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39.目の上のタンコブ


「悪いけど、こういうのって困るから」

 指定された待ち合わせ場所。時間ぴったりに辿り着いてみれば、すでに相手は先に来ていた。そして突き出された封筒、ぽかんとした表情の私に彼は苦虫を噛み潰したような顔で言う。

「知らなかったよ、早川さんがこんなデリカシーのない女だったとはね。お陰でこっちはいい笑い物だ、本当に勘弁して欲しいよ」

 普段とはうって変わった冷たい態度の理由はすぐに分かった。校舎の影、数名の男子生徒の頭が見え隠れしてる。きっと彼らはこの現場のギャラリーなんだ。そして目の前の彼は、わざわざあの集団に自分の言葉が聞こえるように意識して大声でしゃべってる。

「えと……あの?」

 伸びかけた前髪の向こう、彼の茶色がかった瞳が私を睨み付けてる。きっとこちらがすぐに反応しないから、イライラしてるんだ。それは分かる、でも本当に彼の言葉の意味がさっぱり読み取れないんだもの。

「じゃ、それは返したから。まあ、そういうことだからよろしく」

 早足で去っていく背中。残された封筒をくるりとひっくり返してみると、そこには「アイカより」と角張ったちっちゃい文字が記されていた。

 

「―― と、言うことで。これから文化祭に向けて、各クラス二名の専門委員を選出することになりました。皆さんご協力をお願いします」

 ざわざわとさざめく教室。皆、横を向いたり後ろを向いたりしてひそひそ囁きあってる。それもそのはず、ウチの高校って文化祭が派手なことで有名だもんね。その分専門委員の責任も負担も重くなる。もちろんその文化祭目当てで入学してくる人もいるけど、そんなのほんの一握り。私だって「家から自転車で通える距離だから」って適当な理由で選んだんだし。

 丁度座っている席が最後列だったこともあって、このクラスには好きこのんで委員を引き受けようと言う生徒がひとりもいないと言うことが正確に見て取れた。まあ、そう言う状況も最初から予想していたんだろう。壇上のクラス委員長は涼しい表情を崩さない。

 ―― ホント、いっつも余裕で気取っちゃってさ。

 あの、人を見下したような眼差しが今でも忘れられない。あれからひと月近くも経つのにね、記憶は薄れるどころか日を追うごとに鮮明になっていく気がする。何と言ってもまだ半年以上は同じ教室にいなくちゃならないんだよ、しかも相手は勉強でも運動でも人一倍目立つ上にクラスをまとめる立場にあるのだ。
  全く、腹が立つったらありゃしない。視界に入らないように努力しても、その甲斐なし。もっとも当の本人はあのときの出来事なんて綺麗さっぱり忘れてしまったみたい。私のことをただの一クラスメイトとして空気のような存在だと思ってるらしいわ。

「ええと、事前に生徒会よりこの専門委員はクラス委員が兼任しても良いと言われています。ですから、ひとり分の枠は自分が入ることも可能です。でも副委員の田辺さんは皆さんもご存じの通り吹奏楽部に所属していますから、現実問題として兼任は不可能でしょう。ということで――」

 あとひとつの枠を誰か、と続けたかったのだろう。そこにタイミング良くチャイムの音が重なる。話し合いの途中だと言うことも忘れたかのように、次々に席を立つクラスメイトたち。
  文化祭が派手だと言うことは、イコール各種部活動も盛んだと言うことになる。みんな放課後に向けてスイッチが切り替わってしまったみたい。もちろん話し合いを続けようと留まる仲間もいるけど、彼らとて自分自身が立候補しようとするつもりはないようだ。

「ではこれ以上時間を掛けても仕方ありませんから、くじ引きかジャンケンで決めると言うことで宜しいでしょうか。もしも自分は無理と言うならば、決まった時点で誰かに頼むとか自分で解決してもらうと言うことで……いいかな?」

 壇上にいる彼よりも、傍らで見守る副委員の田辺さんの方が不安げな表情を浮かべている。まあこういう決めごとっていうのは、押しつけられたら押しつけられたでどうにかこなしてしまえるもの。彼としてもそれが分かっているんだろう。「是非に」と言われれば諦めもつく、だけど自分から名乗りをあげるのは面倒だし上手くいかなかったときに格好が付かない。

「―― はい」

 瞬く間に人口密度が二分の一になった教室。それほど大きな声ではなかったけど、どうにか一番前の黒板の側まで届いたようだ。固まった顔でクラス名簿をのぞき込んでいた彼が気がついて顔を上げる。あの日以来―― そう、あの日以来初めて。彼の視線がきちんと私に向いた。

「もしも他に希望者がいなければ、私がお手伝いしますけど」

 幸い私が所属する書道部は、文化祭当日は作品展示のみになる。部員が交代で会場に待機することになるけど、それも数時間程度だ。作品製作そのものだって、美術部や家庭科部のそれと比べたらずっと短時間でこなせるはず。

「え、ええと……それでは。早川さんで決まりで宜しいでしょうか? もしも他に希望者があれば――」

 平静を装う振りをしても丸分かりだよ、はっきり言って迷惑なんでしょ? 分かってるって、そんなの。

 彼の言葉を遮るように、私は立ち上がる。話し合いがまとまってホッとしているクラスメイトたちをかき分けながら、真っ直ぐに壇上に進んでいった。

「早川愛花、はやかわ・まなか、です。工藤くん、どうぞよろしく」

 

 西側の窓から差し込んでくる夕陽。初夏の爽やかな一日もそろそろ暮れようとしていた。

 キリのいいところで手を止めて、薄暗くなった手元を注意深く確認する。ひとりで電卓を叩く作業がもう三十分以上続いていた。そろそろ教室の電気をつけようかな……そう思って立ち上がろうとしたところで後ろ側のドアが開く。現れたのは重そうに段ボール箱を三つ積み重ねて運んでくる姿。ひとつひとつの大きさはたいしたことがなくても、中に入ってるのが全て書類だとすればかなりの重量になるはずだ。

「あと、あるとしたらこっちの箱だって。背表紙が赤い冊子だって話だけど……あっちは狭くて広げられないから全部持ってきたよ。部屋を出るとき施錠すれば、ここに置きっぱなしでいいって言われたし」

 昨年度の資料が決められた箱の中に見当たらなくて、作業が先に進められない。彼は忙しく走り回る先輩を捕まえて、その行方を聞いていたのだ。次々と参加団体から上がってくる予算書。前年度のものと照らし合わせていかなければならないのに、どうしてそんな大切なものが迷子になっているのだろう。

 彼も彼だ。最初の専門委員会で他のメンバーの勢いに圧されて、気がついたら私たちは会計の仕事に回されていた。しかも新入りである一年生がやることと言ったら、細かい計算ばかり。三桁四桁の細かい数字をただひたすらに集計していく。
  全体の予算は決まっていてその中から割り振りを決めなければならないのだから、何かと気苦労も多い。九月中旬の文化祭当日が終わったあとも決算の処理が続いて、手間取るときだと冬休み近くまで掛かるのだとか。

「いいよ、今日中にはそこまで行かないし。まずはこっちを終わらせてしまおう、私の計算したのをもう一度確かめてくれる? 合計が合わないのだけバックして、やり直すから」

 真面目な人なんだけどねー、何だか段取りが悪いわ。同じ教室にいる程度なら見過ごしてしまうけど、こうして一緒に仕事を片付けてるとついイライラしてしまう。

「あ……、ああ。分かった」

 ひとつのことに気を取られると、他のことが頭の中から抜けちゃうね。慌てた素振りを見せないからなかなか気付かないけど、悠然と構えているように見えて実際が伴ってないのが何とも。

「そうだ、……その、電卓なんだけど。やっぱりさっき貸し出したので最後だったようだよ。困ったな、係の先生も出払ってるし、借りられなくて。でも、いちいち携帯でやったんじゃ効率悪いよなあ……」

 意識的に私の顔を見ないようにしてるのはいつものこと。どうにか取り繕うとしているらしいけど、こっちには丸分かりだよ。でも、ね。それが楽しいから、わざわざこんな仕事を引き受けたんだもの。せいぜい頑張ってもらいましょうと言うところかな?

「いいよ」

 何気ない感じで、自分の使っていた電卓を差し出す。もちろんまだ計算しなくちゃならない作業は残ってる、だからそれを知ってる彼は本当に驚いた顔をした。

「備品の箱の中にそろばんが入ってたでしょう? 私、そっち使うから。気にしないで」

 切り札はギリギリのところまで隠してちらつかせないこと、彼を困らせるにはその方法が効果的だ。何かとその存在が目について、ずっとイライラし通しだったから当然よ。十倍返しにして返してあげる。

「はやかわ・まなか、です」―― そう告げたときの、あのばつの悪そうな顔。今思い出してもおかしくておかしくて笑いがこみ上げて来ちゃう。そうだよ、私の名前は「アイカ」じゃない。そりゃ、読み間違えられることも多いけどね、ああいう状況での取り違えは絶対に許せないよ。

「……書道だけじゃなかったんだ」

 早く自分の仕事を始めて欲しいのに、彼はまだ私の手元に夢中。まあ、無理もないか。こんなのかなりレトロな特技だものね。

「母方の祖母の家が雑貨屋だったの。小さい頃はそこに預けられていたから、何となく覚えちゃった。お祖母ちゃん子だったし、勧められる習い事も普通とはだいぶ違ったわ」

 将来どんな仕事に就いても困らないように―― そんな風に言われてたのよね。特に披露する機会もない地味な特技だけど、一応今回は役に立ったと言うのかしら。

 とにかくね、彼をとっちめてやりたいって思ってた。人のこと、あんな風にずたぼろに罵って、ただで済むとは思わないでよね? 一緒に委員の仕事を始めて半月あまり、チクチクと針の先で刺すみたいに小さな棘で応酬してきた。
  彼の方だって、それにとっくに気付いているはずなのに何の反論もしてこないのね。やっぱり後ろめたい気持ちがあるんだろうなー、反省してるならさっさと謝ればいいのに。何でうだうだしてるんだろ。

 ―― すごい、とにかく腹が立ったんだからね。

 正直言うとね、突然の呼び出しは驚いたけど嬉しかったんだ。
  だって、何となく気になっていたんだもの。他のクラスメイトと違って浮ついたところがなくて、とにかく落ち着いてる彼のこと「ちょっと」いいなとか思ってた。だからこそ、傷ついたんだよ。あんな風に決めつけられて。何できちんと確認してくれなかったんだろう、私があんな手紙で人を傷つける人間じゃないって信じて欲しかった。

 淡いときめきは、あの日を境に豹変した。意識の外に追い払いたくてもそれが出来ないほど目立つ存在ならば仕方ない、こっちから斬り込んでいくしかないでしょ? 自信たっぷりに微笑む鼻先をへし折ってやりたい。

 どうにか電卓は手にしたものの、彼がまだ私の方を気にしているのには気付いてた。気付いてたけど、知らんぷりを決め込む。いいよ、自分の持ち分が終わったらさっさと帰るから。原則として資料は校外への持ち出しが禁止、自分だけ残って続けるって言うのならご勝手にどうぞ。

 やがて。諦めたのか、電卓を叩き始める音が聞こえてくる。別に競争するつもりもないのに、私はそろばんを弾く指先にさらに力を込めた。

 

 教室では以前と変わらずに他人顔。彼は私がそこにいてもいなくても全く変わりないように振る舞ってる。だから私もその姿を静かに見守ってた。
  クラスのみんなは彼と副委員の田辺さんとの仲を当たり前のように受け止めてるけど、そう言うのも全然関係ないの。忙しい日常に、まとまった仕事が入ったときだけの共同作業。予算配分が決まると私たちは一時的に解放されて、会計の仕事は主に二年生の先輩たちが請け負ってくれることになった。

「……あれ、どうしたの?」

 作品製作が手間取って、部室を出るのが一番あとになってしまった。気分が乗らない時って、いくら頑張っても納得のいく仕上がりにならないのね。無駄な時間ばかりを過ごしてしまった気がする。

 人気の消えた廊下。柱の影に彼が立っていた。もしかしたら、だいぶ前から待っていたのかな? 手にしてるペットボトルが汗をかいてる。緑色のお茶、半分くらい飲んであった。

 私の問いかけに、彼は何も答えない。それどころか見つかったことが心外だと言わんばかりに難しい表情になった。

「何か用があったなら、声を掛けてくれれば良かったのに」

 どうしてそんなに不機嫌な顔をするの、私が悪い訳じゃないでしょ? そういうニュアンスを含めたから、私の言葉もトゲトゲしてる。専門委員の仕事がなくなると、改めて話をする機会もないものね。思えばすごく久しぶりに声を掛けた気がする。

 だんまりのままの影を踏みつけて、私はさっさと彼を追い越した。そのまま真っ直ぐに廊下を歩き続けていたら、慌てた足音が後ろから追いかけて来る。

「その、……」

 彼が一体、何を告げに来たのかはまだ分からない。だけど、私を待っていたことだけは本当。書道教室は特別棟の突き当たりにあって、他に用事なかったら絶対に訪れない場所だ。彼の芸術選択は美術だし。

「やっぱり、……まだあのことを怒ってるんだよな。当然だろうけど」

 

 実はとっくに噂は聞いていた。落ち着きすぎてクラスで浮きまくっていた彼に一泡吹かせようと、男子たちが意地悪な嫌がらせをしたのだということを。彼の口からは何も語られなくても、真実は回り回って耳に届いている。

  私からの手紙だと信じて、彼は待ち合わせの場所に半日も待っていたのだという。一体どんなつもりで、そんな風にしたんだろう。その答えはいつか必ず聞かせてもらいたい。

 

「分かっているんなら、聞かないでよ」

 気にしたくないのに、気になってしまう。その気持ちがお互いに同じなら。そしたらまだ歩き出せるかも知れない。とりあえず、同じ靴箱までこのまま振り向かず歩き続けよう。

 今、彼の顔を見たら。絶対笑っちゃうと思うから。

ひとまず、おしまい♪ (070419) 

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お題提供◇JUN様
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心が始まるきっかけって、とても些細なものだったりしますよね。
ちょっとアクシデントがあった方が印象的で盛り上がるかも知れない……とか(笑)
制服の頃のあれこれを思い出しながら、自分の内側に耳をすませてみました。