寺田真理子さん と 建築あそび 記録 2003-10-04 
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 学生時代01 SD編集 01 
  オランダでの展覧会NAI010203040506  2部 オランダでの生活 

NAI オランダへ

ここからSDで9年間やってなぜオランダに行くことになったかという話に移行しようと思います。さきほどお話したように オランダでは建築の背景にある社会システムが面白いこと。結果的にその中で生まれる建築も面白いんです。現代建築ばかりか、都市計画からモダニズムの建築まで。オランダでは都市計画の歴史長いというのも、建築と都市の関係性が明確なんだともいえる と思います。
  
そのオランダ特集は、吉良森子さんという、オランダに住み着いて10年にもなる建築家の友人が建築家と企画し、編集しました。非常に楽しい企画でした。

 実は特集を編集しているときに、彼女から2000年の日蘭友好400周年のイベントして、「日本の建築を紹介する展覧会を一緒にやりませんか」、という誘いを受けました。

 オランダの第二の都市、ロッテルダムという港町にはオランダ建築博物館という、世界でも数少ない建築博物館で、。

 ロッテルダムから出航した船が長崎に1600年に到着し、オランダと日本の交流が始まって400年。それを記念して、日本では「オランダ年」、オランダでは「日本年」ということで、日本の文化を取り上げて様々なイベントが行われていました。

 
私自身9年編集をやって、SDをずっとやっていくことに対して、辞めたいという気持ちは一度もなかったんですが、同じような環境の中でずっとやっていて行くことに対して「環境に甘んじてしまって、面白いことが仕掛けられなくなるのでは?」という心配はいつもありました。また私の周辺では外国に飛び出して建築事務所や学校に行くという友人もいたりしたので、私も「そういう可能性にトライしてみてもいいのかな」と強く思いました

仲良くしていた友達が、文化庁の奨学金を取ってスペインで建築事務所に行ったこともあり、「奨学金もらいながらオダンダに行くという考え方もあるのか」と思い、文化庁の奨学金にもトライしてみました。一応、メディアを考える建築家として応募したんですね。「メデイアも建築を作っていく側にあるんだ!」というような立場で、「そういうシステムをオランダで学びたい!」ということで応募しました。

 第一関門の建築家側のJIAでは、審査員の皆さんには理解していただきパスしたんですけど、肝心の文化庁では私は「建築家ではない!」と門前払いを食い、文化庁の奨学金はやむなくあきらめることに・・・しかし、オランダ政府奨学金というのに幸いにして取ることが出来たので、1年間奨学金をもらって、オランダ建築博物館で99年9月から働き始めました。

 「外国で暮らしたこともない上に、実は私は一人暮らしもしたこともなかった」ので、当初は様々な生活上の困難がありました。またオランの人は基本的には英語をとても流暢に話すので大変な時期もありましたが、「英語の中でのコミュニケーションでなんとかやって行こう」と努力し、一方でいろんな人達が支えてくれました。


私の建築博物館での仕事の内容というのは、「日本の建築を紹介する展覧会Towards Totalscape展)」をキュエーションしていくという仕事だったんですけども。

オランダでは、2000年は1年間 日本年 なので、「日本の文化に関すること」をいろいろとやりたいというビジョンが建築博物館にもありました。

 働き出して1ヵ月後の10月末に、「2000年の1月からのプログラムを考えてくれ」といきなり言われ、限られた時間で何ができるのかと不安になりながらも、考えることに。

オランダ建築博物館では1月に必ずやっているのが「建築と映画」の関係した展覧会。というのも、毎年1月末にロッテルダムではロッテルダム国際映画祭が開催され……。この映画祭ではいろいろなことと絡めながら、映画を含めて盛り上げて行くような姿勢があるので、オランダ博物館もそこで協力をしているのです。


そこで、私たちが提案したのが、映画美術と都市をテーマにした展覧会です。種田陽平さんという美術映画監督の方の映画美術を紹介する展覧会です。
 種田さんは「スワローテイル」ですとか「不夜城」とか「死国」とか最近では「冷静と情熱の間」にとか、もうすぐ開催されるタランティーノの「キルビル」の映画美術を手掛けられています。そういった種田さんの映画美術における建築空間あるいは都市空間を紹介するのがいいんじゃないかと、私たちは提案したんです。

 私自身、「スワローテイル」を観たときに「あの架空の都市の作り方というのに非常に興味を持ちました。すごい強烈なインパクトがあって」。それまで、日本映画で描かれる都市に対しての感動ってあまりなかったんですけど、自分のなかで明らかに「スワローテイル」で描かれた、「アジア的であり日本的のような都市の描き方が中間的でとても面白い」と思っていたので、「よしこの人だ!」と判断し、動き始めました。

この展覧会に対しては、私に任されてしまって……。私は展覧会の企画の経験なんかなかったんですけど、「とにかくやるしかない」 と思ってがんばりました。9月にオランダに行ったにもかかわらず、11月には日本に出張として日本に帰国することに。早速 種田さんにお会いして、話を進めました。

 種田さんの展覧会がどんなものだったのか、説明しながら写真をお見せします。予算も少なかったので、オランダ建築博物館の「1階のエントランス・ホールを使ってやってほしい」ということでした。「エントランスとしての機能があるので、受付から見えるようにしなければならず、あまりにも塞いでしまわないように」という博物館側の条件でした。

 さらに、展示のための壁は、ストラクチャーとしての「梁を使ってそこに壁を掛けるやり方を考えてほしい」という条件もありました。

種田さんが手掛けた映画美術の作品は、都市というような問題を描いたモノから、とかとかを描いた作品もありました。

 例えば、都市でいえば「不夜城」なんかは新宿の歌舞伎町を表現したようなものから、あるいは「スワローテイル」は、幕張につくったらしいですが、アジア的な町を。「死国」で描かれているような村、つまり漁村が舞台でした。ですから、展覧会のテーマも、種田さんの著書にもある「Town for the Films」、つまり映画のための町ということにしました。”Town for the Films- - From City in to the Village”。「町から村へ」というようなタイトルで展覧会を企画しました。

基本的には種田さんか描いたスケッチと、そこからセットが出来ていくというようなプロセスを示すような、セットとオリジナルスケッチ、あるいはミニチュア模型を使って表現しました。「種田さんの映画の中の都市空間みたいなものを表現しよう」と思ったんです。

展示パネルは、種田さんの中のテクスチャーみたいなものを表現した、土壁みたいなものつくりをパネルにしました。日本の土壁なんか見たことのないオランダの職人に、色を塗ってもらって、竹を利用したり、木を利用したりしながら、展示空間をつくりました。

結構、前例がないくらいしっかりと作ってしまったので、出来たあとに、散々館長に「こんなにお金をかけて!」と凄く怒られちゃったんですけどね。

でも、オランダの人達にとっては、とても好評でした。大体オランダ人が知る日本というのは京都だったりあるいは東京だったりして・・本当の、自然だったり農村だったり漁村というような所を知らないので……。映画では、実際の都市を使いながら架空の都市を描かれているけれど、種田さんの映画美術を通してみるとリアル」と「架空」がインテグレートされてしまって、不思議な空間でもありますが、それも楽しんでもらえたようです。


この「Town for the Films」の展覧会のオープニングでは、種田さんにも映画評論の方と対談してもらい、大いに盛り上がった。
 またちょうどこの2000年のロッテルダム国際映画祭では、日本年ということもあって、日本映画が数多く出展していて、「バトルロワイヤル」の深作欣二さんが来たり、他、黒沢清さんとか著名な方が来ていてとても盛況でした。

 


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