夢見るHard Winds番外編・1 |
「…ちょっと…? 今なんて言ったの…?」 「そんなに驚くことでもないだろ?」 「はあ〜!?」 「はあ、じゃないだろ?」 「姉ちゃんもリード兄貴も。このラナリアに越してきてからもう3年…恋人も作らずにいたのはやっぱお互いに気があるからだろう?」 「ま、2人でつもる話もあるだろ? 俺はまた教室の方に戻るから後は2人で話をつけて」 「じゃあ、夕飯までには帰るね」 ジミーがドアから消えていくと残された方の2人はお互いに顔を見合わせて大きく溜息を付いた。でもお互いがそれぞれ相手の心中を察しかねている、と言うのも事実だった。
「まあ、凄いじゃないの!」 「シルモア教授と言ったら、バイオリンの奏者としても有名な方でしょう。ジミーはそんな方に認められたんだわ、素晴らしい事じゃないの!」 リーアは鳶色の長い髪を高いところで結い上げてアイボリー地にピンクの小花模様の服、すっかり人妻らしい落ち着きに満ちていた。抱いている赤子の他に年子で上の子がおり、さらにもうすぐ臨月と言うから、ジミーなどは アレクとリーアの新居はキャシー達3人が住んでいる家から数件先の所にある。この村に来て新居を紹介されたとき。5人…リード、アレク、キャシー、ジミー、そしてアレクの新妻であるリーアは大きな建物があれば一緒でもいいと思っていた。今までだって5人でたった2間の小屋に5人で住んでいたのだ。何て事なかった。ただ、思ったような貸家がなかったことや村の人たちがアレクとリーアが新婚だと言うことを考慮して、家を別にする気配りをしてくれたのだ。
「まあ、凄いことだとは思うわよ」 昨日のジミーの爆弾発言から一夜が明けて…誰かに話したくて仕方のなかったキャシーは勤め先の洋服店の仕事がひけてから早速、ここへとやってきたのである。 「ジミーはあの時まで…バイオリンに触ったこともなかったのよ。それがこの村に越してきて初めて先生について習って…3年であんなに素晴らしく弾きこなすようになっちゃったんですもの。実の姉ながら凄いと思っているわ」 「血筋が良かったのかしらね? …どなたかその道の腕達者がいらしたんじゃないの?」 「…私に聞いても、無駄だって」
ガジューラ共和国、そのほぼ中央に位置する「ラナリアの村」…そこがハードウインズ達の辿り着いた新天地であった。ガジューラはリディール共和国のすぐ南に位置する温暖な気候の国である。少し高地になっているラナリア村でもこの3年間、雪はうっすらと積もるほどは降らなかった。 ジミーは当時、13歳だったのでそのまま学校に編入した。アレクやロッドの教えた甲斐があって、同級生の間でも成績は良かった。学費は奨学金の制度が充実していたのでいわゆる「出世払い」と言うわけで稼ぐ必要もなかった。飛び級もして16歳の今では高校までの課程のほとんどを終了している。放課後はかつての自分のような子供達にせっせと課外授業をやってのけている。 「ジミーはジミーの力で、チャンスを掴んだのですもの。それに対しては心からおめでとうと言いたいわ…でも…」 「問題はジミーがあの家からいなくなることなのね…あ、お湯が沸いたみたい。悪いけど、お願いできる?」 「分かったわ」 「ただいま、キャシー来てたのか…あ、お湯なら俺がやるからいいよ」 「リーア、医者さんは何て言ってた?」 「ええ、順調ですって」 「研修視察と重ならないといいんだけどな…」 「…私、2人は好き合っているのかと思っていたのだけど…違ったの?」 キャシーが大きく頭を振る。 「そんなんじゃないのよ〜もう、身内からしてこうなんだからな…困っちゃう」 「そうなの」 「私、ジミーが大学から戻るまでこっちの家でやっかいになろうかしら?」 「それはよして欲しいな」 「それに?」 「その学校が何年あるのかは知らないけど…多分その後もジミーはあの家には戻らないよ」 「…どうして?」 「やっぱり知らないんだ」 「ジミーね」 「え!?」 昨日といい今日といい…キャシーは意表をつかれてばかりの気がする。精神的に良くない。 「ユリーシアって…マリーニ学長のお嬢さんの?」 「俺、リーアが13の時にはもう付き合っていたけど」 「だから、ユリーシアは一人娘だし。そのまま婿養子になっちゃうんじゃないかな? ちょっと気が早い話かも知れないけど」 「アレク兄さんが言うなら…信憑性があるな…」 そう言えばジミーはこの所、学長の家に通っていた。でもそれは学校の仕事の延長だと思っていたし、気にも留めてなかった。丘の上に暮らしていた頃からキャシーには忙しく働く癖がついていた。だからこの3年もあっという間だったし、自分の弟のことすら気にする間もなかった気がする。 「じゃあ、リード以外には誰かいい人いないの? 結構お誘いも多いのでしょう?」 「うーん…」 「リードの方は? ここに来た当初から、村のお嬢さん方が凄いんでしょう?」 「分かんない…」 「それにしても…不思議だね」 「…そんな話、知らないわ」 「君が寝込んでいたときに聞いたからね」 「だって、…グレイン家のお嬢さんでしょ? 跡取りは兄上がいたんだし。貴族の中では…言い方悪いけど家同士の繋がりを強固にするために政略結婚が当たり前だったからね」 「…ふうん」 「まあね、会ったことはなかったけど…15になったら結婚するはずだった。今となったら、クーデターが起こって良かった、と言った方がいいかな?」 「…そうだったら、こんなに色々悩むこともなかったんだ」 「想像してごらんよ、もし俺達が王宮の晩餐会で会ったとしても…言葉を交わすことすら出来ないんだよ。俺の記憶ではウチやリードの家とグレイン家は派閥が違ったからね、確執もあったと思うよ」 「…そうなんだ…」 「ま、その様子じゃ2人でちゃんと話し合ったこともないようだね。いい機会じゃないか、ここの辺で答えを出せば?」 「……」 自分でもこうして早急な答えを求められるとどう対処したらいいのか分からない。 もう一度。 キャシーは大きく溜息を付いた。
「キャシー、悪いね。ちょっと手を貸してくれるかい?」 翌日。 奥の物置から店主のおかみさんが明るく叫んでいる。 「はあい、何でしょう?」 床一面に広げられた布地を見下ろしながら、おかみさんは腕組みをしてちょっと困っていた。 「ああ、エリサですね」 「祭りのドレスを新調するそうなんだ。…どんなデザインがいいかと思ってね」 洋服屋は主に店頭に布地を置き、客にはオーダーメイドで服をこしらえていた。元々は針仕事の苦手なキャシーであったが、やはり長い間を兄弟のお古で間に合わせていた反動か「装い」に対する憧れが強かったらしい。洋服屋で人手を探しているという話に飛びついてしまった。 もちろん、家の者には事後報告だったので彼女を知る仲間達は呆れていたが。 とにもかくにもこの3年間、どうやら勤め上げてきた(しかし針の腕は相変わらずである。) 「彼女はおしゃれ好きですから、やはり流行にあったものがいいんでしょうね」 「でも、今年の流行はウエストを絞ってからボリュームのあるスカートを合わせるだろう? あの娘の体型はちょっと合わないな」 「そうですねえ…」 「さすがに若い子だねえ、頭が柔らかくて助かるよ」 ここの店主夫婦には娘がいなかった。街に出ている息子達はいるが誰も店を継ごうとはしない。村唯一の洋服屋である。存続をどうするかそれが彼らの悩みの種だった。 「…あんたはどうすんだい?」 「…私ですか?」 「何だい? その調子じゃ何も考えてなかったんだね」 それもそうである。 春の祭りと言えば表向きにはその年の豊作を祈るものだが、村娘達にとっては特別の意味を持っていた。中央広場に特設される舞台でのダンスパーティーは山の中の村ではこの上ない華やいだ祭典である。この日のためにとっておきの衣装を新調し、肌や爪の手入れを怠らず…なおかつ、パートナーを用意する必要がある。この祭りがきっかけで結婚したカップルは村のほとんどを占めるという。 「相手を捜すのも面倒ですもの、今年も見物でいいです」 「あのねえ…」 「?」 またこの話題だ。 「どうって、…どうにもなってませんけど。もともと兄妹のようなものですから」 「それなら、いいんだよ」 「…は?」 「雑貨屋のトムを知っているだろう?」 「ええ」 「先だて、街の大学を終了して戻ってきた秀才だよ。ああいうモンはほとんどこんな村には戻らないんだが、あの孝行者は戻ってきた。で、先日…しつこくあんたのことを聞かれてね」 「私のことを、ですか?」 「嫌だねえ…この子は。いい年をして、とぼけるのはよしとくれ?」 「はあ…?」 「これで決まり! 明日は土曜日だ。天気もこのまま行けば良さそうだし、ピクニックには打ってつけだよ! トムが10時に迎えに来るそうだからちゃんと用意して待っているんだよ! おばさん、力一杯、応援してあげるからね!」 おかみさんはすっかり仲人気取りになって張り切っている。多分、トムから持ちかけられた瞬間に目の色が変わったのであろう。やる気満々だ。 …と。店の方でお客の声がした。 「ああ、あたしが行くよ。あんたはここら辺を片づけておくれ」 一方、キャシーは。 その場にぺたんと座り込むと、気が抜けてしまった。 …雑貨屋のトム。 「ピンとこないんだよなあ…」 そうは言っても同年代の娘達は次々に嫁に行き、早いものではキャシーと同い年で2人の子持ちだという。おかみさんが心配して世話を焼いてくれるのも当然なのだ。 見上げると。 小さな物置の窓から春の穏やかな青空が覗いていた。
「今日の夕食、遅くなるから先に食べてて」 「…そうなの」 「この頃、遅いことが多いわね。何か急ぎの仕事でもあるの?」 「仕事じゃないんだけど…調べものがあって」 「調べもの?」 「仕事中に自分のことをするわけにもいかないだろ? 館長が戸締まりをするなら残ってもいいと言うから」 「ふうん…」 リードの方から話をしないので、調べものの内容については聞きそびれてしまった。 …明日のことも…相談する暇もなさそうだなあ、とカップを片づけながら考える。大体、話したところでどうなるだろう。今までだって、こう言うことにならなかったのは不思議な気がする。身内のひいき目かも知れないが、リードも村の若者の中ではとびきり見栄えがしている。まあ、アレクは別格として。 いつかは来ることだったのだろう…心の何処かでそんな気がしていた。
土曜日は素晴らしく晴れ渡り、10時丁度に雑貨屋のトムは迎えに来た。ジミーはマリーニ学長の家に出掛けていたし、リードもいなくなっていた。ホット胸をなで下ろす自分が可笑しい。 …別にばれたって、いいのに。 心の中で自嘲気味に反芻する。 リードより幾分長身で筋肉質の青年が傍らを歩く。黒いウエーヴの髪が春風に揺れている。褐色の肌に白い歯が似合っていた。 「君に決まったお相手がいないと聞いたときは、天にも昇る気分だったよ」 「あなたの方こそ」 「…嫌だなあ」 何とも隠し立てのない正直さにキャシーは面食らった。 「どうだろう?」 「そ、それは…」 「こう言うのは早いも遅いもないんだよ」 「そうね…」 この質問はトムを微笑ませた。 「そうだな…まずはそうするだろうね、でもそれだけじゃ、終われない」 「それだけじゃ、って?」 「大学では経済学を学んだ。ここ、ラナリアは国の中央だから…商品の取引の分岐点を作りたいんだ。国全体に通じる流通の道をね」 その希望に満ちた語り口には誰もを魅了するものがあった。眩しくその活き活きとした表情を見ていたキャシーはポツリと言った。 「…商品取引なら、知り合いが昔、していたわ。今は雑貨屋さんの主人になっちゃったけど」 「え? それは君のおじさん? 身内の人なの?」 「…おじさん…そうねえ。そういうものかしら?」 おじさん、と言うのだろうか? カーター氏は元々、グレイン家…キャシーとジミーの生家の使用人だった人間だ。血は繋がっていない、ただ、あのめまぐるしい日々を共に走り切った戦友として肉親以上の存在だと言えると思う。 キャシーの受け答えが曖昧だったので、トムは面白そうに言う。 …方向違いの解釈をされつつある。 「あれ…」 「…リード…」 「お、早速やってる」 「ウチの店の隣の古本屋のマイヤ、知ってるだろう? ずっとリードに惚れてたんだって。だから俺が教えてやったんだ、君と彼は何でもないって…おーい、マイヤ〜!!」 当然、相手もこちらに気付いた。 「トム…」 2人が何やら話しているのから少し離れて、キャシーはふとリードと目を合わせてしまった。リードは向こうに立ったままだった。彼はキャシーと目が合うと静かに微笑んだ。 一瞬、体中の血の気が引いて行くような気がする。 「ゴメン、話し込んじゃって…彼女、幼なじみだから…妹みたいなモンで」
「ただいま…」 重い足取りでキャシーが帰途についたのは夕暮れのことだった。それまでトムと一緒だったわけではない。戻りがけに洋服屋のおかみさんに捕まってしまい、あれこれ聞かれていたのだ。 「おかえり」 「は、早かったのね…」 「わ、私…知らなかった。リード、マイヤとお付き合いしてたの? 隅に置けないわね…」 出る言葉ごとに情けないほど深みにはまって行くような気がする。コートを掛けるためにリードに背中を向けると、もう向き直れないほど表情が崩れていくのが鏡がなくても分かった。 「別に…付き合っているわけじゃないけど」 「今日はあれからすぐに家に戻って、キャシーが用意してくれたランチを食べたよ」 その言葉を聞いてから、押し寄せる後悔の念に駆られた。 もしかすると。 今ここでリードがマイヤと付き合っていることが分かれば、キャシーとしては気が楽だったと思う。…そうじゃなかった今、これ以上何を言っても…ううん、言い訳なんてする必要もないのに。とにかく色々な考えが交錯して立ってられないほどの動揺の中にキャシーは飲み込まれそうな気分になった。 「ねえ、キャシー」 相変わらずいつもと同じ口調。…要するにリードは自分がトムと一緒にいたことなど何とも思っていないんだ、とキャシーは感じていた。 マイヤから事の次第だって聞いたはずだ、トムがキャシーに祭りのパートナーを申し込んだことだって… ぐるぐると…たくさんの考えが頭を回る。 リードを恋愛対象として見られないと言いながら、そのくせリードの方が他の女の子と一緒にいるのを見ただけであれこれ詮索してしまう自分…馬鹿げている、他の人の話だったら陳腐すぎて笑い飛ばしてしまうような事を自分がしている。 しばらくは背中を向けたままでいたい…そう強く思ったキャシーであったが次の瞬間にリードの発した言葉にくるりと振り返っていた。 「これから支度できる? …明日の朝、リース村に立とうと思うんだ。ロッドの墓参りに行こう」 |
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