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…沙羅の章…

其の十四◆誰ガ見ル、曙ノ夢(だれがみる、あけぼののゆめ)

「…お早いお帰りで…」

 地にようやく足が着いたと思った。

 めまぐるしく変化する光の帯に目眩がして、途中から亜樹の腕の中でぎゅっと目を閉じたままだった沙羅はゆっくり…瞼を開けて辺りを見渡した。

 東の祠の通用門の前…この祠の主である占いおばばが腕組みをして待っていた。

 その声に弾かれるように二人はぱっと身をはがした。

「どうだい? 姫様…私の一世一代の薬は効果があったんだろうね…」
 鋭い目がじろりと心の中まで見透かすように射抜いてくる。 

「…あ…」

 二人はお互いに顔を見合わせる。

「…それのことなんだけど…あの…」
 沙羅はおばばの顔を恐る恐る盗み見ながら、言いにくそうに言葉を詰まらせた。

「…ま、それなりの効果は上がったということですかい? …な、若君様」

「あ…まあ、…そうかな?」
 亜樹も視線を逸らして、しどろもどろに対応する。

「…それにしても…まあ、なんて素敵な格好なんだろうね、あなた方は…。この国の若様とお后様とはとても思えないね…」

 おばばの呆れ声ももっともだ。
 ほつれた髪に落ち葉や砂がこびりつき、顔は涙でごわごわ、服はあちこち破れて面影すら留めていない…沙羅に至っては渚の服のまま。

 二人は再び、顔を見合わせて苦笑した。

 そんな姿を見つめていたおばばは長いため息を付くと、こう切り出した。

「…とにもかくにも…まずは上様の御前に行きなされ。どんなにかお二人のことを心配なさっていたか…。ざっとお支度してすぐに…ほら、姫様には…待ちきれなくて御支度の準備をして待っていた者がおりますよ…」

「え…」

 沙羅がおばばの視線の先を見ると…そこには顔中を涙でぐしょぐしょにした多奈が控えていた。

「…ひ…姫様あ…!」
 そう叫んで、がばっと抱きついてきた。

「…多奈…」

「姫様…申し訳、ございませんでした…私が出過ぎたことを申し上げて…良かった、ご無事で…」

 おいおいと鳴き声をあげながら、途切れ途切れに言葉を繋ぐ。沙羅のいなかった間、どんなにか彼女が後悔していたか、心を痛めていたか…その狼狽振りから伺い知れた。

「…私の方こそ…ごめんね…、心配させて…本当にごめんなさい…あれ?」

 多奈の左手首に包帯が巻かれている。

「…どうしたの? …それ…」

 多奈は沙羅の問いかけにすぐには答えず、亜樹の方をじろりと睨み付けた。

「…状況を、よくお分かりの方が…あちらにおられるようでございます」

「…亜樹!?」
  沙羅は思わず叫んだ。

「あなた、多奈に何をしたの!?」

 亜樹はぷいと横を向くと尖らせた口元で一言ぼやいた。

「…そいつが…沙羅の居場所をなかなか教えないから…」

「…え?」

「…沙羅様がいなくなられた朝と…それから、婚礼の儀式が全て納められた後…もう、それはそれは恐ろしいお顔で…取って食われるかと思いましたわ…」
 多奈は亜樹のことになると強気だ。ぶつぶつと文句を言いつつ、睨み付けている。

「…おい、沙羅…」
 亜樹が観念したように大きくため息を付いた。

「そいつ…南所に連れてくるんだよなあ…」

「当然ですっ!!」
 叫んだのは多奈の方だ。

「私はいつだって沙羅様のお側におりますっ! …沙羅様の御子の乳母を命じられるのだって私なんですから…!!」

「…大怖…でも、沙羅の御子、と言うことは…俺の子なんだけど…いいのかよ?」

「…いたしかたございません…不本意、この上ないのですが…」
 多奈も負けてはいない。

 …南所での生活もそれなりに楽しくなりそうだと沙羅はふと思った。

 

 

「…沙羅だけではなく…まさか…亜樹まで禁を破るとは…一体、どういうつもりなんだね? 二人には相当の覚悟の上でのことなのだろうね…」

 おばばの視線も恐ろしくて仕方なかったが、こうして華繻那の御前に出ると身が縮まって溶けてしまいそうだ。
 多奈に形だけ整えて貰い、略装で申し訳ないが、取るもとりあえず…と伺ってみたが…もうただうなだれるしかない。

 辺りは夜が更けて闇の中、竜王の寝所だけがこうこうとした灯りに包まれていた。
 もう、就寝時間も過ぎていたが、東の祠のおばばが使者を送ってきたので、こうして待っていたのだ。時折、夜の冷たい大気が静かに流れる。ゆらゆらと揺らめく髪が、海底に戻ったことを知らしめていた。

「…次期竜王として…褒められた行動でないと言うことを、本当に存じておるのだろうな…亜樹?」

 漆黒の双の瞳に射抜かれて、それでも亜樹はどうにか答える言葉を探した。

「…それは…重々に…。明日からは不在でご迷惑をお掛けした分、心を引き締めて務めさせて頂きます…」

「…それは…ならんな」

 その言葉に驚いて二人は面を上げた。

「あの…父上…。亜樹は…」

「亜樹がどうかしたか? …沙羅?」
 しっとりとした物言いがひときわに恐ろしい。

「亜樹は…悪くないんです、私が…私が深く考えなしに行動したから…亜樹も本当に大変な思いをして…。何か、罰することがおありになるなら、私がそれを受けます、ですから…亜樹はどうぞ、お咎めなしにしていただけないでしょうか…?」

「沙羅…いいんだよ、禁を破ったのは俺の意志なんだから…」

「でも…」

 そんな二人の小声のやりとりを華繻那とそのお側に仕える多岐、そして多矢…部屋中の者が見ている。全員が同じ色の表情を浮かべていた。
 やがて…多岐と目を合わせて静かに頷いた華繻那が、ゆっくりと切り出した。

「…お前たちには明日より5日ほど…北の集落を訪問して貰うことになった」

「…は…?」

 意外な竜王の発言に、またも二人は呆然とする。

「…そちらの多奈が…同じ一族の者と祝言を挙げるそうだ。二人ともこの館で仕えている者だが、式は集落に戻って行うという。…多岐の一族の御祝い、私の代わりに出席してくれるかな…?」
 そう話し終えると、華繻那は静かな笑みを浮かべた。

 多奈は沙羅の斜め後ろに控えていたが、耳まで真っ赤になっている。

「…父上…あの…」
 なんと申し上げたらいいのか分からない…これは…どういう…。

「北の集落には…多奈の母…お前の乳母の多香(たか)も居る…久しぶりに顔を見せてやるがよい…」

 それだけ言うと華繻那はしっとりとした身のこなしで静かに立ち上がった。

「…今日はもう遅い…早く休みなさい」

「…華繻那様…あの…」

「…どうした? 亜樹」

 亜樹は華繻那の御前に深く跪いた。

「…ありがとうございます…なんと申し上げたら宜しいのか…」
 そんな亜樹を華繻那は暖かい瞳で見下ろしている。

「…これからも…尚一層…精進しておくれ」

「承知、仕りました…」

 跪いたままの亜樹を残して寝所の次の間に立ち去ろうとした華繻那は途中でくるりと振り向いた。

「…沙羅?」

「はい…何でございましょうか? 父上…」

「婚の儀が終えたのだから…お前はもう亜樹の后なのだ。…本日からは南所で休みなさい…」

「…はい…」
 ポカンとした表情で父の背中を見送る。
 その歩みに伴って、左右に緩やかに広がってゆく闇色の髪…大河のようなそれが視界から消えていくまで、沙羅は立ち上がることが出来なかった。

「行こうか」
 不意に背中から声をかけられる。まだ緊張の取れない表情の亜樹が照れたように立っていた。

「…うん」

 

 

 竜王の寝所から出ると…3部屋目が自分の部屋だ。
 そっと覗くとそこは今まで人が生活していたとは思えないようにきちんと片づけられていた。

 不思議な気分で視線を戻すと…進行方向に控えている年長の侍女が眼に入った。

「…美莢…」 
 どきりとして歩みを止める。

「…沙羅様、亜樹様…このたびはまことにおめでとう存じます…」
 しっとりと跪いて、型どおりの挨拶を綺麗にこなす。

「…これから…どうぞ御よろしくね、美莢…」
 ドキドキしながら言葉をかける。

「…それが…そうも行かないのでございます…」

「…え?」

 亜樹と顔を見合わせる。亜樹もきょとんとした表情だ。

「どういうことだよ、美莢…」

 すると美莢はゆっくりと妖艶に微笑みながら、静かに申し上げた。

「…侍女長の…美守様が…このたび、ご高齢を理由に退任されることと相成りました。上様より次期の侍女長に命名を受けました故…南所ではお目にかかれないことと相成りました」

 それから沙羅の方をじっと見やる。

「…竜王様の過保護であられるのには…驚きましたわ…これから亜樹様の侍従は多矢様が付かれるとのことです」

「はあ、…そうなの」

「…亜樹様の御所存で、側女も皆、里へ戻りましたし…せいぜい、御子をたくさんお産みになってにぎやかにして頂かなくては…お分かりですね、亜樹様」
 そこまで告げると何かを含んだように微笑んだ。

「…では、お休みなさいませ…」

 しずしずと去っていく背中…何とも言えなく重々しい。

 

「…もしかして、美莢が侍女長…って、とても怖いことなんじゃないかしら…」

 そう呟いた沙羅に力無い視線で同意する亜樹であった。それから急にかしこまった表情になってこう告げる。

「…お前の御道具はみんな運んであるはずだから…きっと良い様にしつらえてあると思うよ。…ご案内申し上げます、お后様」

 おどけた口調に思わず吹き出した。そして、一息ついて、静かに言った。

「末永く…御宜しく申し上げますわ…我が君様…」

 差し出された手に自分の手を重ねる。

 

 気持ちを伝えて…それに応えて…ゆっくりとゆっくりと営んでいけばいい…。

 渡りの向こうに広がる闇の彼方に…優しい希望の光がある気がした。心が確実にそこへと向かっている…

 それに気付いた今…沙羅の心の中に、久方ぶりに春が訪れていた。

完(2001.11.6)

「曙色」(あけぼのいろ)…東雲色(しののめいろ)、とも。夜が明け始めるころの、東の空のような色。明るい黄赤。【色の手帖(小学館)より引用】
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