旅行記
2005.10.24〜26     黒部・立山アルペンルート
      と上高地

 関西の紅葉はまだ時期的に早いので、以前から一度は行ってみたいと思っていた黒部のトロッコ列車と立山アルペンルートと黒部ダム、更に秋の上高地が全て行程に入っている団体バス旅行に申し込んで2泊3日の秋の小旅行を楽しんできた。

 今回は、毎月郵送されてくるJTBの「旅物語」というパンフレットの中から都合の良い2泊3日の日程を選んで申し込んだものだ。
 ただ内容の充実度からしてあまりにも価格が安いので心配もあったが、これまでにも「旅物語」の旅行は何回も利用させてもらっているので信用することにした。(30,800円/人)

 アルペンルートの乗り物だけでもだけでも片道8,000円強の交通費がかかるのと、ホテル2泊代、食事代、観光バスの高速代全て込みだから、どう計算しても個人旅行の半額程度でいける計算になる。

 満足できる旅行かどうかは行ってみなけれゃわからないので、当日の天気がいいことを祈りつつその日を迎えた。→幸いにも当日は快晴!

 1日目:梅田集合8:30→(バスは42人の満席だ)→(名神・北陸道)→宇奈月温泉着。

 黒部峡谷鉄道の宇奈月駅が始発駅で、現在でも部材運搬用として使用されている業務兼用の「黒部峡谷トロッコ列車」に乗って鐘釣までの14.3キロを時速16`でゆったりと日本一深いV字峡谷を走るのだがさすがに見晴らしは絶景だった。
ただ紅葉の見頃にはまだ少し時期が早かったので、素晴らしい渓谷の紅葉は期待したほどではなかったのは残念だった。

 深い峡谷を窓もなく素通しのトロッコ列車で寒風に耐えながら往復2時間かけて乗るのだから最後にはさすがに身体は冷え切って寒さがかなり身にしみた。

 1泊目:富山駅前の大きなホテルに宿泊。ただ今夜の夕食は自由食なので富山駅前まで食事を取りに行った。
 「日本海庄や」という東京のチェーン店の居酒屋での食事となったが、店の造りも料亭風で感じが良く、値段も安く、刺身などもさすが日本海での取れたてで活きが良くて、量も多くて大満足できた。東京で生活していたときはこのチェーン店にも何回か行った事があるが、全然違う内容で地方の良さを感じたほどだ。
  
 2日目:今日は空が抜けるほどの快晴の中、今回のメインルートの立山から扇沢までの「立山アルペンルート」の走破だ。

 アルペンルートに入る途中に日本一の落差(350m)を誇る天然記念物の「立山称名滝」に特別に立ち寄ってもらうことになった。

 これまでにもかなり大きな滝を見てきたが、さすが350mというとやはり豪快の一言に尽きる。
 たた、その右隣を流れ落ちる滝は500mもあるのに他方を日本一というのには素朴な疑問も感じたが理由は解らずじまいだった。

しばらくは走ると立山駅に到着。ここがアルペンルートの出発地だ。
立山駅(475m)→(立山ケープル)→美女平(977m紅葉が見頃)→(立山高原バス)→室堂(2,450m)着。

 室堂に登るバスの中からは真っ赤に紅葉した「ナナカマド」の木が延々と道の両側に続いており素晴らしい景色だった。

 さらに「室堂」に近づくと景色は一変し、真っ青に晴れ上がった空に、地上は一面の雪景色に変わり、全く予期しない景色の出現に全員から感嘆の声が上がった。
 運転手さんの話では2日前に初雪が降って一気に銀世界に変わったとのことだった。

 室堂でしばし一面の銀世界を楽しんだ後、黒部ダムに向かっての行程に入った。
 室 堂→(立山トンネルトロリーバス)→大観峰(2,316m)*ここからは立山連峰の景色が一望できる素晴らしい展望場所だ。→(立山ローフウェイ)→黒部平(1,828m)→(黒部ケーブルカー)→黒部湖(1,44m)*ここからトンネルの中を徒歩で歩いて黒部ダムにやっと到着だ。

 「黒部ダム」は関西電力が7年の歳月と1千万人の人手をかけて称は昭和34年に完成したものだ。
ちょうど1週間ほど前にNHKの「プロジェクトX」で造成時の苦難の記録の再放送をやっていたのを見たが、やはり写真で見るのと実物では全然違うスケールの大きさが実感できた。

 黒部ダムをあとに更に今度は関電トンネルトロリーバスに乗って扇沢(1,443m)まで下った。

 今日は6つのそれぞれ違う交通手段を使ってアルペンルートを走破したが、こんな経験は初めてだ。個人で計画してやってくるのには相当な手間がかかるだろうが、団体旅行を利用した今回の旅行は成功だったと実感した次第。

 2泊目:明日は上高地なのだが何故か逆方向にある「栂池高原」のホテルに宿泊。
 ホテル前がスキー場なのだが、まだシーズンまでには少し早いので、宿泊料や空室の関係からかも知れない。食事もなかなか凝ったものが食卓に出され、山小屋風ホテルの気分を充分味わった。

 3日目:今日は「上高地」へ出発!
 朝から快晴なので素晴らしい紅葉が期待される。
 上高地はこれまで3回ほど訪れたことがあるが、新緑の時と夏だけで、秋の上高地は初めてだ。
 新緑の上高地も素晴らしいが、是非紅葉の時期にも来たいと思っていたのがやっと実現した。

 ここは自然環境の保護に特に力が入っており、途中の街道からはマイカーは規制されて通行できず、バスに乗り換えるかタクシーで行くしか方法がない。

 現在は道路も拡張されているが、自然環境を守る方策としてやはりこれまで通りマイカー規制は続けた方が良いと思う。

 バスは「焼岳」やが正面に望める「大正池」で下車して、梓川の清流に沿って河童橋まで散策するのだが、何回来ても期待を裏切らない満足できる観光地だ。

 今日は早朝からすがすがしい快晴だったので、噴煙を上げる活火山の焼岳をくっきりと間近に見ることが出来た。
また大正池に映る焼岳をずーと眺めていたかったが、時間もないので、梓川を遡って途中「田代湖」に寄った。

 添乗員さんの話では、毎年土砂が堆積を続けており、湖の面積が徐々に狭められつつあり、あと数年でその美しい姿を消してしまうだろうと行っていた。

大正池とはまた違った、本当に静かな見ているだけで心休まる湖だ。

 素晴らしい絵はがきを見ているような錯覚に襲われそうだ。何とか残してほしいとは思うが、今回がもしかしたら最後になるかもしれない。

 しばらく梓川にそって上流を遡ると有名な「河童橋」に到着した。橋の後ろには雪をかぶった奥穂高がくっきりと見えて絶好の写真撮影場所だ。我々も早速記念写真を撮った。

 今回の旅行は3日とも天候に恵まれ、見たいところは全て最高の状況で見ることが出来、何も言うことなしの満点旅行だった。

 それと団体旅行の良いところは、知らない人とも親しくなれて旅行中も退屈しないことだ。今回も仲の良いご夫妻と3日間とも隣席になり、話を聞くと僕達の近くに住んでおられるようだったので、またどこかでお会いするかも知れない。

2005.10.06〜08   千葉・佐原大祭見物へ
 

 成田国際空港からJR成田線で銚子に向かって約40分のところに佐原という地方都市がある。

 水郷の街として知られる佐原市は、東洋一の花菖蒲や日本一のハス品種を誇る「水性植物園」や国家鎮護の神、皇護守護の神、国運開発の神、武道の神として全国的にも深く信仰されている「香取神宮」などが有名だ。

 更に日本で初めて実測による全国地図を作った伊能忠敬が、17才の時にこの佐原村の伊能家に婿養子として入り生活していた「伊能忠敬旧宅」がこの市内中心部を流れる小野川べりに保存されている。

 この小野川近辺は両岸が柳の木で覆われ、江戸時代の面影も多く残されていてなかなか風情のある街だ。

 また毎年7月と10月の年2回、佐原市内が熱気に包まれる佐原の大祭りは、約300年の伝統を引き継ぎ、昨年「重要無形民族文化財」に指定された。

 勇壮、豪華絢爛な山車は、哀調漂う「佐原囃子」の音色と共に、優雅に、時には豪快に町中を曳き廻す様子が人気を呼んで普段は静かなこの街にも各地から見物に訪れるほど人気のあるお祭りだ。

 今回ちょうど佐原市に他の用事もあったので、この佐原大祭に合わせて訪れた。

 秋の大祭は毎年10月の第2金・土・日の3日間行われるのだが、300年もの伝統がある有名なお祭りのわりには、やはり都心からかなり距離があるせいか、想像していたより地方からの見物人も少なく、お陰でゆっくりと間近に素晴らしい山車の曳き廻しなどを見ることが出来た。

 理由は解らないが、4〜5bもある神武天皇や天武天皇、源義経や楠木正成などの昔の人物の大人形が、各町内会が保存する山車に乗せられて市内を思い思いに曳いてまわるのだが、途中では佐原囃子などで踊りなどを披露しながら、自分たちのお祭りとして楽しんでいるみたいだった。

 京都の祇園祭や富山の風の盆、東北のねぶたや、竿灯祭りなどかなりのお祭りも見てきたが、どこでも観光客でごった返していて、祭りの本当の行事の意味も見忘れがちだが、この佐原の大祭は地域密着型の昔の伝統を守っているお祭りのように感じられた。

 この佐原には、家内が高校時代の3年間、部活のソフトボール部で青春時代を楽しんだところだそうだが、ちょうど夏・秋祭りとも期末、中間試験の時期とぶつかって一度も見たことがなかったとのことで今回じっくりと見物できたといって大変喜んでいた。

 彼女の通っていた県立佐原女子校(現佐原白楊高)は当時(いまから40年ほど前)千葉県内でもソフトボールはかなり強かったと自慢していたが真相は解らない。

 現在は男女共学となっていたが校舎自体は当時のまま残っているみたいで久し振りに母校を訪れて懐かしんでいたみたいだ。


2005.03.14〜15   伊勢・志摩への旅

 少し大げさにいえば、昔から旅をしてくるといえば”お伊勢さん”参りに行くことを意味していたといわれる。
なぜなら庶民にとって宿泊を伴う遠距離旅行は届けなければならなかった時代には”伊勢詣り”の名目があればOKになったらしいからだ。
 そういえば十返舎一九の有名な「東海道中膝栗毛」も、、お伊勢さんに詣る話だ。

 ただ今回の旅の目的は、一昨年は城崎温泉のまつや旅館でカニ三昧を食して当分見るのもいやと言うほど食べたのだが、今回は一度”伊勢エビ”をたらふく食ってみたいということが発端だった。

 インターネットで検索していたところ、「伊勢エビづくし」のコースの写真をみると豪華で、しかもかなり格安なホテルが見つかった。
 場所は相差(おうさつ)という三重県の鳥羽市より少し南下したところの”的矢カキ”で有名な的矢湾に面したところにある漁師町だ。

 早速、楽天の「旅の窓口」から予約を入れた。最近ホテル予約はほとんどインターネットを通じての申し込みだが、旅行社経由より手数料がいらないせいかその分通常料金より安価に設定されているみたいだ。

 ホテルへの途中には年初には必ず皇族が訪れる伊勢神宮があるので、素通りするのももったいないので旅の最初にまずここを訪れることにした。
 ウイークデーであったためか、途中の道も空いており自宅からマイカーで3時間程度で着いた。

 まず伊勢神宮の外宮にお参りした。ここは天照大御神の食事を司る神である豊受大御神を祀ってある。

 言い伝えではこの神様は、もともと丹波の国に住んでいたが、雄略天皇の時代に天照大御神のお告げでこの場所に祀られたらということだが、あまり疑問を感じないで素直に「二礼二拍一礼」でお参りして、次に約5キロも離れた内宮にお参りした。

 内宮は総檜作りの立派な宇治橋を渡ると、広々とした神域に入る。樹齢数百年という杉の森を歩いていくと石段の上には、日本の氏神様本尊の天照大御神が祀られている内宮正宮が姿を現す。勿論写真撮影は禁止だ。
 ここでも規則通りのお参りをして、早速おはらい町(参宮街道)へ移動した。

 神宮の門前に並ぶこの街道は、昔はお参りの人でごった返していたそうだ。いまでも江戸時代の面影が残る土産物屋や食事処がぎっしりと並んでいる。

 「赤福」餅で有名な赤福本店も中程にでんと構えており、なかなかの繁盛振りだ。

 昼食は伊勢に来たからにはなんと言っても「伊勢うどん」ということで、老舗の岡田屋でかやくうどんを食べたが、かなり濃いめのしょうゆ味で、汁も少なくて、うどんもものすごく太いわりにはむっちりとした独特の噛みごたえでなかなかの美味だった。

 今度は今日の宿泊先の相差目指して、大変快適だがガラガラの伊勢志摩スカイラインを経由して、さらに今は無料になっているパールロードを走って約3時間で目的のホテルに到着。

 宿泊先の志摩ビーチホテルは夏は海水浴で賑わう千鳥ヶ浜に建っており、通された部屋は8階の最上階で窓からは太平洋が一望できる12帖の広々とした和室だった。
 天気が良ければ明日は素晴らしい日の出が拝めそうだ。

 早速露天風呂に入り、目的の伊勢エビづくしの食事場に向かったが、宣伝文句の通りなかなか豪華な料理だった。

 伊勢エビだけでも3匹程度は使用している上に他の刺身付きだから、最後まで食べきれるか心配しながらも何とか胃袋の中に収まったようだ。一体人間の胃袋はどうなっているのだろう。

 翌日は鳥羽水族館で一日中じっくりと見て回った。
 ここへは30年前ほど来たことがあるが、以前に比べてずいぶんと施設も大きくなっており、珍しい魚やラッコ、スナメリなど海の珍獣のオンパレードで時間の経つのも忘れて全館ゆっくりと見て回った。
 時間を気にせずに過ごせるのは観光バスなどで行くパック旅行と違って個人旅行の良いところだ。
 
 帰りはやはり鳥羽旅行の定番の一つ二見浦の「夫婦岩」見物だ。天気も良かったので写真もばっちり。

 いまさら夫婦円満を願う迄もないが、とりあえずお賽銭をあげたからにはなにか願わなければならず、お互いあと10年ぐらいは呆けず(認知症?)円満に生活できるようお願いをしておいた。

 一度は行かなきゃならないお伊勢詣りも実現したし、伊勢エビもたらふく食ったし、夫婦円満も一応願ったし目的は達せられたようだ。
2005.03.03〜05   鹿児島・宮崎への旅

 九州への旅行はまだ行ったことがなかったので、今年はまず南九州の旅から始めることにした。
 今回はJTBの「旅物語」という企画旅行で2泊3日の小旅行だったが、案外ゆったりとした日程で2泊ともホテル到着は4時前後と早かったので指宿、霧島温泉にもゆっくりと入ることが出来て、満足出来た旅行だった。

 ただ、初日は雨、翌日は快晴、3日目は雪→曇り→快晴とめまぐるしく変わる天候で、場所によっては既に桜も咲いていたりと季節の変わり目を感じさせる複雑な天候の連続だった。

 初日は伊丹空港から鹿児島まで約1時間で到着。鉄道だとかなりの距離だがさすがに飛行機はほとんど直線飛行だから約1時間のフライトだ。

 最初は薩摩の小京都と呼ばれる「武家屋敷」と、終戦直前の特攻基地として有名な「知覧」を訪れた。

 特に特攻平和公園内の「特攻平和会館」には人類史上類のない爆薬を仕掛けた飛行機もろとも敵艦に体当たりして散っていった陸軍特別攻撃隊員の1,036名の遺影、遺品、記録などが展示してあったが、ほとんどが17才から23才ぐらいまでの若者だったのにはさすがに涙を禁じ得なかった。

 と同時に当時の軍人の物の考え方に大きな疑問もいだかざるを得なかったが、出撃していった若者の本当の信条はどんなものだったか知りたいものだ。

 戦後しばらくは国民全員が戦争の悲惨さを反省をしたはずだったが、昨今の状況はまた怪しくなってきたことを感じるのは自分だけだろうか。
戦争で真っ先に犠牲になるのは若者なのだが、今の若者はどう考えているのだろう。

 この日は生憎雨だったので、池田湖や開聞岳等は充分楽しめなかったが、3時半頃には指宿温泉のホテルに着いたので、名物の「砂むし風呂」にもゆっくり入ることも出来た。

 宿泊したホテルは客室350室もある指宿最大級のホテルだったが、どう見ても60名程度の客しか見あたらず、お陰でむちゃくちゃ大きな露天風呂などは貸し切り状態だった。
 これで経営していけるのだろうか人ごとながら心配してしまった。

 二日目のメインコースはやはり桜島上陸だが、現役時代に一度来たことがあったが、当時はものすごい噴煙で快晴でも傘をささなければ歩けないほどで、当時の営業所長から特別に「噴煙手当」を出してくれという要望があって、現地視察に来たのだが、今は桜島も元気なく年に数回噴煙をあげる位だと地元の人は言っていた。

 鹿児島市から見る桜島は確かに「島」なのでフェリーで渡るのだが、実は以前の噴火で反対側が大隅半島と繋がってしまい、現在は陸続きになってしまっていたことは知らなかった。

 溶岩道路を走ると確かに、噴火時に吹き飛ばされた溶岩の固まりが到るところで不気味な姿をむき出しにしており、自然の力の威力を感じさせてくれる。

 地元のガイドさんは浅間の鬼押し出しよりも規模が大きいと言っていたが、その辺はよくわからない。同じ規模程度にも思えるのだが。

 宿は初日と同じ系列の「霧島いわさきホテル」という巨大なホテルだったが、ここも宿泊客は少なく、巨大な露天風呂に一人占め状態で入っていると逆に不気味さを覚えるほどだった。

 今はオフシーズンということもあるのだろうが、維持費のことを考えるとなんとか潰れないように祈りたくなるほどだ。ホテルは立派で従業員の応対も大変良いのでよけい心配になってくる。

 最終日は昔の新婚旅行のメッカ宮崎だ。ここの「鬼の洗濯板」という青島海岸を一度はみたいと思っていたが、幸い天気は快晴で素晴らしい海岸を眺望できた。

 堀切峠から見る海岸も素晴らしいが、実際の海岸を歩いてみると自然が創り出す自然美の神秘さに驚かされる。
本当に鬼の洗濯板とはよくいったものだ。

 といっても今の若い人は洗濯板というものがどんなものか知らない人がほとんどなのかも知れないが...。

 今回は久し振りにのんびりした旅行が出来てよかった。今年中には九州の他県も是非訪れたいものだ。

2005年度
2004年度
2003年度
2002年度
 定年後はよく夫婦で旅行に行くようになりました。
 現役の時も、転勤先を拠点にして各地を旅行してまわりましたが、やはり忙しい旅でした。
今はウイークデーの比較的空いた日を選んでのんびりと旅行できるのがいいですね。