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〜こうちゃんと花菜美・10〜
…終…

 

 

「ほぉら〜、もう起きなさいよねっ!! いい大人が、いつまでごろごろしてるのよっ!」
 勢いよくふすまを開けて、そしてばさっと掛け布団をはぎ取る。

「何だよ〜、姉ちゃんっ! 若い男の寝込みを襲うとはいい度胸だなあ〜…」
 そう言いつつ、一枚残された毛布をたくし寄せ、またうずくまる。全く、寝起きが悪いったらない。もう、毎日叩き起こす私の身にもなってみろ、っていうのよねっ!

「いいっ!? 起きないなら、それでもいいわ。じゃあ、これ、預けるからよろしくねっ!」

 ぼん、と肉のかたまりみたいな身体をおなかの辺りに置いて。うぎゃ、と悲鳴が上がるのにも構わず、窓際まで行って、カーテンを開ける。

「ほらほら〜いいお天気よ! もう8時なんだから起きなさいっ! たまには部屋の掃除もしてよね。このままだと、ゴミに埋もれて窒息死するわよっ!!」

「うわっ…!?」
 髪の毛を引っ張られて、起きあがる。寝癖の付いた髪。ちょっと明るい色に染めたのがおかしい。一浪の末希望の大学に進学して、大人ぶってるつもりかしら?

「ちょっと、頼むよ…。今日は午前中は休講になったんだから、寝かせてくれよ…っ、とと。どうして豪太郎がこんなところにいるんだっ!!」

「あのねえ、雅志くん」
 もう、ブツは渡したから、さっさと引き上げる。

「甥っ子の面倒くらい、見なさいよ。今まで浪人生だって、みんなに気を遣われていたんだから。これからはその分も頑張って貰うわよっ!」

「ね、姉ちゃんっ!!」

「私は掃除ですっ! もう、人が1ヶ月以上留守にしたからって、どうしてこんなに散らかせるのっ! こうちゃんがきちんと掃除してるって言うから安心してたのに…あてにならないんだからっ!!」
 すがりつく声を振り払う。もう、忙しいんだからっ!!

「ま、待てよっ! 今日は休日出勤の代休で休みだって言ってたろう? 兄ちゃん。だから、コイツを預かったんじゃないのか? そうだろっ!」

「兄貴は、『まりりん』のとこだよ〜」
 この惨事を涼しげな視線で眺めつつ、もうすっかり支度を終えた千春くん。

 家庭教師のバイトのために、午前中は図書館で調べものをすると言っていた。まあ、豪太郎の気配を感じた瞬間に、機転の利く人間は逃げるわよね、そりゃあ。1歳6ヶ月を過ぎた巨体はもう手に負えない。その上、片言でしゃべり出したもんだから、うるさいのなんの。

「あ〜千春兄っ! ずり〜、逃げるなんて酷いじゃないかっ! 俺ひとりに押しつけるなよっ…新司兄はっ! どこ行ったんだ!?」

「馬鹿ねえ…新司さんは店舗の棚卸しで7時出勤だったわよ。もう雅志くんしか残ってないの、頼むわよ〜亜由美ちゃん、つわりで寝込んでるんだから…」

 ああん、もう。忙しいったらないわ。私はバタバタと階段を駆け下りた。ここもそこもみんな埃っぽい。もう許せないっ!! ああ、だから、実家に1ヶ月半もいるのは嫌だったんだ。でもお祖母ちゃんとママが許してくれなくて、全然戻ってこられなかったんだもん。すっかり身体がなまっちゃった。


 そして。
 私のもうひとりの宿敵は、千春くんの報告通り。居間にで〜んと腰を下ろしていた。

 

「あ〜、こうちゃんっ!! 抱き癖が付くから、不用意に抱っこしないでって言ったでしょうっ!!」

「ん〜? 何か言ったか…?」

 …駄目だ。こっちも相当に呆けている。こうちゃんはもう、締まりのなくなり果てた情けない顔で、にへら〜っと笑っていた。どうしよう、頭のネジが10本くらいぶっ飛んでる。

「可愛いよな〜、俺、仕事やめて主夫になろうかな? 花菜が仕事に復帰してもいいだろ?」

「うげっ…」
 あまりのことに立ちつくした私の肩に顎を乗っけて(身長差があるので、結構苦しい体勢だと思うぞ)、通りすがりの千春くんが喉の奥で叫んだ。

「もう、すっかり『まりりん』菌に冒されてますなあ…大丈夫なの? 花菜美さん、あれ…」

「…知らない…」


 あれから、丸々1年が過ぎて。私はめでたく、2月の終わりに女の子を出産した。名前は茉莉花(まりか)…超音波の映像を見たときから、親ばか丸出しになってしまったこうちゃんは、里帰り出産をした私の元に週に3度もやってきた。

 こうちゃんの職場から私の実家までは車で片道4時間もかかる。それでも負けることはなかった。一度は季節外れの大雪でチェーンを巻かなくちゃいけないくらい豪雪に見舞われたけど、そんなことでへこたれるこうちゃんではない。

「今に、花菜美さんは『まりりん』に兄貴を盗られるよ?」
 これが大泉家の弟くんたちの合致した意見だ。まあ…かなり、心配かも知れない。ちょっと妬けるわよね、この光景は。ふにゃふにゃでまだ視点も合わない赤ん坊に「可愛い、美人だ」と大騒ぎだ。嫁に行かせないぞと今から豪語しているし…。

 お嫁さんと言えば。みどりちゃんはあの後、男の子を出産した。だから、目下の彼女の目標は息子の麗那(れいな)くんとウチの茉莉花をらぶらぶにすることなんだって。う〜ん、またもみどりちゃんの騒動に巻き込まれるのかとドキドキだわ。


 ようやく里帰りから娘を抱いて戻った私を待っていたのは、変わり果て、廃墟と化した我が家だった。もう、脱いだら脱ぎっぱなし、食べたら食べっぱなし。ゴミ出しだって満足にしていなかったらしい。玄関を開けたら生ゴミ臭かったもの。つわりでもないのに、吐き気がしたわ。
 もう、3時間おきの授乳の他は、家中の大掃除に終始している。これがまた、手強くて…3日経っても終わらない。全く嫌になっちゃう。ようやくこうちゃんのお休みが来たと思ったら、ただの置物がひとつ増えただけの状態だし…?

「こうちゃんっ! もう、茉莉花はしばらくベッドに転がしておいてっ!! さっさと朝ご飯を食べてちょうだいっ! 片づかないでしょうっ!!」

 強引に奪い取って、ベビーベッドに送還する。このままじゃ抱き癖が付いて、また朝から晩まで「ばってんおんぶ」になっちゃうわ。勘弁してよ、あれはもうやだ。豪太郎でこりごりよ。でもばってんじゃないと、安定しないんだもんな…。

「うう、茉莉花が名残惜しそうな顔をしてこっちを見てる…」

「見てませんっ!! というか、生後1ヶ月でようやくモノの動きが目で追えるだけの状態です。こうちゃんを判別してる訳がないでしょうっ!」

 ぐいぐいとダイニングテーブルに押していく。ああ、案の定、茉莉花が泣き出した。もう、知らない。赤ちゃんは泣くのも仕事なのよ…とと、どうしたんだ、今度は千春くんが抱っこしてるぞ。ああん、お前も立派な『まりりん』菌感染者じゃないの?


「…ねえ、こうちゃん?」

 すっかり冷めてしまった目玉焼きとスパゲッティーのサラダ。おみそ汁は仕方ないから鍋に戻して温め直す。ご飯をジャーからよそいつつ、ちょっと拗ねた声で言う。

「こうちゃん、もしも私と茉莉花が一緒に泣いたら、茉莉花の方に行くんじゃないの? 何だか、こうちゃん、茉莉花が生まれてから私の顔もろくに見てくれないわ。そんなでいいの? 私はこうちゃんの奥さんなんだよ…」

「花菜…」
 こうちゃんは、お行儀も悪く、口に入れたご飯をそのままぽろっと落とした。お茶碗がナイスキャッチする、さすが少年野球の監督だ(あまり関係ない気もするけど…)。

「まったく…何を言い出すのかと思ったら」
 そう言うと、私のエプロンを引っ張って、耳元に唇を寄せる。

「な…何よっ!」
 身体の動きを止められて、ばたばたする。それなのに、こうちゃんはふふっと笑って言うのだ。

「朝っぱらから…そんな、すぐに二人目を作りたくなっちゃうような、可愛いこと言うなよ…」

「は…はあっ!?」

 呆れ果てて、振り向くと。こうちゃんが朝の日差しを一杯に浴びて、にこにこと笑っていた。そして更に言う。私の視線をめいっぱい意識して。

「う〜ん、やっぱり花菜の作った飯はおいしいなあ…」

 そそ、そんなことを言ったって。騙されないんだからっ!! …そうは思うんだけどね。でもちょっと、嬉しかったりもする。こうちゃんといると、心がふっくらしてくる。そう言う自分が好き。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 ここは。小さなアクアリウム。たくさんの水草が茂って、その中を緩やかな水流が流れ、色とりどりの魚が泳ぐ。最初にこの場所に入れられたときは、戸惑うばっかりだった。水の温度にも馴染めなかったし、他のお魚の意地悪もあった。つつかれて、ひれがぼろぼろになったりして…でも。

 ここで、生きるって決めたから。私らしく、生きていくって決めたから。

 もしも困ったことがあったら、一生懸命向き合って、乗り越えていきたい。大切な空間のために、そしてつかみ取る確かな未来のために。

 広い広い宇宙の中の、小さな星。そのまた小さな国の…小さな小さな一都市。空から見たら、塵にもならないほどの小さな「箱」…でも、大切な場所。守りたい場所。

 まぶしい朝の日差しも、静かな夜の雨しずくも、みんなみんなさりげなく受け止めて、行きたい。少しずつ、少しずつ、かたちを変えながら。それでも、いつでも気持ちよく、過ごせたらいいね。

 

 …ね、約束だから。頑張ろうね、こうちゃん。

これで、おしまいですv(030330)



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