業務日誌(2003年10月その3)

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10月31日 プチ日誌

 昨日オーバーステイの話題を書いたら、本日の当番弁護士は入管法違反の罪が回ってきてしまいました。噂をすれば何とやら、ですかね。
 おまけに勾留質問からの帰りの護送車(警察用語でこれを「逆送」という)が渋滞で遅くなり、接見が終わったのは9時過ぎでした。とほほ。




10月30日 オーバーステイの不起訴方針

 最近まで、検察庁は、入管法違反の不法残留(オーバーステイ)の外国人については、一定期間以上の場合は有無を言わさず全部起訴、公判請求という扱いをしていました。

 それが、最近取り扱いが変わったようです。どうやら単なるオーバーステイだけで、余罪がない場合には原則不起訴で入管に即引き渡し、という扱いになったそうで。

 180度の政策転換ですが、考えてみれば遅きに失したとも思えるものです。

 従前の「原則全件起訴」という扱いは、刑事手続きというサンクションによって、オーバーステイに対する抑止効果を狙ったものなのだろうと思いますが、はっきり言ってほとんど意味をなしていないものでした。

 まず、大量に起訴してみたところで、実際には初犯のオーバーステイだけの人を全員刑務所に送り込んだら、刑務所がいくつあっても足りません。そんなことに国民の税金を使うことこそばかげています。そこで、結局は、執行猶予をつけることになります。

 しかし、通常の事件であれば、執行猶予というのは、「今度やったら猶予取り消しだぞ」と釘を刺して、社会内で更生をさせるという意義があるのですが、オーバーステイの場合は、執行猶予になっても釈放されるわけではなく、そのまま入管引き渡し→国外退去となるのですから、判決を受けた本人から見ると、あまり「猶予」による恩恵を感じることがありません。

 そして、確信犯的に出稼ぎに来る(=再犯する)人は、今度は偽造パスポートで入国してしまいますから、前科などあってもなくても大して変わらないと言うことになります。

 国選弁護人も、単なるオーバーステイの場合、はっきり言って、何の弁護をしていいのか材料がないというのが正直なところです。裁判所も、個々の情状なぞ全く考えず、審理時間は30分で即日判決、という粗製濫造の裁判になります。

 それでも、刑事手続き自体に国費は確実にかかる。国費を結構つぎ込んでいながら、ほとんど効果のない刑事政策だったのではないかと思います。

 そんなわけで、意味のない刑事裁判を減らすという意味からは、今回の方針は歓迎と言うところですが、一方で外国人の人権問題に取り組む弁護士からは「刑事裁判の時間を利用して特別在留許可取得の活動をしていたのだが、いきなり入管に引き渡されてしまうとチャンスがなくなる」というブーイングも出ているとか。




10月29日 プチ日誌

 まだこじらせた風邪が直りません。熱っぽいまま本日は午後じゅう証人尋問。
 なぜかこの秋は尋問が入る事件が多くて、8月末から来月初めまでの間に、5件、のべ7回です。尋問は弁護士稼業の醍醐味とはいえ、これだけ尋問が入ると、その準備で目が回ってくる。。。





10月27日 弁護士5万人時代

 という特集が本日の朝日新聞朝刊で組まれていました。

 私が司法試験に合格した1993年の弁護士数は1万4867人。2003年10月の56期司法修習生の弁護士登録によって、初めて2万人を突破。2018年には5万人だそうです。

 実は、事態はそこでとどまるわけではありません。

 1990年までの司法試験合格者は、長らく400〜500人で推移してきました。裁判官・検察官任官者を除いた弁護士登録者の数が300〜400人。平均350人。司法試験の合格平均年齢が28歳くらい。司法修習終了時の平均年齢が30歳くらい。弁護士がだいたい70歳くらいまで働くとすると、実働可能年数が40年間。
 
 こうしてみると、1993年当時の弁護士の数は、350×40=14000という机上の計算値に非常に近似しています。

 さて、現在進められている司法制度改革により、司法試験合格者数は、2008年ころには3000人に増加することが予定されています。そこで、同じ計算をしてみると、裁判官・検察官任官も多少は増えるにせよ、毎年の弁護士登録者数が2600人と仮定すると、2600×40=104000人!

 つまり、2050年ころには弁護士数は10万人を超えるという計算になります。5万人どころか、2018年を過ぎても弁護士の数はずっと増え続けるわけです。

 まあ、弁護士の増員については言いたいことはありますが、国民が決めたことだと言うことで今更反対を唱えるつもりはありません。問題は、2万人が10万人になって、現在の「弁護士像」が維持できるか、です。

 本日の朝日新聞では、ビジネスロイヤーに脚光を当てていましたが、カウンターエリートとして権力・権威に対峙する姿勢が共有できない仲間がどんどん増えてしまうとすれば、悲しいことです。記事中のインタビューでも「向いてないと思われる人や希望しない人に、他人の人生を背負う仕事を強制するのには疑問を感じる」と国選弁護に拒否感を持つ若手弁護士の意見が紹介されていましたが、この発言が事実だとすればかなりショックです。「他人の人生を背負う」ことのつらさと喜びを感じたいがために、弁護士という職業を選ぶのではなかったのでしょうか。