選択科目で机を並べただけの仲。ただ、本当にそれだけ。丸一年、席替えもなかったからそれなりに話もしたけど、授業が終われば呆気ないくらい他人顔だった。

 一浪の末、地元の国立に進んだことは風の便りで聞いている。今も自宅から通学しているみたい。とは言っても中学も違うし、彼の家が何処にあるのかも未だ知らない。
  対する私は、卒業してからのこっち、やたらとスケジュールの詰まった忙しい学生生活を送ってきた。ひとり暮らしの部屋は寝に戻るだけの空間、講義に実習に実験にレポート提出。さらに長期休業中の現場実習までカリキュラムに組まれていた。

「灰色の受験生を終えて、花の女子大生。思う存分遊びまくろうと思ったのに、とんだ誤算だったわ」

 ひっつめ頭に白衣姿。クラスメイトと顔を合わせるたびに同じ愚痴をこぼし合ったっけ。だけど、それもいい思い出。短大の二年間なんてあっという間だった。

 封筒から出てきたのは、二つ折りのカード。表には文字はなくて、ただパステル画の青空が描かれている。彼のイメージには程遠い、メルヘンな世界だ。……で、中身は?

「―― あれ?」

 カードを開いて、一呼吸ののち。間抜けな声が出た。だって、そこにあったのはただの真っ白な空間。趣向を凝らしてあぶり出しになってたり、鉛筆でなぞると浮き出てくるとかそう言うわけでもないみたい。念のため裏側も見てみたけど、そこにも何もなかった。

 ―― これって、一体どういうことなんだろう……?

 考えてみたところで、結論が出るわけもなく。謎のカードを前に、私は首をかしげるばかりだった。

 

 出席番号順に、縦並びの席順。隣になったのは、かろうじて顔だけは知っている男子。最初の数時間は特に声を掛け合うこともなく過ごしていた。これがもしも女子だったら、無理にでもフレンドリーに接していただろう。友達同士、どこで繋がっているか分からない。面倒だからと無視して「根暗で無愛想な奴」とか思われたら嫌だもの。

 世界史の選択授業は週に二回。そこで合う他は廊下ですれ違ってもお互いに無視。ひょろりと長身な彼は遠くからでもよく目立つ。何となく気にはなっていたんだけど、別に声をかける理由もないし。

「良かったら、あとでノート貸そうか?」

 彼の初めての言葉は、確かそんな感じだった。世界史の先生は、ギネスか何かに挑戦しているんじゃないかと思うくらい板書のスピードがべらぼうに速い。ベラベラと口を動かしている間もチョークの音が止むことは一瞬たりともなく、あっという間に黒板を白い文字で埋め尽くすと次の瞬間には左の最初に書いた一列を消してしまう。
  私は他の人よりも文字を書くのがのろいんだと思う。どんなに頑張っても書ききれない数行が出来てそのたびに「あーっ」と小さい溜息が出てしまった。誰にも聞こえないくらいの小声だったつもりだけど、隣の彼には聞かれていたのかな。

「はい、次の時間に返してくれればいいから」

 そんな風に手渡してくれたときは彼が神様に見えた。だけど、念のためにノートを開いた途端に感謝の気持ちも失せてしまう。

「あの……、読めないんだけど。これ、一体なんて書いてあるの?」

 ものすごい殴り書き、文字がノートの上で暴れ回って罫線をはみ出してる。これじゃあ、せっかく借りても何の役にも立たないじゃないの。大体、自分の書き取れなかった箇所がどこにあるのか、それすらも分からない。

 仕方ないから、休み時間をまるまる使って読解不可能な文字の全てを解読してもらった。彼の文字には独特の省略パターンがあって最初は理解できないばかりだったけど、根気強く頑張ればどうにかなる。その後も毎時間ノートを借りているうちに、そう気苦労を感じることもなく読み取りに成功するようになった。

「だけど、こんなんじゃラブ・レターとかまずいでしょ? 心を込めて書いても、相手には絶対読めないよ」

 いつの間にかそんな軽口も叩ける仲になっていた。でも、彼が自分からアプローチをかける必要もない存在だと言うこともすでに知っていたけどね。

「えー、古くさ。男はがつんと真っ向勝負だ、手紙なんてみみっちいことしてられっかよ?」

 まあ、その受け答えももっともだ。野球部のエースで憧れる女子は同級生下級生を問わずに数知れず、もちろん告られることも日常茶飯事。ただ、今までに「この子こそ」と思うまでの女子が現れないだけ。
  どんな猛打者相手でも強気のピッチングで押しまくると言われる彼だ、運命の相手に巡り会えれば迷いはないだろう。席が隣りなだけで、こんな風に仲良くなれるのも幸運と言えば幸運かな。友達からは「いいなー」とか言われてたんだから。

 そんなこんなで、定期テストの直前になって。授業が終わっていつものように席を立とうとすると、彼が何やら神妙な面持ちで前に立つ。今日はテスト前で板書もゆっくりだったから、わざわざノートを借りることもないんだけどな。さっきもはっきりそう言ったはずなのに、どういうこと?

「あのさ、渡瀬さん。悪いんだけど……ノートをコピーさせてくれない?」

 訳も分からずに目をぱちくりさせる私に、彼は恥ずかしそうに続けた。

「その……、俺さ。時間が経ってみると、自分で自分の字が良く読めなくてさ。渡瀬さんの字は綺麗で読みやすいし、良かったらお願いできないかなと思って」

 思わずおなかを抱えて笑っちゃったら、彼もさすがにばつが悪そう。でも、次の瞬間に思わぬ名案が浮かんでいた。

「あ、……別にコピる必要もないよ。ノート、交換しよう?」

 その頃には、私は彼の暴れまくる文字の全てを読解できるまでになっていた。そんな能力が受験勉強の役に立つとも思えなかったけど、何となく嬉しかったのも事実。夜遅くまで勉強しているときにふと彼の文字を目にすると、「頑張ってるかな?」と思ったりもした。

 そんなこんなで受験勉強に追われながら夏も終わり、秋も深まったある日。

 私はノート以外の場所に書かれた彼の文字と出逢うことになる。下校時の昇降口、自分の外靴の上に二つ折りになったメモが置かれていた。

『校門の前で待ってます』

 妙にかしこまったその短い文章に、心臓が飛び上がりそうになった。慌てて一緒にいた友達に理由を作って別に帰ってもらい、落ち着かない気分のまま彼が現れるのを待つ。でも、二時間ほどが過ぎて辺りが薄暗くなってきても、とうとう彼はやって来なかった。

 

 二年ぶりの母校、放課後の賑わいが通り過ぎていく。

 懐かしい制服たちの群れ、すぐそこに「先輩」の私がいるのに、みんな少しも気付かない。あとに残るのは白い息、見上げるとあの日と同じ夕暮れ。

 ノートのやりとりこそはその後も何となく続けていたけど。あの出来事を境に、今までのことが嘘のようにお互いにぎこちなくなってしまった。とうとう言葉らしい言葉を交わすこともなく、卒業を迎えてしまう。個人情報なんたらの余波で卒業アルバムに住所の記載もなく、彼と私の繋がりは永遠に途切れた―― 少なくとも私はそう思っていた。

 大通りを脇にそれた細道。そこを通り抜けると、先ほどの校門とは別のもうひとつの通用門がある。あの頃の私は知らなかった。部活でいつも下校が遅くなる彼にとって、その場所こそが「校門」という名称で呼ばれていたことを。彼もまた日が暮れてからもずっと待っていた、互いに別の場所で待ち続けて、ついにはすれ違ってしまったんだ。
  その誤解に気付いてすぐに、どちらかが話を切り出して事なきを得れば良かったのに、それがどうしても出来ないまま。長い長い時間の果てに、心だけ取り残されていた。

「……待てよ」

 辻を曲がろうとした私を、後ろから懐かしい声が引き留める。すぐに歩みかけた足が止まった、でもまだ振り向けない。

「『校門』はあっちだろ? また、すれ違ったらどうするんだよ」

 胸のドキドキがあの日と同じくらい、ううんもっともっと痛いくらい激しくなる。大きな手、長い指、一年間隣りに感じた気配。封印した記憶の全てが今鮮やかに蘇っていく。

「……秋庭くん、だって」

 二年の月日はふたりをどんなにか変えただろう、そんな杞憂はこの間の同窓会で綺麗さっぱり消え失せた。彼は何も変わっていない、私も何も変わっていない。ただ、あの日に残した気持ちだけが宙ぶらりんのままで前に進めないんだ。

「私が、来なかったらどうするつもりだったの?」

 白い息の向こう、彼は笑っていた。推薦の話もいくつか来たのに、結局は自力での受験を選択したと言う。昔よりも長く伸びた髪、顔つきまで少し優しくなったみたいだ。

「どうせ春休みだし、いつまでも待つつもりだった。ここから始めないと駄目な気がしていたから……地元に戻ってきたんだって? 就職も決まったって返信ハガキに書いてあったけど」

 そう言って、差し出された二つ折りの紙。あのカードに挟み込まれるはずだった、内側のもう一枚だ。受け取ったまま中を開くことが出来ず、また彼の顔を仰ぎ見る。私、いつからこんなに臆病になってしまったんだろう。あの頃のように真っ直ぐに彼の目を見て話すことがこんなにも難しいなんて。

 同窓会の幹事を引き受けて、そこで私の近況と連絡先を知った。彼の止まったままだった時計もそのときに再び動き出したんだと言う。ぽつりぽつりと言葉の落ちる戻り道、彼が教えてくれた。

「ずっと忘れられなかった、というのはちょっと大袈裟かも知れない。でも浪人の末に志望校に進学してホッと一息ついたら、いつの間にか渡瀬さんのことを思い出してたんだ。それからも折に触れて君の顔が浮かぶから、これはやっぱりどうにかしなくちゃなって。……でも、真っ向勝負は無理だったな」

 私はきっとこの人のことをあの頃からずっと思い続けていたんだ。

 言葉で何かを伝えられたわけではなかった、でも書き殴りの文字で必死に黒板の文字をノートに書き取ってくれるその姿にいつの間にか惹かれていたんだと思う。一緒にいて、いつもとても楽しかった。あの頃の私たちがまた始まるの? だとしたら、すごく嬉しい。

 

 カードに書かれていたのは、彼の連絡先。たった11桁の数字が、懐かしい筆跡と共に新しい物語を綴り始めようとしてる。

おしまい♪(061010) 

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お題提供◇まりす様
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さだまさしさんのグレープ時代に「笑顔同封」という一曲があります。
今回のお題をいただいたときに、すぐにそのフレーズが頭の中をリフレインしました。
携帯とパソコンがコミュニケーションのほとんどを占めている現代、
だからこそ「書き文字」には独特なくすぐったさがあるような気がします。