セイジュ・S・モートン率いる視察団の来訪日程が、一週間後に決定した。
護兵はタウンからは派遣されず、地元のポリスが警備を委託された。
─────そして。リーアの父、オルフェイン氏が何者かに殺害されていた…。
今日の一連の出来事がリードの頭の中を駆けめぐっていた。
そして目の前…自分たちの目の前、三メートルの所に、男が立っている。
三日前にロッドが倒れているのを見付けて、小屋に運び込んだ男だ。しばらくの間、その男を含んだ室内の七人は声も上げず、微動だにしなかった。六人の視線は男に釘付けだった。
カチッ、ひときわ大きな音で時計の針が動いて、そして部屋中におもむろに一一回の音色が響き渡った。
「…お目覚めですか?」
長い沈黙のあと、口を開いたのはロッドだった。
なおも張りつめた空気が、部屋中を満たしていた。
男は…慌てる…と言う様子もなかった。不気味なほど悠然と構えている。
「ああ…察するところ、世話になったらしいな。礼を言わせて貰いますよ…」
男はゆっくりと微笑みを浮かべた。そして、一息ついてから、
「何か…聞いてはいけないことを、耳にしてしまったようだけどね」
と、付け加えた。
アレクは護身用の銃をグッと握りしめた。
男の態度からは読みとれるものがなく、さすがのロッドも次の言葉に詰まっているようであった。
「まって!」
その時、すっと立ち上がるものがあった。
「キャシー!」
リードは慌てて、振り向いた。
キャシーは他の者の視線など構う様子もなく、早足で男の前まで歩み寄った。
「ベッドに戻ってください、動いては駄目です!」
キャシーはキッとした表情で男を見上げた。
「おや…あなたは…河原の」
男は彼女のことを思いだしたらしく、少し驚いて言った。
キャシーは構わず続けた。
「ベッドに戻ってください、あなたは、まだ、動ける状態ではないはずです」
「困ったお嬢さんだ。こちらはまだ話が途中なんだがね…」
男が苦笑してもキャシーの表情は変わらなかった。
他の住人はハラハラしながら、推移を見守った。
それでもキャシーの捨て身の行動にはロッドも口出しをしないでいた。
「話なら、ベッドの上でも出来るでしょう? みんなでそちらに移りましょう?」
「では」
男は観念したようにひとつ頷いた。
「私が大人しくベッドに戻るとして…そうしたらあちらの銃で命を狙われることになったらどうするんです? …逃げられないじゃないですか?」
彼はそう言うと、首をすくめた。
アレクの護身銃などとっくにお見通しの様子だった。
「────簡単なことだわ…私があなたを守りましょう」
キャシーはきっぱりと言い切った。
「おやおや…信用して、いいんでしょうかねえ」
男はまだまだ動こうとはしない。
「信用なんて、いりません! 私はあなたの体を心配しているんです! …戻ってください、手を貸しますから…」
キャシーの背中が震えていた。
男はしばし、呆然としていたが、やがて今までにない優しい表情になった。
「…分かりましたよ、お嬢さん」
その声を受けて、キャシーは皆の方に振り返った。
「みんな、場所を変更よ。寝室に移って」
彼女の頬は濡れていた。リードはなんとなく男の心の移り変わりが分かる気がした。
「兄貴!」
リードの左側にジミーがやってきた。
「手、貸すから…立って…」
リードはそう言われて、素直に立ち上がった。
「さて」
男はベッドに戻ると、口を開いた。
リーアとアレクを除く四人が彼の傍らに並んで座った。
男の使っているベッドはいつもならロッドが使うもので、一番壁際、寝室の入り口から入って右端にある。寝室には頭を向こうにするようにベッドが四つ並んでいる。右からロッド、アレク、ジミー…そして左端がキャシーのものだ。いつもならアレクとジミーの間にリードのベッドがあるのだが、今は居間に移動しているので空いている。
4人はアレクのベッドに腰掛けて、男の方を向いて座った。
アレクはリーアの気が静まるまでは居間の方に残ると言った。
「こう言うときは、まず自分の身分を明かすべきなんだろうな。私はアルフレッド・F・カーター…マーバマス商社の企画部長、つまり、仕入れを担当している。外部に調査に出掛けたり、取り引きしたりしている。今回は久しぶりにまとまった休みが取れてね、ゆっくりと国内を回っていたんだよ」
彼は静かにそう言った。
ロッドが代表して今の自分たちのことを語った。
「先ほど立ち聞きしてしまったところによると、君たちは以前タウンに住んでいた王族…王政がらみの人間だった様だね。私としては別に王政にも現政府にもどちらにも同意しかねるが…信じてもらえるかは分からないがね」
「あなたは…では、この一週間大人しくここに留まって居てくれるんですね?」
ロッドがカーター氏をじっと見て言った。
「おっと…」
彼は困ったように首をすくめた。
「いけないな、ただならぬことを考えている人間達がそんなに容易く他人を信用しては…」
そう言う表情に先ほどまでの冷たさはなかった。
「ミスター・カーター…」
ロッドが問いかけた。
「あなたは…九年前、何処にいたんですか? まさか…」
彼の物腰、口調、印象…全てに思い当たることがあった。懐かしい人に会ったときのような気分になっているのが本心だった。
「残念だが…君達が望んでいるようなことは言えないな。私はタウンの隣のティレス区の人間だ。君たちは知らないだろうが、タウンとティレスは全く異なる地区だったんだ、九年前までは。君たちが余り過去を見せたくないように、私も九年前までの話はしたくない。お互い様にしようじゃないか」
「…分かりました」
「それでは一週間、大人しくしていることにして…その代わり私が逃げ出さないように見張りを付けて欲しい。この村のことや君たちの暮らしのことを少し知りたくなったんだ。もちろん、君たちのやろうとしていることの邪魔はしないよ」
ミスター・カーターの言葉に皆は一瞬詰まった。
九年前までは何不自由なく育てられ、ここに流れ着いてからは村人達のやさしさに助けられてきた。だが、村の外には心を許してはならない人間がたくさんいることも長い生活の中から学んでいた。
ここはもう、自分たちのカンを信じるしかない。
今までの大きな分岐点で全てそうしてきた彼らだった。
「リード」
ロッドが隣に座っているリードの方を向いた。
「丁度いい、お前がここにいればいいだろう」
「…ああ…」
リードはおずおず頷いた。
彼はロッドの考えが瞬時に分かった。
ロッドは驚くほどすっきりした顔をしていた。
「よろしく頼むよ。私も乗りかかってしまった船を下りるような野暮な真似はしたくない」
カーター氏は目の前の四人をぐるりと見渡すと、微笑んだ。
「私…ここにいない方がいいわ」
リーアがきっぱりと言った。
鳶色の髪もすっかり元のように乾いて整い、いつもの彼女に戻っていた。
カーター氏との話し合いも終わり、遅すぎる夕食が始まっていた。もう一二時を過ぎていたのだが、今の今まで皆は食事のことを忘れていた。
「そんな、駄目よ! 危ないじゃないの。一人でいたらまた危ない人が来るかも知れないでしょ?」
キャシーがすぐさま反論した。
「だからこそなの。みんなのせっかくの計画を邪魔させかねないわ! …私のことだったら心配ないわ。知ってること話せと言われたって、何も知らないんですから…」
彼女の決心は固いようだった。
「ちょっと、待て」
そこへ、みんなより長くミスター・カーターと話していたロッドが入ってきた。
「このままリーアを帰すわけには行かないよ。いつ誰に俺達の秘密をしゃべられるか分からないしな」
「ロッド!」
余りの言い方にアレクは強く言葉を遮った。
「そんな言い方はないじゃないか!?」
ロッドはチラリとアレクを一瞥するとすぐに視線を戻して続けた。
「他人は他人だ、信用はできんな。リーアは俺達に監視させてもらう。もちろん昼も夜も、何処に行くときも…だ」
彼はここまで話すと、いったん言葉を切った。
一瞬、ロッドの口元が弛んだように見えた。しかし、すぐに真顔に戻り、
「分かったな!」
と、言い捨てると部屋を出ていった。
「…ロッド…」
リードがロッドの背中にそう話しかけたのは、いくらかの時がたってからだった。情けない話ではあるが、板きれを杖にゆっくりと進むことしか出来ないリードである。
ロッドは丘の上の大きな樹の根元に座っていた。
日に日に丸みを帯びて来る月が、傾きかけながら辺りを照らしていた。
「やあ」
ロッドは軽く答えた。
「どうしたんだ?」
リードはロッドの問いには答えず、黙ったまま隣に腰掛けた。
「…長い夜だな」
ロッドは暗く眠りについた村を見下ろしながら静かに言った。「さっきのこと…」
リードもロッドの方は向かずに話し出した。
「すごいな、と思ったよ。渋ってたリーアが納得したもんな」
夜の涼風がロッドの薄茶の髪を、リードのブロンドを揺らして通り過ぎたあと、再びリードはしゃべり出した。
「俺だったらあそこまでは言えなかった、やっぱりロッドには適わないな」
「何を言い出すんだか…」
ロッドは意外そうに笑った。
「別に俺は当然のことを言ったまでたよ。そんな言い方される覚えはないが」
「…よく言うよ」
リードはそれ以上、追求しようとはしなかった。
しかし、先ほどのロッドの言葉がリーアを思いやってのことだということはちゃんと分かっていた。
「…あっという間だったな」
しばらくしてロッドは再度、口を開いた。
「え…?」
リードは話の流れがつかめず、聞き返していた。
「この九年という月日がだよ、こんなに早く流れるとは考えもしなかった…」
この時、ロッドが何を思ってこの言葉を口にしたのか…あとになってからもリードには分からなかった。
その言葉のあと、遠くを見る目でじっと黙り込んだ彼を見ていると、知らないうちにリード自身も早すぎた月日に思いをはせていた。
その前のことは全てが夢であったように思える。
いや、そう思えてならない。
タウンはあの後、三日三晩燃え続けたと聞いている。懐かしい人々も全て火の粉とともに焼け落ちたであろう…
丘の上の家で五人が暮らしている理由を考えなければ、自分たちは昔ながらの村人のような気すらした。
「そして、賽は投げられた」
長い沈黙のあとのロッドの一言だった。
彼は続けた。
「これだけ役者を揃えて。動かない手はないだろう…なあ、リード」
「ああ…そうだね、ロッド」
やっぱり、始まるんだな。心の中でリードは何回も反芻していた。心を方向付けるしかないだろう…
その時、もうひとつの疑問が心の中に生まれてきた。
「兄貴は…」
「え?」
今度はロッドが聞き返す番だった。
「ロッド兄貴は今度の全てが終わったあと、どうしようと思っているの?」
しばし、答えはなかった。
ロッドは困ったように微笑んだ。
「そうだな…そう…少し、考えてみるよ」
その心を探るように彼の横顔を見つめるリードの視線に気付いているのか、いないのか、ロッドは宝物の隠し場所を探している子供のような目で、見えない何かを捉えようとしているように見えた。
「困ったわね…」
「うん…」
こちらはキャシーとジミーだ。
二人の「困った」は他愛のないことだった。丘の上の家には人数分の五つしかベッドがない。今までもミスター・カーターがロッドのベッドを使っていたので、ジミーは居間のソファーで休んでいた。しかしこう日数が過ぎると、辛いものがある。
今夜からはもう一人、リーアが加わるのだ。
「僕、リード兄貴のベッドに行こうかな」
ジミーがふと、思いついたように言った。
「そうね、ロッド兄さんやアレク兄さんは一人でもベッドがきついぐらいだもんね、でも余り寝相悪くしないでよ。足を蹴っ飛ばしたりしたら、大事だから」
朝の早い新聞屋に勤めるジミーは目をこすりつつ、毛布を引きずって、リードのベッドの方に歩き出した。
「うんじゃあ、私がリーアと一緒でいいのね。決まり、決まり」
キャシーが独り言のように頷くと、聞いていないと思ったジミーがくるりと振り向いた。
「姉ちゃん、リーアはアレク兄貴と一緒に寝ればいいんじゃないの?」
「まあ!」
ジミーの言葉にキャシーは真っ赤になった。
「子供が何てこというの! こら!」
「やーい、赤くなってるの! 姉ちゃん、純だねえ…」
「ジミー!」
二人のやりとりを見守っていたカーター氏が思わず吹き出したのは言うまでもない…
先ほどまでの緊張が嘘のようにのどかだった。
雨が通り過ぎてまた月夜に戻ったように、丘の上の家もまた安らいだ夜を取り戻しつつあった。
雨が上がるごとに、リース村には春が広がっていく。
そしてこの村を花々が覆い尽くすより早く、セイジュ・S・モートンはやってくるのである。
結局、皆が眠りについたのは三時を回ってからだった。
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