〜こうちゃんと花菜美・10〜 …終…
「ほぉら〜、もう起きなさいよねっ!! いい大人が、いつまでごろごろしてるのよっ!」 「何だよ〜、姉ちゃんっ! 若い男の寝込みを襲うとはいい度胸だなあ〜…」 「いいっ!? 起きないなら、それでもいいわ。じゃあ、これ、預けるからよろしくねっ!」 ぼん、と肉のかたまりみたいな身体をおなかの辺りに置いて。うぎゃ、と悲鳴が上がるのにも構わず、窓際まで行って、カーテンを開ける。 「ほらほら〜いいお天気よ! もう8時なんだから起きなさいっ! たまには部屋の掃除もしてよね。このままだと、ゴミに埋もれて窒息死するわよっ!!」 「うわっ…!?」 「ちょっと、頼むよ…。今日は午前中は休講になったんだから、寝かせてくれよ…っ、とと。どうして豪太郎がこんなところにいるんだっ!!」 「あのねえ、雅志くん」 「甥っ子の面倒くらい、見なさいよ。今まで浪人生だって、みんなに気を遣われていたんだから。これからはその分も頑張って貰うわよっ!」 「ね、姉ちゃんっ!!」 「私は掃除ですっ! もう、人が1ヶ月以上留守にしたからって、どうしてこんなに散らかせるのっ! こうちゃんがきちんと掃除してるって言うから安心してたのに…あてにならないんだからっ!!」 「ま、待てよっ! 今日は休日出勤の代休で休みだって言ってたろう? 兄ちゃん。だから、コイツを預かったんじゃないのか? そうだろっ!」 「兄貴は、『まりりん』のとこだよ〜」 家庭教師のバイトのために、午前中は図書館で調べものをすると言っていた。まあ、豪太郎の気配を感じた瞬間に、機転の利く人間は逃げるわよね、そりゃあ。1歳6ヶ月を過ぎた巨体はもう手に負えない。その上、片言でしゃべり出したもんだから、うるさいのなんの。 「あ〜千春兄っ! ずり〜、逃げるなんて酷いじゃないかっ! 俺ひとりに押しつけるなよっ…新司兄はっ! どこ行ったんだ!?」 「馬鹿ねえ…新司さんは店舗の棚卸しで7時出勤だったわよ。もう雅志くんしか残ってないの、頼むわよ〜亜由美ちゃん、つわりで寝込んでるんだから…」 ああん、もう。忙しいったらないわ。私はバタバタと階段を駆け下りた。ここもそこもみんな埃っぽい。もう許せないっ!! ああ、だから、実家に1ヶ月半もいるのは嫌だったんだ。でもお祖母ちゃんとママが許してくれなくて、全然戻ってこられなかったんだもん。すっかり身体がなまっちゃった。
「あ〜、こうちゃんっ!! 抱き癖が付くから、不用意に抱っこしないでって言ったでしょうっ!!」 「ん〜? 何か言ったか…?」 …駄目だ。こっちも相当に呆けている。こうちゃんはもう、締まりのなくなり果てた情けない顔で、にへら〜っと笑っていた。どうしよう、頭のネジが10本くらいぶっ飛んでる。 「可愛いよな〜、俺、仕事やめて主夫になろうかな? 花菜が仕事に復帰してもいいだろ?」 「うげっ…」 「もう、すっかり『まりりん』菌に冒されてますなあ…大丈夫なの? 花菜美さん、あれ…」 「…知らない…」
こうちゃんの職場から私の実家までは車で片道4時間もかかる。それでも負けることはなかった。一度は季節外れの大雪でチェーンを巻かなくちゃいけないくらい豪雪に見舞われたけど、そんなことでへこたれるこうちゃんではない。 「今に、花菜美さんは『まりりん』に兄貴を盗られるよ?」 お嫁さんと言えば。みどりちゃんはあの後、男の子を出産した。だから、目下の彼女の目標は息子の麗那(れいな)くんとウチの茉莉花をらぶらぶにすることなんだって。う〜ん、またもみどりちゃんの騒動に巻き込まれるのかとドキドキだわ。
「こうちゃんっ! もう、茉莉花はしばらくベッドに転がしておいてっ!! さっさと朝ご飯を食べてちょうだいっ! 片づかないでしょうっ!!」 強引に奪い取って、ベビーベッドに送還する。このままじゃ抱き癖が付いて、また朝から晩まで「ばってんおんぶ」になっちゃうわ。勘弁してよ、あれはもうやだ。豪太郎でこりごりよ。でもばってんじゃないと、安定しないんだもんな…。 「うう、茉莉花が名残惜しそうな顔をしてこっちを見てる…」 「見てませんっ!! というか、生後1ヶ月でようやくモノの動きが目で追えるだけの状態です。こうちゃんを判別してる訳がないでしょうっ!」 ぐいぐいとダイニングテーブルに押していく。ああ、案の定、茉莉花が泣き出した。もう、知らない。赤ちゃんは泣くのも仕事なのよ…とと、どうしたんだ、今度は千春くんが抱っこしてるぞ。ああん、お前も立派な『まりりん』菌感染者じゃないの?
すっかり冷めてしまった目玉焼きとスパゲッティーのサラダ。おみそ汁は仕方ないから鍋に戻して温め直す。ご飯をジャーからよそいつつ、ちょっと拗ねた声で言う。 「こうちゃん、もしも私と茉莉花が一緒に泣いたら、茉莉花の方に行くんじゃないの? 何だか、こうちゃん、茉莉花が生まれてから私の顔もろくに見てくれないわ。そんなでいいの? 私はこうちゃんの奥さんなんだよ…」 「花菜…」 「まったく…何を言い出すのかと思ったら」 「な…何よっ!」 「朝っぱらから…そんな、すぐに二人目を作りたくなっちゃうような、可愛いこと言うなよ…」 「は…はあっ!?」 呆れ果てて、振り向くと。こうちゃんが朝の日差しを一杯に浴びて、にこにこと笑っていた。そして更に言う。私の視線をめいっぱい意識して。 「う〜ん、やっぱり花菜の作った飯はおいしいなあ…」 そそ、そんなことを言ったって。騙されないんだからっ!! …そうは思うんだけどね。でもちょっと、嬉しかったりもする。こうちゃんといると、心がふっくらしてくる。そう言う自分が好き。
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ここで、生きるって決めたから。私らしく、生きていくって決めたから。 もしも困ったことがあったら、一生懸命向き合って、乗り越えていきたい。大切な空間のために、そしてつかみ取る確かな未来のために。 広い広い宇宙の中の、小さな星。そのまた小さな国の…小さな小さな一都市。空から見たら、塵にもならないほどの小さな「箱」…でも、大切な場所。守りたい場所。 まぶしい朝の日差しも、静かな夜の雨しずくも、みんなみんなさりげなく受け止めて、行きたい。少しずつ、少しずつ、かたちを変えながら。それでも、いつでも気持ちよく、過ごせたらいいね。
…ね、約束だから。頑張ろうね、こうちゃん。 これで、おしまいですv(030330)
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