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夢見るHard Winds
Act13・応戦〜見えない手のひら〜

 

「お目にかかれて誠に光栄ですよ、お嬢様…さて、暗くなりましたね、灯りをつけましょう…」

 セイジュ・S・モートンはゆっくりとした手つきでテーブルの上のランプに火を灯した。
 火を付けたその時は頼りない炎が油を浸した芯をゆっくりと伝っていくと次第に大きな姿に変わっていく。しっかりとした造りの大きめのランプはひとつで広い室内を照らし出すのに十分な明るさがあった。

 ランプの傍らに立っているモートンは金色に照らし出されている。

「…炎の色は…美しいですね」
「……」

 動きたくても動くことが出来ない。キャシーは見えない何かに身体を押さえつけられたように身動きが取れなかった。

「私は…この炎の輝きが好きなんですよ…だから、電灯の広まりつつあるタウンにあっても私の自宅はランプで灯りを取るようにしているんです」
 そう言うと愛おしそうにランプに手をかざした。

「…一ヶ月前に、ドリアンから君たちの話を聞いたときは正直、驚きましたね。でも…嬉しかった…君たちのような人間に会えるとは思ってなかったから」

 …この人は。

 何を話しているのだろう、とキャシーは考えていた。
 静かな語り口であったが、底知れぬ冷たさをたたえた瞳がある。

「でも、ドリアンの恐がりには困ったものだ…私が直接出向くと日程まで整えたのに、あんな男を使って」

 一輪の赤いバラの花弁を手にするとそれをじっと見据えて…そのまま手の中でグシャリと握りつぶした。それをハラハラと床に落としていく…

「君たちのリーダーには…個人的にちょっと恨みがありましてね…彼だけは私の手で…」

 モートンの足がグシャリ、グシャリと散らした花びらを踏みつけていく。美しかった花は跡形もなく無惨に変わり果てていた。

 キャシーは静かにとりおこなわれる一連の行為を青ざめた表情で見つめていた。

「余計なことを話さないように部下に頼んで寝ている隙にちょっと細工させて頂いたよ…」

「あ…奥歯の毒、…あなたは自分たちの助けになってくれる人のことまでをそんな…ゴミみたいに」
 ようやく、キャシーの心に怒りの感情が戻ってきた。止まっていた思考がゆっくりと動き出す。

「助け…? 馬鹿な…」
 モートンは喉の奥でこもった笑い声を上げた。

「私は許せない人間は自分でどうにかしないと気が済まないんでね…ほら」
 そう言うと彼は長い前髪をかき上げて、右の目尻に大きく切り込まれた傷をあらわにした。

「あの夜、…君は見ていないだろうが、ここにバイオリンケースをぶつけてくれた人間がいましてね…もう少しで失明するところだったんですよ。子供相手に…あの風貌、バイオリン、ピンときましてね、オールソン家の坊ちゃんだと。後日、死体を探したんだが…どうしても見付けられなかったはずだ。こんな国境近くで生き延びていたとはね…君たちの様子を聞かせれて、あの時の少年がいると知ったときの…私の喜びを想像できませんか?」

「……」

「おや?」
 キャシーの表情を読みとった様にモートンは少し表情を和らげた。

「どうして、私があなた方のことに詳しいか不思議に思っているんですね…そうですね、少し身の上話と行きましょうか…でもその前に…」

 その後の身のこなしは何かの舞踊を見ているようであった。
 モートンはさっと胸元から光るものを取り出すと素早い仕草でそれをキャシー目がけてまっすぐに投げつけた。

「きゃ…!!」
それまで立ちすくんでいたキャシーはその瞬間、がくっと崩れ落ちた。

 右足の脛に…小さなナイフが刺さっていた。
 刺されたところを基点に体中に痛みが広がっていく。キャシーは思わずナイフに手を掛けた。

「おっと、待った!」
 男の声に慌てて手を止める。

「お待ちなさい、今すぐ事切れなくないならば…抜かない方がいいですよ…」
 ハッとして見返すと冷たい微笑に突き当たった。

「私のナイフは急所を突く正確なものです。そのまま抜けば動脈から血が噴き出しますよ…出血多量とショックとどっちで死ぬことになるのかな…」

 モートンはとても楽しそうだった。

「王宮のナイフ投げの大会で…いつも優秀な成績をあげていたんですよ。私のような使用人でもリディールの王宮は快く受け入れてくれた…申し遅れました、私は王宮に出入りする衣装係の荷物運びをしていたんですよ。ウチのオーナーは腕が良くて仕事も正確だったので、貴族様からの注文も多くてね…私はそこら中のお屋敷に出入りしておりました」

 そう言いながら痛みをこらえるキャシーを一瞥してゆっくりと長椅子に腰をしずめた。

「あなたは…」
 気の遠くなりそうな激痛の中、キャシーはかろうじて声を絞り出した。

「あなたの事だって、一息には殺してあげられませんよ…銃を使いたいところですが、そんなことをしたらあちらの会場の人々が気付いて駆けつけるでしょう…そうなったら、せっかくのショーが台無しだ。ですから、こういう手段を取らせていただきます。以前から試してみたかったナイフで人を殺める体験もさせてもらいましょう…」

「ひどい…」

「おやおや、痛みが広がってきましたか…」
 言葉こそは丁寧だが、やっていることは冷酷だった。

 キャシーの方はあまりの痛みに気をしっかりしてないと目の前がかすんでいきそうである…その視線の先でゆらりとモートンが立ち上がるのが見えた。
 部屋の入り口まで歩いていくと立ち止まってかがみ込んだ。
 何かを調べているようである。
 やがて彼は自分のバッグの所まで行って中から何かを取りだした。

「…何をしているのか、知りたいですか…?」
 モートンは一連の行為をじっと観察していたキャシーの視線に気付いて声を掛けた。

「教えて差し上げましょうね…これは…ランプ用の油ですよ…高級品でとても純度が高いんです」
 そう言いながらうずくまったままのキャシーの鼻先に丁度、酒瓶の大きさの瓶を持っていく。

「良く燃える…油でね…これに火が付いたら…きれいですよ…」 そう言いながら瓶の栓を抜いて、部屋の入り口にまいた。

「…炎の色はとても好きなんですが…自分が燃えるのはちょっと嫌ですからね、このスーツは特注の防火服になってます。あなたは動くことは出来ない、窓には内側から鍵を閉めてある…ここを塞いだらもう助けも入れません…こんな美しい部屋が最後の場所になるのはお嬢さんとしても幸せな事ではないでしょうか?」

 瓶が空になると彼は冷たい目でキャシーをじっと見据えた。

「あなたご自身には…恨みはないんですが、あなたのお父上が…私がお屋敷の置き時計を失敬したのを目ざとく見付けましてポリスに突きだしてくれた…それが元で仕事を解雇されたんです。いえね、それまでだって色々なお屋敷でちょこちょこ頂いてたんですが皆さん、私の仕業とは気付きませんで、それを売って随分楽しい思いをさせて頂きました」

「…そんな…だってそれはあなたがいけないんじゃないの!?」

「フフフ…」
 モートンはゆっくりと瓶をテーブルに置くと、姿勢を戻した。
「なくなっても気付かないほどの富みに囲まれて! …民衆から巻き上げたモノで贅沢三昧して! …あなた達と私たちと一体どこが違うというのですか!? …元気のいいお嬢様はあと何本か痛みを味わってもらってから、あの夜に向かって頂きましょう…」

 その声が終わらぬうちに、今度は右腕に激痛が走った。

「…あ…!?」

「次は、どこに行きましょうか…」
 彼は手にしたナイフで自分の肩をポンポンと叩いた。ふざけて遊んでいるような仕草だ。

「仕事を解雇されてからの人生はガタガタと崩れゆくようでしたよ、今の仲間ともその時に出会って…みんな働くのが嫌いなごろつき連中でしたが、手下にすると良く動いてくれた。物取りをすると騒ぎになる、人を殺せば騒ぎになる、付け火をすればまた…もう毎日がお祭りのように楽しい頃でしたねえ…」

 怒りを表そうにもキャシーには物言う気力が残ってなかった。

「ご安心下さい…ここに火を放ったら、火事騒ぎのどさくさに紛れてすぐにあなた方の家に行きましょう…すぐに仲間さんが追ってきてくれますよ…」

 鋭い目がターゲットを決めたように光った。

 キャシーは思わず、目を閉じた。

と、その時…

 大時計がけたたましい程の音で定時を奏で始めた。
 モートンのすぐ背後にそれは置かれていたので、突然の重低音にはさすがの彼も度肝を抜かれたらしく、思わず、手にしていたナイフを足元に落としていた。

 その瞬間をキャシーは素早く捉えた。

「これは、これは…」
 慌てて拾い上げようとする彼に、一瞬の隙が生まれる。

 キャシーは左足で思い切り床を蹴ると、モートンに体当たりした。そのまま2人とも大きな音を立てて、床に転がった。

 自分でもとてもそんな気力が残っているとは思わなかった。しかし、自分がこときれたあとは丘の上の仲間達に危険が迫るのだ。どうにか阻止したい、時間稼ぎにでもなれば…キャシーは左腕でナイフを拾い上げると体勢を整えた。

 そして相手を睨み返す。

「…接近戦に持ち込むんですか? この距離なら私がもっと有利になりますよ…向こう見ずな性格が行き急ぐことになると…リーダーさんは教えてくれませんでしたか?」

「…負けないわよ! …あんたなんかに…!」
 キャシーは歯を食いしばった。

「人間の命を何だと思っているの!? …私を殺すなら、あんたにだってここで死んでもらうんだから!」

 モートンの目が鈍く光った。

「…この私に丸腰でそれだけの口を利く人間は久しくいませんでしたよ…本気で怒らせてくださって…こちらもきれいなお嬢さん相手で気が引けていたのですが…迷いも吹っ切れました…どうもありがとう…」

 次の瞬間、ガターンと何かが激しくぶつかる音がした。
 その音が耳に届く瞬間にキャシーは大きくはじき飛ばされていた。

 壁に思い切りぶつかった衝撃にすぐには目も開けられず、一瞬意識が遠のいた気もするが…かろうじて彼女が再びその目を開くと、信じられない光景が映る。

「な、何だ!? …お前は!?」
 モートンの声に動揺が走る。

「…う…うおおおおお〜〜〜っ!!!」

 信じられないほど大きなうなり声だった。でも声のすごさよりもキャシーを驚かせたのは、倒れたモートンの上に馬乗りになっているのが…ダークじいさんだったことであろう。

「…ダ…ダークさん!?」

 キャシーの声も耳に入らないらしく、彼は頭を大きく振り、大声で何かをわめき散らしながら、手にした大きめのナイフでモートンの喉元を一気に突いた。しかし錯乱しているためか手元がしっかりしていないらしく致命傷にはならないようで、すぐさまモートンにはじき倒される。

 力の差は誰から見ても歴然としていた。

 それでも、もう一度ひるむことなく、ダークじいさんは猛進していった。

 聞き取れない言葉をわめき立てながら、その老体のどこに隠れていたのかと思われるほどの力でモートンに斬りつける。

 もちろんモートンも応戦しようとするが、あまりのダークじいさんの狂人的な激しさに阻まれている。

 いくつ目かのそれがようやく腹に突き刺さり…モートンの身体が大きく崩れた。

「ダ…ダークさん…」
 キャシーは身動きひとつ出来ず、かろうじて言葉を絞り出す。

 しかしダークの方は今までの一連の行為が嘘のようにうずくまり、何かをブツブツ言いながらガクガク震えている。

「…とんだ伏兵も…あったもんだ…」
 白っぽくなった顔で微かにモートンがぼやく。その目にはもはや生気はない。

 彼はゆらりと上半身を傾けた。

「お嬢さん…このままでは死ねません…迂闊でした…お遊びが過ぎましたね…」

 そのまま、テーブルの足に身体を打ち付ける。
 するとテーブルはぐらりと傾き、先ほどまでキャシーが活けていた大振りの花瓶とランプが床に叩き付けられた。

 花瓶の破片が四方に弾け飛ぶ。

 そして、横倒しになったランプは勢いよく炎を吹き出した。

「あ…!」

 次の瞬間…キャシーの目には信じられない光景が再び映っていた。

「う…うぎゃああああ〜〜〜……」

 遠のいていく悲鳴と共にモートンが一瞬のうちに火に包まれたのである。彼はスーツが防火仕様になっていると言っていたが…これではまるで燃えるために出来ているかのようだ。

 キャシーにとって。

 人間が火に包まれるこの地獄絵のような光景を見るのはもちろん初めてだったし、今までのモートンとのやりとりの中での恐怖が一気に吹きだし、頭をグルグル駆けめぐり…何が何だか分からない状態になっていた。

「きゃあああああ〜〜〜〜!!」
 頭を両手で抱えて、降りかかる火の粉も忘れ、彼女はただただ我を忘れて大声で叫んでいた。

 もう、動こうにも足が言うことを聞かない…それより、入り口は先ほどモートンがまいた油に燃え移った火で向こうも見えない状況だ。

 このままっ…死ぬの?

 充満した煙で息も苦しくなってきた。そう言えば、火事で死ぬ者は火傷より煙にまかれるのが致命傷になるものなのだと誰かに聞いたことがある。

 天国って所に行ったら…家族にも会えるのかしら…でも顔を覚えていないから、大きくなった私を見て誰も気付かなかったらどうしよう…さびしいなあ…
 遠のいていく意識の中でキャシーはそんなことを考えていた。

 その時。

 ユラユラ立ち上る炎の中から人間の姿が浮かび上がってきた。

「…兄さま…」
 キャシーは自分でも気付かないうちに叫んでいた。

「ユリウスお兄さま!?」

「キャシー!? そこか!?」
 人影は炎の中から全容を現した。

「…リード…」
 一瞬の目眩から覚めたようにキャシーに正気が戻ってきた。

「ああ、もう!? どこにいるのかと思ったらこんなに奥の火の元にいるんだからなあ…大丈夫だったか!?」

「…リードぉ…」
 非常事態であるのは承知しながら、キャシーは思わずそこらじゅう焼けこげた服を着たリードにしがみついていた。

「わわ、ちょっと待てよ!? ナイフが刺さりっぱなしじゃないか?」
 キャシーをそっと受け止めたリードはしかしすぐに事の重大さに気付いた。

「ええと…応急処置、応急処置…まずは止血だな」
 リードは素早く自分の両方のシャツの袖をちぎり取ると 、ひとつをキャシーの右腕の付け根、もうひとつを膝下にきつく巻き付けた。

「これで出血も止まるから…痛かったろう…無茶するから」

「あ…あのね、リード…モートンが…」
 キャシーは燃えさかっている一山に目を向けた。促されてそちらを初めて見たリードは息を飲んだ。

「すご…一体、何したんだよ…キャシー…」

「違うの、あの…ダークさんが…!」

「え? …ダークさんはこの部屋にいるのか!?」

 燃えそうな物からどんどん火が噴きだしている状態ですぐにはダークじいさんの姿も見あたらないようだ。

「あそこか!?」
 リードは駆け寄って、ダークじいさんを背中にしょった。

「逃げるぞ! …キャシー!?」

「…え…?」
 この期に及んで、何という受け答えなのかと自分でも思ったが、キャシーはつい、言ってしまった。

「リードっ…逃げるって…どこに?」

「入り口は駄目だから…窓しかないだろうなあ…」

 そう言った彼の視線の先には今さっき、自分が入ってきた入り口があった。まるで炎のカーテンが床から吹きだしているかのようである。

 リードはじいさんを抱えたまま素早く窓の所まで姿勢を低くして駆けていくと、鍵を開けて窓を開いた。
 そのまま、一気にダークじいさんを窓下に降り落とす。

「キャシー…速く…!?」

 手を差し伸べた彼が言うか言わないかのうちに。

 突然、リードの鼻先で窓際の分厚いカーテンが勢いよく火を噴いた。

「…う…嘘…」

 窓を開けたことで急に空気が室内に流れ込み、その気を大きく孕んだ窓際の方は一気に火の手が上がった。

「リード…もう、窓には行けないよ…?」
 抱き起こしてくれたリードを見ながら,キャシーは情けない声を出した…

 火の勢いが引き起こした対流はもの凄い熱風になって2人に襲いかかってくる。

「うーん…」

「どうする…?」

 激痛に立っているのもやっとの状態で、周囲は完全に火の海。逃げ場のない状態…

「…なんか、あったなあ…こういうの…」
 そう言いながらリードは視界をぐるりと見渡した。

「死ぬのは…嫌だなあ…」
 そう呟いた瞬間、リードの視線が止まった。

「キャシー! …水瓶だ!!」
 まだ炎の舌が辿り着いていない場所に水瓶があった。

「とりあえず、水被って、入り口、突破してみよう!」

「リード…」
 いきなりの発言にキャシーは面食らった。

「水被るだけで…大丈夫じゃないと思うけど…」

「あとは気力だ!!」
 そう言うと文字通り「火事場の馬鹿力」そのものに重い水桶を持ち上げて一気にキャシーと自分に頭から水を浴びせかけた。

「…行くぞ!?」

「…う…分かった…!!」

 自信は欠けらもなかったが…襲いかかるような炎のカーテンの中…2人は飛び込んでいった。

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