夢見るHard Winds
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丘の上から見下ろすと、村のさざめきが手に取るように分かる。カーテンを少し開けて様子をうかがっていたリードは小さく溜息を付いた。 …どうして、こんな風に隠れていなければいけないんだろう… 午後4時。 キャシーが昨日、レイフから聞いた情報によれば3時には視察団が到着するとのことであったが… 「どうやら遅れているらしいな…」 リディール共和国の鉄道は国の真ん中に位置する山岳地帯・ロード区をぐるりと囲むように一周している。リース村が属する「セルア区」にもいくつかの駅はあるが全てロード区との区界付近、要するに区の北側に点在していた。リース村はセルア区の南端だったから、鉄道の駅から半日ぐらい馬車に揺られなければならない。数日の汽車の旅を終えた後の馬車移動は身体に負担も掛かるであろう、途中に休憩を取っているのかも知れない。 「…あら、リード。キャシーを見なかったかしら?」 「うーん、庭先にでも出ているかなあ? ダークさんの様子はどう?」 寝室にはダークじいさんが横になっていた。老体にショックが効いたのだろう、錯乱状態で手が付けられず…なるべく付き添いが傍を離れないようにした方が良さそうだった。ジミーが姿を消したことも打撃になっているらしい。その役はリーアが引き受けていた。ジミーほどあからさまでないにせよ、丘の上の住人にはまだダークじいさんをやさしく介護できる気力がなかった。 「また、何か口走っていらっしゃったけど…今、寝付いたの。そろそろ夕食の用意を始めようと思ったんだけど。洗濯にでも行った?」 「…今日はなるべく外に出ないように行ってあるんだけど。暫く立てば戻るんじゃないかなあ」 「そうね、じゃあもう少しあっちに行っているわ」 リーアは編みかけのベストの入った籠を抱えるとまた寝室に入っていった。やはり何もしないでいると不安ばかりが募るのであろう…この数日、彼女は一心に編み棒を動かしている。手の込んだ編み込み模様であったが完成も間近のようだ。 リードは再び、カーテンの隙間から丘の下に目をやった。 「たびたびごめんなさい…リード、キャシーのショールがないんだけど」 「ショールが?」 「…今まで気付かなかったんだけど、外出用の外履きも見あたらないんじゃない?」 「…本当だ」 「あの馬鹿…まさか」 「私、ちょっとそこら辺を見てくるわ」 リードのベッドから這い出して、立てかけた板きれを支えに部屋の中を調べた。何か手がかりになるものはあるかと思ったが、見あたらない。 「丘の回りには…姿がないわ…」 「視察団も到着したようなの…気味が悪いから、戻ってきたわ」 丘の下を見やると、先刻まではなかった大きな馬車が止まっていた。 「まさか…キャシー…」 危険なマネはしないようにと念を押したはずだ。でもあのキャシーのことだ、何をやり出すか分かったものじゃない。 もう少し注意するべきだったとリードは後悔していた。でも今更どうしようもない。 「…痛っ…!!」 気を抜いて怪我をした左足を思い切り下ろしてしまった。 「…畜生…!!」 今ぐらい、自分の不甲斐なさを情けなく思ったことはない。 「リード!?」 「大変!! …ダークさんが…いないの。窓から出ていったみたいで…!」 「何だって!?」 今のやりとりを聞かれていたのかも知れない。 慌てて窓から外を見たが、暮れかかった夕闇に人影は見あたらない。 「…どうしよう」 でも。 それだけは回避しなくては…元々は自分たちの問題なのだ。リーアを巻き込んではならない、アレクにも申し訳が立たない。 でも。 一体どうしたら… リードは右足に重心を掛けて、立ちすくんだ。 その時、ドアがノックされた。 「…ダークじいさん!?」 「リード、…リーア、無事だったか!?」 「…ドクター…!?」 レーン・ドクターは部屋を見回して、現在の状況を瞬時に悟ったようである。 「何だか…悪い予感がして来て見たんだ。他のみんなは一体どうしたんだ!?」 リードとリーアは顔を見合わせた。何と言ったらいいのか、分からない…何を話して良いのやら。 リードが口を開きかけたとき、レーン・ドクターの声が遮った。 「リード、…足が動くようにしてやろうか?」 喉まででかかった言葉がそのまま止まってしまった。 「足をどうにかしてやろうと、言ったんだ。ほら早く、椅子に座りなさい」 「動くんですか? …この足が…」 「ずっと使っていないんだ、前と同じようには使えないよ。慣らさないとね…でも今はそんなこと言ってられないだろう、行きたいんだろう? レイオスへ」 「……」 ドクターは足を固定してあった石膏を木槌で思い切り叩く。 「…骨はどうにかくっついているようだな」 「念のため、テーピングをしておこう、あと局部用の鎮痛剤を打っておけばしばらくは痛みを感じないはずだ。場所を考えれば歩行には差し支えないだろう…」 「ドクター…どうして…」 「リード」 「…私が何も知らないと思っていたのかい?」 レイオスの厨房は文字通りごった返していた。 「これはどこにやるんだい?」 様々な声が飛び交う中にキャシーは紛れていた。その髪はきれいに結い上げられて、若草色のドレスを着込んでいた。イルミアおばさんが貸してくれたものだった。 「…本当に、出てきて良かったのかい?」 「もちろんよ、村のみんなが忙しくしているのですもの。私だけでもお手伝い出来れば、と思って出てきたのよ」 「だって、家の中でみんなと顔を見合わせていたって…気が滅入るんですもの。忙しくしていた方が気が紛れていいと思うの…」 イルミアはしつこく聞かずに奥から1枚のドレスを出してきた。 「娘のアリーが嫁ぐときに置いていった服なんだよ、もう若すぎて着られないと言ってね…結構、品の良い服でもったいなくて何回も着ないままになっていたんだ」 「ほら、あんたの顔色にきれいに映る色だろう…ひとつ、これに着替えてごらん」 キャシーは無言のまま、ドレスを受け取った。 本当ならばロッドのくれた服を持ち出したかった。でも居間に置いてあったので持ち出せばリードに気付かれてしまう。 奥の部屋を借りてドレスに着替えた。ふわりとした素材の服が身体にしっくりと馴染んだ、不思議に懐かしい感触だった。 スカートのポケットから懐中時計を取り出す。 「…兄さん…」 「一緒に、行こうね」 自分一人で何が出来るとも思えなかった。 「隙があれば…刺し違える位は出来るかも知れない…」 確信はなかった。 でも家の中で悶々としていても仕方のないことだ。 「私さえ、こっちに来れば…」 イルミアおばさんは丹念に髪を結い上げてくれた。まるで肖像画の王女様のように鏡の中の自分が微笑んでいた。 「ほら、この位、上でまとめれば若々しいだろう…それにしても結い甲斐のある髪だねえ…今度、色々やらせておくれ。髪結いになるのが実は夢だったんだよ、私は」 「さあ、レイオスで仕事がたくさん待っているだろう…私も店を仕舞ったら、すぐに行くからね」 「…ありがとう、おばさん」 「キャシー、ちょっといいかい?」 「左奥の部屋にこの花を活けてきてくれるかい? 花瓶はテーブルの上に置いてあるんだけど」 「分かったわ」 廊下を進んでいくと、ひときわ賑わっている一室があった。歓迎パーティーが行われている広間だった。 そっと覗いてみると、村長が相手をしている男が目に付いた。クリーム色のスーツを着込んでいる…40歳…ミスター・カーターと同じぐらいの歳回りの男…見覚えのある横顔。 …セイジュ・S・モートン… ジミーが持ってくるタウンの新聞で何度も見かけたゴーストの中心人物。彼はまさにクーデターの仕掛け役だったと言われている。処刑されるだけになっていた仲間達をせき立てて、事を成し遂げた…中心人物。 キャシーはするりと視線を逸らすと廊下を歩いていった。 たくさんの人間がいる。 情けない気分だった。 レイオスの主人に言われた部屋に入るとテーブルの上に話の通り、大きな花瓶が置かれていた。 その後、花を活けようとして…ふと部屋の隅に置かれた大きな置き時計に気付いた。 「…もしかして…これは」 あの朝、ロッドは村の商店街の人々と共にレイオスに時計を運び込むと言って出掛けた。その時計はロッド自らの手で調整されたものだと言うことだった。 「兄さんの…時計…」 「…いけない、いけない…」 色とりどりの花を順に挿していると、ふいに背後のドアに冷たい気配を感じた。 ハッとして振り向くと…クリーム色のスーツが目に入った。 「…セイジュ・S・モートン…伯爵様…」 あまりにも突然の出来事であった。 キャシーは男の名を呼び、頭を下げた。声が震えたがとっさの行為だった。若草色のドレスに細かく飾られている手の込んだレース飾りが眼に映った。 「…まあ、まあ、そんなにかしこまらなくて良いんですよ、私の部屋を飾ってくださってありがとう、お嬢さん」 キャシーがそっと顔を上げると男と目が合う。 …声とは裏腹に…目には表情がなかった。 「ここは今日、私が泊まるために用意された部屋なんですよ。そこの荷物をちょっと開けさせていただきますよ、お嬢さん…いえ、ただのお嬢さんではありませんよね…」 「…わざわざお越し下さって光栄です、こちらから使いの者を呼びにやろうと思っていた位なんですよ…お嬢さん、いえ…」 そこで、一瞬の間が空いた。 「あなたは…グレイン家のお嬢様でしたね…」 薄暗くなった部屋に最後に射し込む赤黒い夕陽の残り火に浮かび上がった顔…ぬめりとした視線の男が口元だけで微笑んだ。 キャシーは自分の全身から血の気が引いていく音を聞いていた。 時間が半日ほど遡る。 タウンとロード区の区境にあるクレール・P・ドリアンの別荘は騒然としていた。 別荘は火事で中にいた者達が次々に焼け出されていたところ、いきなりの銃声… つんざくような悲鳴が交錯し、人々はちりぢりになった。 いや…誰よりも驚いていたのは、彼らよりも…崖の上にいるアレクとジミーだろう。 視線の先のカーター氏は崖の下をじっと見ている。 彼の視線の先では青いガウンの人間がバッタリと倒れていた。どこから狙っているかも知れない銃口を恐れて、人々はその者に近寄る事が出来ないようである。 カーター氏の口元に安堵の笑みが浮かんだ。 「ミスター・カーター…あなたは一体…」 その声に反応してカーター氏が2人の方に向き直る。 「……」 「アレク、私は良くあなたのお父上と王宮主催の狩りで競い合ったものだったんですよ…銃も長いこと扱っていなかったが、感覚は残るもののようだね」 「じゃあ、あなたはやはりタウンの…!」 カーター氏は微笑みを浮かべたまま静かに頭を振った。 「タウンの、と言うのはちょっとおこがましいかな? 遠縁の紹介で貴族の家に出入りしていた者ですよ…本当に、大きくなられました…ジェームズ坊ちゃま」 「─── …僕…!? 」 「私はグレイン家のお子さまのお世話係をしていたんです…」 「僕と…姉ちゃんの…」 「いいえ」 「…もうひとり、お兄さまがいらっしゃいましたよ。でもキャサリン様も覚えてはいらっしゃらなかったご様子ですね…」 「そうなの…」 「───アルフ…!?」 「やったな! これで仕事が半分片づいたぞ!」 その声に反応してカーター氏が崖下を覗いた。 「サム! …リッツ!」 「仏さんは事切れているから安心しろ! …使用人達はベッキーが相手しているから大丈夫だろう。…降りて来いよ!!」 「分かった!」 「とりあえず、下におりませんか?…仲間を紹介しましょう…」 「では、ミスター・カーターも反政府組織の一員だったんですか?」 別荘の焼け跡までたどり着くと10名ほどの仲間を紹介された。皆、ドリアン氏の別荘で働いている使用人の様相をしている。庭師から、給仕番…お針子までいた。 「オルフェインさんと同じ…王政復活の…」 「そうじゃないんですわ…」 「誤解されるといけませんね…あいつらと一緒にはされたくないです。私らはもともと…王政反対派だったんです」 「王政…反対派…」 対して、アレクの方は何とも複雑な表情を浮かべていた。 「やはり…王政に反対する勢力は存在していたんですね…」 「おいおい、今となればどうでも良い事じゃないか。同じ穴の狢だろうが…」 「ああ…でも、メアリが飛んできたときには自分の目を疑ったね…隠れ家の方は全滅だって聞いていたから…」 「メアリ?」 「…呼んでみましょうか?」 彼は口に指を当てて、指笛を吹いた。 「…伝書鳩…」 「私の恋人ですよ」 「丘の上の家からメアリに手紙を運ばせたんです…彼女はどこにいても私を見付けてくれますからね」 「そうだ、ところで…村の方も大変なんじゃないのかい?」 「こっちは大丈夫だ、仲間を何人かタウンのゴースト本部に行かせるよ。すぐに占拠出来るだろう… 何て言ったって、俺達は今までずっと、モートンがタウンを留守にする時を待っていたんだからな。奴がいなければ、ゴーストも赤子同然さ!」 「そうだな」 カーター氏は少し額に手を当てて何かを考えていた。 「とりあえず、ジャンとカリオスが村へと向かってくれたはずなんだ…急げば、夕刻には」 「ちょっと待て」 「ジャン達はルータとジャイスを通ってセルア区に入る予定なんじゃないか?」 「そうだと思うが」 ティレス区からセルア区に入るならそうなるだろう。時間は掛かるが確実だし、危険も少ない。 「…聞いていないようだな、アルフ。ルータとジャイスの区境の橋が昨日の夕方、爆破されたらしい…」 「何だって!?」 「あの橋が落ちたら、容易には行かない…多分、ジャン達は予定通りにはリース村に着けないよ」 「そんな…」 「ミスター・カーター…どうしたの?」 カーター氏は震える唇でかろうじて話し出した。 「ジミー、アレク…これは憶測でしかないが、モートンは君たちの事を知っている。そして彼はドリアンのような小心者ではなく野心家で血の気が多い。最悪、全てを知った上で…自分で君たちの息の根を止めに来ようとしたんじゃないだろうか…」 「もしかして…橋の爆破も…!?」 「そうかも知れませんぜ、橋はモートンの汽車が通って程なく落ちている。追っ手を警戒しての事とも思える」 「そんな…」 3人の脳裏に村に残してきた仲間達の顔が浮かんだ。 「とにかく、一刻も早く、戻ろう!!」 「考えるより先に動こう、行動が先だ。…私はもう2度と同じ失敗はしたくないんだ」 樹に繋いだ馬たちの所まで、3人の落ち葉を踏みしめる音が辺りに響いた。 アレクは走りながらふと上を見上げた。 眩しい…春の情景。 浸っている暇ではないのに何とも言えない感情が湧いてくるのが分かった。 …生きているのだ、自分は。 リース村はここから遠い。 でも。 進んでいくしかないのだ。 「…時間を短縮したいから来たときよりも危険な道を行くことになるが…ついてこられるかな?」 「もちろんです!!」 |