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夢見るHard Winds
Act14・風は夢を見る

 

 …生きるんだ…

 …前を向いて、生きることを考えるんだ…

 耳元で誰かの声が低く響いている。
 起きなければならない…なのにまるで仕事が休みの朝のようにいつまでも目を閉じていたい気がする。

 …お前は…歩いていくんだ…

 ひときわ大きく響いてきたその声に促されるように…ようやくゆるゆると目を開けた…

「リード!?」
「兄貴!?」

 視界いっぱいに2つの顔が飛び込んできて、暗がりになった。

「…あれ…?」
 すぐには状況が把握できず、起きあがろうとして全身にもの凄い痛みが走って思わず顔をしかめた。

「…いってぇ…何だよ…」
 仕方なく、ベッドにもう一度身体をうずめる。

と、その時のふかふかした感触でここが丘の上の家ではないと言う事実に気付いた。

「兄貴…ここ、どこ…?」
 いつの間にかジミーの方は視界から消えていて、傍らにはアレクだけがいた。

「診療所、レーン・ドクターの」
 半ば、呆れたような声。

「おい、リード。自分の置かれている状況を思い出した方がいいぞ、大変だったのは分かるけどさ」

「あ…?」
 リードはぎゅっと目を閉じた…脳裏に赤々と燃える一面の炎が甦る…

「…あ! 兄貴!? …キャシーは!?」
 今度は痛みも忘れて、ガバッと上体を起こしていた。

 水を被って…部屋の入り口の炎に飛び込んで…それで…

「…ようやく、思い出してきたようだな。良かった」
 アレクはゆっくりと微笑んだ。安堵の色がその表情に広がっていく。

「兄貴…キャシーは…?」
 リードは何だか不安になって、もう一度訊ねた。

「大丈夫、命に別状はないだろうとの事だから…」

「まだ目が覚めてないんだ…」
 アレクの言い方に少し不安げな物があることに気付いて、リードは小さく呟いた。

「お前だって今の今まで眠ったっきりだったんだからな」

「…え…!?」

「今日が何日か、分かってないだろう? 4月の10日…お前、丸3日は目覚めなかったんだよ」

 アレクが窓の外を見たので、リードも続いた。
 レーン・ドクターの診療所の病室からはレイオスが見える…ほとんどを焼き払ったかつての酒場では男達の手で解体作業がとり行われていた。

「…終わったんだよ」
 視線を窓の外に向けたまま、アレクは静かに語った。

「…え…」

 クレール・P・ドリアンとセイジュ・S・モートンはこの世から消えた、続いてゴーストの本部も占拠された。主力の2人の消えたゴーストは廃人さながらでもう反抗する手段も残っていないようであった。

「これから民衆による、新しい政府が樹立するそうなんだよ」
 アレクは自分がカーター氏から聞いた、元・王政反対派の人々の話をリードに語って聞かせた。

「…もし…ゴーストがクーデターを起こさなかったとしても、いずれ彼らによって歴史は変わっていたと思うよ。何がどうあっても王政が長く続くことはなかったんだ」
 アレクも彼なりに自分の中で、一連の動きを消化したようであった。語り口が穏やかな色に満ちている。

「…おっと、時間だ」

「…時間?」

「レイオスの解体作業、村のみんなで交代でやっているんだよ…俺が入れば今度はカーターさんが抜けてくるから…ここに来るように言うよ」

「みんなに、よろしく…」
 身体に鈍い痛みが走って…リードは身体を横たえた。

 そこに。

「ああ、本当だ。リード、ようやくお目覚めか…良かった、良かった…」
 アレクと入れ違いに今度はレーン・ドクターが入ってきた。

「…ドクター…」

「…おいおい、無理するなよ、横になりなさい…体の方を見せてもらおうかな」
 起きあがろうとしたリードを制して、レーンは毛布をめくってリードの足の触診を始めた。

「…ちょっと無理がたたっているようで、腫れ上がっているんだ。湿布をして痛み止めを打って様子を見ないと。あと半月は掛かりそうだな」

「…あんまり痛くないかと思ったら、注射のお陰だったんだ」

「あとは…その体中の…火傷だな…」
 そう言われて、初めてリードは体中の激痛の正体を知った。

「あの…ドクター…。やっぱりキャシーも火傷がひどいの?」
 特にひどい両腕に塗り薬をもらいながらリードは不安を隠せずに訊ねた。自分がこんなにひどいなら、もっと長いことあの部屋にいたキャシーは…

「…それなんだけどな」
 ドクターはとぼけたような口調で語った。

「確かに多少なりとも火傷は負っているんだけど…状況から考えたらえらく軽傷と言えるんだよ。ドレスが燃えにくい素材で出来ていたのも幸いしたらしいんだが…何かが取り憑いていたように…驚いたよ、あれだけのことで済んだのは」

「…そうなんだ…」
 とりあえずは良かった、と言わなくてはならないだろう…キャシーは女の子なんだから大きな火傷のあとがあったらやっぱり可哀想だ。

「あの子は刺し傷と…あとはだいぶ煙にまかれた様だからな。でも脈は安定しているし、意識ももうすぐ戻ると思っているんだが…リード…」
 レーン・ドクターが急に真顔になった。

「まだ聞いていなかったよな…新聞屋のダークさんは…亡くなったよ」

「…え…?」
 窓から、落としたはずだ。…どうして?

「老体に煙をだいぶ吸い込んで…ここに運ばれたときにはもう…じいさんが、本当にモートン伯を刺したのかい?」

「…キャシーの話だと…そうみたいなんだ」

「じいさんが持っていたナイフにモートン氏の血が付いていて…じいさんの服も返り血だらけだったから…まさかとは思ったんだが信じられないこともあるもんだな…」

「それで…ジミーは…」
 リードはすぐに心配になった。一番ショックを受けるのは…たぶん、ジミーのはずだ。

「かなり、ショックはあったらしいがな…何だかあいつは戻ってきたらひどく大人びて見えるんだ。出先で何があったんだろうね…」

「…そう」

 自分は3日も寝込んでいたのだ。
 色々なことが起こったのであろう。

 でも。

 とりあえずは眠りたい…

 目を閉じると赤々と燃えさかる情景が目前に広がっている。どんなにしっかりと目を閉じても、それは消えることがない。

 その炎が…3日前のレイオスのでのものか、もしくは9年前の…そう思っているうちに再び頭が重くなって、意識が遠のいた。




 柔らかい風が丘の上を登ってくる。
 辺りはいつの間にか草が伸び、木々も新芽を伸ばしている。
 見下ろすと河原の花々も淡い色から濃い色へと替わり始めていた。

「…やっぱり、外は気持ちいいわねえ…」
 キャシーは少し短くなった髪を垂らしたままの姿で大きな樹の根本に佇んでいる。
 やはり火の粉がかかり、髪もだいぶ痛んだので思い切って切ったのだと笑った。

「…どう? 傷の具合は?」
 引きずりながらもようやく動くようになった左足でリードが歩いてきた。

「う〜ん…」
 キャシーは自分の右腕に目をやった。複雑な表情をしている。

「今も全然力が入らないの…多分、しびれは残ってしまうだろうってドクターが言ってたわ」

「神経をやられちゃったのかなあ…」
 リードも何と言って答えていいものか、分からなかった。

「やあだ、そんな顔しないでよ…」
 キャシーはあべこべにリードを慰めるように笑った。

「レーン・ドクターも言ってたわ、片腕で済んで良かったって。私これから左手で色々出来るように練習しようと思っているんだ」
 その声は依然と変わらず軽やかに響き…まるで何事もなかったかのような錯覚を覚えた。



  自分たちがかなり危険な状態であったことを後から聞いた。レイオスは半日以上燃えて跡形もなくなり(みんなの必死の消火活動により隣家への被害がなかったことが救いだった)次の朝、馬を飛ばしてアレクとジミー、カーター氏がようやく村まで辿り着いたときは「生きるか死ぬか、五分五分」ときっぱり言われてしまったそうだ。

 キャシーはリードより遅れること2日後に意識が戻った。ショックが強かったらしく、しばらくは気が高ぶっている様子だったがそれも半月立った今では幾分、平静を取り戻しつつあるようだ。
 まだ家事をこなすまでには回復していないが、日常の動作には支障がなくなったということで昨日の夕方、ここに戻ってくることが出来た。リーアもいるし、イルミアおばさんを始め、村の人が交代で手を貸してくれている。

 アレクはレイオスが片づいたあと、ポリスの通常任務に戻っているし、ジミーも隣村の新聞屋に頼んで仕入れた新聞を売って歩いている。どうも隣村の仕事も手伝っているらしい。

「なんだかんだ言っても、あの仕事が好きだったのね…」
 ダークじいさんの事からまだ完全に立ち直っていない弟を気遣いながら、キャシーは微かに笑みを浮かべた。

 リーアも店を開けている。雑貨屋も閉めたままでは村人が不便な思いをするのだ。

「やあ、ここにいたのか…」
 明るい声が背後から聞こえてくる。

「ミスター・カーター…」
 カーター氏は2人に向かい合うように腰を下ろした。


 この人もドリアンの別荘から戻ってから、人が変わったように明るくなっていた。その上、元々はキャシーとジミーの生家であるグレイン家に使えていた人間だと聞いて、仰天させられた。

「ミスター・カーターは…反政府組織の一員だったそうですね…」
 リードはゆっくりと話し出した。

「反政府の組織にも色々あってね…我々の仲間は王政反対派の流れだったから、もう自然にタウンの人間にとけ込んでいてね…ドリアンの別荘にも随分、長く仕えている者がいたし、タウン政府の側近にも実はいたんだよ」

「だいぶ…危ない橋を渡っていたんですねえ」

 自分たちの野心を隠して敵の懐に飛び込んで行くのは、並大抵の勇気では出来ないことだと思う。

「ミスター・カーターは…貴族関係の人間で、どうしてそんな中に入れたの? ジミー達の話だと彼らは王政に反対していたんだから…ちょっと私たちに対しても冷たいものがあったって…」
 キャシーが訊ねた。

 拗ねたような口調にカーター氏は思わず微笑んで、
「お気を悪くなさったのでしたら…申し訳ないことをしましたね…考え方の違いですから、許してやってくださいね」
と、言った。それから彼は視線を逸らして、丘の下を見た。すっかり解体して片づいたレイオスの跡地が商店街の中でポッカリとした空間を空けている。

「…最初に彼らに声を掛けられたときは意外でした…でも、彼らにしてみればゴーストに媚びない私の経営方針に親しみを感じたらしいんですよね。確かに私も彼らも野心の元にあるものは同じだった気がするし…私もあえて、身の上話をすることもありませんでした。だから彼らは私をただの商人だと思っていたのでしょう…今回、事の真相を知って、驚いていましたから」

 カーター氏の属する政府反対派はオルフェイン氏の関わっていた王政復活派とは全く別個の存在で、もちろん交流もなかった。大体、王政復活派には存在を知られたくなくてひた隠しにしていたくらいだから。彼らは王政に甘んじて豊かに暮らしていた頃に戻りたがっているだけの人間達だ。そんなことを今更、試みたことでこの国が大きく変わるとも思えない。

「…国は民衆のものです…一握りの人間達だけが富を占めるのは妥当じゃない…それを分かって欲しかったんだが…彼らには分からなかったようです、最後まで」

 最後まで、と言うところに憂いの色を含んでいた。タウンに人間の生き残りと言えば、もしかするとカーター氏の知り合いも関わっていたかも知れない。

「幸い、私はティレス区の片田舎の出身でタウンの人間とは毛色が違いましたから…ばれることもなく来ることが出来ました」

「…ミスター・カーターは、本当に落ち着いてますね。羨ましいです…」
 穏やかな身のこなしにリードは思ったままを口にした。

「そうですか…?」
 カーター氏の方は意外そうにリードの方に向き直った。

「私にとっては君の方がずっと羨ましいですよ…」

「え…?」

「だって君は…」

 そこまで言うと彼は指笛で鳩を呼んだ。
 すぐにそれは彼の肩に飛んでくる。
 その頭をそっとなでたあと、彼は再び口を開いた。

「君は少なくとも、大切な人を守ることが出来た…出来なくて後悔する人間よりずっと羨ましいことなんですよ…」

 穏やかに、でも底知れぬ哀しみをたたえて…
 カーター氏の瞳がゆらりと宙を泳いだ。

「メアリは…私の遠縁の娘で、グレイン家に一足先に働きに出ていたんです…」
 カーター氏はゆっくりと話し始めた。

 小さな農村で幼なじみとして育った2人、やがてメアリは人の紹介でタウンの貴族の家にメイドとして雇われることになった。メイド長をしていたのが2人の伯母に当たる人だったので声が掛かったのだ。

「一緒にいるときは何でもないと思っていたんですがねえ…いなくなってみるとこれが寂しいもんで…それまでは歳も6歳ほど離れてましたし、小さな妹のようだと思っていたんですよね」

 地元の師範学校を出たカーター氏はそのまま小学校の教師の職に就いていた。メアリが去って1年が過ぎた頃、タウンの伯母から手紙が届いた。

「…不思議な話でした。私はその伯母に子供の頃一度会ったっきりだったのです…グレイン家の当主…つまり、キャサリン様のお父上なのですが、その人が私に会ってみたいとおっしゃっているとのことで」

 カーター氏がタウンに出向いてグレイン家を訪れるとグレイン氏は彼にタウンの大学に行くように勧めた。その後、グレイン家で働くことを条件に学費も負担してくれるとの事であった。信じられない話に耳を疑う彼に当主は優しく微笑みながら言った。

「メアリが、グレイン氏に私の話をしてくれたんだそうです。成績も良く、優秀な人材なのに田舎に埋もれさせておくのは可哀想だと…彼女は自分を解雇しても良いから私を雇ってくれとまで言ってくれた」

 夢心地のままグレイン氏の部屋を後にしたカーター氏は廊下の隅で不安げに事の次第を伺っていたメアリと鉢合わせした。

 1年の都会暮らしは15歳の少女を驚くほど美しく変化させるのに十分だった。彼は最初、彼女であることに気付かなかったほどだ。でもこぼれ落ちた懐かしい声でようやくメアリ本人だと確信することが出来た。

「グレイン氏のお屋敷にやっかいになりながら大学に通いました。その後、お子さま方のお世話を任されて…本当に夢のような充実した日々でした。時折、豊かとは言えない故郷のことを思い出しました、でも戻ることは出来なかった…一度都会暮らしに慣れてしまった人間はもう農村の貧しさが嫌になっていたんです…そこに母の訃報が届いたんです」

 気付けば10年近い歳月が流れていた。葬儀に一緒に参列しようとの誘いをメアリは断った。

「…彼女は心のどこかでずっと自分を責めていたのでしょう。自分が働きかけたことで私は裕福な生活を手に入れた。しかしそれは故郷を捨ててしまったことになる。私の両親から私を引き離してしまったのは自分のせいだと思っていたようなんです…」

 定期馬車の駅まで見送りに来てくれたメアリの手を握り、すぐに戻ると約束した。彼女は一緒に行けないことを申し訳ないようにためらいがちな笑みを浮かべていた。

「それが…彼女を見た最後でした。その夜、私の乗った馬車が故郷にたどり着いた頃…クーデターが起こった」

「ミスター・カーター…」
 キャシーは声が詰まってそれ以上、話すことが出来なくなった。

「どうして強引にでも一緒に連れて行かなかったのか、自分を責めるしかありませんでした…母の訃報が届く前、私たちは年明けに結婚を決めていたんです。そしたら一緒に故郷に戻ってゆっくり暮らそうと…それはメアリの願いでもありました。グレイン氏も承知してくれ、祝福してくれてました…」

 それは。

 初めて見るカーター氏の涙であった。静かに声を殺して彼は口を覆ったまま動けなくなっていた。

 リードとキャシーはどうしたらいいのか分からず、その姿を見つめるだけであった。

 肩の鳩がククッとのどを鳴らして、カーター氏にすり寄った。

「この子は…体毛がメアリの瞳と同じ薄いブルーで…見た瞬間に自分のものにしようと思いました。タウンもグレイン家も見る影もなく…いえ、未練がましくゴーストの募った復興団にも参加したんですよ、万が一、生きていてくれるかと思って…でも結局メアリの消息は分からずじまい、私はティレス区に戻って商社に勤めました。もう生きていく望みもなくしていたずらに時を重ねている気分でした」

 その後、カーター氏は反政府組織の一員となり、機が熟すのを待つ日々を過ごした。そんな中、何者かの密告により隠れ家は襲われて…そこにいなかったカーター氏は事なきを得たが、仲間を捜し集めることに奔走する日々が続いた。

「…私は想像を絶する激務に疲れ果てていました。ある日乗ったタウン行きの汽車で偶然、あの話を聞くまでは…」

「あの話…?」

「ほら、ダーネスという男ですよ…リース村のポリスで面白くないことがあり、仕事を辞めたと言っていた。でもそこに村人とは全然違う孤児達がいた、とね…」

「私たちのこと…」

「その瞬間、私の奥から熱いものが込み上げるのが分かりました…思い違いでも構わない、もしもキャサリン様とジェームズ様が生きていて、その身を危険にさらそうとしているのだとしたら…今度こそは何としてもお守りしようと…」

「…そう…だったんですか…」
 カーター氏の話はあまりにも重かったのでリードとキャシーには聞いているだけで辛く思えた。

 しばしの沈黙が流れた。

「あの…ミスター…?」
 キャシーが暫く立ってからおずおずと口を開いた。

「ジミーに聞いたの…私たちに、お兄さまがいたって…私、本当に何にも覚えていなくて…どんな方だったのかしら?」

「それってもしかして…」
 リードが話に割って入る。

「キャシー、あの夜…俺を見て…違う名前を呼んだ。確か…」

「…ユリウス様、ですよ」

「そう、そう言う名前だった」

 カーター氏はふっと溜息を付いた。

「キャサリン様のお心の中にはちゃんとユリウス様がいらっしゃったんですよ…ユリウス様はキャサリン様と同じ、髪と瞳の色。そのままお父様の生き写しでいらっしゃいました。ジェームズ様はお母様とそっくりでいらして…ジェームズ様がお生まれになったときのグレイン様のお喜びと言ったら今でもありありと思い出すほどですよ…」
 カーター氏は何かを吹っ切ったように、静かに微笑んだ。

「ねえ、リード。本当に私、そんなこと言ったの?」
 キャシーはリードの方を向き直って不思議そうな顔で言った。

「…言った。あの火事場に死にものぐるいで飛び込んで、あげくに違う名前で呼ばれれば…死んだって忘れられないよ…」
 リードは思い出したようにむくれた。相当、ショックだったらしい。

「あはは、ユリウス様は妹思いのお優しい方でしたから…それを思い出されたのでしょう…」

「ねえ、ところで」
 キャシーが今度はカーター氏の方に向かって話しかけた。

「ミスター・カーター…そのかしこまるのと、様を付けた呼び方、止めてくれないかしら…慣れないことされると本当に落ち着かないのよね…」

 その言葉にカーター氏とリードは同時に吹きだしていた。

「…努力しましょう…しばし、お時間頂ければ…」

「ねえ、ミスター・カーター…新政府から呼ばれているんでしょう? タウンの本部に行かなくていいの?」
 リードが思い出したように言った。

「…タウンは…ちょっと行きたくありませんねえ。どうしましょう、ここが気に入ったので仕事を探せたらと思っているのですが…」

 そう言うと彼は丘の下にもう一度、視線を戻した。

「ここは…故郷の香りがするんです…メアリと、静かに暮らしたいと思ってます」
 カーター氏は静かに、でも強い決意でその言葉を話しているようであった。




「アレク」
 ポリスの各隊長の集う部屋…ワーグス署長が真面目な表情で声を掛ける、とは言っても、この頃の一連の出来事の中では彼の寒くなるようなジョークもからかい調子の言葉もなりを潜めていたが…

「はい、何でしょうか?」
 アレクはさっと立ち上がると、署長の机まで歩いていった。相変わらず白地にブルーのラインの制服が眩しいほど似合っている。

「君から…希望の出ていた交換勤務の話なんだが、良いのが来ているんだ。見てみるか?」

「はい」
 アレクはワーグスが手渡した書類を受け取った。

「…隣国の…山あいの街なんだがね。そこには私の仲間も派遣されている。言葉も隣り国ならある程度の方言程度だからやりやすいと思うよ」
 書類を読んでいるアレクに署長は助言した。

「私としては…アレクにはここにいて欲しいのだが…君の希望とあれば仕方ないだろう…」

「署長…」
 アレクは決意を固めたように、言った。

「このお話、ちょっと、待っていただけませんか…? 明日にはお返事できると思います」
 その言葉にワーグス署長は静かに頷いた。





 さらに1ヶ月後…

 朝早く、ロッドのお墓の前に丘の上の仲間は来ていた。墓石には埋もれるほどの花が飾られていた。

 半月前、オルフェイン氏の死体が発見された。

 ジャイス区の山あいの村に捨てるように放置されていたそれをリーアとアレクが引き取りに行った。もう覚悟はしていたとは言え、腐敗し異臭を放っていた死骸にリーアは構わずしがみついて、いつまでも離れず泣いていたという。その亡骸は村人達に見送られ、一足早くダークじいさんが眠りについた村の共同墓地に埋葬されていた。
 9年前のクーデターから始まり、数え切れないほどの尊い血が流されたが…彼らはその最後の犠牲者と言えるであろう。

 リード、アレク、キャシー、ジミー…そしてリーアの5人はすっかり旅支度を終えていた。丘の上も辿り着いたときと同様にきれいに片づけられていた。

 5人は静かにロッドの前で手を合わせたあと、ゆっくりの立ち上がって丘の下を見下ろした。

「…兄さんも…ここなら寂しくないよね」
 キャシーが静かに言った。

「あのね、みんな…」
 その後、胸元からあの日の懐中時計を取りだした。

「これ、レイオスが燃えたとき、身につけていたの…そしたら…また動かなくなっちゃった…」

「本当だ…」
 リードも動かなくなった秒針を見つめた。

「あそこから脱出できたのは奇跡的だからな、キャシーは本当の兄上とロッドと…たくさんの人間に守られてこうして生きているんだよ、きっと…」
 泣き出しそうなキャシーの肩に手を置いて、アレクも静かに言った。

 その時…。

「おやまあ、えらく早い支度だねえ…」
 大きな荷物を抱えたイルミアおばさんを先頭に村人達が一斉に丘を上がってきた。

「みんな…」
 余りの人数にリード達は唖然とした。これでは村中が空っぽになってしまったんじゃないだろうか?

「まだ、定期馬車には間があるんだろう?」

「ええ、まあ…」
 アレクの返事も待たず、イルミアはさっさと荷物を置くとその中をまさぐった。

「ちょっと、リーア。こっちにおいで」

「…私…ですか?」
 イルミアの声に不思議そうな顔をしたリーアが歩いてきた。

「ほら、あたしらみんなからの…プレゼント、だよ」
 その言葉と共に…真っ白なベールがふわりと宙を舞った。

「おばさん…これは…」
 ベールのかすみの中から、リーアが戸惑った声を上げた。

「聞いたよ、あんた、アレクのプロポーズ受けて…それで、一緒に隣の国に行くんだろう? だったらここであたしらとロッドとあんたの父さんの前で…式を挙げちまおうよ」

「おばさん…!?」
 アレクが慌ててふたりの間に割って入った。

「…そんな…俺達はまだそこまで具体的には…」
 いつものクールさはどこへやら、真っ赤になってしまっている。

 そんなアレクの慌てぶりを楽しむように、イルミアは余裕の微笑みを浮かべる。

「…馬鹿だねえ、具体的にも何も本人達の気持ちが決まっているならいいじゃないか。アレク、あんたもね、独身でまだまだ、もてたいのは分かるけど…ここは覚悟をお決め! 新任地には新妻連れで行くんだよ!!」

「そりゃ、いいや!!」
 リードとジミーが手を叩いて笑い出した。

「きゃー、おめでとう〜リーア、良かったね!」
 キャシーがリーアの顔を覗くと、もう彼女は感激で泣き出していた。

「これでオルフェインさんも…浮かばれますよ…」
 手を叩きながら、ミスター・カーターが眩しそうに2人を見つめた。

「ミスター・カーター…」
 リーアが静かに話しかけた。

「お店のこと…本当にありがとうございます。父に代わってお礼を言います…どうかよろしくお願いいたします」
 リーアが頭を下げるとカーター氏はゆっくりと微笑んだ。

「承知いたしました…雑貨屋と、オルフェインさんとロッドのお墓…守りましょう」

 ロッドの墓標の前…温かいさざめきと明るい5月の日差しの中で…アレクとリーアの祝福の式がとり行われていった…。 

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