「…や、離してっ! やめてっ…透…」 涙混じりの訴え。でも彼の腕は少しも緩まない。彼女を捕らえた両腕が、更に強く絡みついてくる。窒息してしまうほどの圧迫感。湯上がりでのぼせ気味の彼女はくらくらっと来てしまう。 「だって、千夏が服を着たら。また脱がせる暇がもったいないよ。菜花はまた夜中のミルクの時間があるんだ。とにかくはてきぱきと無駄は省いて…」 そう言いながら、バスタオル越しに千夏の身体をまさぐる。水滴を拭っているのか、単に触っているのか微妙な感じ。敏感なところに指が届いて、彼女が細い悲鳴を上げた。その甘い声に誘われて、更に手の動きが怪しくなる。もうたまらなくなって、湯上がりのピンク色に染まった首筋にしゃぶり付いた。透き通った香りが彼女をとても神聖なものに感じさせる。 「ああ、千夏…もう待ちきれないよ…」 「駄目っ…こんなところで…っ!!」 「あ…ああんっ…」 「…いいね、大きくなって。いつもの千夏も可愛いけど、たまには巨乳の千夏もいいかも。ほらご覧よ、こうして包みきれないほど、大きくて…」 「やあん…あんっ…、どうしてこんな風に…。菜花に上げてるときはこんな風にはならないのに。私、どうして…」 「と…透っ…! お願い、や……っ!」 「平気? 痛くない?」 心配そうに訊ねられても、もうまともに返事の出来る状態ではない。次第にたかまっていく身体が不安を遠くに押しやろうとする。奥へ奥へ、知り尽くしている長い指が器用に潜り込み、かき混ぜていく。指の関節が当たる入り口のところがちょっと痛い。出産時に切った部分だ。医師によって綺麗に縫合されてはいたが、やはり傷口なので少し腫れが残っている。 千夏は小さく震えていた。久しぶりで身体が上手く付いていかないと言うのももちろんある。でもそれだけではなかった。 「ねえ、透…やめて。私、怖いの…お願い…」 「どうして、やめなくちゃならないの…?」 「…頼むよ、千夏。これ以上、待たせないで。欲しいんだ、分かってくれよ…」 ここに入ってきたときから、上半身は何も身に付けていない状態だった。片手で彼女を支えながら、スエットを脱ぎ捨てる。そのポケットから、カサカサと小さな袋を取りだした。 「……っ!!」 千夏のそんな心内が読みとれたのか、透は喉の奥でくすりと笑って、ついばむように口付けた。千夏のしっとりとした唇がぴくりと反応する。そのまま、耳元に囁いた。 「…久しぶりだし。本当は千夏を生で感じたいけど…こればっかりはね。今は授乳中でも妊娠しちゃうことが多いそうだから。千夏の身体をきちんと休ませてあげるためにも、きちんとしなくちゃ…」 そう言いながら。肩からするすると身体の輪郭を辿る手が、やがて腿の辺りまで届く。 「…え? …やあっ…! ちょっと、透っ…!!」 「あっ…、ああっ!!」 「くぅっ…、いいっ…!」 「やああっ…どうしてっ!!」 「透っ…! やあっ…許してっ! あっ…ああんっ!!」 「あっ。駄目だ…久しぶりだから…もたないっ!!」
透としても、あの場でああ言うようにしようとは考えていなかった。でも、久しぶりに目の前に現れた美しい裸体に我を忘れた。一瞬たりとも我慢できないほど、自らが煮えたぎり、爆発しそうになった。その強引な行為がこうして千夏を苦しませているのか? 申し訳ない気持ちで一杯になった。 「…ごめん…、俺…」 「…千夏…」 「透…あの…」 「あの、ごめん。本当に強引で…あんな風に泣かせるなんて、俺…」 「ううんっ…、違うのっ!」 「あの…っ、透――」 「私…変わっちゃったでしょう…? ねえ、おかしくなかった…? 良くなかったんじゃないの?」 「え? …千夏?」 「何で? …すごく良かったよ。千夏がこうして感じられて…」 「…嘘よっ!!」 「…千夏?」 「だって、あんなに大きな赤ちゃんが出てきたのよ? たくさん押し広げられて…私の中、おかしかったでしょう? …緩くなったでしょ? …透、物足りなかったんじゃないかって…」 「私、おなかも胸も…みんな変わっちゃって。こんなにみっともなくなっちゃって…透に申し訳なくって。もう…呆れちゃった?」 そんなこと、全然ないのに。どういって慰めたらいいのか分からないほどに打ちひしがれている。もしかして、今までずっと拒んできた原因はこれだったのか? 泣きじゃくる人を見ているとどうしたらいいのか分からなくなる。しかし、それと同時にまた新しい欲求が浮かんでくる。 「千夏…本当に…」 「そんな風に考えないで。…愛してるよ…、だからもっと感じて。千夏は俺の子供を産んでくれたんだ、前よりももっと素敵だよ…」 「え…? あんっ…、駄目よ、もう…私…っ!!」 「好きだよ…千夏。最高だ、たまらないよ、もう――」 身体の奥まで味わう。もつれ合ったまま、深いところまで沈み込んでいく。ふたりの夜は長く長く続いていた。 透の腕に抱かれていつしか眠りにつく。千夏はこの上ない幸せに打ち震えていた。身体のけだるさまでが甘い囁きにかすめ取られていった。 私は自分でも恋愛小説家になれるかも知れないと思いました。だって、あの槇原さん夫婦を思い浮かべると自分が経験したこともない素晴らしい妄想が湧いてくるのです。 息子をばってんおんぶしながら、いそいそと家事を片付け、ベランダのささやかな花壇に水をやり世話をします。この前衝動買いしてしまった色とりどりのガーベラ。ガーベラって宿根草だって知ってました? 枯れてもちゃんと次の年には残った根が新しい芽を出すのです。ガーベラには本当に色々な種類があって、私は色々な色のポットを手にしてしまいました。 重なり合った花びらに水滴が弾けていきます。太陽に光に輝いて、キラキラ。ああ、何て素敵。でもうっとりしている暇もなく上の娘の沙也佳が私のエプロンを引っ張ります。 「ね〜、ママっ! こうえんにいこうよう〜〜〜」 その言葉を聞くと一瞬でげっそりしてきます。世のママさんたちの中にもそう言う方が多いのではないでしょうか? だって、『公園に行く』と言うのはただ、子供を公園に連れて行って遊ばせる、と言う行為には留まらないのです。もっともっと大変なことが待っています。
………
一時、新聞等を賑わせましたよね。あれです、あれ。何しろ世の中には色々な人種がいるのです。まあ、日本人なのだから、多少髪が赤くても黄色くても化粧がケバくても、外見は似たようなモノと言えるかも知れません。 でも…違うんですっ!! 高校時代のクラスを思い浮かべてみれば分かります。私は女子校でしたから、クラス全員女でした。それどころが朝礼で講堂に並んでもみんな女です。ただっぴろい講堂に並んだネイビーブルーのスカートたち…入学式の時に、もはや異様な光景だと思いました。 はっきり言って、そんな面倒なこと、と思いました。でも私が行動を起こす前にクラスの中でも目立ちたがり屋の女がみんなに煙たがられるようになりました。そうすると、クラスの女子たちは、何とも陰湿な行動を取り始めます。彼女の周りの取り巻きをひとりふたりと抱え込み、最後は孤立させました。 「私の彼はこの辺の族なのよ!! 頭なんだから、偉いんだからっ!!」 あの張り巡らされた蜘蛛の糸の中を巧みに動くような学生時代から較べれば、仕事上の人間関係なんて簡単なモノでした。仕事をしていればまずは安泰。先輩には逆らわない、後輩には必要以上に入れ込まない。ことを起こすときには証拠を残し、後から自分が困った立場に立たないようにする。服だって派手にしない(おじさん密度が高かったから、その辺は妙なチェックが入るのだ)。 万事が上手くいっていました。それが結婚して妊娠して、子供が出来て。赤ん坊とふたりきりで昼も夜もない生活をしているとさすがに萎えてくる。近所に仲の良い友達もいなかったし。 アパートの窓から、いつも小さな子供の歓声とブランコのぎーぎーと言う音が聞こえていました。あそこに行けば子供がたくさんいるのでしょう。独身時代や子供がいない頃、公園はとても遠い目に留まらない存在でした。でも私は母親なのです。子供と新しい世界に踏み出して行かなくてはなりません。友達作りもしたいです。 そう言うことで、旧式のでかいA型ベビーカーに娘を押し込み、朝の家事が終わった10時半頃、秋の深まった公園へと出ていきました。青空の下、御砂場で遊具で思い思いに遊び回る小さな子供たち。ああ、何て微笑ましい…と思いつつ、ベビーカーの車輪をちょっと上げて、公園に入ろうとした瞬間。私は辺りがぎゅっと緊張したような気がしました。
………
保育園での一時預かりが終わってしまったこともあり、娘は誰かと遊びたくて仕方ないようです。私はふうううっと、大袈裟にため息を付きました。心の中にある不安とかそう言うモノを吐き出すように。 それからおぶっていた息子を一度下ろすと久しぶりにきちんとメイクをして、一張羅のミキハウスのトレーナーを娘に着せ、お揃いのモノを自分も身に付けました。トレーナーに合わせてデニムのスカートをはかせ、その下にはちゃんとオーバーパンツ。もちろんフリル付きの可愛い奴です。最後に髪を綺麗にリボンでちょんまげしました。 さあ、いざ出陣ですっ!! そして、ベビーカーを押して、歩いて5,6分の公園までやってきました。さあ、ここからが大変です。沙也佳はそんな私などお構いなしに、お友達のいる遊具の方に走っていきました。 「あらあ、さーやママっ! 久しぶり〜」 すぐに、ピタTに下も脚の線がくっきり出る細〜いブラックジーンズを履いたラメラメメイクの女性が近づいてきます。髪は孔雀みたいに色んな色に染め上げ、あちこち向いてるつんつんしたかたち。街ですれ違ったら、ちょっと怖いな、とか思うような感じの。でも私はにっこりと微笑んで答えます。 「まあ、すいちゃんママ。ご無沙汰。今日は、みんないないの?」 子供は親を選べません。でもママは公園のママ友達を選べないのです。いくらママ同士が仲良くなれそうでも、子供同士の相性が良くないと。 子供なんてどれも似たり寄ったりのわがまま野郎ですから、寄ればケンカになります。物の取りっこ、順番の問題、砂がかかったかからない…等々。大人しくて立ち回りの上手い子供を持ったままはラッキーです。でも乱暴者の子供を持った人などは、始終、針のむしろの上に座っているようなものです。 幸い沙也佳は女の子ですし、おっとりした性格なので、泣かされることはあっても泣かせることは稀です。 「う〜ん、実はね…」 「うちらのダンナの会社、業務を縮小して。でもって、急に工場閉鎖になっちゃったの。ウチの社宅、みんなダンナが工場に出ていた家ばっかでしょ? 実はウチも来週、引っ越しなんだよね〜」 「まあ…」 私は、一瞬、目の前が真っ暗になっていくような気がしました。 これから、もう一度グループ作り? 嘘でしょ? もうみんなはっきりと出来上がっていて、今更入れない…。 そう思いながら、振り向くと、公園の入り口のベンチの辺りでたむろっているちょっと若そうな一団があります。みんな、ベビーカーを手に楽しそうに談笑してます。そっと覗き込むと、知ってる顔を見つけました。 「あ、…ああ、石川さんっ!!」 私はすいちゃんママに沙也佳をお願い、と目で訴え、その輪の中に入っていきました。沙也佳とすいちゃんは仲がいいのできっとふたりで遊ぶでしょう。石川さんはマタニティーの教室で一緒だった人でした。今日もすごい服装です。気が付かないわけもありません。この頃姿を見なかったのは里帰り出産だったからでしょう。 「うわ〜、良かった。小林さんのところも男の子? 良かった〜ウチだけだったらどうしようかと思ってたのっ! …ねえねえ、見てみてっ! この子、隆って言うの」 ぐいぐいと腕を引かれて、ベビーカーの前にたたされる。セーラーカラーの愛らしい服に身を包んだ、いかついガテン系の顔の男の子がこちらを睨んでいました。わああん、目つきも怖いっ! 「まあ、可愛いっ!」 「でっしょ〜!?」 本当は服が可愛かったんだけど。そう言うしかないでしょうよ。石川さんはマタニティー教室にいた頃からすごかったのです。だって、全身フリフリで花柄でレースのあのブランドの重ね着を来ていたのだから。赤い靴までそうだという。髪に結んだリボンも。娘とふたりでピンキーになる夢は男の子誕生で破れたのかも? 「あれ…?」 「…槇原さん…」 「こここ、こんにちはっ!」 「あらあ、小林さん。菜花ちゃんママと知り合い?」 「菜花ちゃんママ、ウチのマンションの隣りの棟なの。今日は誘ってみたんだ」 いつも恥ずかしそうにしている彼女が、もっともっと小さく見えました。だって、彼女の周りにいるのは年齢も服装もバラバラのママさんたち。初心者はびびるわよ。 かくいう私だって。2年前はびっくりしたわ。だって、『ママさん』って、年齢がバラバラなの。子供の年だけで、月齢だけで仲良くなるから。下は20代そこそこから、上は40代に足を突っ込んだ方まで。千差万別とはこのことを言うのね。 皆一通り、子供の名前と月齢を言っていきました。みんな7月から9月の間に産まれた赤ちゃんです。小さいウチは何ヶ月か違うと体つきも発育も全然違う。だから月齢の近い友達でなくては上手くいかないのです。ざっと見渡して7,8人? コレが新規のメンバーかしら。 服装もそれぞれ違いはあれど、皆高級デパートにテナントで入るようなブランドモノを着て来ています。もちろん子供も。まあ、子供がファミリアで親もファミリア、と言うのはないかも知れないが、そう言うときはファミリアカラーのパステル調の服をママは合わせる。 私もミキハウスにはうるさいほうで、どんなに食事が貧しくても、着道楽なのだ。あのビビッドなカラーを見ると胸が休まる。もう病気と言っていいかも知れない。 それなりにファッションにうるさい、おしゃれなママの集団だと言うことか。ふむふむ。 上の娘の沙也佳の幼稚園仲間はこれから発掘しなければならない。でも晃の方はコレで決まりだろう。きっと幼稚園も小学校も一緒になっていくんだわ。心していこう。 そして何より。 そのメンバーに槇原さん、改め菜花ちゃんママがいるのが嬉しい。ああ、コレでずっとあの夫婦とお付き合いが出来るのね〜世はバラ色〜。 あああ、嫌だわ。口元があやしくにやけちゃう。 私はコンタクトがずれた振りをして、下を向き、うっとりと幸せに酔いしれました。 |