戻る      次へ

夢見るHard Winds
Act1・来訪者

 


「ただいま─── ! 兄貴! リード兄貴いる!? 」
 まだ丘を上がりながら、待ちきれないように叫ぶジミーの声がする。窓から覗くと、帽子を片手に転がるようなスピードでジミーは駆け上がってくる。
「おう! ジミーお帰り」
 ベッドの側の窓を開けてリードが答えたか否かのうちに、ドアがバタンと開いた。
「──  何だあ…えらく急いだ様子だな」
 ジミーはぜいぜいと肩で息をしている。
「あら、お帰りなさい、ジミー。どうしたのよ、大声出して」
 キャシーも驚いて台所から出てきた。
 呆れる二人の前でひとしきり息を整えたジミーはおもむろに一枚の紙を取り出した。
「僕はよく分からないんだけど…まずはこれを見てよ」
「何だ、これ。タウンの新聞…?」
 ひょいと受け取り、鼻歌交じりに読み始めたリードだったが…その顔が見る見る真剣になっていった。
「セイジュ・S・モートンの…視察…?」
 記事を目で追いながら、リードはかすれるような声で呟いた。
「…セイジュ・S・モートンって…」
 クッキーの皿を半ば落としたようにテーブルに置いたキャシーもやはり押し殺したような声でリードに問いかけた。
「ゴーストの…奴らの…副総監だよ、奴らの」
 リードは「奴ら」と言う言葉を二度繰り返した。
「どうして、今頃になって…」
 キャシーのティーポットを持つ手は小刻みに震えていた。
「ゴーストの護兵が村までやってきたことは二度ほどあったけどな…どうしてこいつが来るんだろう…」
「そうね、今まで、ずっと何もなかったのに…」
「ねえ! ねえってばあ!」
 二人の会話を聞いていたジミーが不意に叫んだ。
「もっと、僕にも分かるように話してよ! 内緒話みたいに…」
「ジミー!」
 リードが何時になく厳しく言ったので、ジミーはハッと口をつぐんだ。
 その後からキャシーが静かに諭すように、
「ごめんね、ジミー。もっと小声で話してね、誰がドアの外にいるのかも知れないから…」
と、言った。そしてリードをそっと見つめた。
 リードもキャシーの方を見て、ひとつ、うなづくと幾分表情を和らげてジミーの方へと向き直った。
「今度のことが、実際どういう経緯でとり行われるか、俺には分からない。兄貴達が帰ってこないと…でも、ジミー。お前は薄々感づいているんだろう? ゴーストが俺達にとってどんな存在か」
「……」
 ジミーは神妙な顔になって首に下げたペンダントを外し、裏を向けてテーブルに置いた。
「ジミー…」
 キャシーの声は消えそうだった。
「九年前のクーデター。当時タウンに住んでいた王族一家を始め貴族、区民、根こそぎ殺された。でもいくらゴースト一味が残虐だったとしても、タウンの人々の全て残らず殺すことは不可能だった…逃げ出した生き残り達が復讐を企てることが奴らにとっての唯一の恐怖。だからこの九年間、しらみつぶしに探しだし、惨殺していった。…僕たちって、タウンの生き残りなんでしょう? それもその気になれば昔の家臣達が力添えをする恐れのある、ゴースト達が恐れている、最も頂点にある…」
「…知っていたの…!」
キャシーは今にも泣き出しそうだった。
「知らなくて済むものなら、知らないままでいさせてあげたかったのに…そうもいかないのね」
「貴族の中でも王族との繋がりが深かった家、その一つが僕と姉ちゃんの…グレイン家、なんでしょう?」
「ペンダントの裏、見たのね」
「うん、新聞屋の倉庫で古い資料を調べた。だって僕たちは兄弟って言う割には似ていないし、共通の両親の話題だって出てきたことない。みんな、何か隠しているみたいなんだもの…ゴーストの護兵に気づかれないように身を潜めてきたし」
「お前も物の分かる歳になったもんな。まあ、これからのことは全員揃ってからか」
 リードは努めて明るく言った。
「そうね、お茶でも飲んで兄さん達を待ちましょう」
 キャシーにも笑顔が戻っていた。

 

 5人にとって、辛いこと、困ったことは何も今回が初めてではなかった。ゴーストの護兵が来ると言えばドキリとしたし、(ジミーは知らなかったが)かつての知り合いが訪ねてくることだってあった。自分たちの存在が知られることはすなわち死を意味する。言わば「死」と隣り合わせで生きてきたから、それなりの処世術は身に付いていた。…こんな時、事実関係も知らず騒ぐのは良くない。
 セイジュ・S・モートンがやってくる…のだ、日時ははっきりしないけれど護兵を従えて。
 大変な事件だと言うことは確かだ、とリードは思った。
 しかし、こうも思っていた。
 今までどうにか切り抜けられたように、今回もきっと上手く行く。そうでなかったとしても…。
『どうせ拾った命なんだから…』
 この後の言葉はいつも決まっていた。精一杯、やるだけやれば…多分2人の兄(と言っても血の繋がりはないが)ロッドとアレクの心も家にたどり着くまでには決まっているだろう。

 リードは一息つくと、カップを手に取った。
「ね、ね、…リード兄貴」
 ジミーが丸テーブルに沿うように、椅子を引きずってリードのベッドの脇までやってきた(リードは怪我のせいで何をするのもベッドの上)。その後、カップも目の前まで移動させて、ことり、と置いてリードの顔を見上げた。
「どうして僕たちってここまで来たの? タウンから一番遠い村まで。それにゴーストに見つかるのがそんなに大変なら、ごたごたに紛れて国外に逃亡しちゃえば良かったんじゃないかなあ?…そう思わない?」
「…そう言われてもなあ…俺もクーデターの時にはまだ九つだったし、よく分からないな」
 ジミーは今まで押し殺していたものを一気に吐き出したように話し出した。リードは首を傾げてしまった。
 ジミーが言うことはもっともだし、…
「それに今まで生きるのに夢中で、必死に仕事して来たからそんなこと考えるゆとりもなかった」
 それはリードの本心だった。
 本当に生きることに精一杯の年月だった気がする。
「ふうん」
 ジミーは分かったような分からないような顔で頷くと、
「忙しかったんだね」
と付け足した。それからカップの紅茶を一気に飲み干した。
「でも、僕、好きだからいいや。この村も、ここの生活も」
「おーお、生意気言っちゃって。ここに来た頃はただ泣くだけの赤ん坊だったのに」
 リードがからかうとジミーはムッとして、叫んだ。
「もう! すぐにガキ扱いするう〜」
「十三のくせにガキじゃなくて何だよ」
「リード兄貴ィー!」
 ジミーがリードに飛びかかろうとした時、戸口で物音がした。
「ハハ…やってる、やってる」
「アレク兄貴!」
 二人は同時に叫んだ。
「今日は早いんじゃないの?」
「まあね、今日は早くないとまずいんじゃなかったかな?」
 どことなく気障な言い方をするのがアレクの特徴だった。それでいて鼻につかないのも不思議なことだ。
「ポリスにも知らせが入ったんだ」
 ベッドの上からリードが言った。
「ま、そんなところだ」
 アレクはコートを壁に掛けると、ワイシャツのボタンを一つ外した。もちろんその上にはブルーのセーターを着ている。五人の住みかには薪ストーブしかなく、それも出来るだけ付けないようにして節約している。寒いときでも日中はなるべく服で調節するのだ。ポリスの制服は勤務時間のみの着用となっているので、署で着替えてくる。その後、腰まで伸びた長い髪をうしろで結わえた。
「お帰りなさい」
 キャシーが入れ立ての紅茶を差し出した。
「ありがとう」
 アレクは短く言うと、カップの前に座った。さらりと流れた髪の下に、首から背中にかけて一面に広がる痛々しい火傷の後が覗く。それを見るたび、リードはどうして彼が髪を伸ばすのかを悟るのであった。
「おい、リード。足の具合はどうだい?」
 不意にアレクは尋ねた。
「─── 治るわけがないわ」
 リードに代わってキャシーが頬をふくらました。
「複雑骨折だって言うのに少しも大人しくしていないんですもの。一ヶ月安静にしていたって、どうにもならないんじゃないの?」
 その言葉にリードは決まり悪そうな表情になったが、図星なのだから仕方ない。
「そうか…困ったことだな」
 アレクが真面目な顔でこちらを見たので、リードは当惑した。
 いつもの軽い口調とは余りに違う。
「一日も早く治してもらわなくちゃな、お前は重要戦力だ」
 アレクの口からはとんでもない言葉が出てきた。

「じゅ…重要戦力?」
 リードは思わず叫んでいた。しかし、アレクの方は言葉とは裏腹の落ち着いた笑みで頷いた。
「ちょっと…それって…」
「まあ、今そう決めつけてしまうのは、気が早いかな? だが、そのくらいのことは覚悟してかかって丁度良いだろう…」
「……」
 リードはアレクの考えをはかりかねていた。
「兄貴は…ただごとではない気がしていたんだ」
「そうだなあ、署内の空気も異様だし。大体、どうしてこんな小さな村にわざわざ政府の首脳がやってくるか、疑問なんだよなあ…」
「…今までの人たちとはそんなに勝手が違っちゃうの?」
 二人の話を聞いていたジミーが口を挟んだ。
「もうじき、クーデターから十年になる、この辺で足元固めを強固にしようということなのかな、とも思えて」
「でも…それじゃあ、ゴースト達は私たちのこと、知っているってこと?」
 キャシーもアレクに疑問を投げかけた。
「私たちはこの村でこうして生きているだけでも、いけないことなのかしら? 私はこのままでいいのになあ…」
「そうだな、大人が考えることは本当に理不尽だ」
 アレクはそう言いかけると、三人に対するように椅子の向きを少し直した。
「ゴーストの目指しているのは完璧な独裁社会、それこそ指一本で思うがままに動かせるような…その為には塵ほどの大きさの危険因子も目障りだろうからな…だが今ひとつ、考える要因がある。お前達はどうして俺達が国外まで逃げ落ちなかったか分かるか?」
 アレクが静かに話し出したのは、先程のジミーの質問と同じ内容だった。
「……」
 何せ、ここの三人は当時子供過ぎて…年長者のロッドとアレクの意向に従うしかなかったのだ。…アレクの言い方だと二人にはあの時、何かの意志があったのか?

 タウンから遠く離れているとはいえ、国内でゴーストの手から逃れるのはそれなりに危険と隣り合わせだった。タウンからの逃亡の旅。別にこちらから仕掛けたわけでもないのに、執拗な新政府の追跡。同じような立場の人々が惨殺されるたび、今度は自分かと恐れた。確かに国外まで出てしまえば、そんな恐怖は和らいだはずだ。

「いつまで逃げているわけでも、また、逃げられるわけでもないさ。ただ、機が熟していなかっただけ…」
 アレクの整った顔は恐ろしいほど冷たく見えた。
「じゃあ、アレク兄貴…」
 背筋の凍り付くようなその表情から、リードは全てを理解した。「まだ、ロッドが帰らないことにははっきりしたことは言えないよ。しかし、因果なもんだな…結局は自分たちもゴーストと同じことをしようとしているんだから…」
「でもそれでこの国が今より良くなるのだとしたら、良いかも知れない…」
 キャシーが胸の前で両の手を組んだ。
「私は今のままの生活で十分だわ。でも、噂に聞くタウンの治安の悪さっていったら…少しでもゴーストの方針に反感を持とうとする人は皆、暗に殺害されてるって言うじゃない。このまま何もしないでいるのは死んでいった人々に申し訳ないと思うの」
 自分の手を見ながら、そう言ったキャシーの表情は寂しげだった。俯いた彼女の三つ編みが、小さく揺れていた。
 その後、彼女は夕食のジャガイモをむきだしたが、もう何も話そうとしなかった。

 

「さて…夕食までには時間がたっぷりあるようだな。…ジミー?」
 少しの沈黙のあと、時計を見たアレクが、意味ありげに微笑んだ。さっきまでの緊張感は消えていた。
 ジミーはぎくりと振り向いた。
「逃げようとしたって無駄だよ。さあ、ノートとペンを持ってきたまえ、ジェームズくん」
 アレクはポリスの署長の口真似をした。
 傍らにいたリードも笑い転げる。
 キャシーの顔にも笑みが戻ってきた。
「は〜い、分かったよう〜」
 ジミーは諦めたように椅子から飛び降りると、棚から藁半紙を閉じたノートとインク壺とペンを持ってきた。
 明らかに嫌そうな表情である。
「さーて、方程式の続きだったかな…」
 アレクはノートをのぞき込んで言った。
 自らが日々の糧を得なければ暮らしていけないジミーには、学校に通う時間のゆとりはなかった。
 そこで、一応、学歴のあるアレクとロッドが先生役になって夕食前のひととき、「授業」を行っているのだ。
 リードもキャシーも、かつてジミーと同じく机に向かっていた。
「そういえば…」
 キャシーは、ジャガイモをむく手を一瞬止めた。
「ロッド兄さん、遅いわね」
 時計は四時を回っていた。もうすぐランプを灯す時間だ。
「そうだな」
 リードはベッド側の窓から、紅く染まった空を眺めた。
 普通なら三時には帰ってくるはずである。
「ゴーストの護兵が来るってニュースがあったくらいで仕事を早引けして帰ってくるのにな…」
「そうね」
 キャシーは立ち上がった。
「今に来るでしょう、さあ、スープを作っちゃうわ」
 彼女はおさげを揺らしながら、台所へ消えていった。
 すぐにコトコトと何かを切る音が聞こえてきた。

 

 静かだな…、窓の外に目をやったリードは思った。
 話し相手もなく手持ち無沙汰になった彼は、いつもと変わらない静寂を不思議と楽しんでいた。
 彼はこの安堵感が好きなのである。
 慌ただしい毎日の中で、この丘の上の家はただ一つの安息の場所であった。

 思えば。

 九年前、突然世の中に放り出された。
 肉親の消息を知る手だてもなく、風の便りにしか聞けないタウンの状況…今日のパンを得ることは考えられても、それ以上のことを思う間もなかった。

「そうそう、リード?
 彼の物思いは台所から出てきたキャシーによって中断された。
「うん?」
「今日ね、下の川まで水くみに行って、知らない人に会ったのよ」 食事の支度も一段落した様子で、キャシーはベッドの近くの椅子に座った。
「へえ…この村に、外から人が来るなんて珍しいな」
「そうでしょう?」
「で…どんな人だった?」
 リードは心持ち、身を乗り出していた。
「えーとね、四十過ぎくらいのおじさん。すごく上品そうで、あんな人を紳士って言うんだろうなって思ったの」
 キャシーは少し遠い眼になった。
 聞けばその紳士は、彼女が水桶を持って丘を下って行ったとき、川のほとりに佇んでいたと言う。
「手を貸しましょうか、お嬢さんーって、丘の途中まで桶を持ってくれたの。すてきなスーツが汚れないかと心配しちゃった」
 キャシーはそう言うと少し微笑んで、
「お嬢さん…何て話しかけられたことないから、照れちゃった。そのひとアルフレッド・カーターさんって言うんだって」
と、続けた。
「タウンかティレス…ダーク辺りから来た人かな?」
「…そこまでは聞かなかったけど、多分、そうね。言葉遣いも物腰も村の人とは全然違うのよ」

 違うと言えば。

 リードは考えた。
 この家に住む五人だって、村の人とは何処か違って見える。
 みすぼらしい服さえ着ているが、髪の色、眼の色、そして顔立ちそのものが村人離れしている。

 …紳士もどこか気づいたのかも知れない…

 その紳士が自分たちにとってどんな存在になるのか知る由もないが、ゴースト一味の目は誤魔化せないかも知れない。今更、国境外に逃げることも叶わないだろう。国境の警備は大袈裟なくらい厳しいのだ。

 …逃げることも出来ない…

 もう分かり切っているはずのことを、何回も反芻していた。

「それはそうと…兄さん、遅いわねえ」
 もう五時半を回っていた。春浅い頃なので、外は真っ暗になってしまった。
 その時、戸口の方で物音がした。
「ほら、心配するほどのこともない…」
 リードが言うと、キャシーも笑顔で立ち上がった。
「兄さん、お帰りなさい…きゃ…!」
 小さな悲鳴だった。
 部屋にいた皆の目が戸口の方に集中した 。
「ただいま…」
 そこに立っていたのは紛れもなくロッドだった。
 しかし…
「ど…どうしたの…その人?」
「あ…兄貴…?」
 ロッドは背中に男を抱えていた。
 ぐったりとうなだれていて息すらあるのか、リードの所からでは確認できない。
「早く寝かせてやってくれ」
 ロッドは短くそれだけ言った。
 アレクが腕を貸して、男は隣の寝室に横たえられた。
「この人…」
 キャシーは男の顔を一目見るなり、リードの方に向き返った。
「昼間の…昼間の人だわ!」
 彼女は明らかに動揺しているようだった。
 それは リードにしても、他の住民にしても同様だったが。

────一体、何て一日なんだ!…そう心の中で呟かずにはいられなかった。

 



戻る   次へ