加藤拓郎さん 日本一決定戦について 2010年3月8日ダメハウス home

     大室佑介さんに聞く 2010年3月8日ダメハウス   
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その01
  
加藤:この会(ダメハウスナイト)の概要から説明したいと思います。まず日本一決定戦について僕から歴史、出展者データなどの概要を発表してその後大室さんの講演、そのあとは昨日の日本一決定戦や、大室さんの話を踏まえたうえで卒業設計日本一決定戦とか修士設計、展覧会などについて、皆で意見を出し合って、場を盛り上げて行きたいと思っています。今8時15分ぐらいなので、2時間くらいですかね。

第二部はいらっしゃる予定だった本江先生がいらっしゃらなかったんで・・ふふふふ・・議論の場について、主にツイッターとかUST、個人のメデイア所有の時代における、議論の場について語っていって、落ち着いたところで朝まで懇親会という流れです。
乾杯しましょう  大室さんようこそ。

 かいじょう 乾杯! 乾杯!

 



これまでの経緯 

加藤:それでは第一部の卒業設計日本一決定戦について、僕から発表させていただきます。ぼくは学部1年生の頃から卒計日本一の運営に関わっていました。まずは運営している団体のやていることだとか、普段の活動など。そのあと簡単ですが僕なりに感じている今の現状を今年も踏まえた上で歴史を俯瞰しながらみていきたいと。じゃーはじめまーす

会場 ぱちぱちぱちぱりちぱち

卒業設計日本一決定戦の歴史について。ジャズBGM消してください。2000年にメディアテークが伊東豊雄さんの設計によって出来ました。で、地方都市を大きく変えるようなインパクトを持つメディアテーク、金沢における21世紀美術館などもそうですが。が出来たという事件。さらには福岡の学生の設計イベント、デザインレビューなどを参考にしながら、当時東北大学にいらした阿部仁史さんが発起人となって、仙台建築都市学生会議という団体が組まれました

その学生会議と阿部さんをはじめとするアドバイザーメディアテークが中心になり、仙台から建築のムーブメントを興そうということでこの日本一決定戦のイベントが始まりました。

これは出展者のデータなんですが、この卒計日本一展は全国でも最大規模の卒計展であって、今登録者数が右肩上がりで増えています。最初2003年152点だったんです。2008年498で、2009年が524ぐらいで、今年が555作品です。歴史的には8年くらいですね。

佐藤
:2007年がピークなんですか?

加藤
:いやこれは登録者数で実際に送ってきた人が下の出展者数。右肩上がりで増えてます。沖縄から北海道まで。日本一の文字通り日本全国から出展者が仙台に集まります。

この卒計展というのが仙台以外にも飛び火して行きます。大きな処でいうと東大、東工大、芸大の合同講評会。これはしっかり難波さんが仙台を観てそれに触発されて始めたと記述があります。あとは歴史的にはどちらが先かは忘れてしまいましたが、デプロマ京都。京都六大学の卒計イベントですね。その外、卒てん、てつそん、dipcolle、新潟、赤れんがなど色々、卒計展は色んな処で開催されていくようになります。修士設計展はたぶん今一つしかなくって、東京建築コレクションがありますね。

これは2004年の審査員の方々。これは2005年です。この2005年の卒計日本一で大室さんのゲルニカミュージアムが日本一を獲得されています。この時は委員長が石山修武さんです。その外 青木淳さん、竹内さん。当時はまだ6階でこのように、地べたに座っていますね。


(加藤 2006年から運営に関わる)

これは2006年ですね。僕は当時1年生で、この2006年から運営に関わっていました。この時の出展者では日本三を受賞した大西麻貴さんなどが有名でしょうか。この仙台から、ステップアップして建築家的な立場。

これ2007年の審査委員、の方々です。2007年で藤田桃子さん、京都大学の方がキャベツという作品で日本一を獲得されて。この頃から京大勢の勢力が強くなって来た印象があります。

これは審査ファイナルの様子です。この2007年だけはメディアテーク公開空地の1階で審査をして、そこに人が溢れすぎて消防法的にちょっと危険、ヤバイ感じでした。正確な数は分からないですけど。ゆうに千人、2千人ぐらいですかね?これは拙いということで、翌年の2008年はメディアテークからはちょっと離れた国際センターという会場でファイナルを行いました。国際センターは千席のキャパがあります。

この頃からこの日本一を取り上げたテレビ番組が出来たり、新聞やラジオなどに取り上げられる事も珍しくなくなり、この仙台卒計展のメディア露出が拡大していきます。

これが2008年、国際センターのときの審査員です。遠藤秀平さんとか、伊東豊雄さん、貝島さんとかですね。この08年僕は3年生で日本一決定戦の副実行委員長を務めていました。この年はけっこう審査が面白くって、京大の橋本さん、この方が日本一を取ったんですけど。伊東豊雄さんがこの橋本さん一押し、一方で五十嵐太郎さんがこの斧澤さん一押しという対立構造ができていて、五十嵐太郎に「貴方に会えてよかった」と言わしめた斧澤さん。私の家教会または牢獄という作品が、日本二位になりました。日本三位は京大。だからワン・スリーで京大ですね、2008年も強かったです。

で去年ですね。阿部仁史さんがリノベーションした萩ホールが竣工して、1100席の萩ホールで、2009年以後ファイナルが行われるようになりました。その年は難波さんが審査委員長で、今年は隈研吾さんが審査員長です。この年の作品などについてはオフィシャルブックなど見ていただければと思います。

で、一応日本一決定戦の大まかな歴史とデータの紹介はおしまいにして


 仙台建築都市学生会議

加藤:これを運営している仙台建築学生会議という団体について、今から少し説明したいと思います。この学生会議という団体は、今五つの大学から大学の有志が集まって、運営している団体です東北大学東北工大、あと宮城大と山形の東北芸術工科大学、あと宮城学院女子大学の5つの大学です。2年ぐらい前からこの宮城学院女子大学のみなさんが入ってこられました。当初は4つの大学でやっていましたね。

この学生会議のアドバイザーとして東北大の阿部、小野田、本江、五十嵐。あと芸工大の竹内先生、今神戸大に行ってしまわれましたが槻橋先生。宮城大の中田先生。東北大の今UCLAの阿部仁史さんのリサーチフェローをなさっている堀口さんなどがついてくださっています。

さらに、この学生会議とアドバイザーの2者だけではなくって、メディアテークの学芸員の方々とも、一緒に会議をしたり、交流というか意見交換ですね、しています。

学生会議はこの日本一決定戦の運営の外にメディアテークで開催される建築系の展覧会だとか、毎年夏にギャラ間でやっている卒計日本一展なども運営しています。夏休みとか冬休みとかお盆休みはありますけれど、毎週水曜日にメディアーテークの7階に集まって、会議などをしています。誰でも参加出来ます。一回しか来なくって帰る人もいます。

これは08年かな。仙台日本一直前の様子ですね。東北大の製図室です。これは日本一当日の裏方の様子。

(アドバイザーとの関係)

この学生会議、普段は学生だけで、こんな感じで会議をしていますが、2ヶ月に1度ぐらいに、定例会と言って、アドバイザーの方々に学生から今こういう現状になってますよと報告をしています。ポスターやパンフレットなどのデザインを見てもらったり、当日のタイムスケジュールや審査方法、人員配置、企画などおかしい処があったりしたら、指摘して頂いたりしています

こうやって新聞に載ることも、当たり前 的な感じにもう。凄く有名になってきました。これは学生会議で運営したメディアテークで行われた展覧会ですね。スポンサーの日建学院さんとか、仙台放送さんが作ってくれたDVDだとか、凄いメディア露出も高まって来ている、ちょっと大きく成りすぎたかな?という印象もあります。

これはギャラ間の展覧会です。これが設営の様子です。


 ファイナリストの 現在

加藤:仙台を経験しキャリアを重ねていらっしゃる大西麻貴さんを筆頭に、仙台の受賞者はいま何をしているのか、仙台が将来のステップアップとして役に立つのかどうかが、個人的に気になって、少しだけネットと人脈をつかって調べてみました。

03年に日本一、日本二を受賞された庵原義隆さんと秋山隆浩さんは共に、伊東事務所に勤務されています。04年に日本二を受賞された長尾さんは横河設計工房というところにつとめていらっしゃいます。

大室:一位は今青木事務所に行っているはず

加藤:ああそうなんですか?

大室:2004年の一位
加藤:本当ですか、あ、メモしておきますね。04年

大室:宮内って言う人、東大の人です。

会場オフィシャルブックに載っている

加藤:載っていると思います、05年の日本一が大室さん。

会場:この他の受賞者の方は行方不明なんですか

加藤:そうですね、検索しても出て来なかったりする。

会場:藤田さんていう方は設計レビューで鹿島賞を取った

加藤:藤田桃子さんですか、今京大にいらっしゃいですね。修士に居ると思いますね。学生は学生ということで一応ここに載っけてないので。

佐藤:追っ掛けてなないんだねその後の活動などをね。今回大室さんを呼んで初めて「ファイナリストのその後」聞かせてもらうと

加藤:初めてですたぶん。過去の受賞者のインタビューは何度か学生会議で行ってきましたが


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