Novel Top「Simple Line」扉Epilogue

…Epilogue…

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「あのね、まゆちゃん。これから、すぐに出て来られるかな?」

 そんな連絡を貰ったのは、ちびまる子ちゃんを見ながらくつろいでいた夕方。ついでにお土産の温泉まんじゅうをほうじ茶と一緒にぱくついてた。

 

 雨の一夜が過ぎて。午前中はのんびりと春さんのアパートで過ごして、そのあと近くのファミレスでお昼を食べて。夕方に部長さんと待ち合わせの春さんとはそこで別れた。駅は目と鼻の先だったし。

 別れ際に「また、連絡するからね」って言ってくれたけど、まさかその当日にこんなふうに携帯が鳴るとは思わなかったよ。サイドボードの上に置きっぱなしにしてあったそれを手に、慌てて二階まで駆け上がる。旅行帰りの両親が、慌てふためいた娘に不思議そうな視線を送っていた。

 

「え〜、……ちょ、ちょっと。あのね『すぐ』って訳には……。そういえば、春さん。部長さんとのお話って、もう終わったの?」

 いやん、待ってよっ! もう、着替えちゃったし、一応メイクはそのままだけど、それだって直さなくちゃ。

 雨に濡れて、そのあとシャワーは借りたわけだけど。ムースなしで整えた髪はあっちこっち向いていて収拾付かなかった。一度は春さんに見られているとは言っても、やっぱ改めて会うんだったらきちんとしたい。これからシャンプーして……ええと。

「ごめんなさい、……あと家を出るまでに30分くらい掛かると思う。その頃、また連絡するから」

 いつもとは違う春さんに、戸惑ってしまう。だって普通、待ち合わせの日時を決めるのはどんなに間際でも前日だ。それも、こちらの都合をきちんと確かめてくれて。今まで一度も強引に進められたことはないよ。

 頭の中で、どんな服を着ていこうかとかごちゃごちゃ悩んでいたら、春さんは電話の向こうでくすっと笑った。

「30分も待つのは嫌だな? いいでしょう、すぐに出てきて」

 

 ――は? はああああっ?

 

 信じられないひとことに、思わず息を飲む。

 ちょっと待ってよ、春さん。いきなり何を言い出すの。仮にも私はうら若き乙女なのよ。「ちょっとその辺まで散歩に行きます」が限界の家着で街中を歩けるわけないでしょう?

 

 言い返そうとしたら、それより先に春さんがしゃべり出す。

「大丈夫だよ、靴を履いて出てきてくれれば。今、まゆちゃんの家の前に来てるんだ」

 

…**…***…**…

 


 嫌だなあ、もう。驚かせるにも程があるわ。

 何が何だか分からないまま、私はカモフラージュのお財布を握りしめて下に降りる。廊下を小走りに進みながら、居間にいる家族に「コンビニまで行って来る」と告げた。

 そして。玄関のドアを開けたら。本当に、春さんが門の所に立っていた。

 

「……どうしたの?」

 少しくたびれたカットソーを着た私は、それだけ言うのがやっと。

 しかもしかも、春さんってば。あの、いつかのものすごい格好いいスーツを着てる! うわ〜、あれきり見ることもなかったけど、いつもに増して男前、クラクラ来ちゃうほど格好いいよ〜っ! ……それに引き替え、ぼろぼろよれよれの私。こんな差がありすぎなのって、恥ずかしいわ。

「いきなり、ごめんね」

 そう言いながら、にこにこ顔の春さん。後ろ手に隠し持っていたものを、差し出す。カサカサとセロファンの音、辺りにあま〜い香りが漂って……。

「……えっ……」

 

 ――うわわっ! 待ってよ! どうして、いきなりバラの花束が! しかも、こんなに何十本も。すごい高そうだよっ!

 

 どうぞ、って言われたから、受け取っちゃったけど。何故、ここにこんなものが出てくるのか分からない。呆然を通り越して頭が真っ白になってしまった私に、さらに差し出された旅行代理店の封筒。

「今週の、土日。空けておいてくれるかな? 急で申し訳ないんだけど、花の見頃が終わっちゃうんだ」

 

 出てきたのは新幹線のチケットと……それから。三つ折りのリーフレットにはコスモス畑の写真。その向こうに赤い屋根の建物。あれ、これっていつかの旅行雑誌の――。

 ぼんやりと見上げると、春さんが私を見つめたまま、少し頬を赤くした。一応は、照れてるのかな?

 ……でもぉ、これって、あの、……お泊まりのお誘いだよね?

 うわぁ、いいのかな。どうしようっ!!! もう、私の方も真っ赤になっちゃう。どうしちゃったの、春さん。こんなにいきなりっ!

 

「いいかな? 直前のキャンセルだけはやめて欲しいから。嫌なら今、はっきり言って」

 ――もうっ! 何でそんなに落ち着いてるのよ、春さん。やだあ、どんな顔をしたらいいのか分からないじゃないの。そんなそんな、いきなりのお泊まりなんて……なんて、――嬉しいわよ、すごく。

「ご、ご一緒させて……頂きます」

 うわ、緊張してしまうわ。いきなり敬語になっちゃった。頬が熱くて、もうとても視線を合わせていられない。俯いたら、豊潤なバラの香りにむせかえりそう。かすかな息づかいで、春さんがすぐ傍にいるって分かる。

 もう、胸がいっぱいになって……夢だったら、どうしよう。思い切り、不安になっちゃうわ。だって、こんなの信じられない。びっくりも続きすぎると心臓に悪いわ。

 

 夕暮れの住宅街。しばらく、沈黙が続いて。そのあと、春さんはコホンとひとつ咳払いをした。

「それでね。……御両親、もう、旅先からお戻りになったでしょう? いきなりで申し訳ないんだけど、これから伺ってもいいかな」

「……へ?」

 思わず顔を上げた。

 えええ、またまた何を言い出すのよ、春さんっ! そんな涼しい顔をしてなくたっていいじゃない。うちの親に会うって? 会うって……あの……?

「……旅行に行きますって……わざわざ言いに行くの? それって、……おかしくない?」

 

 待ってよ〜っ、レトロにも程がある。

 ……って言うか、昔は婚前交渉なんて許されるわけないから、そんなこともなかっただろうけど。嫌だ、いくら何でも恥ずかしすぎるっ! まさか、最初からそのつもりでこうやって訪ねてきたの? えええ、やだよ。それだけはやめてっ!

 

「いや、まさか」

 私の慌てぶりに対して、春さんはどこまでもおっとりまったり。そりゃあ、最初から物静かな大人の雰囲気だなって思っていたわ。でもぉ……どうしてこんな時まで落ち着いてるの?

「あのね、実はね。――まだ、内々のことなんだけど。来年早々に、俺、大阪に行くことになったんだ」

「……?」

 いきなり声のトーンを落として、ぼそりと言うから何だろうと思ったわ。大阪に……ええと、出張じゃないよね? そんなのだったら、いつものことだし。じゃあ……ええと。

「も、もしかして転勤? 何年も行くとか、そう言うの……?」

 

 頭の中の情報をかき集めて、どうにか春さんの言葉を解析しようと試みる。そして、どうにかひとつの結論に辿り着いた。

 聞いたことはある、会社の中でも有望株の人材は何年か他の支社に行くことになるって。そこで色々と経験を積んだら、しかるべき椅子を用意されているって……。

 

「うん。さっき、部長と一緒にね、副社長とお会いして。直々にそう言われたんだ。引き継ぎとかやりかけのプロジェクトとかあるから、いきなりじゃ困るだろうって。――あ、まだ内緒だからね。小塚にも言っちゃ駄目だよ?」

 春さんは口元に指をあてて、くすくすと笑う。

 

 うわぁ、それって、もしかして。ものすごい大抜擢とか?

 いきなり副社長が出てきちゃうなんて、普通じゃないよ。いくらその上にも社長とか常務とかいたとしても、人事は副社長がだいたい決めてるんでしょう? 春さん、すごいっ! これからさらに、エリート街道ひた走りとか? すごいよ、すごすぎるよっ!!!

 

 何かもう、後光まで差してるように見えちゃう。やっぱ、春さんって、滅茶苦茶すごかったんだなあ。

 

「お、おめでとうっ! すごいね、すごいよっ! ……これから忙しくなるんじゃないの? いいの、あの、こんな……」

 春さんのことが自分のことのように嬉しくて。喜びがぶわんと身体中を吹き抜けたあとで、はっと正気に戻る。

 

 そうだよ、春さん。

 そんな、お泊まり旅行なんて行ってる暇あるの? 今までだって、すごく忙しかったのに。これから、もっともっとでしょう?

 

 赤と銀のラインが斜めに入った白い封筒を見つめながら、私は不安になった。いいのに、こんな気遣いなんて。私、春さんの負担になるのは困るよ? 大丈夫、ちゃんと待ってられるから。私のことなんて、心配しないで……。

「何言ってるの?」

 春さんは封筒ごと震える私の手を握りしめた。両手でしっかり包み込んで。そして、ゆっくりと話し出す。

「ここにはね、どうしても行かなくちゃならないんだよ。下見を兼ねることになっちゃうけど、……それでいいかな?」

 そして、内緒話みたいに私の耳元で囁く。

「これは個人的な意見なんだけど。都会のごみごみした式場よりも、自然の中の方がいいかなって思うんだよ」

 

 ……え……?

 熱い吐息が耳元をくすぐる。こそばゆくて、胸の奥がじんとして。春さんがこんなに近いとそれだけでドキドキしちゃうんだけど……あの? もしかして、今、ものすごいこと、言わなかった……!?

 

「はっ……春さんっ!?」

 思い切りのけぞってしまったから、もうちょっとで花束を落とすところだった。口をぱくぱくさせている私に、春さんはもう、とろとろに溶けちゃいそうな素敵な笑顔を向けてくれる。

「こういうことは勢いがないと出来ないからね。今は、大阪行きの話を聞いたばかりで気持ちが高揚してるから、どうにかなりそうなんだ。――いいかな、まゆちゃん。大阪には一緒に付いてきてくれる?」

 

 ――どうして、そんないい方するのかなあ? 私が断るわけないって、分かってるんでしょう?

 

 いつでもそうだよ。

 春さんはどこまでも落ち着いていて、全然乱れてなくて。私ばっかりがドキドキして不安になって、行き詰まってばかりいる。こんなじゃ駄目だって思うのに……いつも、いつもそう。まっすぐに、心が春さんに向かってる。いつでも春さんの方を向いて、春さんの側に行きたいなって考えてる。

 ずるいなあって、思う。でも、好きだから、大好きだから。――これからもずっと、一緒にいたいよ。

 

 夕焼けの名残の朱よりも、もっと真っ赤な頬をして。私が返事をするまでの空白。右手をすっぽりと包み込む春さんの手のひらが、いつの間にかじっとりと汗ばんでた。




…おわり…(040524)

 

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