2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

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 番外編  名古屋 小林聖明  東京 太田浩史 松島潤平

  山本麻子さん編   8月03日pm3時〜  晴れ 

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 その03  

竹口1年ということにしておいてください
佐藤1年
山本:1月に辞めたのかな。きりよく12月に辞めたって

佐藤:フランスから戻り、東京へ行って戻って。また京都に戻ってこられたんですか
山本:そうですね。
佐藤:まだ98年ですよね。
山本:そうですね、

佐藤:98年だと、独立したちゃたわけですか。
山本:そのときに、竹口にところに仕事が入ったので。それは好いな〜とおもって。
佐藤:同棲生活をしていたということですか
山本:同棲生活はしたないですけど。仕事を一緒に

佐藤:仕事が来た、一緒にやろうと。
山本:やらしてもらおうと、どっちかと言うと
佐藤:そもままなれ合い結婚ですか
山本:そのまえに、大学院の時に、ちょっと設計をやっていたんですけど。
佐藤:こいつは一緒に出来そうだみたいな

竹口:結婚の話は、あんまし面白くないから
山本ははははははあはっ

竹口:
公にしてもしょうがないでしょう。
佐藤:いやそれは聞いてないから判らない、もの凄い面白い建築家どうしのなれ、合いがあるまもしれない、面白くない結婚であったと、その話もテープ起こしますから。
山本:そうですか

佐藤:なんで面白くないか聞いてないから、竹口さんは自身の話なんで、面白くないかもしれないけど、建築界に女性は少ないのですから観客は面白いですよね〜
山本:面白いって、みんながそうだったのか〜って。なるほど。そうだったんかって。

佐藤:2001年に結婚したのはわかったんですけど。大学院時代に設計始めて一緒に活動はじめたって言いましたよね。
山本:ふん
佐藤:それは共同設計っていうことなのかな、課題を一緒にとりくんでやっていたと、同級生なんですよね。お互い忙しいじゃないですか。お前の事をか、まっている、暇はないじゃないですか。 共同で卒業設計提出って、ありなんですか

山本:いや、そのときはそういう考えは 全然 
竹口:なかった
山本:そんな感じでなくって。
佐藤:山本さんから戻って来て。まだ3年ありますよ。
山本:それでもう基本的には

竹口:あとはずーっと一緒ですよ
山本:そうだね。
佐藤:二人でやったり。独立でどこかの事務所には勤められなか、ったということですね。
山本:山本理顕のところだけです。
佐藤:終わってね、あとはプー状態なのかなんだか判らないけど
山本:はい
竹口:仕事をラッキーだった。

佐藤:その間はフリーターのような建築家のような。事務所の看板はあげてなかったのでしょう。、自分の名前の
山本:そうですね。何時からあげたかな
佐藤:正式に事務所名をあげて活動しはじめたのは、結婚なさってから。
山本:いや〜それより前
竹口:ちょっと前や
山本:ちょっと前かな。

佐藤:このあたりが曖昧に事態は進展していてたと。事務所始められたのはもう二人でやろうよっていうことで。名前は別々だけども。一応一緒の事務所でもやっていきましょうしょうと。両方とも意匠ですよね。

山本:そうですね
佐藤:考え方違わないの?
山本:それもあるんですけど。設計するのってけっこ手間暇掛かるじゃないですか。一人で何もかもやるのって ふふふ 大変な事
佐藤:竹口さんに押し付けようという魂胆なんですか
山本:いやいや、お互いに ふふ

佐藤:お互いにって、都合良く互いに勝手に解釈して、二人でいると
山本:そうですね。
竹口:何かその、あのね、何か
山本:雇うのも何か

竹口:私の話になってもいいですか
山本:あはははははあ

 (何でもあり 目覚めた 竹口学部生)

佐藤:
いいですよ、ジャコ、この辺で曖昧に成ってきたので、じゃー竹口さんの方の方の話。竹口さんは順調に。大学生活を終えて。大学院は行かれたんですか

竹口;何か大学院に行って
佐藤:やっぱり竹山研ですか。
竹口:歴史意匠研の方で加藤研究室って言いまして。
佐藤:私が判らない人ですが、歴史の研究ですか

竹口:歴史、と両方やっているんですよ
佐藤:は〜ああ
竹口:歴史もデザインも。建築論研究室でもあるので。いわゆる増田友也先生の、それが父親が構造研、研究室で増田友也の作品とずーっと手伝ってましたから。そういう意味ではまあ。一応

佐藤:親密な感情が沸いて
竹口:そうですね。顔なじみではあったんですけれども。まあ非常に建築の、建築で何が出来るかよりかは、建築とは何かというような。議論をするような建築スタジオで。
佐藤:とは何か、だから凄い 概念的な議論ですね。 それは2年ほどで 解決できるような、問題じゃないような気もしますけども

竹口:
そうですよ、だからなかなか解決する。というものでもないから。しれないし。論を重ねていく
佐藤:皆さん議論をすることが好きになって。論文書かれたんですか。そこのテーマで。ということは。
竹口:研究室で、ですか。
佐藤:え、修士の論文
竹口:いや、あの


佐藤:実作で、OKですか
竹口:一応、論文なんですけども。 今で思うと、作家論みたいなものだったので
佐藤:概念ろんじゃんくって 建築作家論、 建築家の作家としてのストーリーを、歴史を

竹口:
作家が何を考えているのかっていうことを。そのAAスクールで。留学していたときに、SMXLっていうコールーハースの著書、分厚いのが出たところだったんで。それを翻訳も無い状況で。何を考えているのかなっていう事をちょっとまとめてみたらっていうことなので。

佐藤:なるほど、じゃあ簡単にコールハースの作家としての話をしてください、どんな感じなですか。かれはシナリオ・ライターですよね最初は
竹口:そうですね、はじめはジャーナリストですね
佐藤:ジャーナリストなんですか、シナリオ・ライターどっちなんですか
山本:ジャーナリストなんじゃないかな
竹口: ジャーナリストであり、シナリオも書いて

佐藤:なんだっけ デリリアス・ニューヨークでしたっけ、あの本にはシナリオライターって書いてあたので。僕はシナリオライターだから出発したと思っていたんですけど
山本:シナリオふうに書いているっていうのかも知れない
佐藤:あの本を読んでみてジャーナリストの文章とはとても思えないんですよね。あの内容ではジャーナリストの文章としては失格じゃないですか。おおかた作り話ふうだもん

山本:
そううなんですかね
佐藤:この方はシナリオライターなだと思い込んでますけどまたは詩人のような書き方をする
山本;あの段階では建築家のつもりだったとは思うで
佐藤:本人はね

山本:本人は、っていうかたぶん彼の行っていたAAスクールで、たぶん評価されて。それなりの。
佐藤:竹口さんはコールハースの作家論を書いて。一応修士を終わって、博士課程は行かれたんですか
竹口:行ってないです

佐藤:勉強はこれで一応いいと、あとは 自分が作家になろ〜 みたいな
竹口:なんていうか。大学院に在籍してたのも。何やっていたかと言ったら。どちらかと言うと設計をしていたというかね。設計論を考えていた。

佐藤:今は修士過ぎて何年経たれましたかね
竹口:僕が留学したのが、
佐藤:修士終わってから留学されたんでしょう
竹口:修士を休学して

佐藤:あ、休学してですか。何年ですか
竹口:98年に終了してます。
佐藤:で京都大学を終わったということですか。
竹口:そうですね。途中にAAスクールに行って1年間

佐藤:AAスクールは1年間ですか
竹口:一応もう1年やれとか、アレクハンドラザエラポロには言われたんですけど。「まあちょっと」
佐藤:やめて
竹口:やめて。はい。一応その学年のディプロマはパスしたんですけど。ちょっと先ほどの話に戻りますとね。高松先生の課題やったときに。

佐藤:はいはい

竹口:
詩的なっていう、僕はまったく逆の印象受けて。えーとね。新建築住宅競技かなんかで。丹下健三の課題のときに。高松先生が入選された、プロジェクトの話をぼくの、 みて話をしはったんですね。それがね、何ていうか。近いところを狙ってるというと偉そうなですけれども。何て言うか。何でもありなんだなと。設計演習の課題っていうかたちを採っているけれども。何をやってもいいんだ面白かったら作りたい物、作ったらいいんだ ということを、その課題を通して理解したといいますか。それからもう何ていうか。あとはもう色々。色んなことを調べながら。 自分でこう面白い物、どんどん作っていって。 生意気に言いますと、世界を変えていけるんだ という感覚がその時に起きましたというかね。


佐藤;それは大学
竹口:学部の3回生の時の高松先生の課題をやったときに、好き放題自由に楽しくやったらいいんだ よっていうことを。多かれ少なかれ思ったですけれど。どーんと後ろから背中を押されたように感じて

佐藤:私・竹口もそうだと
竹口:そうですね、ああそう。ああこうやって作っていったらいいのか〜って。思って。それいらいずーっと
佐藤:そのとき以来ずーっと一貫した姿勢で今日まで

竹口:
そうですね
佐藤:そういうスタイルでやっていると
竹口:、ああどちらかと言うとそうですね
佐藤:そうかそうか。それで結局・建築とは何かっていうのは、自分のやりたいこと、欲望というか、そういうものを具現化していけばそれでいいのだ!という話ですか

竹口;それは自分の欲望って私言ってませんので、ですから新しい何て言うか空間であったりとか、何ていうのかな。空間の利用方法ですとか。そいったものを切り拓けるようなことではないののかということはよくわかる。かんがえておりませんのでそれは、欲望かって言われたら。もしかしたら私の欲望でもあるかも知れいですけど。その他者に対して新しい空間というのはたぶんそれを使う人にとっての、えーと新しいと。
佐藤;それは勝手な解釈ですよね勝手にそう思っているって話ですよね。それはそれでいいだけど。じゃあ他者の定義っていのはどうなっているんですか

竹口:私の他者ですね。使用者とか利用者とか、その建物の。
佐藤:ああそうかそうか、新しいという定義は、建築が新しという定義は
竹口:その定義は、ですから今まで既存に存在していた、枠組みでは無いといいますか、枠組みであったりとか。

佐藤:建築という概念の枠組っていうことですか、それともフィジカルな枠組っていうことですか壁っていうことですか
竹口:それは両方とも2重に、おそらく使っていると思いますが。ですから、
佐藤:概念も物も新しくて、判りにくいですね他者にとっては、設計している人は判るかもですが

竹口:そういです、ですから、例えばクライアントは。ある住宅に今まで住んでいたとしますね。それに対して新しい空間を提供できるというのは、それとは違って。彼らが思ってもしなかったような、効果が現れるような、提案であるわけです。
佐藤;単に引っ越しだけで済むんじゃないですかそれは
竹口:そうですよ。ただ引っ越しても同じ様なものばっかりしかないような
佐藤:ああ、無いのでそれに対する代案として、自分が考えたよいと 、思う、竹口主観的によいと思うものを提案して、体験してもらうと

竹口:他者にとっても新しいっていうのもがあるのかっていうことを追求しているといいますかね
佐藤:あくまでも、竹口さんが考える主観的な新しさであり、そうもの(建築物)だということで いいんですよね
竹口:ただその主観的なものをいかにして客観性をおびさせるかということには割と昔から興味を持ってまして。
佐藤:無茶でえすね。 そういう態度はどうしてですか 

竹口:つまりですね、えーとね〜。何ていうのかな〜バルブルの頃ですかね。90年代に割とデザイナーっていうか建築家が僕はこうだと。どーんとこう、ものすごくこう判りやすいものを、それこそポストモダニズムって言ってもいいけどかもしれないけど。非常に、直接的なデザインんで、訴え掛かるようなものを観ていて。果たしてそういう、何かさきほど言っていた詩的なね。デザインというのはね、公共というか不特定多数の人たちに、共有できるものでないのではないのかなと

佐藤:建築が共有されなければいけないと、それはどういう事なでしょう
竹口:別に住宅であれば、もしかしたら共有されることはないのかもしれないんですけど。不特定多数の人が使う公共の建築物っていうのは、使い人が一杯いるわけですね。その時にはその色んな人に効果か発揮できるような空間じゃなくってならないと思ってまして、たとえ住宅であったとしても例えばもういう(建築専門誌)メディアや、そのたインターネットのホームヘージを見た時にです。こういう空間に、欲しいと。こういう空間住んでみたいと。多くの人が思わせるっていうのは、それはある意味では、一般的な普遍性を持った効果っていうか、力があるわけですかね。

佐藤:それは判らない、そう考えたと
竹口:多くの人がこういうものは観たこともないと。欲しいなと。手に入れたいなと。価値があるなと。思われる。そういうものがないのかと思って考えているわけです。

佐藤:そうかそうか、あくまでも竹口さんの 45:19

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