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夢見るHard Winds番外編・1
「もうひとつの風が吹く」

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「…ちょっと…? 今なんて言ったの…?」
 キャシーはティーポットをその手から落としそうになり、かろうじて持ちこたえた。

「そんなに驚くことでもないだろ?」
 ジミーは平然とカップをすすっている。
 この3年で彼は驚くほど大人びた。
 背丈もあっという間にキャシーを追い越して、リードと肩を並べようとしている。その顔からあどけなさが消え、16歳の青年の風貌に変わろうとしている。こざっぱりと切りそろえた髪が似合っていた。

「金の心配はないんだって。今まで学費は奨学金でまかなっていたけど、今度のは研究生で教授の手伝いをする助手扱い。少ないけど手当も出るんだよ。姉ちゃんにも兄貴にも迷惑かけないって」

「そうは、言ってもねえ…」
 キャシーは弟とは対照的に困り切った表情になり、立ちつくしたまま傍らに座るリードの方を見た。目が合うと彼もキャシー同様、戸惑った表情を露わにしていた。

「ばっかだよな〜」
 そんな2人を見ていたジミーがブラウンの髪をかき上げて呆れたように言い放った。

「何だよ、その言いぐさは…」
 生意気な口調はいつものことなので、リードは一応、年上としての威厳を込めて睨み付ける。だが、元々がおっとりとした顔立ちのためかとがらせた口元が拗ねたような表情に見えるのが可笑しい。これでも21歳と言うから…実は本人も少し気にしているのである。

「俺、これでも気を遣ったつもりなんだけどな」

「気を遣ったって?」
 余裕の微笑みの弟にキャシーは小首を傾げて尋ねる。
 彼女もこの村に来てから定番だったお下げ髪は卒業して、娘らしく伸ばしている。オレンジがかった柔らかい金髪は彼女の動きに合わせてしなやかに揺れた。

「俺がこの家からいなくなれば、邪魔者は消えるって訳。もういい加減、区切り付けた方がいいぜ、姉ちゃんはすっかり行き遅れているじゃないか」

「はあ〜!?」

「はあ、じゃないだろ?」
 付き合ってられないよなあ、と言った風にジミーは話を続けた。

「姉ちゃんもリード兄貴も。このラナリアに越してきてからもう3年…恋人も作らずにいたのはやっぱお互いに気があるからだろう?」
 ジミーはにっこりと笑うとなおも続けた。

「ま、2人でつもる話もあるだろ? 俺はまた教室の方に戻るから後は2人で話をつけて」
 そこまで言うとジミーはさっさと椅子から立ち上がり、傍らの楽譜を手にした。

「じゃあ、夕飯までには帰るね」

 ジミーがドアから消えていくと残された方の2人はお互いに顔を見合わせて大きく溜息を付いた。でもお互いがそれぞれ相手の心中を察しかねている、と言うのも事実だった。

 

 

「まあ、凄いじゃないの!」
 リーアは腕の赤ん坊を揺り上げて明るく叫んだ。

「シルモア教授と言ったら、バイオリンの奏者としても有名な方でしょう。ジミーはそんな方に認められたんだわ、素晴らしい事じゃないの!」

 リーアは鳶色の長い髪を高いところで結い上げてアイボリー地にピンクの小花模様の服、すっかり人妻らしい落ち着きに満ちていた。抱いている赤子の他に年子で上の子がおり、さらにもうすぐ臨月と言うから、ジミーなどは
「一体何人作る気なんだよ〜兄貴も顔に似合わず、好きなんだから〜」
とか言っては、アレクに思い切り叩かれている。

 アレクとリーアの新居はキャシー達3人が住んでいる家から数件先の所にある。この村に来て新居を紹介されたとき。5人…リード、アレク、キャシー、ジミー、そしてアレクの新妻であるリーアは大きな建物があれば一緒でもいいと思っていた。今までだって5人でたった2間の小屋に5人で住んでいたのだ。何て事なかった。ただ、思ったような貸家がなかったことや村の人たちがアレクとリーアが新婚だと言うことを考慮して、家を別にする気配りをしてくれたのだ。
 この村では「兄弟」と偽るのも何なので「従兄弟」と言うことにしている。まあ、同じタウンの元貴族、近からずも遠からず、ということだろう。
 そんなわけでスープの冷めない距離でお互いの家を行き来しながらこの3年、変わらぬ暮らしを続けてきた。

 

「まあ、凄いことだとは思うわよ」
 キャシーは首をすくめて困ったように微笑んだ。

 昨日のジミーの爆弾発言から一夜が明けて…誰かに話したくて仕方のなかったキャシーは勤め先の洋服店の仕事がひけてから早速、ここへとやってきたのである。

「ジミーはあの時まで…バイオリンに触ったこともなかったのよ。それがこの村に越してきて初めて先生について習って…3年であんなに素晴らしく弾きこなすようになっちゃったんですもの。実の姉ながら凄いと思っているわ」

「血筋が良かったのかしらね? …どなたかその道の腕達者がいらしたんじゃないの?」

「…私に聞いても、無駄だって」
 リーアは言ってしまってから、しまった、と言う表情になったが、キャシーはそれ程気にする様子もなく、さらりと受け答えした。

 

 ガジューラ共和国、そのほぼ中央に位置する「ラナリアの村」…そこがハードウインズ達の辿り着いた新天地であった。ガジューラはリディール共和国のすぐ南に位置する温暖な気候の国である。少し高地になっているラナリア村でもこの3年間、雪はうっすらと積もるほどは降らなかった。
 季節は巡り3年の月日の後…4回目の春を迎えていた。

 ジミーは当時、13歳だったのでそのまま学校に編入した。アレクやロッドの教えた甲斐があって、同級生の間でも成績は良かった。学費は奨学金の制度が充実していたのでいわゆる「出世払い」と言うわけで稼ぐ必要もなかった。飛び級もして16歳の今では高校までの課程のほとんどを終了している。放課後はかつての自分のような子供達にせっせと課外授業をやってのけている。

「ジミーはジミーの力で、チャンスを掴んだのですもの。それに対しては心からおめでとうと言いたいわ…でも…」

「問題はジミーがあの家からいなくなることなのね…あ、お湯が沸いたみたい。悪いけど、お願いできる?」

「分かったわ」
 キャシーがさっと椅子から立ち上がると同時に、表の入り口がバタンと開いた。

「ただいま、キャシー来てたのか…あ、お湯なら俺がやるからいいよ」
 妻子持ちになろうと余り風貌も変わらないアレクが軽快な足取りで入ってきて、そのままキッチンの方にと向かった。

「リーア、医者さんは何て言ってた?」
 ポットにお湯を注ぐ音と共にアレクの訊ねる声がした。

「ええ、順調ですって」

「研修視察と重ならないといいんだけどな…」
 アレクはラナリアの村でもポリスの職員だ。ポリスの人事移動でこちらに移ったのだから当たり前だが…こちらでもすぐに銃士隊の部隊長を任されて後輩の指導に当たっている。

「…私、2人は好き合っているのかと思っていたのだけど…違ったの?」
 リーアはゆっくりと微笑みを浮かべながら落ち着いた口調で問いかけた。

 キャシーが大きく頭を振る。

「そんなんじゃないのよ〜もう、身内からしてこうなんだからな…困っちゃう」
 そして大きく溜息。

「そうなの」
 リーアはつまらなそうに呟いた。明らかに期待していたようだ。

「私、ジミーが大学から戻るまでこっちの家でやっかいになろうかしら?」

「それはよして欲しいな」
 アレクがお茶のお盆を手に話に加わってきた。
「これから家族がまた増えるんだから…今だって部屋数が足りないくらいだよ。…それに」

「それに?」
 アレクが思わせぶりに言葉を切ったので、キャシーは聞き返した。

「その学校が何年あるのかは知らないけど…多分その後もジミーはあの家には戻らないよ」

「…どうして?」
 話の見えないキャシーは不機嫌な声になる。

「やっぱり知らないんだ」
 アレクの方はお茶を注ぎながら楽しそうだ。

「ジミーね」
 コトリとカップをお客であるキャシーの前に最初に置いた。
「ユリーシアと恋仲なんだよ」

「え!?」

 昨日といい今日といい…キャシーは意表をつかれてばかりの気がする。精神的に良くない。

「ユリーシアって…マリーニ学長のお嬢さんの?」
 キャシーは思い浮かべた。しっとりとした黒髪の大人しい娘だ。だけど…
「彼女、まだ13でしょう?」

「俺、リーアが13の時にはもう付き合っていたけど」
 ねえ、と言う感じでリーアの方を見つめる。リーアの方は真っ赤になって俯いてしまった。そんな彼女を愛おしそうに見つめるアレク。

「だから、ユリーシアは一人娘だし。そのまま婿養子になっちゃうんじゃないかな? ちょっと気が早い話かも知れないけど」

「アレク兄さんが言うなら…信憑性があるな…」

 そう言えばジミーはこの所、学長の家に通っていた。でもそれは学校の仕事の延長だと思っていたし、気にも留めてなかった。丘の上に暮らしていた頃からキャシーには忙しく働く癖がついていた。だからこの3年もあっという間だったし、自分の弟のことすら気にする間もなかった気がする。

「じゃあ、リード以外には誰かいい人いないの? 結構お誘いも多いのでしょう?」

「うーん…」
 くるりと首をひねる。
「おしゃべりする相手はいるけど…いい人って感じじゃないな」

「リードの方は? ここに来た当初から、村のお嬢さん方が凄いんでしょう?」

「分かんない…」
 でも、ジミーのことすら気付かない自分なので本当のところは謎だ。

「それにしても…不思議だね」
 アレクはリーアから息子を受け取ると、あやしながらキャシーに話しかけた。
「カーターさんに聞いたことがあるよ、本来だったら君はもう、生まれたときから婚約者がいたんだって」

「…そんな話、知らないわ」

「君が寝込んでいたときに聞いたからね」
 キャシーはほとんどタウンの記憶がないからピンとこない。

「だって、…グレイン家のお嬢さんでしょ? 跡取りは兄上がいたんだし。貴族の中では…言い方悪いけど家同士の繋がりを強固にするために政略結婚が当たり前だったからね」

「…ふうん」
 物語の中でしか聞いたことのない世界だ。
「じゃあ、アレク兄さんにも、もちろんいたのね」

「まあね、会ったことはなかったけど…15になったら結婚するはずだった。今となったら、クーデターが起こって良かった、と言った方がいいかな?」
 そう言うと、我が息子を高く抱き上げる。リーアも傍らで恥ずかしそうに微笑んでいた。

「…そうだったら、こんなに色々悩むこともなかったんだ」
 キャシーは俯くとカップを手に取った。

「想像してごらんよ、もし俺達が王宮の晩餐会で会ったとしても…言葉を交わすことすら出来ないんだよ。俺の記憶ではウチやリードの家とグレイン家は派閥が違ったからね、確執もあったと思うよ」

「…そうなんだ…」
 いくらアレクの話を聞いても、実感がない。絵本で眺めたような陳腐な映像しか出てこない。

「ま、その様子じゃ2人でちゃんと話し合ったこともないようだね。いい機会じゃないか、ここの辺で答えを出せば?」

「……」
 キャシーはカップの中のお茶を見つめた。水面はゆらゆらと波打っている。その濃淡が円状に広がっていく。

 自分でもこうして早急な答えを求められるとどう対処したらいいのか分からない。
 この3年間、変わることなく緩やかに流れ続けていた時間がここに来て色を変えたようだ。

 もう一度。

 キャシーは大きく溜息を付いた。

 

 

「キャシー、悪いね。ちょっと手を貸してくれるかい?」

 翌日。

 奥の物置から店主のおかみさんが明るく叫んでいる。

「はあい、何でしょう?」
 ドレスを裾上げしていた手を止めて、声の方向に急ぐ。

 床一面に広げられた布地を見下ろしながら、おかみさんは腕組みをしてちょっと困っていた。
「酒屋の娘さんがね…」

「ああ、エリサですね」
 ふっくらした年下の娘をすぐに思い浮かべることが出来る。

「祭りのドレスを新調するそうなんだ。…どんなデザインがいいかと思ってね」

 洋服屋は主に店頭に布地を置き、客にはオーダーメイドで服をこしらえていた。元々は針仕事の苦手なキャシーであったが、やはり長い間を兄弟のお古で間に合わせていた反動か「装い」に対する憧れが強かったらしい。洋服屋で人手を探しているという話に飛びついてしまった。

 もちろん、家の者には事後報告だったので彼女を知る仲間達は呆れていたが。

 とにもかくにもこの3年間、どうやら勤め上げてきた(しかし針の腕は相変わらずである。)

「彼女はおしゃれ好きですから、やはり流行にあったものがいいんでしょうね」

「でも、今年の流行はウエストを絞ってからボリュームのあるスカートを合わせるだろう? あの娘の体型はちょっと合わないな」

「そうですねえ…」
 キャシーは散らかされた布の巻きを確かめながら、小首を傾げた。
「出来るだけ張りのない濃い色の布にして…ウエストを別布でマークしたらいいんじゃないかしら? で、スカートの膨らみも加減して…」

「さすがに若い子だねえ、頭が柔らかくて助かるよ」
 おかみさんは頼もしそうに目を細めた。

 ここの店主夫婦には娘がいなかった。街に出ている息子達はいるが誰も店を継ごうとはしない。村唯一の洋服屋である。存続をどうするかそれが彼らの悩みの種だった。

「…あんたはどうすんだい?」
 急に話を振られて、キャシーはドキッとした。

「…私ですか?」

「何だい? その調子じゃ何も考えてなかったんだね」
 呆れた声。

 それもそうである。

春の祭りと言えば表向きにはその年の豊作を祈るものだが、村娘達にとっては特別の意味を持っていた。中央広場に特設される舞台でのダンスパーティーは山の中の村ではこの上ない華やいだ祭典である。この日のためにとっておきの衣装を新調し、肌や爪の手入れを怠らず…なおかつ、パートナーを用意する必要がある。この祭りがきっかけで結婚したカップルは村のほとんどを占めるという。

「相手を捜すのも面倒ですもの、今年も見物でいいです」

「あのねえ…」
 何も分かっちゃいないんだから、と言うようにおかみはグイッと顔を近づけてくる。
「この村の若い衆にとって、舞台に上がらないと言うのは既婚者か変わり者なの。あんたはまだこの村に慣れていないから、去年も一昨年も見物してられたけど…今年はそうはいかないだろうよ」

「?」
 おかみさんが鼻で思わせぶりに笑ったので、キャシーはきょとんとした。
「…あんた、従兄弟のリードとはどうなってるんだい?」

 またこの話題だ。
 3日続けて出るともううんざりする。

「どうって、…どうにもなってませんけど。もともと兄妹のようなものですから」
 正直に答えた。

「それなら、いいんだよ」

「…は?」
 意外な反応に出られて、面を食らう。おかみさんはにわかにうきうきしてそこら辺を片づけだした。

「雑貨屋のトムを知っているだろう?」

「ええ」

「先だて、街の大学を終了して戻ってきた秀才だよ。ああいうモンはほとんどこんな村には戻らないんだが、あの孝行者は戻ってきた。で、先日…しつこくあんたのことを聞かれてね」

「私のことを、ですか?」

「嫌だねえ…この子は。いい年をして、とぼけるのはよしとくれ?」
 おかみは両手をキャシーの肩に置いた。
「今年は上がれるよ! あのステージに。今まで村の若い衆はあんたがこの村に似つかわしくないほど垢抜けているので気後れしていたようだが…やっと、いい相手が現れたじゃないか!」

「はあ…?」

「これで決まり! 明日は土曜日だ。天気もこのまま行けば良さそうだし、ピクニックには打ってつけだよ! トムが10時に迎えに来るそうだからちゃんと用意して待っているんだよ! おばさん、力一杯、応援してあげるからね!」

 おかみさんはすっかり仲人気取りになって張り切っている。多分、トムから持ちかけられた瞬間に目の色が変わったのであろう。やる気満々だ。

 …と。店の方でお客の声がした。

「ああ、あたしが行くよ。あんたはここら辺を片づけておくれ」
 浮かれた足取りで彼女はすたすたと部屋を後にした。

 一方、キャシーは。

 その場にぺたんと座り込むと、気が抜けてしまった。

 …雑貨屋のトム。
 確かに悪い相手じゃないだろう。村一番の秀才で滅多に出ない大学行きになったという。確か、歳はリードと同じだった。

「ピンとこないんだよなあ…」

 そうは言っても同年代の娘達は次々に嫁に行き、早いものではキャシーと同い年で2人の子持ちだという。おかみさんが心配して世話を焼いてくれるのも当然なのだ。

 見上げると。

 小さな物置の窓から春の穏やかな青空が覗いていた。

 

 

「今日の夕食、遅くなるから先に食べてて」
 3時のお茶に戻ってきたリードが言った。

「…そうなの」
 午前中におかみさんからあんな話を聞かされて、少し思案気味のキャシーはボーっとした返事をした。

「この頃、遅いことが多いわね。何か急ぎの仕事でもあるの?」

「仕事じゃないんだけど…調べものがあって」

「調べもの?」

「仕事中に自分のことをするわけにもいかないだろ? 館長が戸締まりをするなら残ってもいいと言うから」 
 リードはここに越してきてから、村営の図書館で働いていた。大人しそうな仕事のようだが本を扱うので力仕事が多く、男手が不可欠だ。

「ふうん…」

 リードの方から話をしないので、調べものの内容については聞きそびれてしまった。

 …明日のことも…相談する暇もなさそうだなあ、とカップを片づけながら考える。大体、話したところでどうなるだろう。今までだって、こう言うことにならなかったのは不思議な気がする。身内のひいき目かも知れないが、リードも村の若者の中ではとびきり見栄えがしている。まあ、アレクは別格として。

 いつかは来ることだったのだろう…心の何処かでそんな気がしていた。

 

 

 土曜日は素晴らしく晴れ渡り、10時丁度に雑貨屋のトムは迎えに来た。ジミーはマリーニ学長の家に出掛けていたし、リードもいなくなっていた。ホット胸をなで下ろす自分が可笑しい。

 …別にばれたって、いいのに。

 心の中で自嘲気味に反芻する。

 リードより幾分長身で筋肉質の青年が傍らを歩く。黒いウエーヴの髪が春風に揺れている。褐色の肌に白い歯が似合っていた。

「君に決まったお相手がいないと聞いたときは、天にも昇る気分だったよ」
 トムは屈託のない笑顔を見せた。
「親父達も…こんなに綺麗な子が村に来たなら、すぐに知らせてくれれば休暇に戻ってきてたのに。もう3年なんだって?」

「あなたの方こそ」
 アレクも顔負けの(とはいえ、アレクのセリフはキャシーには向けられないけど)セリフを遮ろうとキャシーは話し出した。
「街にいいお相手がいらっしゃるんじゃないの? …雑貨屋のおじさんはきっと花嫁を連れて帰って来るだろうと期待していらしたわよ」

「…嫌だなあ」
 トムは照れて頭をかいた。
「正直言ってね、そう言う相手がいなかったわけじゃないよ。でもラナリアに帰ると言ったら付いてきてくれる子はいなかった、まあ、その程度なんだろうね」

 何とも隠し立てのない正直さにキャシーは面食らった。

「どうだろう?」
 おもむろに彼はキャシーの顔を覗き込んだ。
「祭りの君のパートナーに俺が名乗り出ていいのかな?」

「そ、それは…」
 急に話を進められてもこっちは付いていけない。
「私、あなたとは今日、初めてまともにしゃべったのだし、まだ何も知らないのに…」

「こう言うのは早いも遅いもないんだよ」
 うろたえるキャシーにトムはきっぱり言った。
「少なくとも俺の方は君のことが気に入った。あとは君の出方なんだから…まあいいだろう。何か質問は? 知りたいことがあるんでしょ?」

「そうね…」
 すぐに考えようとすると息詰まってしまうが、かろうじて思考を巡らしてみた。
「あなたは、これからどうしようと思って戻ってきたの? 雑貨屋さんを継ぐの?」

 この質問はトムを微笑ませた。

「そうだな…まずはそうするだろうね、でもそれだけじゃ、終われない」

「それだけじゃ、って?」

「大学では経済学を学んだ。ここ、ラナリアは国の中央だから…商品の取引の分岐点を作りたいんだ。国全体に通じる流通の道をね」

 その希望に満ちた語り口には誰もを魅了するものがあった。眩しくその活き活きとした表情を見ていたキャシーはポツリと言った。

「…商品取引なら、知り合いが昔、していたわ。今は雑貨屋さんの主人になっちゃったけど」
 ミスター・カーターの優しそうな顔が浮かんだ。村を離れて以来、会っていない。

「え? それは君のおじさん? 身内の人なの?」

「…おじさん…そうねえ。そういうものかしら?」

 おじさん、と言うのだろうか? カーター氏は元々、グレイン家…キャシーとジミーの生家の使用人だった人間だ。血は繋がっていない、ただ、あのめまぐるしい日々を共に走り切った戦友として肉親以上の存在だと言えると思う。

 キャシーの受け答えが曖昧だったので、トムは面白そうに言う。
「君って、何とも言えなく秘密めいたところがあっていいね。やっぱり女性は秘めたところがないと色気がないよね」

 …方向違いの解釈をされつつある。

「あれ…」
 ふと、視界を横切った人間がいた。

「…リード…」
 キャシーは足を止めた。声が掛けにくかった…自分がトムと一緒だった為もある。だかそれだけではなかった…リードの方も。

「お、早速やってる」
 トムも向こうを歩く2人連れに気付き、明るく言った。

「ウチの店の隣の古本屋のマイヤ、知ってるだろう? ずっとリードに惚れてたんだって。だから俺が教えてやったんだ、君と彼は何でもないって…おーい、マイヤ〜!!」
 悪びれる様子もなくトムは大声を出して手を振った。

 当然、相手もこちらに気付いた。

「トム…」
 栗色の髪の少女が恥ずかしそうに駆け寄る。
「…ありがとう、私…」

 2人が何やら話しているのから少し離れて、キャシーはふとリードと目を合わせてしまった。リードは向こうに立ったままだった。彼はキャシーと目が合うと静かに微笑んだ。

 一瞬、体中の血の気が引いて行くような気がする。

「ゴメン、話し込んじゃって…彼女、幼なじみだから…妹みたいなモンで」
 もはや、トムの声も耳に入ってこなかった。

 

 

「ただいま…」

 重い足取りでキャシーが帰途についたのは夕暮れのことだった。それまでトムと一緒だったわけではない。戻りがけに洋服屋のおかみさんに捕まってしまい、あれこれ聞かれていたのだ。

「おかえり」
 リードが笑顔でテーブルに座っていた。いつもと変わらない表情だった。それがキャシーの心に突き刺さる。

「は、早かったのね…」
 どう繕っていいのか分からずに、間抜けな言葉を発してしまった。

「わ、私…知らなかった。リード、マイヤとお付き合いしてたの? 隅に置けないわね…」

 出る言葉ごとに情けないほど深みにはまって行くような気がする。コートを掛けるためにリードに背中を向けると、もう向き直れないほど表情が崩れていくのが鏡がなくても分かった。

「別に…付き合っているわけじゃないけど」
 とぼけた声が背中から聞こえてくる。

「今日はあれからすぐに家に戻って、キャシーが用意してくれたランチを食べたよ」

 その言葉を聞いてから、押し寄せる後悔の念に駆られた。

 もしかすると。

 今ここでリードがマイヤと付き合っていることが分かれば、キャシーとしては気が楽だったと思う。…そうじゃなかった今、これ以上何を言っても…ううん、言い訳なんてする必要もないのに。とにかく色々な考えが交錯して立ってられないほどの動揺の中にキャシーは飲み込まれそうな気分になった。

「ねえ、キャシー」

 相変わらずいつもと同じ口調。…要するにリードは自分がトムと一緒にいたことなど何とも思っていないんだ、とキャシーは感じていた。

 マイヤから事の次第だって聞いたはずだ、トムがキャシーに祭りのパートナーを申し込んだことだって…

 ぐるぐると…たくさんの考えが頭を回る。

 リードを恋愛対象として見られないと言いながら、そのくせリードの方が他の女の子と一緒にいるのを見ただけであれこれ詮索してしまう自分…馬鹿げている、他の人の話だったら陳腐すぎて笑い飛ばしてしまうような事を自分がしている。

 しばらくは背中を向けたままでいたい…そう強く思ったキャシーであったが次の瞬間にリードの発した言葉にくるりと振り返っていた。

「これから支度できる? …明日の朝、リース村に立とうと思うんだ。ロッドの墓参りに行こう」

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