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44.よそ見しないで!


「お待たせ」

 いつも通りの笑顔だった。何より少しでも早くたどり着きたくて息を切らして走ってきてくれたことには感謝すらするべきだろう。

「遅いわ」

 たった五分の遅刻だから、許容の範囲内。週末で道が混んでいたことも分かってる。それなのに開口一番憎まれ口が出てしまう自分がとても情けないと思った。

「せっかくのオフなのに、バイトを入れるなんて。私のスケジュールは前から分かっていたでしょう、それなのにひどいわ」

 このことについても、前もって謝罪の言葉を聞かされている。仲間が急に体調を崩してシフトに入らざるを得なかったことも。彼の方に全く落ち度がないわけではないが、ほとんどの事柄についてはしっかりフォローがなされている。けど、そんな隙のない部分までが今日は気に入らない。

 見上げた眼差しがかなりきついものだったからだろう、目の前の彼はおやおやと言わんばかりに首をすくめた。

「どうしたの? 今日はずいぶんご立腹の様子ですね、お姫様」

 先に立って歩き出すと、慌てて後を追いかけてくる。それが分かっていて、さらに足を速めてしまう。おろしたての靴がかかとに当たって少し痛い。

「……別に」

 久しぶりのふたりきりの外出だった。もちろん、仕事のときにはやむを得ない場合を除き彼が同伴してくれる。でもがんじがらめの毎日の中では思うように身動きもとれないというのが本音だ。彼の方は何食わぬ顔で任務をこなしてくれるが、そのそつのなさもいつしか不安材料のひとつになっている。

 ―― 多分、より多く我慢をしているのは彼の方だ。こんなの、普通の恋人同士ではあり得ないことだから。

 必死で感情を抑えつけなければならない立場なのは分かってる。こうして忙しい合間を縫って自分のために時間を作ってくれるのだ。そのことに感謝して、ありがたいと思わなくてはならない。分かってる、分かってるつもりなのにうまくいかないのはどうして?

 普段は仕事柄、かしこまった服装が多い。どこで誰に見られているか分からない、さすがにプライベートまで追いかけられるということは今のところないがその代わり公の場所では容赦なかった。立ち振る舞いから物言いの一言ずつまで、神経を張り巡らさなくてはならない。
  学生との二足わらじと言うこともあり、いくつも予定が立て込んだ後などは疲れがたまりすぎて整体師を家に呼ぶことすらある。近頃では若い女性でもパソコンなどに長時間向かう仕事についているとマッサージのお世話になることがあると聞くが、二十歳の誕生日も前に自分もすでにその仲間入りをしてしまっていた。

「今日の予定って、どうなってるんだっけ。映画を観て、それから食事? うーん、時間的にいっぱいいっぱいだなあ……」

 こちらがトゲトゲになっていることは気づいているはずなのに、朔也はやはり普段と少しも変わらない。ついつい欲張ってあれこれ入れてしまった予定をひとつひとつ指折りながら首をひねってる、日焼けを知らないミルク色の肌が自然光に反射して眩しすぎる。すらりと伸びた長身も柔らかく輪郭を包む髪も、そのすべてが人目を引く一因となっていた。

「だから急ぎましょうと言ってるんでしょう? 上映時間に間に合わなくなったらどうするの、さすがに映画館のスケジュールまで動かすことは出来ないわよ」

 どうしても何が何でも観たいという内容でもなかった。つまらない内容だったりしたら、途中で眠ってしまうかも知れない。だけど、それでも時間に遅れるのは許せなかった。

 この日のために新しく用意したワンピース。ぱっと見はどこにでもありそうなデザインだが、細かなところに作り手の遊び心が隠されている。お抱えのデザイナーは何人もいたが、特に好みが合う相手なので仮縫いなどで顔を合わせるも楽しかった。
  どうかどうにかして素敵な一日になりますようにと祈りながら今日の日を迎えた。……それなのに、こんな風に苛ついてばかりじゃ嫌になる。

「―― 咲夜」

 と。

 後を歩いているものだとばかり思っていた人が、目の前に立ちはだかる。その顔には微笑みをたたえたまま、きっぱりと言い切った。

「予定変更、食事の時間までのんびり出来るところに行こうよ?」

 

 見渡す限り続く緑色、まるでゴルフ場に迷い込んだようだ。背伸びした風が頭上を通りすぎて、傍らの並木を揺らしていく。

「ふふ、意外そうな顔。もっと別の場所を想像してたでしょう……?」

 思いつきのように飛び乗ったバスに揺られて、いつの間にかこんなのどかな場所まで来ていた。遊具などもあまり見当たらない、自然そのままの森林公園。半円を描いて広がる空、手入れの行き届いた花壇には季節の花が咲き乱れていた。

 ひさしの下に置かれたベンチに腰掛けて、自販機で購入してきた缶コーヒーを開ける。長い指先が咲夜の頬をつついた。

「そ、……そんなことっ!」

 すんなりと否定の言葉が出てこなかったのが悔しい。急に「のんびり出来るところ」なんて言われたら、やはり落ち着いた室内とか考えてしまうのが当然だろう。わざと肩すかしをしてこちらの反応を楽しんでいるなんてたちが悪すぎる。

「やだなあ、そんなにツンツンしないでよ。僕の前では可愛い咲夜でいてって、いつも言ってるでしょう……?」

 背中に腕が回って、静かに抱き寄せられる。こちらの同意なんて最初から聞く気がない様子だ。

「うっ、うるさいわねっ! 離しなさいよっ!!」

 それほど強く押さえつけられている訳でもないのに、どんなに暴れてもびくともしない。

「大丈夫、肉眼で確認できる場所には人影ないから。うーん、いいなあ。まるで貸し切り状態だね、気分いいや」

 そこで一度言葉を切って、彼は右手の缶コーヒーを置くとさらに強く抱きしめてきた。目眩がするほどの香り、しっかり包まれてしまうとそこから抜け出すことが出来なくなる。

「何か僕に言いたいことがあるんでしょう? ……賑やかな場所では落ち着いて話も出来ないしね」

 ぴくりと一瞬反応してしまう。彼はすぐに気づいたのだろう、それなのに素知らぬふりを続ける。長い指が髪を梳く、何もかもを投げ出してしまいたい心地。広々とした風景に心がどんどん解放されていった。抑え付けていたいのに、自分の心がコントロール出来なくなっていく。

「言いたいことなんて、ないもの。そんなの朔也の勝手な思い込みだわ」

 こんなに近くにいたら、何もかもが伝わってしまう。誤魔化すだけ無駄なのだ。分かっているのに、素直になれない。いつも笑顔でいたいのに、上手くいかないのはどうして?

「ふうん、そうかあ」

 少し腕がゆるんで、ふたりの間に隙間が出来る。頬に朔也の手がかかる、心持ち上向かされて。

「本当だ、いつも通りの咲夜だね。良かった、安心した」

 ―― 口に出して言わなくたって、もう全部分かってるんでしょう……?

 甘く重なり合う唇、幾度繰り返してもその吐息が掛かるだけで心が震えてしまう。どこまでが真実でどこからが偽りなのだろう、それが知りたくて知りたくなくて何も訊ねられなくなる。

「……て」

 広い胸に額を押し当てて、心を絞るように呟く。

「側にいて、どこにも行かないで」

 絶えず押し寄せてくる不安、彼の瞳が自分以外の人間を捉えるだけでたまらない気持ちになる。同じ空間にいない時間が多すぎて、彼の行動が分からない。互いに互いのそれぞれの生活があるというのは分かっているのに、彼のすべてを独り占めしてしまいたくなる気持ちを抑えられない。

 月の使者のように美しい人、柔らかい笑顔で対するすべての相手を魅了してしまう人。

 知ってる、また違う人に言い寄られていたこと。朔也は優しいから、そんな風にすぐに誤解を招く。愛想がいいのもいい加減にしないと、いつか痛い目を見るに決まってる。私だけ見ていてって言いたいのに、それが出来ない。言えない分、意固地になっていく。

「嫌だな、咲夜は」

 喉の奥で低く笑う、その微かな動きすら今は自分だけのもの。他の誰にも渡したくない、どこまでも深くなる独占欲。

「空想の世界でも、僕を追い出したりしないで。こんなに近くにいるのに、どうして分からないの? 僕の心は全部咲夜で出来てるんだよ、……もう狂おしいほどにね」

 そんなの、分からないよ。

 否定したくても言葉にならない、そしてまた囚われていく。終わりのない物思い、いつかすべてが安らぎに変わる日が来るのだろうか。

 

「……そろそろ時間だよ、行こうか?」

 いつの間にか夕暮れ。西の空が茜の色に染まっていく。それでも咲夜は彼の胸の中で首を横に振っていた。

「ううん、もう少しだけこのままでいて」

 最後に残った心で、今日一番の笑顔になれるはずだから。 

おしまい♪ (070524)

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お題提供◇mimi様
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リクエストの「赫い渓」朔也&咲夜です。大学の2年の初夏くらいかな。
毎回言っているような気がしますが、咲夜を動かすのって本当に難しいっ(泣)!
本編を書き上げたのは今から5年半!近く前になるのですが、当時どうやって書いていたのか自分でも分からないんです……むー、自分の性格が変わったのかな? 毎度エイリアンな気分になれる感じです。