2012年2月5日、根尾川のアマゴです。この日は大阪フィッシングショーでしたが、私は業者日3日に行っておりました。ここ10年くらい、受付で適当に雑誌の名前を書いてただで入っていましたが、あらためてフィッシングショーのHPを見たら外部執筆者は有料と書いてありました。それで今年はちゃんと1000円払って入場しました。僕って正直。いままでがインチキやったのか? (2012/2/11)

 で、チケットを買って会場に入ろうとしたら、S社のリール開発だったY川氏に会いました。しかし、Y川氏、最初私が誰かわかりませんでした。20余年も経って私もオッサン化してしまっていたのですなあ。

 ところで、私の記憶が確かなら、このY川氏こそあのシマノMLシリーズを設計した人でありました。私はML1のおかげでリールなどというものに興味をもってしまい、めぐりめぐって今のようなのっぴきならないことになっておるのであります。思わず「ぼ、ぼ、僕の人生を返せ〜」と詰め寄りそうになりましたが、30年以上も前のことなのでやめておきました。

 Y川氏と話していると、今度はS伯氏が現れました。S伯氏は磯上物竿の設計をやっていた人で、新しいロッドが決まると「今度は(軽量)限界設計をやるでな!」といって、品管や製造が「ひえ〜」と悲鳴を上げるという人だった・・・ような気がします。

 S伯氏は私を見ると「お前は釣りに行くより、リールばっかいじっとるやつやったなあ」といいました。隣の部署だったのに見事に見抜かれております。

 そういえば、もうすぐバレンタインデーです。あれはS社在職時の2月15日のことでありました。私はいつものように隣のリール開発に行ってムダ話をしておりました。いまだに理由が分からないのですが、私は当時美少年で通っていたのになぜか女性に縁がありませんでした。したがって、この年もチョコレートなどただのひとかけらももらっていませんでした。

 で、自虐的なギャグのつもりで「昨日は食べきれないくらいチョコレートをもらって困っちゃったヨ!」といいました。ところが前出のY川氏、深くうなづきながら、「うーん、キミやったらそうやろうなあ」と普通に納得してしまいました。

 私は、話が滑ったことでよけいにおのれの寂しさが身にしみて、自部署に帰ってから机に突っ伏して泣きました。

 というようなことばかり書いていると、私がしょうもない人だったみたいに思われそうなので、私がいかに惜しまれながらS社を去ったかという話をしましょう。ベイトリールの開発にS口氏という人がいました。私が辞めると知ったS口氏、こういいました。

 「お前を見とるとなあ、男は顔だけではもてんということがわかって俺は救われたんや。お前がいなくなると寂しいなあ」

 私は、こんな僕でも人の役に立っていたのだなあと、感慨にふけったのでありました。

 以上2012年大阪フィッシングショーのレポートでした。

 フィッシングショーの話かと思ったら、肩透かし的に前回のっけた「往年の名竿FS64」の続き。一番奥がそのFS64です。これをSiCに巻き換えたとき、失敗に終わるかもしれないということを説明するために、私が行ったロッド改造の失敗の例をいくつか挙げてみようと思います。 (2012/2/4)

 奥から二本目は中学生時代に買ったシマノ・オリーブULです。このロッドはトップにショックリング入りハードガイド、それ以外のガイドはロウ付けで組まれた二本脚ワイヤーガイドが装着されていました。しかし、ワイヤーガイドの宿命で、1年も使ったら糸溝ができてしまいました。そこで、大学生時代に出たばかりのSiCガイドセット(GLST7FとGLVSG8〜25)に巻き換えました。

 ところが、二本脚ガイドが一本脚になったせいか、ガイド重量の増加のせいか、おそらくその両方で、べろんべろんでとても投げられないものになってしまいました。写真がニューガイド構成になっているのは、その後TLST7とCSG6〜CYSG25に巻き直したせいで、これでようやく使えるようになりました。

 三本目は天龍フェイテスLSP70で、これは適合ルアー6〜15グラムということになっていますが、4番か5番のフライロッドみたいにペナペナの竿です。にもかかわらず、トップガイドにPST8Fなどという巨大なものが装着してありました。

 使ってみて一応は投げられたのですが、「こんなペナペナの竿にこんな巨大なトップガイドを付けるなんておかしい!」と思い、あまっていたLST7に交換してしまいました。これでシャンとした調子になって性能アップ・・・と思ったら、なんだかキャストのタイミングが取れなくなってしまいました。それで、写真のように元のPST8Fに戻したのでした。

 いちばん手前はザウルスフィリプソンのスワンプフォックスSS70Mです。これは元々写真のFS64みたいなトップガイドとロウ付けで組まれた二本脚ワイヤーガイド仕様だったのですが、ほかのロッドが折れてあまったチタンフレームSiCガイドを使って、ニューガイド構成にしてしまいました。

 実はこのロッドはオリジナル状態で一回も使わずに改造してしまった(!)のですが、ニューガイド構成にしたものを使ったところ、なんとも投げにくいものでした。しかもそれはトップガイドを小さくしたときの天龍フェイテスのような感じでした。これもよく知られたように、フライロッドみたいなスローテーパーです。

 以上三本の失敗例から・・・

 1:二本脚ワイヤーガイドを一本脚セラミックガイドに換えると、軟らかくなって投げにくいロッドになる恐れがある。

 2:スローテーパーロッドのトップガイドを軽量化すると、キャストのタイミングがとりにくくなることがある。

 ということがいえそうです。1については容易に理解できますが、2は理由がよくわかりません。おそらく、バックスイング時のブランクやトップ以外のガイドの重さによる後ろへの倒れこみに、軽量化されたトップがついていかず、フォワードスイングのタイミングが狂うのではないかと思います。これに近いことはフェンウィックレガシーLG65SL-2でも経験しました。そういえば、某フィッシングエリア取材で、オーナー氏がフライロッドのブランクで作ったニューガイド仕様のスピニングロッドを使っていましたが、ティップの返るタイミングがおかしくて、いかにも投げにくそうでした。

 FS64の場合、付いているガイドが二本脚ワイヤーガイドで、かつスローテーパーブランクときていますから、上の二条件にぴったりです。だから、うっかりガイドを交換すると、使いものにならなくなる恐れが強いのです。

 見るからに重そうなトップガイドの重さを維持するためには、ステンフレームFST8くらいのものが必要でしょう。SiCリングは金属より比重が小さいから、それでも軽いかもしれません。ならPST8とか?

 トップ以外のガイドの選択も難しくなります。一本脚ガイドにすると、軟らかくなってしまいそうですが、いま付いているワイヤーガイドは二本脚といってもロウ付けではなく一本のワイヤーをコイル状に巻いたものなので、それほど調子に影響を与えていない可能性もあって、それなら一本脚でもいいかもしれません。どっちだろ?

 しかも、ガイド自体は軽いので、小さいめのものが必要でしょう。となると8サイズのトップよりも小さいものからスタートすることになります。トップが8で次のガイドが6とか7とかって、変なガイド構成です。

 そんなわけで、FS64のレストアは保留であります。

 しかしまあ、ニューガイドコンセプトも何も、登場は1995年のこと。その後PE対応でLDBやLCが使われて、Kガイドが出て、マイクロガイドが流行りかけたかと思ったら、今度はK・Rコンセプトとかいっているのに、完全に時代に背を向けてますナ。

 昨年秋にヤフオクで買ったフェンウィックFS64です。よく使っているレガシー(ランカーギア)のLG65SL-2は発売当時(90年代中ごろ)のティムコカタログに「数ある6'6''、ライトアクションスピンの中でもこの機種はスローに仕上げてあります。往年の名竿FS64を彷彿とさせるロッドです」と書いてあるのを見て買ったのでしたが、私は肝心の「往年の名竿FS64」を見たことがありませんでした。なわけで、いっぺんオリジナルがどんなロッドなのか、見てみようではないかと手に入れたのでありました。それにしても“往年”に弱いのですなあ。 (2012/1/29)

 調子はなるほどレガシー/ランカーギアの66と同じような感じで、硬からず軟らかからず、無理をすれば渓流から湖、オープンウォーターのバスまでなんにでも使えそうな竿です。そういえば昔持っていたオリムピックの純世紀トラウトライト195Sという竿も同じような調子で、FS64を手本にしていたのかもしれません。昔はいまみたいにモノがあふれていませんでしたから、いろいろな釣りに使いまわした人も多かったのではないかと想像します。現在のように専用化された竿は確かに優れたものですが、一本でなんでもやってしまうのも、なんかいいなあと思います。

 しかし、予想はしていましたが、ワイヤーガイドが見事に糸溝だらけで、とても使えません。最初はSiCに巻き換えようかと思っていたのですが、どうしよっかなあと思っているところです。グラスロッドはFS61Jとかのウルトラライト6フィートくらいまでならいいのですが、66くらいになるとさすがに重くなります。だから、SiCに巻き換えてもそれほど使うと思えないのですね。しかも、調子はレガシー/ランカーギアの66と同じようなものですから、あえてこっちを使うこともないでしょう。

 じゃあ、オリジナルのままとっておくか・・・という感じなのですが、私一人が眺めていてももったいないような気もするし、かといって人に譲る気もありません。釣り具博物館でもあれば寄贈してもいいのですが、そんなのもありませんし、それなら世の中にもっと程度のいいものがあるでしょう。

 釣り具博物館というか資料館みたいなものがあったらいいなというのは、昨年夏にアユ釣り大会撮影でお会いした金森直治氏も言っておられました。この方は釣りに関する文献をたくさん集めておられるのですが、資料のもって行き場がないので「自分がいなくなったらどうなるのだろう」と心配しておられました。

 釣り具のコレクションでは、ゴーセンにリールのコレクターの方がいたそうで、私も20年くらい前のフィッシングショーで展示されていたのを見た記憶があります。で、金森さんによると、その方は何年か前に東京のどこかの区にコレクションを寄贈したそうです。そうすると貴重なものとして保存してくれるのだそうです。

 まことにけっこうなことに思えますが、実はぜんぜんそんなことはないのだそうです。だって、たぶんこれを読んだ人の中に、そんなリールコレクションが東京のどこかの区に保存されていることを知っている人はいないでしょう。保存はしてもらえるのですが、誰も知らないところで、ずーっと眠るわけですから、事実上この世から消えたのと変わらないわけです。

 釣り具博物館・・・といっても、現実には毎年出る新製品だけでもフィッシングショーに並ぶだけあるわけですから、とても無理でしょうね。もし博物館ができたら雇ってほしいところですが、残念なことであります。

 (いま「釣り具博物館」でググったらあったみたいね。でも閉館してました・・・)

 先週は原稿発掘と愛用タックル撮影のために新潟小出まで行ってきました。写真はその際お借りしてきたJ.L.A.A.の機関紙『LURE FISHING』です。創刊が昭和45年つまり1970年ですから、懐かしいどころか、まだこのころ私はルアー自体を知らなかったはずです。アブ5000Cが18800円だったり、フェンウィックHMGのGFS70が58000円だったり、加賀フィッシングエリア(すでにあった!)の入漁料が一日1000円だったり、新東亜交易の広告に「魚を公害から守ろう!」(当時は公害が社会問題だった)と書いてあったりと、広告を見るだけでもほほーっという感じです。また、すでにルアーのフックをトリプルからシングルにしようという高田弘之氏の記事が載っていました。引っかけ釣りと混同されないためでもありましたが、魚を傷つけないようにとか根掛かりを減らそうとかという配慮も書かれています。ひるがえって現在、バスやソルトの世界でアラバマリグなるものが流行りかけているそうです。ルアーアングラーは当時より進歩したのでしょうか? (2012/1/22)

 バンタム100は『私のリール』なので置いてみただけで、時代はもうちょっと後になります。写真のリールは文字通り私のリール、私物です。

 先週は東京で雪が降って大騒ぎしていましたが、新潟など日本海側は降らなかったので助かりました。それでも1mは余裕で積もっていて、数センチの雪を全国ニュースにしているテレビがちょっとこっけいでした。

 新潟といえば田中角栄とか公共土木事業による利益誘導とかのイメージがあります。子供の頃の私は、地方が貧乏なのは産業を育成できなかった自己責任みたいなものなのに税金で潤わせるとはけしからんという、後の小泉竹中新自由主義のような見方をしておりました。

 でも、あらためて新潟に行ってみると、この雪だけでも大変ですよね。たとえば私の住んでいる大垣は新潟に比べれば可愛いものですが、若狭湾から雪雲が流れ込むのでそれなりに雪が降ります(関係ないけどやっぱり若狭の原発が爆ぜたらうちのへんは終わりだなあ・・・)。会社勤めしていたころを思い出すと、雪が降るたびに30分早く起きて普段30分で行ける道を1時間近くかかって通っておりました。スタッドレスタイヤだって4本で5万やそこらします(これはシトロエンAXやマーチの話だから、でかいクルマはもっとするぞ)。これだって都会の人に比べればけっこうなハンディーです。大垣ですらこうなのですから、北陸や東北、北海道はこの比ではないはずです。

 田中角栄が新潟をえこひいきしていたのなら、それは批判されるべきでしょうけれど、公共事業で地方に利益を分配したのは正しいことだったと思います(もっとも、それが土木建設業界にばかり流れ込み、業界が存続するために政治と癒着してムダなダムや道路などを作り続けるのがいいかどうかは別の話です)。

 ところで、最近、国家財政が赤字だから消費税を上げるといっています。そのために、“自ら身を切るべき”とかなんとかいって、政治家を減らせとか公務員の給料をカットしろとかと、メディアも大衆も当然のことのようにいっています。

 でも、私の記憶では、日本の人口に対する国会議員や公務員の数はどちらも欧米よりずっと少ないはずです。反対に、国家の支出に占める割合で欧米より多いのは公共事業費なのだそうです。赤字の理由は、こっちでしょう。

 かといって、公共事業がなかったらどうだったかといえば、たぶん地方はいまよりずっと貧乏で、若い人が都会に出稼ぎに行くような状況のままだったでしょう。それどころか、公共事業で経済がまわった面もあるのですから、都会も含めて日本全体がもっと貧乏なままだったのではないかと思います。

 財政赤字の責任・・・というとピンときませんが、“国を赤字にしてまでばら撒いてもらったお金の恩恵にあずかったのは誰だ”と考えると、それは国民全員ではないかと思えてきます。社会保障費然りです。

 じゃあどうすりゃいいのよっても私なんかにわかりませんけど、自分たちが財政赤字のおかげでいい暮らしをしてきたのに、裸の王様よろしく政治家が悪い公務員はけしからんといっているのはちょっとかっこ悪いよなあ・・・てなことを雪に埋もれた新潟で考えておりました。

 初釣りはボウズでした。1回くらいは周年釣りが可能になった犀川(ただし下流側の漁協なので注意)へ行こうと思っていたのですが、天気予報を調べたら最高気温3度とかでやっぱり天竜川にしました。しかし、13日に放流があったにもかかわらず冷え込みでさっぱり。こんなことなら川を見るだけでも犀川のほうが・・・と一瞬思ったものの、最高気温3度では御母衣の解禁より寒い。行ったら行ったで地獄だったでしょう。 (2012/1/16)

 漁協のHPを見ると中島、雲名はけっこう釣れた(人もいた)みたいですが、釣り場の雰囲気があまり好きでないので、一日鮎釣にいました。漁協の人によると「魚を入れてもなぜか釣れない」ところだそうで、深いプールに沈んでしまうみたいです。

 持っていった10セルテート2004CHには1.5号のラインを巻くために旧セルテート2000のスプールを付けて使いました。ふつうなら10セルテート2000のスプールになるのでしょうけど、手持ちの10の2004スプールを試しに付けてみたら、ボディーに対してスプールが大きい分スカート部の金色がよりいっそうやらしく見えたので、旧型のスプールにしました。11カルディアのスプールにすればスプールリング部も改良されているしアダプターのワッシャーも要らないのですが、セルテートなのにカルディアと書いてあるのが嫌でした。この辺変なところが潔癖症(?)なのですな。

 そもそも“どでかコンパクト”といいつつABSシリーズの2000番は2500番と共通ボディーで、ボディーに対してスプールがそれほど大きくなく巻き上げ速度も低めでした。そう考えると、これが本来の2000番の姿ではないかと思います。ただ、アルミ深溝スプールを付けると振りバランスは悪化します。いまのシマノくらい脚が前にあるといいなあと思います。

 よくよく考えたら天竜川でボウズは久しぶりです。10年11年とここ6釣行はなんとか魚の顔を見ていました。でもあらためて思い出すと、どの釣行もアタリは釣った魚1回きりだったとか、夕方最後の最後にやっと1尾釣ったとか、いつもボウズスレスレでした。15日も最後の最後に気分転換で投げたトビー7gパールピンクにプルプルンという感じのアタリがあったので、あれがフッキングしていればいままでの6釣行のようになっていたわけですね。

 まあこんな日もあるさと思ったところで、不吉なことを思い出しました。昨年購入したこの10セルテート2004CHと11ツインパワーC2000HGSを持っていくと、なぜかまともな魚が釣れなかったことです。セルテートは15cmのアマゴ1尾しか釣ってませんし、ツインパワーにいたってはルアーは全滅、パワーイソメで12cmのシロギス1尾、あとはクサフグ多数というありさま。天竜川6連勝(わしは1尾釣ったら勝ちなんや)が止まったのもリールのせいかもしれません。この2台は呪われとるのか?

 いまさらながらあけましておめでとうさんです。一部新聞などを見ていたら、2011年は大変な災害があったので「おめでとう」とか「謹賀新年」とかを年賀状に書いてはいかんといっている人がいましたが、私はそういう形式めいたというか自粛じみたことはきらいなので例年通りにしました。届いた年賀状を見ても、新聞で評論家(?)がいっていたような自粛賀状はありませんでした。年も変わったんだし、私はこれでいいと思いますね。 (2012/1/9)

 29日に天竜川に行って以来、完璧な寝正月でした。4日に日産に車を点検にもっていったくらいです(木村多江とカンガルーはおらんかった)。

 部屋で寝っ転がって本を読むかテレビを見るかしていました。何冊か小説を買い込んだものの読んだのは、「ピース」と「インシデント」だけでした。感想文は別にいいかもしれんけど書くと、「ピース」は、着眼点は面白いしタイトルの意味がわかったと同時に表紙の絵が不気味に見えてくるものの、動機にムリがあるでしょというところでした。

 で、人民諸君はこの小説をどう思っておるのであらうかとアマゾンのレビューを見てみたら、思った以上にボロカスでびっくりしました。動機はたしかにナニですが、しょせんフィクションなのだからと動機だけ目をつぶったらそれなりに面白かったからです。ありゃあ、本を売る側が大げさに宣伝しすぎて、反動が出たんでしょうね。もうひとつ思ったのは、ああいうレビューの書き込みにも日本人のいじめ体質が見えるのかなあということ。いったん評価が悪いほうに傾いたものをよってたかって叩いている感じです。いい評価のレビューを書くと自分のレビューの評価が下がるから、そういう人は“空気”を読んで黙ってしまい、よけい悪い評価に拍車がかかる・・・。

 「インシデント」のほうは小説というよりドラマの脚本でした。著者も脚本家だし。

 たくさん小説本を買ったものの読んだのはこの2冊。なぜか、ふと開高健の「もっと遠く!」「もっと広く!」の文庫本を引っ張り出して、各上下2冊計4冊を読んでいました。これは学生時代に買ったものなのですが、当時は「釣りの本なのに釣りがあんまり出てこうへんがや」と思って、つまみ読みしただけでした。

 でも、大人になってから読んでみると、なかなか面白いし、あらためて考えると、インターネットも何もない時代に情報を集めるだけでも大変だったはずで、企画自体たいしたもんですよね。ただ、開高文体はやっぱり読みにくくて、「もっと広く!」の現地のガイドが寄せた文章を和訳した章は、読みやすくてホッとしました。

 開高健といえば、「河は眠らない」DVDを買って見ました。釣りのドキュメントかと思っていたのですが、なるほどこれは“映像エッセイ”です。なかなかよろしい。でも、よく見ると、キングサーモンを釣っているときの忠さんが、なんとなく退屈そうです。丸沼で開高健が“一本の杭”になっているうちに湖を一周したというほどの人ですから、ドリフティングの釣りは性に合わなかったのでしょうね。そのへんから後の「鮭王よ永遠に」(DVD化はされていません)のスプーンを岸から投げてキングサーモンを釣るところへつながるのでしょう。

 あとは、こんなことをしとったら頭がボケそうだなあと思いながら、ほとんどテレビ見てました。けっこう面白かったのは、2日3日BSジャパン(BSのテレビ東京)の池上さんの信州大学での現代史講義をまとめて再放送していたものでした。さすがに朝8時から夕方4時までぶっ通しはきつくて、全部は見ていませんが、大躍進政策とか毛沢東のあたりが面白かったですね。大躍進政策は子供のころ新聞の見出しやニュースで見た記憶が少しあるくらいですが、みんなで汗を流して国を発展させようというのは素晴らしいことであるなあと思ったものです。ところが、その理想の政策を実行に移すと、現実にはとんでもない結果が生まれるというのが、人間の限界というか愚かさというか面白さというか・・・。しかも、大躍進政策のマネをした国のひとつがいまのソマリアだというのは、なんともはや。

 1日の「相棒」は相変わらず面白かったですね。それを見終わってチャンネルを少し変えたら、NHKで若い論客に絞った日本の将来を考える討論番組をやっていました。ここに出ていた荻上チキなる人物は、池上さんの対極にある人で、簡単なことをややこしくしゃべることに関して右に出る人はいないかもしれません。

 荻上さんはTBSラジオで平日夜10時からやっているDigというニュース番組に出ています。たしか昨年か一昨年、映画がテーマの回で、映画監督の井筒氏がゲストに来ていたときのことです。荻上さんは井筒監督に論戦を挑みました。荻上さん、いつもの調子で延々持論を述べるのですが、例によって何をいっているのさっぱりかわかりません。ラジオを聴いている私はとっくにちんぷんかんぷんです。井筒監督はこの攻撃にどう対応するのだろうとはらはらしてきました。

 ようやく話し終わった荻上さん、「・・・ということですが、井筒さん、どうですか!」と話を振りました。すると井筒監督は、「わっかりませーん!」と一蹴してしまいました。私はラジオの前でずっこけながら、このにーちゃんの話がわからんのは、わしの頭が悪いからではなかったのだ!と胸をなでおろしたのでありました。

 で、1日の夜にやっていたNHKの若い論客による討論番組ですが、なんとなく気になったのは、ほかの出演者も、自分にだけわかる言葉で喋っている印象があったことです。なんだか人にわからせようという気がないみたい。しかも、現実感がなく、頭の中だけで考えた言葉で喋っている感じがしました。これがいまの若い人なのかなあとか、わしの頭が悪いだけなのかなあとか、大躍進政策とか共産主義も頭の中だけで考えると素晴らしいんだけどそりゃこじ付けかとか、うだうだぐだぐだと考えておりました。

 そんな、だらだらとした正月を過ごしたわけですが、知らぬが仏とはこのこと。1月25日発売のアングリングソルトの発売日を2月25日だと思いこんでいて、1月5日に泡を食うことになりました。新年早々ダメだこりゃ。

 2011年12月29日、天竜川のニジマスです。28日が放流日だったのですが、厳しい厳しい。この魚と20センチちょいの2尾を夕方滑り込み的に釣って、なんとかボウズをまぬがれました。午前中は3回くらいアタリがあったのですが、食いが浅くすべて逃げられました。3回目のアタリは根掛かりを回収した次のキャストだったのですが、バラしたあとにハリをチェックしたら、おそらく直前の根がかりで、ハリ先がしっかり曲がっていました。チェックミスといえばチェックミスなのですが、午前中3回しかなかったアタリのうちの1回がこういうタイミングでくるのが、釣りのわからないところでありますなあ。 (2011/12/31)

 水温は足下で8度か9度くらい。いくら放流翌日でも食いませんわね。管理釣り場など、あの密度で入っていても釣れないときは釣れないわけで、広い川に散ってしまった魚はそりゃ無理ですわ。

 天竜川は11月5日以来2回目です。昨シーズン4回も行ってしまったので、今年はシーズン券を買おうかと思っていたのですが、前回迷いつつ買いませんでした。今月新潟に2回行ったりで釣行できず結果的に年券は買わなくて正解だったみたいです。

 今回はランカーギアLG65SL-2と408、前回はイーグルGT S66-L2と308でした。ランカーギアはSiCに換装してあるもののガイドサイズはオリジナルの巨大なPST&LVSG仕様、イーグルはLST&LSG&YSGのニューコンセプト仕様にしてあります。2ヶ月近く間が開いているので正確な比較ではありませんが、今回のタックルのほうが気持ちよく飛んだ感じです。ひとつはガイドの違いで、ナイロンラインが硬くなる朝一番はとくに旧ガイド構成のランカーギアの放出性がいい感じでした。408と308は、オシュレーションシステムは共通ながら、巻き上げギア比が2割ほど高い408のほうが“密巻き”に近づくせいか、放出性が良好に感じられました。

 ランカーギアは90年代中ごろ、イーグルGTは00年代中ごろの製品で、ランカーギアのベンドカーブはガクガクです。このころのティムコカタログのフェンウィックページには、ベンドカーブのシルエットがモデルごとに載っていて、「よどみないベンディングカーブ」みたいなキャプションが付いているのですが、そのちっこいシルエットだけでもジョイントがパンパンに突っ張っててガクガクしたカーブが分かるほどでした。この点はより新しいイーグルGTのほうがちゃんとしたカーブを描きます。でも見た目は(HMGのイメージに近い)ランカーギアのほうが好きなので、難しいところ。巨大な旧ガイドシステムによる、一種昔のグラスロッドみたいな振り調子も捨てがたいものがあります。もっとスムーズなカーブにして、もう少し張りのある材料を使って、あえてステンフレーム旧ガイド構成にしたら、たぶんUFMのCSU60L/Cみたいになるだろうし、冬季の凍結にも強くなるだろうけど、そんなの作っても売れないだろうな。

 写真の魚の直後、バイト3gに20センチくらいのニジマスが釣れました(小さいので写真はありません)。バイトは3gだけ、平板をS字に曲げただけで、カップ状になっていません。そのため、規則的なウォブリングを起こさず、回転するか反転するかして泳いできます。あまりに泳ぎが頼りないので、いままではロッドを規則的にあおって、ストップアンドゴーもしくはリフトアンドフォールで使っていましたが、この日は普通にリトリーブしてニジマスが釣れたのでびっくりしました。

 なぜこの重さだけこういう設計になっているのかもいつか忠さんに聞いてみたかったのですが、それもかなわなくなってしまったのだなあと、ニジマスを放したあとで思いました。

 ルーのゴールドスピン-1とアブ・ガルシアのカーディナル863です。ま、この写真使わないかもしれないし。どっちも80年代のリールで、私のリールうんちくの師匠(?)たる原氏のかかわった製品でした。この2台には、ベールスプリングが寿命を延ばしつつある時期の製品という共通点もあります。ゴールドスピンはそれまで2回巻きだったトーションスプリングを3回巻きにしていました。800シリーズは特許が切れて使用可能になったばかりの圧縮コイルスプリングを初めて採用したカーディナルでした。 (2011/12/24)

 原氏によると、ゴールドスピンは当時最高水準の75000回のベール耐久テストをクリアしたとのことでした。このころ、ゴールドスピンを開発していた韓国日吉には試験機がなかったので、守衛さんにリールを渡して人手でテストしたそうです。

 800は日本の釣り雑誌の紹介で「従来の10倍以上」の寿命と書かれていました。2回巻きトーションのカーディナルC3のスプリング寿命は、「リペアパーツ」のページでやった私の実験からみると5000回くらいでしょう。後期のC4Xでスプリングにショットピーニングされているのを見た記憶がありますが、それで寿命が倍になっても10000回くらいのものです。そう考えると、「10倍」800のベール耐久テスト基準も75000回ではないかと思われます。

 余談ながら、原氏によると、この少し前の時代のアブ・カーディナル33/44、ミッチェル308/408などは、25000回くらいまでいっていたのではないかといわれていたそうです。ともするといまの人たちはインスプールのほうがベールスプリングが折れやすいというイメージをもってしまいがちですが、3回巻きトーションや圧縮コイルが採用される前の2回巻きトーション主流の時代のアウトスプールは、カーディナルCシリーズのように10000回がやっとでした。インスプールからアウトスプールへの移行期においては、インスプールのほうがずっと長寿命だったのです。

 25000回とか75000回とか、半端な数ばかりだと思われそうですが、これは欧米人が2や4、8といった2の倍数で割るのが好きだからです。アメリカではクォーターとかいって25セント硬貨があります。ルアーの重さも1/4オンスとか3/4オンスとかいいます。だから、耐久基準も25000とか75000とかいった数字が出てくるのです。

 ベールの耐久テストといえば、クァンタム(ゼブコ)のサイトにこんなのがアップされていました。さすがに現在、ゴールドスピンの時代のように守衛さんにやらせているわけではありませんね。少し脱線しますが、●ンプレネットとかヤフー●恵袋とかで知ったかぶりして「ベールは手で返さないとリールが傷む」「手で返すのが正しい」なんて寝言をいっている人を見たことがありますが、このビデオを見て目を覚ましてほしいものだと思います。

 ちょっと驚いたのは、このビデオに出てくるベール開閉回数で、なんと120万回を越えています。ただ、おそらくこれは、製品耐久基準ではなくて、壊れるまでやったらここまでもったということでしょう。製品耐久基準としては高すぎますもの。1分に1回投げるとして1日8時間で約500投になります。このペースで120万回投げるとすると、2400日も釣りに行かないといけません。毎週行っても1年に50釣行ですから、50年近くかかります。おそらく実際の基準はこの1割か2割でしょう。

 クァンタムのサイトには、ギアの耐久テスト、耐腐食テスト、低温テスト、ドラグテストのビデオもあります(「クァンタムテスティング」のところをクリックすると見られます)。実際にはこれ以外にも、あらゆるテストをやっているはずですし、おそらくビデオのギア耐久テストは実際にやっている方法と100%同じではないと思います。さらに、昔私がいた会社では、アメリカのボートフィッシングのレンタルタックルに貸し出して、フィールドでも強度・耐久性をチェックしていたものです。懐かしいのお。

 当然ながら、こういうテストでは、同時にリール内部のグリス、オイルもテストされていることになります。私がリールメーカーの出している油脂類をすすめるのはこのためです。どこのサイトか忘れましたが、オイル屋さんが自分のオイルを注したリールを持ってリールメーカーに売り込みにいったものの相手にされず、恨み言を書いているのを読んだことがあります。でも、リールメーカー側からいえば、「おたくさあ、うちがどんなテストやってるか知ってんのぉ」ってところです。ただ回転が軽いよっていったって、そりゃダメですよね。

 ベールの話に戻すと、ミッチェルは4400の時代、つまり80年前後、10万回を基準にしていたとされています。これにともなって、インスプールシリーズもベールの開放角を抑え、25000回といわれていた寿命をさらに延ばしていたと思われます。ベールがワンピースから2ピースになったころです。

 しかし、80年代終わりに台湾に生産が移行されたころ、308は何の手違いかベールスプリングの巻き数が減らされて元の木阿弥になりました。それ以前に80年代中ごろの松尾製OEMアウトスプールは2回巻きトーションですから、10万回なんてもつはずがありません。このあたりは、いったん倒産したときに、品質管理のシステムがどうにかなってしまったのだと思います。92カーディナル33のベールスプリング巻き数減を見逃したアブ・ガルシアも同様です。

 いくら高い基準を決めても、運用する側がダメだと、メーカーはダメになるということでしょう。ベールワイヤーの折れを見逃し続けた私がいうことじゃないか?

 2011年10月2日、フィネッツァヌーヴォと11ツインパワーHGのDスマーツもどきタックルを持って、敦賀のほうに行ってきました。第1投でいきなりチャリコが釣れて、こりゃ今日は五目釣りだな、と思ったものの、あとはウンともスンとも。ときどき釣れるのはクサフグばかり。11ツインパワーでいちばんたくさん釣った魚が、クサフグになってしまいました。 (2011/12/18)

 写真は、これがうわさのもんじゅかと思って撮ってきたものなのですが、あとで調べたら美浜原発でした。もんじゅはもう少し半島を先に行ったところでしたが、つくづく原発だらけです。

 一見岐阜県は関係なさそうですが、原発事故の際の30キロ避難区域に、揖斐川町の揖斐川水源域が入ってきます。福井で事故があったら関西の水がめ琵琶湖がやられるといいますが、揖斐川水系のほうが風向きからいってもっとヤバイし、琵琶湖みたいに薄まらない分ダイレクトに来そうです。揖斐川の水に頼っている西濃地方はアウトです。特にもんじゅは燃料にプルトニウムを使っているのに加え、冷却溶媒として水の代わりに金属ナトリウムを使っていますから、消火活動もできません。いやはななんともとんでもないものがあるものです。

 きっぱり止まらないもんじゅもさることながら、日本という国は信じられません。この期に及んで原発を、トルコだのヨルダンだのに輸出するんだそうです。トルコはこの前も大地震がありましたし、ヨルダンにいたっては海も川もないため、下水処理場の処理水を冷却水にするそうです。下水処理場がトラブったら処理前のUNKO入りの水でもぶち込むんでしょうか。

 福島みたいなことがあったのだから、これを機会に自然エネルギー技術に集中して、そちらを世界に普及させようとなぜならないのかと思います。

 これでちょっと思い出したのは、少し前に読んだ『日本辺境論』という本でした。私のおつむでは69%くらいしか理解できない難しい(もしくは書いている人が分かりやすく書く技術に欠けている)本ですが、おぼろげながらおぼえている内容によると、日本というのは中国という中心から外れた辺境の国(国名からして太陽の登る方向にある国=東の端の国)であって、それがゆえに自分たちが中心になって何かをしていこうという発想ができないというのが大筋でした。同じ日本国内でも、田舎の人ほど世の中は変わらない的意識を持っているものです。日本という国自体、そういう国だという理論です。

 それはけっして悪いことばかりではなく、盲目的に指導者を信じてついていく姿勢(剣術の修業が掃除から入るような?)につながって、先進国の技術を取り入れるのがうまくいった面もあるといいます。しかしいいのはそこまでで、昔からいわれているように、取り入れた技術を熟成させるところまではできても、まったく新しいものは生み出せないということにもつながります。

 このように自分たちで積極的に方向性が決められない国民性ゆえ、辺境人の国は“空気”によって動きます。じっさい、先の戦争は誰が始めたかわからないといいます。ドイツはヒトラー、イタリアはムッソリーニということになっていますが、日本はよくわかりません。いわゆるA級戦犯というのがありますが、キャラクターが浮かびません。なんだかわからない空気で進んでいってしまって、原爆を2発落とされるまでやめられませんでした。しかも、東京裁判では「やめようといえる空気ではなかった」と答えた戦犯がいて、日本は空気で戦争するのかと裁判する側が驚いたといいます。

 原発やその輸出がなんだかズルズル続いていて新しい方向に踏み切れないいまの日本は、まさしく『日本辺境論』に書かれたとおりの国に思えます。どこに行くんでしょうねこの国は。

 (15日に出たギジーのABSスピニング論にもこの話をからめようかと思っていましたが、文字数の関係で断念しました。つまり、同じ日本の中でも東京に近いダイワと東京から遠いシマノというとらえ方をすると、ABSのようなものを打ち出せたダイワとこと最近保守的に見えるシマノの説明ができるのではないか・・・ということです。もっとも、あれしきの部分を筆者に相談もなくカットするのですから、書いていたら掲載もされなかったでしょう。読者の方に相談です。「リールの話」は3回目以降も続けるべきだと思いますか?)

 先週は新潟小出に2回行ってきました。休憩を取りながら行くと1日仕事なのでいつも魚野川に釣りに行ったとき泊まる民宿に泊まりました。その民宿には開高健の色紙が何枚も飾ってあります。最初泊まったとき「ここ開高健泊まったことあるの!?」と聞くと宿の親父さんは言いました。「いや、レプリカや。全部わしが書いた」。おい! (2011/12/12)

 あったりまえの話((C)石原極右都知事)ですが、上の写真は今回小出に行って釣った魚ではありません。09年に銀山湖で釣った魚です。

 9日に泊まったとき、宿の親父さんが『イワナ棲む山里』という本を貸してくれました。その本はレプリカではなかったので、寝る前にちょっと読みました。内容は、銀山平の生活で、奥只見の魚を守る活動や北の岐川に計画されていた(いる?)揚水ダムの話なども出てきます。

 疲れていたので拾い読みしただけですが、そのなかに銀山湖でブラウンが釣れた話が出てきました。で、この本の写真も担当している秋月岩魚カメラマンが当時所属していた「奥只見の魚を育てる会」でそれを取り上げます。しかし代表の常見忠氏は「ブラウンがヤマメやイワナの稚魚を食べるかどうかをまず調べるべき」と主張したとされています。さらに、著者の足立倫行氏の問いに「ブラウンは釣って楽しい」「イワナだけでは釣期が短い。ブラウンが入れば地元も助かる」と答えたとされています。さらに、銀山平の宿の主人もブラウンに対してそれほど危機感を持っておらず、秋月カメラマンは大いに失望します。そのくだりの直前では常見氏のことを釣り具メーカーの経営者と紹介し、商売のためにそういっていると読める編集でした。

 私は、忠さんが銀山湖にブラウンがふさわしいと思っていたとは思いません。『忠さんに会いに行く』にも出てきますが、忠さんはけっして(都会の自然保護論者にありがちな)独善的な自然保護論を振り回す人ではなく、第一に地元の人の生活を考えていました。もしブラウンが釣れることで釣り客が増え、それを地元が望むのなら、外部の者がとやかく言うことではない・・・そういう意味で発言したのではないかと私は思います。

 銀山湖の自然を守る・・・といいますが、これは矛盾しています。元来がダム湖なのですから。本来の日本の渓流に、50cmのイワナが産卵のために押し寄せるようなことはありません。

 間違えてもらっては困りますが、だからブラウンが入ってもいいとか、環境が変わってもいいということではありません。銀山湖は今のまま残されるべきものだと私も思っています。でもそれは、自然保護とか生態系保護とかいうものではなくて、あれは文化だと思うからです。常見忠が大イワナに震え、開高健が小説を書くために滞在し、日本では画期的ともいえる種川の指定など魚族保護が行われ、数々のドラマを生んできた銀山湖は日本の釣りの文化です。だから残さなければならないのです。

 でもそれは、あくまで釣り人の世界での話です。だから、地元の人の生活を否定してまで優先されるものではない。忠さんがしたとされるブラウンに関する発言は、そこから来ているのではないか。私はそう思います。

 ところで、『イワナ棲む山里』の中で秋月カメラマンは、「銀山湖が芦ノ湖や本栖湖、中禅寺湖のようにブラウンだらけになる」と危惧しています。この認識もわかりません。これらの湖はいまブラウンだらけになっているのでしょうか。忠さんがブラウンに対してそれほど危機感を持っていなかったのは、これらの釣り場のことを知っていたからでしょう。もうひとつついでに突っ込めば、芦ノ湖、本栖湖、中禅寺湖には、元々マス類はいなかったはずです。そこから放流によって作られた現在の姿もこれまた文化でしょう。

 銀山湖で釣れたブラウンについて秋月カメラマンは「釣り人による密放流」と断じています。名古屋の水中映像制作会社のバカ社長(と呼ぶのはもうひとつ理由があるのだが二次被害を起こす恐れがあるので具体的には書かない)の徳山ダムのニジマス(?)や長良川河口堰のバスを釣り人の密放流とした番組といい、どうしてこうなるのかと思います。いつかも書きましたが、バスはともかくトラウトの密放流なんて、魚の入手、運搬、放流後の繁殖を考えたら、よほどのバカでない限りやりませんよ。それとも、私の想像を超えるバカが釣り人の中にいるのでしょうか。

 以前、庄川で会ったエサ釣り師が、椿原ダムでブラウンが釣れたといっていました。しかしそのエサ釣り師は、養魚場での混入ではないかといっていました。イワナやヤマメの養魚場の中には、ニジマスやブラウンを養殖しているところもあるでしょう。水源まで分けているとは思えませんから、上流下流の関係で飼っていれば混じることもあるのではないでしょうか。長野の犀川では養魚場から逃げたイトウが釣れた記録まであるのですから、養魚場内での混入がそれ以上の確率で起きても不思議はないでしょう。それを証拠もなしに「釣り人の密放流」とするのは、どういうことなのでしょうか。

 (『イワナ棲む山里』からの引用は宿で読んだ記憶によるので必ずしも正確ではないものがあるかと思います。ご容赦ください)

 (あらためてアマゾンで調べたら92年の本かね。20年も前の本に突っ込んでもしょうがなかったね)

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