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夢見るHard Winds
Act3・ポリス

 

 ロッドの連れてきた紳士は、未だに目を覚まさない。 
 ジミーがタウンの新聞を手に帰ってきた日からすでに3日…その後、新しい情報は誰の耳にも届いていなかった。
 リード以外の仲間は,、皆、普段どおりに勤めに出ていたから、もし何か動きがあれば、ジミーの新聞屋に、アレクのポリスにとすぐに飛び込んでくるはずであった。

 初めに緊張しただけに、いささか拍子抜けしていた。
 ただ、セイジュ・S・モートン氏が視察団を組んで来訪するというニュースは村中に広まっており、夕食の席で珍しくスプーンを手荒に扱ったロッドは、
「まったく…祭り騒ぎだよ」
と、いつもの低い声でこぼしていた。

 

「精神的に、何か非常に打撃を受けていて…それが元になっているらしいんだが…君たちに聞いても分かりっこないしなあ…」
 3日続けて丘を登ってきているレーン・ドクターは難しい顔をした。
「でも、命に別状はないんでしょ?」
 キャシーは心配そうにドクターの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だと断言は出来ないが、意識さえ戻ればな…それより君たちだって、こんな狭い家にいつまでも見知らぬお客がいたら、寝るのにだって困るだろう?」
「不自由してないわけじゃないけど…村の人もあれこれ差し入れたりしてくれるし、困ったときにはお互い様だよ」
 リードは明るく言った。
「そう言ってもらえると正直助かるな…中央政府のお偉方がこの村に来るとなると何かと騒がしいだろうから、うちの病室で病人を安静にしておくことも難しいだろうし…」

 この緊急事態に何者かも知れない人間が鎮座することは、はっきり言えば迷惑以外の何者でもなかった。
 しかし、村の人々にはいつも世話になっている手前、言い出せなかった。
 それに村の人々にとっては丘の上の面々の事情は知らぬ所である。

「じゃあ、戻るとするかな」
 レーン・ドクターは木製の鞄を手にすると、ゆっくり立ち上がった。
「あ、今、お茶入れますから待っていてください」
 キャシーは慌てて椅子を勧めた。
「いや…もう戻らないといかん。すっかり長居してしまったからな」
 彼が丘を降りていったのは、日差しがまぶしく輝きだした九時頃のことであった。

 

 その同じ頃、村の中央にある白い建物の一室に、一礼して入っていく者があった。
「お早うございます」
 アレクである。
 彼はブラウンの巻き毛をかき上げると、さっと、自分の席に着いた。
 誰が見ていようが見ていまいが、その身のこなしには無駄な所はなくスマートだ。
 そして、青いラインの入った白い制服。
 すらっと長身、細身のアレクにはこの上なく似合っていた。

 オーダーメイドであるから、どんな体格にも合うように作られるのではあるが…やはり、似合う、似合わないと言うのは残念ながらあるようである。
「やあ、アレキサンダー・アルバーソン君」
 そこへやって来たのは「残念ながら」の小太りの中年男であった。
 アレクは左目で嫌悪の色を一瞬見せたが、すぐに営業用のスマイル(?)を造ると立ち上がり、
「お早うございます、ワーグス署長」
と、深々と一礼した。
 この中年男はリース村のポリスの署長でグレゴリー・ワーグス、と言う。
 実はなかなかの曲者で署長という地位に似合わず、人をからかうことを趣味としている困った人物。
 あのロッドまでが手を焼いているのだから、相当の者である。 同じ職場にいるアレクなどは格好の的になっていた。

「いやー、今日もいい天気だね、アレキサンダー君。君の兄弟達もこの空の下、せっせと働いているだろうねえ」
 彼は窓から外の景色をうかがいつつ、オーバーなジェスチャーとともに叫んだ。
 その大声は、リース村ポリスの各指揮官が計六名、机を並べたこの部屋の隅々まで響き渡った。
 アレクは二一歳の若さで、第二銃士隊の隊長を務めている超エリートなのである。
「兄貴のロッドは時計屋だな、下の弟のジェームズは新聞屋かい? 妹のキャサリンは洗濯物を干している頃だろうなあ」
 ワーグス署長はアレクの机の前を行ったり来たりしながら話し続けている。
 大体、次に言うことは察しが付いてきたが、アレクは無視を続けていた。
 署長の一人語りで、誰も話に加わらないのが幸いと言えば幸い…皆、話の腰を折ったりしたら自分が次の標的にされると分かっていて止めることも出来ないのだ。
「───リード、リードも元気で働いているんだろうな? あのドジ男、何かやらかしていないといいんだがなあ…そうだろう? アレキサンダー君? 」
 トン!──── アレクは机の上の書類をひとまとめにした。
 署長は誰からともなく聞きつけたに違いない…リードが池にダイビングしたことを。
 そうならそうだとはっきり言えばいいのに、回りくどく言うのが困ったところである。

 今の署長の言葉からも分かるように、ハードウィンズの五人は村人の間では実の兄弟ということになっている。
 ラスト・ネームは以前、あの丘の上の小屋を所有していた老夫婦(五人が九年前にこの村に流れ着いたときにはすでに二人とも亡くなっていた)のものを名乗ることにした。
「アルバーソン」というのがそれである。
 成る程、同じタウン生まれの貴族と言うだけあって、五人は同じような雰囲気を持っていた。
 目元、口元…それにも増して、全体的な感じがよく似ているのだ。
 国境近い村人が「タウン」を知らないからこそ、疑われることなく生活を続けることが出来たのだ。

 ワーグス署長の挑発にいよいよ耐えられなくなったアレクが口を開こうとしたその時──────、
「署長、タウンからの伝令です。早馬が着きました」
 門番の将校が部屋に入ってきた。
「お、そうか。ご苦労であった」
 署長は弛みきった顔を慌てて真顔に戻すと、自席に戻り、文書を受け取った。
 将校は姿勢を正すと一礼して、部屋を出ていった。
「昨日の朝、あちらを出た早馬のようだ」
 文書を開きながら、彼は言った。
 ちら、っと日付が見えたのだろう。タウンとこのリース村とではどんな優秀な早馬に託したところで、一日強はゆうに掛かるのだ。
 間に「ロード区」と言う山岳地帯があるため、大きく迂回しなければならない汽車は四日も掛かってしまう。
 その為、急用を運ぶ手段としては早馬に頼るしかなかった。
 他の六名────アレクを含めて、は署長の次の言葉を待っていた。
 政府から各地区に派遣された、と言う名目になっているポリスにとって、タウンからの伝令は「天の声」である。
 大方、視察の続報に違いない。
 ポリスは政府からの視察がある折りには、接待から警備まで一手に引き受けるのが常であった。
 署長は文書を要約して語った。
「セイジュ・S・モートン伯の視察団のご来訪の日取りが正式に決定した。…四月六日、丁度、一週間後だ。皆、よろしく頼む、早速、自分の隊に伝えて欲しい」
 六人はさっと立ち上がった。

 

 アレクは商店街の中を、丘の上の家に向かって急いでいた。
 日はまた高く、昼を過ぎたばかりである。
 今日の午後は自主練習になっていて、銃士隊隊長としての仕事はない。
 自分で練習しようとも。場所は何処も一杯であることは分かっている。
 アレクが行けば、すぐさま、配下の者が場所を譲るであろう…しかし、アレクはそういう権力を笠に着た振る舞いは好きではなかった。
 視察の日程の他、いくつかの重大な知らせが今日の文書にはあった。
 一刻も早く作戦を練りたい。
 そう思って、先刻、時計屋に立ち寄った。
 多く言わなくてもロッドは心得ており。あと一つ時計を直したら、早引けすると告げた。
「あら…ずいぶん早いお帰りなのね…」
 アレクはふと、急ぐ足を止めた。
「リーア…」
 そこには鳶色の髪を美しく伸ばした美しい娘が立っていた。
 彼女は雑貨屋の店番の席を外して通りに出てきた。
「あれ…今日、オルフェインさんは?」
 アレクはいつもの雑貨屋の主人が店内にいないことに気付いた。
「父さん、今日はいないの。用事があるって…私がお留守番」
 リーアは静かに微笑んだ。
 彼女はキャシーより三歳年上だったが、不思議な雰囲気のある娘だった。
 アレクとリーア、二人が並んでいるととても絵になる。
 …しばしの語らいのあと、アレクは言った。
「今日は急ぎの用があるんだ、これで失礼するよ」
「そう…」
 リーアは少し黙り込んでいたが、すぐに笑顔になった。
「───あ、アレク…忘れないでね、林檎の花を見に連れて行って」
てくれる約束…」
「分かってる」
 アレクはそっとリーアを抱きしめると、額に軽くキスをした。 その後、リーアの目を見て、
「忘れないよ…じゃ、また」
と、短く言って手をほどいた。

 

「護兵が…来ない…?」
 アレクの言葉は、丘の上の住人達を当惑させていた。
「それって、どういうことなんだよ? 兄貴」
 リードは思わず落としそうになったティーカップをかろうじてテーブルの上に置いた。
 テーブルは例のごとく、リードが会話に加われるように、ベッドの側に付けられており、その周りに早引けしてきたロッド、今戻ってきたジミー、アレク、そしてキャシーが座っている。
 リードはもちろん、ベッドの上だ。
「俺だって、自分の耳を疑ったさ。とにかく知らせによれば、モートンは自分の身の回りの世話をする者を数人と通常から彼の身辺警護をしている兵を二人だけ連れて、個人的な旅行の形で来るらしい…。署長も農業的な方面を中心とした視察じゃないかと言っていた」
 アレクは明らかに拍子抜けした声で報告した。
「じゃあ、今回はそんなに身の危険を感じることはないのかしら?」
「いつもと同じように目立たないようにしていれば、どうにかなるんだね!」
 キャシーとジミーが明るい声で次々に叫んだ。

 今回の視察の話を耳にしたときには並々ならぬ危険を感じていただけに、丘の上の住人達は安心する…というよりはほとんど気抜けしていた。
「ゴースト達にとっては、俺達なんて虫けら同然なのかな…」
 リードはテーブルの上に肘を付いて深くため息を付いた。
 こんな中で────  ロッドだけが明らかに違う色を表情に見せていた。
 ダーク・グリーンだ…その表情に気付いたリードはその時、そう思った。

「タウンからの報告を全面的に信じていいかは不安だが…」
 ロッドはいつもの落ち着いた低い声で話し始めた。
「もし、その通りなら、こっちは行動しやすくなるわけだ」
「そうこなくちゃね」
 アレクもニヤリと笑みを浮かべた。

「やっぱり…やる気なんだ」
 リードは軽くため息を付いた。
 キャシーとジミーはことの成り行きを見守っている。
 それでも、リードは心の何処かでこの展開を予測していたが、小さな二人にとっては意外な様子だった。
 キャシーはともかく、ジミーは親の顔も知らない。
「敵討ち」と言われてもピンとこないというのが本音だろう。

 それとは対照的にロッドとアレクには迷いの色はない。

 はっきりと二つに分かれた心模様でリードが一人、どっちつかずに宙に浮いている気がした。
 ロッドの中に自分とは違う色があることを、出会ったあの夜から感じ続けていたリードであった。
 それが何であるか、たった今分かった気がする。

「政府からの兵が来ない代わりに、我がポリスがガードすることになったんだ。勝手知ったる身内だから動き易さはこの上ないだろう。ただ────俺が全面的にはこちらに関わっていられなくなってしまうが…」
 アレクは少し表情を暗くした。
「兵の動静が手に取るように分かるだけでも十分の力になるさ、気にするな」
 ロッドは慰めるように言った。

「ところで…病人の様子はどうなんだい?」
「今日の所は何も…レーン・ドクターがさっきもう一度来てくれたの。何かにとてもうなされている様子なのだけど…」
 ロッドの問いにキャシーが心配そうに答えた。
「ドクターもこの状態がいつまでも続くと危ないって言ってるんだ。熱も高いし、栄養も摂りようがないし…」
 リードも付け加えた。
「ねえ…」
 ジミーがおずおずと口を開いた。
「あの人がいつまでもいて困らないの? もし目が覚めたら、僕たちのことも何をしようとしているのかも知られてしまうよ。そうしたらどうするの?」
「心配することもない」
 ロッドは少しも表情を変えずに言った。
「病人は重体だ。意識が戻ったとしてもすぐには動けんさ。多分、一週間ぐらいは…」
 そう語ると、ロッドは不気味にも見える笑みを浮かべて見せた。 それはいつもの彼のものとはかけ離れたものだった。
「あ…!」
 ジミーは兄の思惑に気付いたらしく、小さく叫んだ。
「分かったか? もし…最悪の展開であの病人がゴーストの回し者だったとしても、俺達をターゲットにしてやってきたのだとしても、動けないって訳だ。正確には…動かないでもらう、と言うことになるがな…」
 監禁もあり得る、と言う意味だった。

 リードは息を飲んだ。

 ロッドはここまで考えていたのだ。
 彼もまさか初めからこのような事態になるとは思っていなかっただろう。
 いくら急病人とはいえ、何日も昏睡状態が続くとは予測できない。
 それに引き取る当てのレーン・ドクターの診療所でもこの病人を持てあましているのだ。

 ただ─────どんな状態も好都合に変えて行かなくては乗り越えられない状態にあるのだ。

 実際、ロッドは、
「病人を抱えていると言うことは変な気を起こす人間達ではないという格好のカモフラージュになるだろう…」
と、付け加えた。
「だが…なるべく悟られないようにした方がいいと思うよ。何しろ、ごく普通の旅行者という可能性のほうがはるかに高いのだから…」
 アレクが静かに、でもしっかりと言った。
「ああ」
 ロッドは二つ違いの弟の意見を素直に受け容れた。
「仮にも病人なんだ。俺としても手荒い真似は極力、避けたいからな」
「じゃあ、とにかくここにいてもらえばいいのね。何があったとしても、この家から彼が出ていかないのなら…」
 キャシーが明らかに安堵の色を浮かべた。
 余りに物騒な話が続いたので、彼女なりに考えあぐねていたのだろう…
 謎の男に対して、五人が出した結論だった。

 


「ジミー、スープ皿を並べてちょうだい」
 やがて辺りは暗くなり、キャシーの声が部屋に聞こえる頃…外はもう真っ暗だった。丘の下に広がる家々の窓から、温かいオレンジ色のランプの灯りがこぼれている。
「ずいぶん、楽になっている気がする…熱も一時よりは引いたようだ」
 病人の様子を見に行ったアレクが寝室から戻ってきた。
 スープ皿には空豆のスープが満たされ、パンとソーセージとサラダが運ばれてくる。
 豪華とは言えないが、いつものディナーメニューだ。
 五人はホッとした気分でテーブルに着いた。

──── と、その時…

 皆の顔色がさっと変わった。

 ドアの向こうに人の気配があり、一息置いてからコンコン、とノックの音がしたのだ。

 もちろん、いつもなら暗くなってからこの家を訪れる者はない。
 ドアに近い位置にいたアレクが皆に目で合図を送ると、そっと立ち上がりドアの陰に護身用の銃を構えて息をひそめた。
「どうぞ」
 ロッドがいつもより、一層、低い声で言った。

 ドアが乱暴な音を立てて開いた。

 次の瞬間─────

 アレクは銃を不覚にも床に落としていた。

 飛び込んできたのは、鳶色の髪にショールを羽織った青ざめた表情の少女だった。
「リーア!?」

 先程までとは別の驚きで部屋が静まる中、アレクの声だけが宙を舞っていた。


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