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…沙羅の章…

其の二◆錆鼠迷宮(さびねずめいきゅう)

 亜樹(アジュ)は東所の中庭をぐるりと回ったあと、ゆっくりとした足取りで南所の通行門まで辿り着いた。

 竜王様の御庭はそれぞれに異なる季節が題材として割り当てられていて、それぞれを美しく堪能出来るように造られている。今まで通り抜けてきた「東所」は今が盛りの春の庭である。柔らかで香しい花々が所狭しと咲き誇っていた。
  それと比べると今の南所はいささか寂しい気にさせられる。小さな草花は木の根元を覆ってはいたが常緑の葉を生い茂らせた大木の下ではささやかなものである。
  夏になれば鮮やかな彩りの花々で飾られる草木達もまだ自分の中で緩やかな時間を培っていた。

 番人も置かないかたちだけの門をくぐると、建物には入らずそのまま庭先の方に足を向けた。
  昼なお暗い背の高い樹木の森を暫く行くと、急に目の前が開ける。そこは明るい日がふんだんに注ぐ、広々とした草原になっていた。芝生のような藻が一面に生え広がる。彼方の方は天が浅黄からからだんだんと暗くなり……やがて藍から漆黒へと遠ざかっていた。永遠に手の届くことのないその場所は、それでも誘い込むようにゆらゆらと揺らめいている。
  森の表に面したなだらかな斜面には、上がり間ほどの花畑が風に揺れていた。丁度花の盛り……細いスッと伸びた葉が所狭しと生えそろいその丈は亜樹の腰の辺りになる。葉の間から紫色が覗いている、葉をかき分けて見ると糸のように細い茎に小さな花が鈴の束のように咲き誇っていた。
  そっと鼻を近づけてみると、ふわりと淡い香りがする。先ほど、確かにこの腕の中につかみ取ろうとした、春の風を集めたような透き通った初々しい香である。そう……これこそが「舞夕花(まゆか)」であった。

 この世界の香は王族の者に限り用いることが許されている。その採取から加工に至る製法は秘伝とされ、竜王の館の外部に流れる事の無きよう今なお内密にされている。その教えは代々北の集落の者のごく一部の民のみが受け継ぎ、竜王の庭園内の栽培所で育てられた材料を用いて調合されていた。
  その香りを庶民が楽しむ方法と言えば、せいぜい匂い袋に入れて微かな香を楽しむ程度である。そうでなければ、「香油」と呼ばれるものを直接身体にすり込むことになるが、それが春を売る遊女たちの間で広く用いられていることもあってか、ふんだんに使うことはかえって下品なことと避けられていた。

 ここの舞夕花は香を採取するために植えられているものではない。亜樹が自分で株を分けて来て鑑賞するために育てているものだった。風の流れに合わせてさらさらと舞夕花の中に波が立つ。天女が踊っているような幻想的な情景を亜樹は暫く黙って見つめていた。

 

「――亜樹様」

 和やかな静寂を切り裂くような声が近づいてきた。いつの間にこんなに近くまで来ていたのだろう、いつもながらにあまりに静かな身のこなしで気付かなかったのが迂闊である。

「嫌ですわ、お戻りになられたらすぐに私の元にお出でくださいと申し上げているのに……」
  その声は、すぐ先の耕地で作業をしていた者たちの耳にも届いたのだろう。甲高くはないのだが、良く通る声なのだ。むしろ自分よりもあちらの者たちに聞かせているようにすら思える。

 振り向けば、そこに控えていたのは眉の濃いはっきりした顔立ちの女子(おなご)であった。見た目こそは華やかであるが、すぐにそれと分かる侍女の装束をまとっている。竜王の姫君である沙羅(さら)の身につけているものよりはかなり簡素な素材を用いていることは明らかであった。

 女子は、まるで人目に自分たちを晒したいと思っているかのように、すり寄ってきて亜樹の腕にしがみつく。

「お勤めの間お顔を拝見できないだけで、私は悲しくて仕方ございませんわ……」

 ひそひそとあちらで数人が囁きあうのを見て、もういいだろうと亜樹はその腕を振りほどいた。

「――もう良い。離れなさい、秋茜(あきあかね)」
  額に手を当てて、この上なく鬱陶しそうに吐き捨てる。だが、この姿もあちらから見れば痴話喧嘩のように映るのだろう。女の方が幾らか年長に見えるがその態度は横柄であり、ふたりの主従関係は明らかである。自分たちが南所の主とその侍女であることは誰もが知っていることだ。

「もうっ、……可愛らしい御方。今更人目を気にするような間柄ではございませんでしょう……? それとも、このように親しくするのは閨の内だけがよろしいかしら……?」

 よく見れば、先ほど抜けてきた森の中にも数人の人影がある。しばらくの間ににわかに使用人の数が増えた気がする。そのどれもが自分の故郷である「西南の集落」から送り込まれてきたことは明らか。自分と同じ赤毛が何よりの証拠だ。同じ姿でありながら、忌々しいと思えてくるのはどうしてだろう。

「……亜樹様」
  またも腕にしなだれかかる。キッと睨み返せば、何とも含みをもった眼差しがこちらを見上げていた。

「美莢(みざや)様がお呼びですよ、……早く参りましょう」

 

 この侍女・秋茜は亜樹が13の元服を終えたその日に、西南の集落より遣わされてきた侍女である。表向きは竜王後継者である亜樹付きのお世話係であるが、亜樹の乳母である美莢が特別の意味を持って呼び寄せたことは誰の目からも明らかであった。
  亜樹の故郷である西南の集落は代々の王族と関係が深く、実家である大臣家は現竜王の姉君のうちでもおふたりが御降嫁されている家柄である。そのおひとり、今の大臣の元に輿入れした「翠(すい)の君様」の産み上げられたうちのひとりが亜樹であった。
  彼は物心も付かぬ頃から乳母である美莢と共にこの竜王の御館に上がった。そして、次代の竜王としてこの海底の国を治めるための教育を受けてきたのである。

 

「まあ、これは。ご主人様……お帰りなさいまし」
  南所の表口までふたりがやって来ると、そこには今ひとり別の侍女がかしこまっていた。

「茅野(かやの)……」

 その女子は何とも言えない憂いを含んだ目で亜樹を見上げると、そのまま膝をついて頭を垂れる。

「本日は、誠におめでたきこととお喜び申し上げます」

 先ほどからまとわりついている秋茜は気の強そうな女子であるが、こちらはふっくらした色白でそこはかとなく「女の色気」を感じさせる。控えめな浅黄の装束がとてもよく似合っていた。どちらも甲乙付けがたい美女には違いない。

 その言葉に亜樹は黙って頷く。そんなやりとりを見ていた秋茜は、面白くないのがありありと分かる素振りで少し乱暴に主人の腕を取った。

「さあさあ、ご主人様! このようなところで引っ掛かってないで参りましょう。茅野、あなたも早く御自分の持ち場にお行きなさいよ。こんなところで待ち受けていたなんて、未練がましい……!」

 またも、館の奥まで響き渡るほどの声。亜樹ははっきり見て取れるほどに不快な表情になった。

「おい、言葉が過ぎるぞ」

 しかし、秋茜の方も負けてはいない。うなだれる茅野の方を睨み付けて、言い放つ。

「ご主人様の寵を得ようとする、その必死に点数稼ぎが気に入らないわね、言いたいことがおありなら、はっきり申し上げたら如何?」

 茅野はその黒目がちの目にみるみるうちに涙をいっぱいに溜めてゆく。それがほろりとこぼれ落ちる刹那、すっと顔を背けた。

「秋茜様……ひどい」

 対する勝ち誇った表情の侍女は、ふんと鼻を鳴らして同情の色ひとつない。そんな風にして自分と同じように送り込まれてきた幾人の女子を踏みつけてきたか、その気位の高さは遠く西南の地まで響いていると言う。なかなか新しい侍女が居着かない一因も彼女にあるのは誰の目からも明らかだ。

「そう言う曖昧な物言いが気に入らないと申し上げてるのよ。新しい側女(そばめ)が来るのが気に入らないならはっきりお伝えすればいいでしょう、どうせ自分から対抗するのは無理だって承知しているんでしょうから……!」

 

「――これ」
  その時、奥の部屋から低い声が響いた。

 刹那、今まで威勢良くまくし立てていた秋茜がハッとして口をつぐんだ。

 やがてさらさらと衣擦れの音を響かせて、初老の女性が現れる。光沢のある墨色の装束が重々しい雰囲気をかもし出していた。秋茜と茅野はすぐさまその場にさっと跪く。

「何ですか、見苦しい。南所で上様の女子(おなご)同士の言い争いがあったと噂話が上がったら如何します。あなた方の醜態はそのままこちらの上様の醜聞に繋がるのですよ、肝に銘じて言葉を慎みなさい。さあ、早くそれぞれの持ち場に戻るのです」

「申し訳、ございません。美莢様……」
  今までの威勢はどこへやら、秋茜は神妙な面持ちで引き上げていく。茅野も控えめな態度で一礼するとあとに続いた。

 

「……さて、亜樹様」
  ふたりが退出するのをじっと見据えていた美莢は、くるりと向き直った。

「こうして女子どもが諍いを起こすのも、元はと言えばあなた様がしっかりなさないからなのですよ?」

 身丈こそは亜樹の方がよほどあるが、その迫力と言ったらたとえようがない。ぎりっと強い眼差しは初老という年齢になり、さらに気迫に満ちている。

「おやおや、また美莢お得意のお説教が始まるのですか?」
  亜樹はおどけた様子で首をすくめた。古なじみの乳母のお小言なんて何て事ない様子である。

「上様、しっかりなさってくださいまし。このままでは我ら西南の民はあの北の黒ガラスたちの物笑いの種になりますわ……」
  美莢はさらに強い調子で畳み掛けるように言い放った。

「亜樹様も、女子どもの格付けが何によってなされるかはすでにご承知でしょう……? 側女はその主人の御子を、最たるはお世継ぎ様をお産み申し上げたことにより自分の地位が確固たるものとなります。それは場合によっては正妻であられるお后様よりも強いものになるでしょう。このいざこざを鎮めるためにも一日も早くお世継ぎに恵まれますように……」

 そこまで申し上げた後、一息ついて続ける。

「あなた様を次代の竜王とすべく御身ずからご教授してくださる竜王様におかれましては――確かに優れたお気質のご立派な御方にございます。ただ今ひとつ……女子のことに関しては失礼ながら情けない限りと申し上げなくてはなりませんわ。
  海底国の全てを手中に治めていらっしゃる御方でありながら、あのように情けない女子にうつつを抜かして。もとより高貴な御身分の御方は、正妻となる方以外にも複数の良家の子女を側女としてお迎えになり、御子をなすことがもうひとつの大切なお務めですわ。それを竜王様と来たら……、亜樹様のご教育上にも宜しくないことです。
  ご承知くださいませ、権力のある御方はそれに似合った側女をお持ちになるものなのです。多ければ多いほど、立派な器があると申し上げても宜しいでしょう。歴代の竜王様は十人以上の側女を常時、お抱えになっておられました。現竜王様のお父上などは特にご立派でご子息・御息女合わせて三十名以上と伺っています。亜樹様のお父上様であっても……」

「美莢」
  亜樹は黙っていればどこまでも続くと思われるその言葉を、鬱陶しそうに遮った。

「俺はこの所の一連の行事日程で、大層疲れているんだ。これ以上はやめて欲しいな……」
  どうやら、突き放しても埒があかないと悟ったらしく、甘える作戦に変えたようだ。媚びを売るように、小首をかしげて見せる。

「上様」
  そうであっても美莢は負けていない。

「この御館内であなた様が何と言われているかご存じですか? ……恐れ多くも次代の竜王様に向かって下々の者どもが……10人以上の側女を迎えながら未だ御子が誕生されないのはあなた様が御子を作れるお体でないと……! 口惜しゅうございますでしょう、美莢は全くもってはらわた煮えくりかえる気分であります……!」
  美莢は怒りに肩を震わせながら、大袈裟なそぶりで顔を袖で覆った。

「――言いたい奴には言わせておけばいいじゃないか。何をお前がそのように……」
  亜樹の方は何て事ない感じだ。

「そうは行きませんわ!!」
  しおらしく嘆いた素振りを見せていたのも演技だったらしく、キッとした表情で美莢は自分の主人である亜樹を睨み付けた。

「あなた様は西南の我らが集落の象徴とされるべきお方です。亜樹様の醜聞は我が集落全体の侮辱になりますよ! そうなればお母上様でいらっしゃる翠の君様もどんなにお嘆きになるか……」

 翠の君、と言う紛れもない母の名を耳にしたとき、亜樹の眉がようやくぴくと動いた。

「……またそう言う風に母上の話に持っていこうとするのだから」
  そう言って、さっさと話を切り上げようとする。

「上様」
  美莢は亜樹の上掛けをぐっと押さえ付けた。

「まだ私の話は終わっておりません。もう、ご婚礼の日時は迫っております。このまま引き下がっては西南の我が集落の名が廃ります!! ……どうかこのことをしっかり、お心にお留め下さいまし」

「はいはい、分かりましたよ」 
  亜樹は完敗と言うように両手を上げた。このまま言い争ったところで勝ち目はない、ここは大人しく引き下がる方が良策だ。

「お分かり頂ければ、宜しいのです」
  その態度を見た美莢は満足そうに頷いた。

「もう、いいだろう? 俺、着替えて来るから」

「……でしたら」
  美莢は満身の笑みを浮かべて主の顔を覗き込んだ。

「前々から申し上げておりましたとおり……本日、新しく上様付きの侍女を我が村より迎えました。その者に早速、お召し替えを手伝わせましょう。――もう良いですよ、お入りなさい」

 今まで次の間で控えていたのであろう、真新しい装束の女子がしっとりとした身のこなしで姿を現した。

「この者は……御母君・翠の君様が私の意を汲んで直々にお選び下さった女子です。必ずや亜樹様のお気に召しますでしょう……」

 その者が顔を上げたとき、今まで投げやりだった亜樹の表情に明らかに一瞬の動揺が見えた。些細な変化ではあったがそれを見逃す美莢ではない。

「……さ、螢火(ほたるび)」
  何気ない口調で新参者の女房を促しながら、美莢の目は妖しい光を放っていた。

 

◆◆◆


 実の父君とはいえ、現竜王であられる御方の御前に上がるのである。沙羅は今まで身につけていた若草色の重ねとその下の衣を取り、肌着姿になった。もちろん、ほとんどは侍女である多奈の手によって行われたわけではあったが。
  その後、多奈は前もって用意してあったと見える装束を一式、並べた。正絹の薄紅に染め上げた衣を纏うと唐紅の帯を巻く。その上から纏う重ねは「桜色」と言う呼び名がふさわしいような淡いピンクの地に小さな愛らしい小花模様が織り出されている。襟元と袖口からは下に重ねた紅色と淡黄色のうす衣の色が覗く。
  一歩間違えればとんでもなく子供じみて見える装いではあるが、沙羅の透き通る白い柔肌と年頃の匂やかな雰囲気でより美しさを際だたせている。

 さらに言えばこの重ねは最近、現竜王より贈られたものであった。何人であっても自分が選んで贈ったものを身につけてくれれば喜ぶのだと言うことを多奈は年の功できちんと心得ていた。それに加えてこの衣は沙羅にとてもよく似合うのだ。自分の主人はいつでも最高に美しくあって欲しい多奈であった。口元に赤く紅をさすとさながら雛人形のような様になる。

「良くお似合いでいらっしゃいますわ、さあ、お急ぎくださいませ……」

 

 召された竜王の間では、もう主となる人が膳の前に付いていた。軽く食前酒の器を口に運びながら、傍らに控えた侍従、多岐と何やら談笑している。沙羅が入室したのに気付くと華繻那はやさしく声を掛けた。

「先に始めさせて貰っているよ。……春桃の3年酒なんだがどうかな?」

 そう仰ってと透明なガラス瓶を手にされた。この上なく繊細な細工が施されているものである。中には透明なピンク色の液体が揺れていた。

「父上……明るいうちからこのように嗜まれて……。お珍しいことですわね」
  沙羅はさすがに呆れ声で言った。普段は寡黙な父がこのように陽気にしていると落ち着かない。

「特別だよ、今日初めて酒蔵から出された初物なんだ。お前も結構、好きだろう?」

 そう言って微笑む様は、さながら少年のようだ。漆黒の美しい髪は緩やかに床先まで流れ、切れ長の目に通った鼻筋――竜王としての政務の采配が歴代の竜王の中でも際だって優秀であると評判である現竜王・華繻那は30半ばを過ぎた今も容姿の美しさは変わらなかった。

「それでは、お水で割って……少しだけ頂戴致します」
  沙羅は食前酒用に用意された器を手にした。酒、とは言っても薄めれば子供でも大丈夫なほどささやかなものである。匂い立つ香りがすばらしかった。

 

「…針仕事の方は順調であるのかな?」
  食事を進めながら、華繻那は愛娘に話しかけた。

「どうにか間に合いそうですわ、父上。大儀をつつがなく終えられることが出来そうで、私も安堵しております」
  沙羅はさらりと答える。

「婚礼時に夫となる者の装束を整えるのは妻としてのたしなみとされてはいるが……私の知っている範囲では刺し模様まで全て自分で施した良妻の話はついに知らないな。――本当にあちらには内密にしておいていいのかい?」

「もちろんですわ。……またあらぬ噂の種になったらたまりませんもの。このことは私の気持ちですので別にあからさまにするほどのことではございませんわ」

「そうか……」
  華繻那ははっきりとそう見えるほどに残念がり、小さく息を吐いた。

「私などは今日のように亜樹と向き合っているとだな、話したくなる衝動にかられることがあるよ。秘密というのも辛いものだね。あちらの……南所の方には儀式の装束の準備をこちらで整えるとだけ申してあるのだが」

「それで宜しいですわ……お心遣い、誠にありがとうございます」

 そう告げた沙羅の表情が沈んでいることに華繻那は気付いていた。

「……沙羅?」

「何でございましょうか」

 不思議そうに小首を傾げた娘をひととき無言で見つめていた華繻那はやがて意を決したように口を開いた。

「お前は……やはり何か気に掛かることがあるようだね。お顔の色がすぐれないようであるが……」

「そのようなこと……、お気のせいではございませんか。私は、何も変わりませんわ」
  父に余計な心配はかけたくなくて、沙羅は素知らぬ振りをする。

「いや」

 華繻那は酒の器を口元まで持っていき、一口含んでから静かに言った。

「前々からそうではないか、お前は婚礼の話を始めると決まってそう言う表情をする。幾度かはっきりと申し上げようとは思っていたんだが――」

 言いにくそうに言葉が絞り出される。竜王の眉間にうすい立て皺が寄っていた。

「沙羅……お前は亜樹の后になるのが、嫌なのかい?」

 漆黒の双の目が自分に向かって訴えているのを感じて、沙羅はたまらずに俯いてしまった。そのまましばらく沈黙が流れた。そして、話を切りだしたのはやはり竜王の方であった。

「さあ、早く食べてしまいなさい。今日はちょっと散歩がてら東の庭の表まで行ってみないかい? ……沙緒(さお)に会いに行こう」

 抑揚を押さえたあくまでも静かなその言葉にハッとして顔を上げた沙羅の視線の先に、憂いを含んだ父の目があった。


「錆鼠(さびねず)」…藍鼠(あいねず・藍色を帯びた鼠色、暗い灰青)に白茶色をかけた色。暗い青味のある灰色。【色の手帖(小学館)より引用】
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