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夢見るHard Winds
Act4・雨一夜

 


「アレク…」
 リーアはかすれる声でそれだけ言うと、ふらっとよろめいた。
「どうしたんだ…一体…」
 アレクは片腕で素早く彼女を抱きとめると、その目を見つめた。
 外はいつの間にか軽い雨音に包まれていた。
 開いたままのドアからヒンヤリした風が流れ込んでくる。

「リーア…?」
 アレクはもう一度、優しく問いかけた。
 答えはなかった。
「キャシー、何か温かい飲み物を…、ジミーはタオルを持ってこい」

 我に返ったロッドが号令をかけると、二人はハッとして立ち上がり、すぐさま行動を起こした。
 
 その後、彼は立ち上がり、ゆっくりと歩いていき、さっと外を見回してから、ドアを閉めた。
 それから客人用の椅子を暖炉の前に置いた。

 リードはベッドから乗り出して窓を少し開け、窓下に積んである薪を何本か室内に入れた。こうしておけば薪が雨で湿気を帯びることもなく、すぐに使い物になる。
 そしてまた、二人に視線を戻した。

 いつものリーアはこんなじゃない…皆が知っていることだった。
 リードよりはひとつ年上になる彼女は村娘の中で飛び抜けて美しく…そして上品であった。
 父親である雑貨屋の主人、オルフェイン氏は寡黙で何処か暗い色を持っている人物だった。
 数年前、何かをきっかけに彼女とアレクが付き合い始めたとき、村人は当然の成り行きとして受け止めた。
 リーアが村で一番の美しい娘なら、アレクも村の青年の誰よりも人気があった。

「アレク」
 ロッドは目で合図した。
 アレクは頷くと、
「さあ…とにかく座って、話はそれからだ」
と、リーアを促した。
 彼女はいくぶん落ち着きを取り戻した様子ではあったが、顔は蒼白だった。
 髪は雨に打たれてしっとりと濡れ、痛々しさを際だたせている。

「はい、タオル…」
 ジミーが二人の前に戻ってきた。
「ショールは乾かして置いた方がいいね」
「…ごめんなさい…」
 リーアは五人の前に現れてから二つ目の言葉を口にした。
 赤い目から涙がこぼれる。
「謝ることなんてないよ、風邪を引くと大変だぞ」
 アレクがそう言うと、リーアは小さく頷いた。

 キャシーがミルクティーを運んでくる頃、リーアはようやく落ち着いて話せるまでに回復した。
 リードもベッドから出て、椅子に座り…五人は彼女を囲むように席に着いている。
 リーアは震える声で、しかしはっきりと言った。
「父が…死んだの…。多分、殺されたんです」
「え!?」
 五人は同時に叫んだ。

 ただならぬことが起こったことは推察できたが、それでも意外な思いも寄らぬ言葉だった。
「オルフェインさんが…? いったいどうして…?」
 動揺する面々に向かい、リーアは続けた。

 三日前…要するにタウンの政府からこの村にセイジュ・S・モートン伯の視察の連絡が入った夜、オルフェイン氏は明らかに動揺していた。
「父は…以前から反政府派でした。言うなれば、王制国家主義者と言うのかしら?」
「ちょっと、それって!」
 リードは叫んでいた。
 普通、こんな国境近くの片田舎で王制国家を支持する人なんているはずがなかった。
 タウンのことすら、クーデターのことすら、知らないような村なのだ。政府に対しても怖いくらい素直に従っていた。
 もっともゴースト達のことだ、自分たちに反感を持つ者には容赦なかったから…もしも針の先ほどの不信感を持とうとも、公言する勇気のある者はこの国中探しても存在しないだろうが…。

 するとリーアは微笑みすら浮かべて話し出した。
「九年前まで…父と私はタウンの外れ、ティレス区との区境に住んでいたの。貴族相手に商いをするのが父の仕事でした。母はクーデターの夜、流れ弾に当たって亡くなりました」

 五人は何かを悟ったように息を飲んだ。

 風が出てきたらしく、ガラス窓がガタガタと揺れた。
 暖炉の炎に照らされた彼女の美しい表情から疑惑を抱ける者など、もうこの部屋には存在しなかった。
 そして──── …
「父は多くを語らなかったので、私も憶測でしか言えないのだけど…他にも父のような人がいて、密かに連絡を取り合っていたらしいの」
「じゃあ、彼宛に各地から届いていた手紙達は…」
「そうなの、情報を交換し合っていた方からのものだったの…」
 リードの言葉に、リーアは頷いた。

 オルフェイン氏には週に数回、封書が届いていた。
 普通に考えたら余りに多かったが、商人同士の取引だろうと村の郵便局では皆、信じていたのだ。

「実は…父は二日前の朝から出掛けたきりだったの。『大変なことになった』とだけ言い残して、行き先も告げないまま…。父は何かを知ったんです、そして…」

 リーアは涙声になった。
「先ほど…もう日も落ちてから、知らない男がいきなりやって来たんです。体中を黒い布で覆った不気味な格好で、まるで死に神みたいで…」
 思い出したように言葉を詰まらせた彼女の肩を、アレクは優しく抱いた。
「で…どうしたんだ、リーア」
 落ち着かせるように、静かな声だった。
「その男が言ったんです、『あんたの父親は死んだよ。あんたも何を知ってるのか知らんが、せいぜい変なことを考えないことだな。親父さんに早く会いたいんなら、話は別だろうけどな…』って…。もう私、私、どうしていいのか分からなくて…」
 彼女は両手で顔を覆って、わっと泣き崩れた。

 しばらく沈黙の時間が流れた。

 口を開いたのは、ロッドだった。
 彼は低い声でゆっくりと言った。
「そんな、見ず知らずの男の言ったことだ、信頼性があるのかい?」

 もっともな質問だった。

 ゆっくりと顔を上げたリーアは手にしていた包みから、血塗れのワイシャツとスカーフを取り出して、しっかりとした口調で言った。
「父が…最後の朝に身につけていたものです。男が部屋に投げ込んでいったの。…これで、信じていただけますか?」
 ロッドはその遺品を受け取った。
 隣に座っていたリードは、もろに血生臭い臭いを吸い込んでしまった。
 まだ手に付いてしまうほど、新しい血糊だった。
 キャシーは思わず目を背けた。
「彼女を…リーアを信じてやってくれ! 皆だって知っているはずだ、リーアは嘘を付くような人間じゃない!」
 アレクは普段の彼からは想像も付かないような、必死の声で叫んでいた。
 ロッドは低い声で慎重に言った。
「驚いたな…こんなに近くに似たような人間がいたとはね」
「ロッド!?」

 他の仲間は気も狂わんばかりに動揺した。

 無理もない、どんなことがあろうとも自分たちの過去を明かしてはならないと皆にきつく釘を刺していたのは、他でもない、ロッド自身だったのである。

 しかし。

 次に聞いたリーアの言葉には、それ以上に驚かされた。

 彼女はじっとロッドを見据えると、一言、
「知っていました」
と、言い放ったのだ。


 当然ながら、皆の視線はアレクに集中した。

 彼以外は─────── …

 しかし、アレクに動揺はなく、リーアに静かに問いかけた。
「…どういうことなんだ、リーア」
 彼女はアレクを見つめると、淡く微笑んだ。もう、涙はなかった。
「私は多くは知りません…だけど、知っていることは全てお話しします。…今、私に出来ることはそれしかありませんから…」
 
 彼女はそれから、淡々とした口調で話し出した。
 他の五人はもう何も言わなかった。

「多分…中央政府はあなた方がこの村に流れ着いたことを知らなかったでしょう。…少なくとも、クーデターの直後には。そうでなければ、いくら逃げようとも追いつめられて殺されていたはずです。タウンの生き残りというのは、案外、簡単に見付けられたんです。貴族の子弟などは忠義を尽くす元使用人がかくまっている例がほとんどだったから、そういう人たちが、農村なんかに隠れ住んでいたら、すぐに見付けられますね。そんな時、ゴースト達のやり方は当人はもちろん、何の関わりもない村人までも巻き込むように惨殺していきましたから…結果として、かくまおうとする者もいなくなったのです」

 窓ガラスが鳴り、風が荒れ狂う声が聞こえてきた。

「父は…今現在の境遇を、嫌っていました。貴族のお抱え商人だった頃は生活も花華々しかったし、父も生き生きしていましたが…母を亡くし、この村に流れ着いてから…どうしても馴染めなかったらしいんです。そんな時、以前の商売仲間がこの村まで父を訪ねてきて、ある話をしたんです」

「ある話って…?」
 こんな話が自分たちに何の関わりがあるのか全く分からないまま、訝しげな声でリードは尋ねていた。
「王政の…再建です」
 リーアははっきりと言った。
「馬鹿な…そんな、自分の命を縮めるようなことを…」
 ロッドが半ば、呆れたように言った。
 リーアもそちらに向かって困ったように微笑み返した。
「そうですね…。でも、父はその話しにすぐ、飛びつきました。それが…今回のような結果を招く原因となったのですけど…」

 妻を亡くし、仕事を失って…そんな彼にとっては、どんな夢みたいな話でも夢中になるのは無理もなかったのかも知れない。

 ゴーストの造り上げた中央政府は、そのリーダーである、クレール・P・ドリアンとセイジュ・S・モートンを始め、クーデターのゴタゴタで巻き添えを食って命を落とした者を除いて、死刑囚仲間一四、五人で構成されている。だが、その中で支配者的立場にいるのは名前を挙げた二人。それなら新しい長を伴って攻め込み、この2名さえ倒せば…簡単に政権を取り戻せるのではないか…おそらく彼らはそう考えたんだろう。
 彼らは自らの策略を実行すべく、タウンの生き残り達を集め始めた。肉親を失い、職も住みかも追われた者なら、身の危険があろうとも仲間になるだろう。

「実際に、父の仲間内には貴族の子弟をかくまっている人もいました。初めは…もう六,七年前になるのですが、比較的順調でした。中央政府も執拗な弾圧を進めた結果、反逆をもくろむ者がなくなり、当面は安泰と考えたのでしょう…増税をして私腹を肥やすことを第一に考えているように見えました。警備も手薄になり、二、三年の間には総員は百名を越え…何もかもが順調だったのです」

「さっき…」
 ロッドが口を挟んだ。
「さっき、あんたは俺達がタウンの生き残りであることを知っていた、と言ったな。俺達にそういう話が来なかったのはどういうことなんだい?」

「父が…あなた方のことを仲間に隠していたんです。言えば、力ずくにでも引っ張り込もうとする者が出てきたでしょう。貴族の子弟というのは彼らにとって、象徴として掲げるのにはもってこいの存在でしたから。…私たち、タウンに住んでいた者は、顔立ちや言葉、立ち振る舞いで村人かそうでないかの区別が容易に付いてしまうのです。そういう意味では、あなた方は失礼ですが、余りに無防備だと思います。…もっとも今までの視察の兵などは元々のタウンの人間ではないようでしたから、騙せたのでしょうけど。…あなた方以外の…父の仲間内のタウンの生き残りの人たちは、皆、どこか父と似ていました。昔ばかりを懐かしんで、前の暮らしに戻りたいとばかり考えていたから…それしか、現実から逃れる術がなかった。そんな自分たちではよくないだろうと、父は分かっていたのでしょう…だから、過去を捨て、前向きに生きている人を巻き込みたくなかったんだと思うわ」

「それは…」
 リードはきっぱりと言った。
「それは兄貴達に言われ続けたことだったから」
「前の暮らしは多くの人々の犠牲の上に成り立っていたんだものね」
 キャシーも口添えした。

 そんな二人を見ていたリーアの目には再び涙が滲んでいた。
「そう…よね。本当は父も分かっていたんだわ。分かっていても、それでも止められなかった。私も父を考え直させることが、ついに出来ないまま…」

 そこで短い沈黙が流れた。
 しかし、彼女はすぐに再び口を開いた。

「父達の計画はゴーストに気付かれることなく、順調でした。だけど、一年前から、事態は急変してしまったのです!」
 リーアの声が突然、乱れた。

 そして、意を決したようにぐるりと五人を見た。

「お願い!───逃げて!」
 彼女は叫んだ。

 一瞬、風が止まった。

 側にいたアレクが、慌てて彼女の肩をつかむ。
「どうしたんだよ、リーア! …いきなり」
「今すぐに逃げないと皆、殺されてしまうわ!」
 彼女は言葉を止めなかった。
「この一年の間に…父の仲間がかくまっていた元貴族の人たちが、次々に急死しているんです。正確には父達が捜し当てた人たちは残らず…もう一人として生きてこの世にいないんです。そして…父の仲間もとうとう五人足らずになってしまって…そんな今、この村にモートン氏が訪れるなんて、やっぱりおかしいわ!」

 そのままリーアは泣き崩れた。
 いつもの彼女とは余りにかけ離れた姿だった。

───── オルフェイン氏にしたってそうだ。
 物静かな雑貨屋の主人が、中央政府への反逆を企てていたなんて…。

「今回の視察には、護兵も付かないんだよ。心配ないのさ」
 アレクが優しく言った。
「え…?」
 リーアは信じられない様に顔を上げた。
「そんな…でも…そんな簡単に済むはずは…」
「大丈夫だよ、リーア。君が心配することはない、俺達は自分自身で身を守るから…」
 アレクはそういうと、同意を求めるようにロッドを見た。
「そうだ。あんたに迷惑はかけないよ」

 ロッドの言葉に残りの三人…リード、キャシー、ジミーも笑顔で頷いた。

「あなた方は…一体何なの? どうして─── そんな風に笑っていられるの? 殺されてしまうのよ、このままでいたら。今更楯を突いたところでどうにもならないことぐらい、分かっているはずよ! …どうして? タウンに住んでいたんでしょう? ゴーストに追われているんでしょう? …どうして…」

 父親の死のショックで、リーアは精神的にかなり不安定になっているようであった。アレクもなだめるが、そう簡単には治まらない。

 雨足が強くなり、気がゴウゴウと音を立てて泣いているのが感じられる。
 それは、まるで彼女自身の心の叫びの様であった。

────その時…

 ごく近くで、ゴトリと音がした。

 六人はハッとして顔を見合わせたが、自分たちが立てた音ではないことは明らかだった。

 事態を把握できずに戸惑うリーアを除く五人が、次の瞬間、一斉に寝室の入り口を見た。

 案の定…

 そこには、今しがたまでベッドに横たわっていたはずの瀕死の病人が立っていた。


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