中国へんじんやー

 中国でびっくりすること、というかあれ?と思ったことをつらつらと思い返してみました。
 街別になっています。街のあとの星は、主観的なその街のレベルで、中国のホテルのランク付け5つ星〜1つ星+ランク外に準じてあります。5つ星は最高級で以下だんだんレベルダウン、ガイドブックによれば、外国人が問題なく泊まるためには、3つ星以上を選ぶこと、だそうですが…。

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昆明市(★★★★)編

 発展著しい雲南省の省都。まずは小手調べにこの街。ここなら驚くようなことは多くない、と思うのですが…。
 高層ビルの建設ラッシュ。ともかくこの街に戻るたびに、新しいビルがニョキニョキと生えてくる。しかし建設現場を見ると、どう見てもレンガを積み木細工のように積んでいるわけで。30階建てクラスの高層ビルなのだからもちろん要所要所には鉄筋が入っているはずなのだが、一見地方都市の建て方と大差ないところが怖い。もちろん完成すれば外観は非常にきれいなビル群ではあるが、雲南省って確か中国でもやたらと地震が多かったような気がする。麗江地震、楚雄地震、…昆明で地震が起こらないことを祈る。と言いつつ我が家も30階建てマンションの19階だったりするのだが。
 さて、我が家。なかなか外見はきれいだ。もちろん賃貸だが、内装もちゃんとしている。でも、電気が急につかなくなったり、ガス瞬間湯沸しが一定時間(15分くらい)を超えると自動的に仕事をやめたり、トイレの配管に問題が生じたり、なにかと問題が起こる。住んでいる人間がきちんとメンテナンスをすべきなのかもしれないが、これだけたくさんあると手をつける気にならない。結局急場しのぎでごまかしてしまう。急場しのぎでごまかせるのだから、さほどの問題ではない、と言い切ってしまえばそのとおりなのだが。

防城港市(★★)編

 発展著しい広西壮族自治区沿海部の港湾都市。とはいえ、見るからに発展途上というか、先行投資が先走っている気配が無きにしも非ず。それでも市中心部は開発後間もないために、非常にきれいな並木と、中国らしからぬ人口の少なさで、どこかのんびりしたリゾート気分、ではある。
 我が家は市中心部から北へ10kmくらいのところにある。さらに北へ10kmほど行くと、旧市街「防城」。旧市街と新市街の中間部、間延びしたような田園地帯だ。水牛や鶏が歩いていることも、もちろんである。
 度々起こる問題は停電。一応こちらはここで仕事をしているわけで、これはちょっと良くない。FAX、パソコンが使用不能となると、あとは電話くらいしかないわけだ。あいにく当地の気候は冬の一時期を除きかなり高温多湿である。部屋には空調のほかに天井に大きなファンがついているが、当然電気が無くては使い物にならない。やむなく風のあるベランダに椅子を出して執務となる。停電、無い時期は無いのだが、起こり始めると頻発するのが当地の事情。ただ、どうやら田舎にあるわが社に電気は来なくても、市中心部にはちゃんと電気が来ていたりする所がちょっと憎たらしい。でも、この気候ゆえか、昼休みにたっぷり1時間昼寝が出来る勤務体制。これはなかなか良い習慣である。
 わが社のある旧市街と新市街の中間、ここに高速道路のインターチェンジがついている。しかし出口部分の舗装が悪いのか、すぐにぼろぼろになるし、一部の方角への出口は取り付け部の工事がなされておらず出られない。これは防城七不思議のうちのひとつ。以前舗装があまりにぼろぼろになっていて、セダンタイプの車で高速道路に入ることが出来ず、やむをえず出口から入ったことがある。料金所がこのインターチェンジよりも防城よりにあり、ここと防城港の間は無料高速になっているためにこんなことが出来たわけだが、車両通行量が少ない路線とはいえ、ちょっと怖かった。
 新市街に唯一存在する信号機。絶対的に車の量が少ないこともあって、全ての人に無視され続けている、かわいそうな存在である。
 新市街にある、立地条件は良いHホテル。某米国系ホテルとそっくりの名前があやしいが、あちらは○○○イン、こちらは○○○。大きな違いである。三つ星級、と言われているが、その表示はどこにも無し。エレベーター無し。時間に関わらず(夜中でも)按摩小姐から電話あり。東京から我が合弁公司に視察がはいることになり、あのホテルは問題ではないか、と社長(合弁企業)と相談、そこで出てきたのが旧市街にあるNホテル。早速下見に。外観は安っぽい旗で飾られているあたり不安を感じたが、誇らしげに金色の(★★★)プレートが。よしよし。おまけにちゃんとエレベーターもある。大いに結構。このホテルの一番良い部屋を見せてもらう。ともかく広い。ひたすら広い。会議が出来そうだ。でも…、よほど普段使っていないのか、なんだか異臭が立ち込めているし、真っ赤な絨毯がほころんでいる。結局その次に良い部屋を予約した。問題なくお湯が出る点を大いに評価したのだが、視察当日社長(東京)より問合せが。「水が黄色いのだけれど、これ、大丈夫?」。これはホテルのせいではなく、たぶん街全体の水がそうなので仕方が無い。「風呂はその水で我慢してください。うがいや洗顔は、気になるようでしたらミネラルウォーターをお使いください」。さらに不幸なことにあるはずのエレベーターが故障中で使用できず…。我慢してください。

来賓市(★)編

 ついにあの来賓が、2002年12月末、どさくさにまぎれて県から市に昇格。目指せ2つ星(笑)。

 よほどのへそ曲がりか物好き以外の外国人はまず足を踏み入れることは無いと思うが、というような来賓市。でも市の中心はなかなかの街だ。とはいえ到着当時は結構驚くことも…。
 街を我が物顔に走るのは、三輪バイクタクシー。それこそうじゃうじゃと走っている。全車両に対する割合は7割くらいだろうか。街中どこでもひとり1元という料金体制のおかげで、手軽に利用できる。
 街のところどころにあるロータリー。でも、皆がみんなきちんと右回りで回るかと言えばとんでもない。皆、好き勝手に走っている。ロータリーの意味が全く無い。唯一の信号があるロータリーでも状況はほぼ同じ。でも信号とロータリーと言うのは本来同居すべきものなのだろうか。
 赴任当時、小平陽(後述)から来賓に出てくると、「都会」を感じた。なにしろコーラが飲めるのである。スーパーもあるし。…そして1軒のパン屋もあった。ちょっと甘いけれどパンはパンなのだ。などと言っていたら、2年間の滞在中にパン屋だらけになった。発展著しい中国だ。あるパン屋が他との差別商品、調理パンの類を売り出した。なんと来賓始まって以来の「ハンバーガー」が誕生。試しに買ってみると、ご存知のハンバーガー型パンにレタス、目玉焼き、ハムが挟んであった。生野菜を採用したのは驚きだったが、これってハンバーガー??
 来賓も中層建築の建築ラッシュ。4階建て程度の新しい建物が次々に出来ていった。そのほとんどは正真正銘レンガ積み木細工の表面を漆喰で固めたものだ。ただ、ひとつだけ安心できるのは、このあたり一帯、有史以来地震が観測されたことはない、らしいこと。

 2年間の間に来賓の変化はすごかった。一番びっくりしたことはこれかもしれない。パン屋の件は既出だ。
 駅の発券業務にコンピュータが導入され、コンピュータ印字の切符が出てきた時はたまげた。ただ、これによって以前は必要なかった「コンピュータ発券料」なる1元が追加されるようになってしまったが。なにより以前の硬券(めんこ型切符)が好きだった僕にとっては、ショックだった。ちなみにコンピュータが導入されたとは言っても、オンライン化されたわけではないので、座席の予約が出来るようになったわけではない。相変わらずの無座、ではある。
 高速道路が完成し、インターチェンジが出来た頃、中心部の主だった通りに、中央分離帯と横断歩道が引かれた。かといって誰もこれらの白線の意味に気を留めたりはしないのだが、急に都会になった気がした。市内には公共バスが走るようになった。公共バスのバス停が設置された時には、自分の目を疑ったものだった。マイクロバス、車掌乗務、といったあたりに来賓らしさが残っていると言えなくは無かったが。そして南寧行き、柳州行きの両高速バスが99年末に相次いで営業開始。それまで区都南寧まで最低4時間かかった道を、快適な大宇の高速バスが1時間半で結ぶようになった。
 ICカード電話が街中に設置され始めたのは、僕の任期が終わる直前だっただろうか。
 以前は海産物と言えばするめいかを水に戻して炒め物に使う、くらいだったのだが、高速道路が開通してから某鍋屋で「海鮮鍋」を売り出した。大当たりしていると、来賓人の友人は言っていた。
 今年の初め、久々に来賓へ遊びに行った。高速インターから街までの道が田舎の裏通りみたいだったのだが、この旧道をやめて太い新道ができていた。おかげでなじみの街なのに道に迷った。

 来賓出張時のために、政府職員宿舎の一角に我々の宿舎を用意してくれていた。2階建て長屋の1階。古きよき中国の味の残る宿舎だった。十畳一間、くらい。裏庭は各家独立しており、ここに別棟で台所(らしきもの)がある。我々のためにこの裏庭の一角に湯沸し機つきのシャワーを用意してくれていたのだが、夕食時に浴びようとするとご近所一帯の水使用量が大幅に増加し、ガスが点火しない事があった。まあ、この点は浴びる時間さえ気をつければ大きな問題にはならない。ただ、トイレが近くの共同トイレ。当然汲み取り式ドアなしトイレである。冬場は問題ないのだが、夏になると臭いがきつく、屋根つき、屋根無しが選べるこのトイレ、傘を片手に屋根無しを選択した。雨季には雨が降り続くご当地事情、トイレの水位が急激に上昇した時はさすがにやや恐怖だった。いろいろ不便もあったが、でも夜この宿舎で来賓駅での入れ替え作業をしている蒸気機関車の汽笛を聞きながら眠るのがとても好きだった。あの蒸気機関車、今でも健在だろうか。

小平陽鎮(ランク外)編

 ランク外、とは…。要するに外国人が泊まるような場所は無いということ。あるのは1泊5元の招待所のみ。とはいえ、当時鎮内にわずか1kmの舗装道路しかなかったのだが、現在は来賓県からの道路と高速インターまでの道路は舗装されたし、驚くべきことにIC公衆電話の設置もなされたようだ。
 私が住んでいた当時、県へ出るには1時間に2本くらい出るおんぼろマイクロバスか、1日1本の普通列車が足だった。バスについては度々故障つき。夕方暗くなると運行終了。まああの道なら走らないほうがよい、という道路だったが、今はどうなっているか。列車は朝出て行った列車が夜帰ってくる。運賃はバスの半分、わずか2元。列車が着くと、扉が開くのを待ちきれない一部の乗客は車体をよじ登り窓から乱入。しかし中国の鉄道、ホームが低いので、よじ登るのは大変そうだった。
 雑貨屋でコーラ発見!喜んで購入してみたが味がインク水みたい?よく見れば「可楽可口」と書いてある。コカコーラは「可口可楽」、つまり偽物。こんなもの売るな(笑)。
 街角、どこへ行っても闘争的鶏が走り回り、お行儀の良いアヒルが行列を作っている。水牛おじさんは昼寝か水浴び。収穫期になると、唯一の舗装道路は、穀物干し場と化すわけで、折角の2車線も1車線以下に減少するのが慣わしだった。
 至る所泉、湧き水、水溜り、というわけで蚊はことのほか多かったが、夏の夜は蛍の乱舞も。これは私にとって初めての体験。
 乾季の停電や断水は当たり前だったが、電気と電話が通っているだけでもありがたかった、のかもしれません。

香格里拉県(★★★)編

 ここが3つ星?という気はするのだが、一応空港もあるし、4つ星ホテルもあるし…。
 現在一流観光地に化けるべく、街中大改修中。埃っぽいこと甚だしい。改修が終了すれば信じられないくらいきれいな街になりそうだが。改修といえば、ここまでの道路も全面的に改修中。でも一気に工事に入るものだから、2002年現在は通行不便があちこちで起こっている。もうすこし順序良く改修すればよいと思うのだが、思い立ったら一気に物事を進めるのがこの国のやり方だろうか。と思っていたら、2002年11月〜2003年3月、メインルートの214号国道を全面閉鎖して改良。本格的な陸の孤島となってしまった。工事が予定通り終わることを祈ろう。
 一歩中心部から外れれば、相変わらずトイレ、食堂等、全てが外国人向けではないが、今となってみると、ここ数年の変化の度合いが、最大のへんじんや〜かもしれません。なんだか日本食もどき、を食べさせる店もできたようで、これは一度実地調査せねばならないと思っている。
 ちなみに本県の現在の目標は、香格里拉(シャングリラ)ホテルチェーンのホテルを誘致することだとか…(笑)。

上江郷(ランク外)編 

 謎の桃源郷、ということにしておきましょう。妻の実家。交通不便を除けば、確かに桃源郷。春の菜の花&桃の花は、一見の価値あり。冬、周囲の山で雪が降っても、ここでは降らないという特典もある。前は金沙江のたおやかな流れ、後ろは緑の山に抱かれている。夜の星空も特筆モノで、光害の悩みとは程遠い。全然驚かない、ですよね〜(笑)。
 では、ムラのメインストリート、一応舗装され、役所の出先機関や商店が並ぶも、数百メートルで終わり。あとは上も下もあぜ道見たいな道路が続く。定期バスは朝の県城行きが毎日2〜3本のみ。形だけでもタイムテーブルを持つ乗り物は、これが全て。川の対岸はお隣の県のもう少し大きな鎮なので、今にも沈みそうな渡し舟でそちらへ渡る、という手は残されています。
 毎日の食卓の準備は、裏の畑から引っこ抜いてきます。いいところだなあ。